Secret 17
司の長期の出張は終わったといえども今度はこっちでの仕事が忙しく、同じ日本にいるのに今までにも増して二人で過ごす時間は少なくなっていた。
「先輩? なんだか最近疲れてません? 顔色悪いですよ」
「そう? 大丈夫よ、いたって元気!」
帰宅途中に心配そうに顔を覗きこむ桜子に、ガッツポーズを作って見せる。
「なら良いですけど、体調管理も仕事のうちですからね?」
「はいはい、分かってますって」
桜子の心配を払拭するために明るく言ってはみたものの、顔色が悪いのは、きっと最近の寝不足が祟ってる。
司の帰宅が叶わず一人で過ごす夜は、寝ようと思っても寝付きが悪かったり、眠りが浅かったり。
司が帰宅出来ると分かれば、それが例え深夜になろうとも起きて待ち『お帰り』と出迎えたかった私は、このところ寝不足気味だ。
最近の司は、NYとのWeb会議も頻繁にあって、執務室に隣接するプライベートルームで寝泊りすることも多い。だからこそ、どんなに寝不足だろうとも、出迎えられる時は出迎えたかった。
そうでもしなければ、ちゃんと食事はしているのか、睡眠は取れているのか、顔を見て確認することも出来ない。
夫の体調管理も、そして自分の管理もままならない現状は、酷く歯痒かった。
その日の夕方にかかってきた司からの電話は、今夜も仕事が遅くまで終わりそうにないというものだった。
帰れるかどうかはまだ分からないと言う。
そんな日に限って、私の方は仕事が早く終わったりするのだから皮肉だ。
一人で摂る食事のために手間をかけるのは面倒臭くて、その日の夕飯は、サラダにスープと簡単に済ませた。
お風呂に入って、それでもまだ寝る時間には早い長い夜。最近は一人で過ごすには欠かせない本を片手に、余りある時を過ごしていた。
本に没頭していたところに電話が鳴る。
時計を見れば、21時を少し過ぎていた。
きっと司からだ。今日も帰れないという電話だろうか。それともこれから帰って来る、嬉しい知らせとか?
僅かな期待を胸に電話に出た。
「もしもし、司?」
『あぁ、もう家か?』
「うん、今日は終わったのが早かったんだ。司はどう? 仕事まだ終わらなそう?」
『あぁ、まだかかるな。でも今日は遅くても帰る。もう限界、つくしに何が何でも会う』
「本当!」
僅かな期待をしていたとは言え、期待が確定となれば、自ずと声のトーンも上がり嬉しさが駄々漏れだ。
『何だ、やけに嬉しそうだな。そんなに俺に会いたかったかよ』
「そりゃそうよ」
『悪いな、寂しい思いさせて。なるべく急いで帰っから。と言っても日付は変わるだろうから先に寝てろ。あ、でも夜食だけ作っといてくんねぇ?』
「まさか夕飯食べてないの?」
『ちょっと摘まんだだけで食い損ねた』
食事も摂る時間もないほどの忙しさで、司の体は大丈夫なのだろうか。
会えなかった寂しさよりも、司の体調の方が心配になる。
「ダメじゃない、ちゃんと食事は摂らないと。……あ、良いこと思いついた! 夜食届けてあげる!」
『あ? 今からか? ダメだ、危ねぇだろ』
「行ったら迷惑とか?」
『そうじゃねぇよ、部屋で仕事してるだけだからな』
「じゃ、決まり! 届けるね! 車すっ飛ばして行くからさ」
『すっ飛ばすな! それが危ないって──』
「じゃ、用意したら行くね!」
長くなりそうな司の説教に、自分の言葉を覆い被せ電話を切ると、慌ててキッチンへと向かう。
さっきまでは、自分の食事を作るのが面倒だと思ってたこの場所が、今ではあれもこれも作ろうと、冷蔵庫にある食材を引っ張り出して偉い騒ぎだ。
時間が掛からないものを手早く作り、それを重に詰めると、今度は身支度する為にドレッサーへと急いだ。
と、言っても軽く化粧をしただけで、帽子とメガネをかけ、お洒落と言うよりはほぼ変装。
出掛ける時にはしなくてはならない鬱陶しい変装も、今夜は逸る気持ちには勝てなくて、ハミングする自分に笑えてくる。
準備を整え久々に車へと乗り込むと、意気揚々とアクセルを踏み込んだ。
久しぶりの運転に湧く高揚に加え、少しでも早く司に会いたいと気ばかりが急き、油断するとスピードを上げてしまいそうになる。が、それを自制させる存在があることに直ぐ気づいた。ルームミラーに映る一台の背後の車。
「まったくもう!」
呆れながらのドライブは、三十分ほどで司の待つ高層ビルの地下駐車場へと辿り着き、ずっと追尾してきた車もこの場所へと滑り込んで来た。
ドアを開け外に出れば、その車から降りてきた見覚えのある男性二人に頭を下げられ、私も彼らに近づき同じようにお辞儀をした。
「こんな時間なのに、お手数お掛けして、すみません」
「いいえ、仕事ですので気になさらないで下さい」
その男性二人は、道明寺家のSPの方たちだ。
こんな距離くらい一人で来られるのに人の手を煩わせて!
しかも、司の執務室まで同行させるって、どこまで心配性よ!
教えられずとも知っている司の部屋まで案内されると、既に扉は開いていて、
「おう、無事着いたか!」
なんて、暢気に笑顔を見せながら司が近づいてくる。
「あのね、ここまで来るだけなのに、何でSPの人達付けたりなんかするのよ。申し訳ないでしょ?」
「つくしが車すっ飛ばすとか言うからだろ」
「お陰で、ちゃんと安全運転してきたわよ。私がスピードでも出してなんかあったら、SPの方たちの身が心配だしね」
「当たり前だ。ほら、3日ぶりに会ったんだから、んな顔すんな」
私が頬を膨らませていると、大きな手でパチンと挟みこまれる。
口から漏れ出た、ブッーという空気音に面白そうに笑っていた司だけど、ここはまだ部屋の扉の前だと気付き、「早く入れ」と肩を抱かれて中へと促される。
しかし、中へ入って数歩、私の足は突如と止まる。
滋さん!
私の視界が捉えたのは、ソファーに横になって眠る滋さんの姿だった。
起きる気配のない滋さんには、ブランケットが掛けられていて、……きっと司が掛けてあげたに違いない。
秘書だから会社に居るのはおかしくはない。けれど、こんな時間なら司が帰してるかもしれないし、それに、まさか同じ部屋でこんな風に過ごしているなんて思いもしなかった。
もしかしたら、今日はたまたま?
それを確認したくても、ダイレクトに訊ねてしまえば司が必要以上に気に掛けてしまいそうで、敢えて普通を装った。
「こんなに毎日遅くまで司に付き合ってれば、滋さんだって疲れちゃうよ」
「だから帰れっていつも言ってんのによ。上司が仕事してんのに秘書が寝るなんて有り得ねぇだろ」
────司のその言葉が、たまたまではないことの裏打ちとなった。
毎日、二人でこの部屋で過ごしてきたんだ。私が司に会えない夜もこうして二人で。
ざわつく心を押し殺しながら、何を気にする風でもなく司のデスクに夜食を並べていく。
「おー、いそぎんちゃく見っけ」
「一杯食べてね。食事も摂らないで睡眠不足も続いてちゃ、過労死しちゃうよ。この年で未亡人なんてなりたくないんですけど」
「勝手に殺すなよ」
笑いながら話す司の顔は穏やかで、だからこそ少しでも負担をかけたくないって思う。
一ヶ月ぶりに会えた夜に分かったから。
本当に何もないのかを司に訊ねた時、司の表情を見て、あぁ、この人は何か隠してる。そう感じた。
もし、本当に何もなかったとしたら、私の頬でも抓りながら、バーカ! って笑い飛ばすんじゃないかって。
でも司は、私から視線を逸らすことなく、あまりにも真面目な顔つきで、それが却って違和感を生んだ。
見えない力が動き出してるのかもしれない。私の知らない所で。
そんな不安に支配されていく中、司が放った一言が、これ以上、司に負担をかけてはいけないと私の気持ちにブレーキをかけた。
『俺と結婚して幸せか?』
らしくもなく憂色を隠しきれていない司に、私の不安を悟られてはいけない。
だから、『俺様っぽくなーい』なんて、わざとふざけた素振りなんかして。
それだけじゃない。
見えない力の存在に感じる不安とは別に、私の中に芽生えた感情を知ったら、司は私をどう思うだろうか。
司にだけは知られたくなかった。悟られたくない。自分の心の奥深くに棲みついた、醜い感情など……。
「どうした? 大人しいじゃん」
「ううん、別に。相変わらず、ものを綺麗に食べるんだなぁ、って思っただけ」
「んだよ、今更。それより、お前も食えよ」
「いいの。司が食べてる姿見ただけで、胸一杯だから」
恥かし気もなく言えた自分に驚きながらも、私以上に司は驚いた様子で顔を赤らめている。
「お前な、そういう可愛いことを会社で言うな。二人きりの時に言え!」
「会社だから安心して言えたんだけど」
「てめぇ、可愛くねーな」
「どっちよ」
笑いながらも怒った口ぶりで言う私に、司は口元に綺麗な弧を描く。
「可愛いに決まってる」
そう言って髪を撫でてくれる司は、何処までも優しかった。

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