Secret 14
「パパ!」
「おぅ、滋。元気そうだな。どうだい、司君の下でちゃんとやっているかな?」
「勿論、ちゃんとやってるよ。そんなことより、どうしてNYまで? 仕事?」
「まぁ、それもあるが、娘がお世話になっているんだ。司君に挨拶はしたが、楓社長にはまだだったからね。忙しくて日本にもなかなか戻ってこられないお方だから、司君も滋もこっちに来てるなら丁度良いだろ。この機会に、一緒に食事でもと約束を取り付けてある」
「わざわざそんな……。私だって子供じゃないんだし」
「そういう訳にはいくまい。滋、これはただの就職とは訳が違うんだ。私達の未来に繋がるきっかけに過ぎない」
突然NYの大河原邸に顔を出したパパ。
司との結婚を望んでいるのは百も承知だけど、所詮そんなものは無理だ。
「パパ、この際だからはっきり言っておく。私は司と結婚なんて考えてないし、望んでないよ」
「滋は牧野つくしさんを気にしているのかね?」
「え」
どこまで知ってるの? つくしのことを。
「司君と長いこと交際しているのだろう? 滋も牧野さんとは友達のようだね。滋は優しいから牧野さんに気を使っているのだろうが、司君に相応しいのは滋だ。それに滋が司君をずっと想い続けていることも、大分前から知っていたよ」
「パパ……」
「大河原の将来だけじゃなく、滋の幸せも私は望んでいる。司君に恋人がいようとも関係ない。例え彼に婚約者だろうが奥さんだろうがいたとしてもだ、そんなもの、その気になれば何とでも出来る力くらいは、パパにだってまだまだあるんだよ」
「まさか、パパ! つくしに何かしようとしてるの? そんなの絶対に止めて! そんなことしたら、パパだって絶対に許さないからっ!」
パパを睨むとその場から逃げるように踵を返し、自分の部屋に駆け込み鍵を掛けた。
ドアに凭れた体から力が抜け、その場に頽れる。
どうにでもなる?
私がずっと想い続けてもどうにもならなかったのに?
────本当に、手に入る?
高校生の時に司に恋をして、失恋をして。そして誰に対しても優しい心の澄んだ友達を得た。
つくしを求める司の気持ちが痛いほど分かったから、つくしには勝てるはずないと身に沁みたから、だったら、大好きな二人の一番の理解者でありたいと願ったあの頃。自分の気持ちに蓋をして、友達と言う道を選んだ。
二人は障害があればそれを乗り越え、その度に絆は深まっていく。でも、それを近くで見続けるのは、思っていた以上の苦しみを伴った。
時間が経てば忘れられる。そう言い聞かせても、一向にそんな時は訪れなくて。司がつくしを想えば想うほど、私の気持ちも熱を増す日々。
二人を見るのが辛く目を逸らしたかったこともある。それでも友達を止めなかったのは、そうすることでしか、司の傍にいられなかったから。
例え辛くても、それでも司の近くにいたかったから。
司の心の中に入り込む余地はない。つくしにも悪い。と、何度も何度も頭で繰り返し、それでもどうにもならなかった行き場のない想いは、やがて私の中に鬱屈としたものを生み出した。
ついには感情の抑制が効かず、桜子の前でつくしへの不満を吐露したこともある。
それでも、今度こそは……、本当に今度こそは諦めようと思った。自分の気持ちに整理をつけるには丁度良い引き際なのだと。
だからこれが最後だからと心に決め、司に三度目の想いを伝えたけれど、振られたからといって直ぐにこの気持ちを捨てられはしない。ならば、司の秘書として、つくしさえも入り込めない領域で、司を少しでも支えることが出来たら、その掛け替えのない想い出を胸に今度こそ司から卒業しよう。
なのに────。
『────その気になれば何とでも出来る……』
私を試すかのように、パパの言葉が頭の中で木霊する。
「……やめて、やめてよ」
居座って離れない、甘い囁きにも聞こえる誘惑の罠。
抱えた頭を乱暴に振って、
「違う、そんなの駄目」
惑う心を鎮めようと必死に抗った。
✢
……あれ?
目を開ければ自宅の広いベッドの中。
目を擦りながら、どうやって帰って来たんだっけ、と重い頭を無理やり働かせる。
昨日は美作さん達と飲んでいて…………その後どうしたっけ?
記憶がブツリと途切れている。ってことは、もしかして私は酔い潰れたとか?
起き上がろうとすれば、頭だけじゃなく体も気怠く、全身が飲み過ぎだと悲鳴を上げている。
間違いない。酔い潰れたらしいこと決定だ。
何とか上体を起こし時計を見遣れば、朝の7時まで後15分程だった。
朝のミーティング等が入っていない、通常出勤時の司を起こす時間だ。
アルコールが沁み渡った体でも、この時間に目覚めたのは習慣なのか。
ただ悲しいのは、起こす相手が不在なことだった。
司が使う枕に手を伸ばせば、肌に伝わるのは、人肌の温もりがない冷ややかな感触。私の体にまで冷たさが侵食していくようで、心が寒くなる。
「……会いたいなぁ」
広い寝室でポツリ呟けば、サイドテーブルに置いてあったスマホが音を立てた。
「もしもし?」
『つくし、もう起きてたか?』
画面もろくに見ずに出てた電話は、たった今、会いたいと願ったばかりの相手からで、ご褒美のような偶然に胸が騒いだ。
『おい、つくし? どうした? 何かあったのか?』
偶然の幸せに驚き、話の接ぎ穂をすっかり忘れていると、司の声に余裕がなくっなって慌てて執り成す。
「あ、ごめん違うの。会いたいなって思ってたところに司からの電話だったから、驚いちゃって」
『つくし、俺も会いてぇ』
暫し流れる沈黙。
どうにもならないもどかしさが、この静かな時間を生み出す。
数年前までは、こんな時間を何度となく味わってきた。
長いこと離れて過ごしたあの時間を思い出させるには、十分な静かな流れだった。
「司、懐かしいね。こんな電話」
『あぁ、そうだな』
きっと同じように司も思い出している。
二人だけしか気付かないことが、こんな風に私達には存在する。
これも、離れていた時でさえ、共に時間を共有してきたといえる、私達二人の歴史の一つだ。
『……つくし? マスコミが、また騒いでいるんだってな』
「……うん」
『食事してる写真か?』
「そうみたいだね」
『あの席には西田もいた。どうせ写ってねぇだろうけどな。それに、今こっちで俺の秘書に付いてんのは西田だ』
まさか西田さんが付いているとは思わなかった。少しだけ胸の中の鉛が軽くなる。
「そっか」
『お前な、少しは芸能人なんだから、マスコミが考えそうなことくらい分かれよ』
「そんなこと言われても、私は撮られる側で、撮る方のことは良くわかんないし」
『たくっ。それより何が書いてあるかは知らねぇけど、お前は俺の、道明寺司の妻だってことを忘れんなよ。油断するとお前は、そんな当たり前のことを簡単に忘れて余計なこと考えそうだからな! いいか、周りに惑わされるな。俺だけを信じろ』
「うん、分かった」
『よし、良い子だ。あと10日後には今度こそ本当に帰れるから、もう少し待ってろよ?』
良い子って、子供じゃないんですけど。そう反論しかけて、
「あっ!」
大事なことに気付き咄嗟に声が口を衝く。
けれど、この流れで告げるには気まずい内容で、一瞬言葉に詰まる。とはいえ、隠して良いはずのものでもなく、いっそ勢い任せに早口でまくし立てた。
「ごめん10日後から沖縄で泊りがけの撮影だから東京にいないっ!」
『ぁ?………………日帰りで帰って来い。つーか行くなっ!』
流石は俺様、無茶をおっしゃる。
「いや、それは無理かと……」
『んだよ、くそっ。せっかくお前の顔が見れると思ったのに。こんな時位、仕事に妥協する気はねぇのか?』
「周りの人に迷惑掛けちゃうじゃない、絶対ムリ!」
電話の向こうからは、司の大きな溜息と垂れ流される文句に加えて、西田さんだろうか。司を呼びに来る声が混じった。
「ほら、司。もう仕事に戻って!」
『ちっ、なるべく早く帰って来いよ…………待て、沖縄?』
「そうだけど?」
『ま、まさか水着なんて着ねぇよな?』
沖縄といえば海だ。水着を連想するのも無理はない。
今回は水着撮影は含まれていないけれど、敢えて答えず勘違いさせたまま無言を貫く。
『つくし、分かってんだろうな? この前のとこより下は見せるな!』
暫し考えて、キスマークのことか、と思い至る。
「うーん、もう消えちゃったからなぁ。どこに付けられたのか忘れた。それじゃ、早く仕事に戻ってね。じゃあね!」
『あっ、待て、コラ!』
待ってなんてあげない。
騒いでる司の声を聞きながら電話を切った。
私だって不安な日々を送っているのだから、小さな仕返しくらいいいよね?
電話を遮断してから司の言葉を思い出す。
俺だけを信じろ、か。
信じてないわけじゃない。信じてる。
ただ、時折、滋さんの存在が怖くなる。
あの人の優しさを強さを、そして、どこまでも真っ直ぐな司への想いを私は知っているから。
誰にも言えないこんな思いを自分の中から追い出すように、窓を開けて深呼吸する。
行き場のない思いをいつまでも考えるのは止めよう。そう切り替えられる自分は、まだ大丈夫だ。と己に言い聞かせながらリビングへと向かった。
「先輩! おはようございます」
「ギャーーっ!」
自分以外の存在に仰天し遠慮なしの叫びを上げる。
「そこまで驚くことないじゃないですか、人を化け物みたいに! 昨夜は酔い潰れた先輩を置き去りに出来なくて、勝手にゲストルームをお借りして泊まらせて貰いました」
「そ、そっか。ごめん、桜子。心配かけたよね。ご迷惑お掛けしました」
ペコリと頭を下げる。
「そんなこといいですから、先にシャワーでも浴びて浮腫んだ顔何とかして下さいよ。今日も仕事はビッシリ入ってるんですからね」
どんなことがあっても仕事は待ってくれない。また新たな一日が始まるのだから、浮腫と一緒に気持ちも真っさらに流してしまおう。
「よしっ! 行って来る!」
「何ですか、その大きな気合は!」
桜子の呆れた目線を受けながらスマホを充電器に挿すと、途端に鳴るメールを知らせる着信音。司からだった。
『痕が消えてもお前の身体が覚えてんだろ! そこより下は見せるな、いいなっ!』
クスッと笑って「バカ」と呟いた私は、バスルームへと向かった。
✢
明後日、やっと日本に帰れるって時になって、滋の親父がブチ込んで来た大河原家との食事会。
わざわざNYまで来やがって、と吐ける毒をバラ撒きてぇ気分だ。
テーブルを挟んだババァと俺の前には、滋と滋の両親が並ぶ。こんな茶番、時間の無駄でしかねぇのに。
「楓社長、この度は娘がお世話になりまして、ありがとうございます」
「私はこちらにいることが多いですし、全ては息子に任せておりますので」
「いや、将来的にも長い目で娘を頼みたいと思いましてね」
含みを持たせた滋の親父の言葉と、推し量るように会話を続けるババァ。
「将来的にも、ですか。今では息子も自分の立場と言うものを理解しておりますし、自分にとって何が必要か、冷静な判断も出来るでしょう。大河原財閥と道明寺の今後の繋がりは、一番最良の方法で築かれることを願っておりますわ」
「最良の方法。ええ、全く同感ですな。その方法は一つしかないと思ってますよ」
「そうですわね。その時期が来ましたら息子自ら動くと思いますわ。私も後押しさせていただきます」
「楓社長のそのお言葉を聞いて安心しました」
……白々しい、いけ好かねぇ会話。
ババァの言う最良の方法、それは婚姻関係などに縛られず利益を生む関係だ。
この親父は分かってねぇようだが、つくしがいなければ俺自身が機能しないことをババァは知ってんだよ。
そして、つくしの立場。これを甘く見てはいけない。そう、ババァ本人が言っている。
抜群の認知度に加え人気はうなぎ登り。蔑ろにして良い存在ではないのだと。
この上辺だけの食事会は、中身が空洞の会話をお飾りに二時間程で終わりを告げた。
全くもって無駄な時間。だが、大河原家に取っては、意味を生みだす重要な時間だったのだと、直ぐに思い知らされることになる。

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