Secret 13
急な道明寺さんのNY出張から十日。
遠く離れた地からこの日本に届けられたものは、道明寺さんと滋さんとの熱愛報道だった。
先輩と道明寺さんは、連絡を取り合ってはいるようだけれど、この記事が出てからは、おそらくまだなはず。
先輩の心中を思えば笑顔を求められる因果な仕事など休ませてあげたい。でも、プライベートで何かあったからと言って休めるほど、大人の世界は甘くはない。
尤も、先輩は大して気にした風でもなく、明るく振る舞い普段通通りに仕事をこなしているけれど、生憎と私は、だから安心だ、大丈夫、と表面上を見ただけで判断するほど、愚かでもない。
「先輩、いつもの事ですからね?」
「うん? 何が?」
「記事ですよ、記事」
「あー、あれね。ホントあいつの傍にいるとみんな彼女にされちゃうよね。桜子、私なら大丈夫だよ。いつもの事だし、いい加減慣れないとアイツの奥さんは務まらないわ」
そう言ってカラッと笑った先輩は、新しい衣装に着替え、次の撮影へに入るため控え室を出て行った。
『道明寺司氏の本命は、公私共に支える大河原財閥のご令嬢!』
見出しが踊った雑誌の中身は、二人の写真が掲載されている。
満面に喜色を湛えた滋さんと、無表情がデフォルトな道明寺さんが、今回は幾分穏やかな表情で写っている、その写真。
それが先輩の目にはどう写っているのか。そう心配してしまう私は、過保護過ぎるのだろうか。
…………いや、そんなことはない。
先輩の場合、過剰に気にかけても足りないくらいだ。
先輩は、一人で抱え込むのが得意中の得意。手遅れになってからでは遅い。
だからこそ、情報を共有するためにも直ぐに連絡を取らなければ。日本でこのように騒がれている状況を把握しているのか分からない、道明寺さんに。
先輩の撮影には付き人を同行させ、控え室に残った私はスマホを取り出した。
✢
「副社長、明日は8時にお迎えに上がります。お疲れ様でした」
「あぁ」
NYの邸に戻ってきたのは日付が変わった頃だった。
本来なら帰国予定だった今日。西田も帰って一人になれば、ソファーに腰を落ち着かせるなり、気の重さから自然と溜息が溢れ落ちた。
だが、滅入っていても仕方ねぇ。
こっちでの仕事が思ったより長引いちゃいるが、こことの関係を蜜にしておくことが何より重要で、後々のキーポイントになるはずだ。
こっちさえ方が付けば後はプロジェクトに専念できる。そのプロジェクトを少しでも早く推し進め、大河原サイドに告げておきたい。俺が結婚しているという事実を。
にしても、長ぇよなぁ。と、結局は愚痴めいた思考に舞い戻る。
こっちでは、西田が俺について仕事をしているから、これでも速いペースで仕事は進んでいる。なのにだ。まだまだ日本に帰れそうにない現況。流石に俺も辛い。
……つくしに会いてぇ。
せめて声だけでもと、ジャケットのポケットからスマホを取り出せば、画面に映し出された三条からのメール着信に気付く。
嫌な予感がして、すぐさま中身を開いた。
『道明寺さんの新たな恋人として、滋さんとの熱愛報道が出ました。お二人が一緒に写るNYでの写真も掲載されています。
先輩は気にしていない様子でいつもと変わらず仕事をしていますが、ご存知か分かりませんでしたので、 一応ご報告まで』
は? 何だ、これ。
滋も一緒にNYに来ちゃいるが、今回の仕事は西田を専任にしている。
こっちの件に拘らせるわけにはいかない滋には、別の仕事を与え二人でいることはなかった。
だとしたら、掲載された写真は、一緒に食事をした初日の時のものか、と当たりをつける。
その時はミーティングを兼ね、西田も含めた三人でいたが、マスコミの奴等の手にかかれば、二人きりで食事しているよう見せるなんて造作もねぇか。
詳細を訊くため、三条に電話を繋いだ。
『もしもし、道明寺さん?』
「あぁ、心配掛けたな。そんな事になってるなんて知らなかった。熱愛報道はきりがねぇし、社としても基本放置してるからな。それで、つくしは大丈夫か?」
『やっぱりご存知なかったですか。先輩は、いつもの事だからって、道明寺さんの傍にいるとみんな彼女にされちゃうって笑ってました。それと、こんなのに慣れないと道明寺さんの妻は務まらない、とも』
「笑って? そうか……」
『無理しているのかもしれませんが、ちゃんと先輩の事は私が見ておきますから』
「悪りぃな、頼む。それと、こっちで俺の秘書に付いてるのは西田だ。滋じゃねぇ。つくしには朝になったら連絡入れる」
『そうだったんですか! それを聞いて少しは安心しました。じゃあ、明日にでも連絡入れてあげてください。こっちはまだまだ仕事が終わりそうもないので』
「ああ。じゃ、つくしを頼むな」
『ええ、頼まれました』
三条との電話を切り、天を仰ぐ。
NYに発つ前のつくしの様子からすると、笑っていたというのが気になるが、それも三条の前だからなのか。
あいつは人に弱みや泣き言を見せるのを嫌う。そんな姿を見せるようになったのは、帰国してから俺にだけだ。
遠い日本で笑顔を作りながら意地を張っているのかもしれないと思うと、すぐにでもあいつの元へと帰って抱きしめてやりたかった。
だが、今は耐えるしかなかった。
頼むからつくしも堪えてくれ、と心で願う。
今ここで話を詰めておく事が、つくしの心配の種を摘む近道になる。それを思えば、もう少し時間を掛けるしかない。
滋の親父が本格的に婚姻を匂わせてきた今、なるべく早く事を進めて、大河原に俺達のことを知らせたかった。
いつまでもこんなマスコミに踊らされて、つくしを影の存在にしとくわけにはいかない。
✢
「よっ、牧野。久しぶりだな!」
「美作さん!」
いきなり声をかけてきたのは美作さんだった。突然の出現に目を丸くすれば、驚く私を余所に続々と彼らが続く。
「つくしちゃ~ん、結婚してから冷たいんじゃねぇの?」
「牧野、行こっか!」
「西門さんに、類まで! みんな揃ってどうしたの? 行こっかって、一体どこに?」
帰宅する為に仕事先の地下の駐車場に下り立った途端、姿を見せた美作さんたち。
何故にお忙しい御三方が揃いも揃って待ち伏せしてるのか、と驚くのも当然だ。
「牧野ともなかなか会えないからな。鬼の居ぬ間に久々に飲みに行こうかと思ってよ」
「泣いて喜べ。俺たちが遊んでやる!」
お祭りコンビが肩組んで喋っているけど、確かにこんな姿を見るのは久しぶりだった。
「俺は牧野と二人で出掛けたかったんだけどね」
「類、司がいないからってそんな事すんなよ。二人きりでなんか出かけてみろ、マスコミのいい餌食になった上に猛獣に殺されかねないんだぞ! リスクでか過ぎだろ」
聞き流しているのか、美作さんを見ようともしない類は、
「牧野に美味しいもの食べさせてあげる」
なんて言ってくる。
「おまえは人の話を聞け!」
そんな美作さんの叫びも虚しく、ビー玉の瞳を持つ王子は、再び無視を決め込み私に微笑んだ。
行くとも行かないとも言わないうちに、美作さんの車に無理やり押し込まれた私と桜子。
拉致られるように強制連行された場所は、西門さんのお勧めのお店らしく、類曰く『牧野が好きそうな居酒屋』だそうだ。
だけど、車から降り立った瞬間に、いいや違う、と心で即座に反論した。
中に入り通された個室は、高級そうな花器に生花が生けられ、一枚板の座卓周りの客席には、高さのあるふわふわな座布団を乗せた座椅子が並ぶ。
高値のつきそうな掛け軸もあれば、窓から望める庭園には、池があり小さな滝まで流れている。それが居酒屋と言い表された、この場所だ。
私は思う。人はここを高級料亭と呼ぶのだと。
どうやら類と私とでは、居酒屋という概念そのものが、大きな隔たりを持った異なるものだったらしい。
けれど、渡された一枚の和紙を見て目を見開いた。手書きされたそれはメニューで、そこには馴染みのある本来の居酒屋料理がずらりと書き連ねてあったからだ。
恐らく、類が駄々を捏ねたのかもしれない。一般的な居酒屋料理を用意するようにと。
向かい側に座る類をメニュー越しにそっと窺えば、ニコニコニコと、穢れを知らない無垢な笑顔とぶつかる。
「そういうの牧野好きかなって思って」
やっぱりだ。やっぱり類が無理言ったんだ。
しかし、こうも子供みたいな無邪気な笑顔を振り撒かれ、私のためにしてくれたのだと思えば、その好意を無視はできない。
「うん、好きなのばっかり!」
素直に好意に甘え、「居酒屋ではないけどね」と、指摘どころは、拾えない声遣いで添えておく。
「だと思った。好きなだけ頼んで?」
「ありがとう、類!」
居酒屋メニューと言えども、そこは高級料亭。素材も値段も、私の知るものとは格差があるだろうと思うと、頼むのに少しばかりの躊躇いはあるけれど、類の折角の気遣いでもあるし、お店側も無理をしてくれたのだ。頼まない方がこの場合は失礼にあたると思い直した私は、あれもこれもと注文する。
決して、食欲がないことは悟られないように……。
「何だよ牧野、モデルになってもその食欲は全く変わんねぇな。いいのかそんなんで?」
呆れ顔で西門さんが私を見る。
「良いんです! いつも我慢してたらストレス溜まっちゃう!」
「そうだ、牧野はもっと食え。司はお前が痩せるの嫌なんだから」
美作さんの優しいフォローにも、西門さんは口を挟まずにはいられないらしい。
「それって、出るべきとこに肉を付けろってことじゃねぇの?」
「どういう意味よ! 失礼なっ!」
「まんまだ」
「大きなお世話ですっ!」
セクハラ発言を平気で繰り出すのが、西門流の次期家元だなんて。と、唇が尖る。
「確かに、出るべきところに栄養が全て行ってくれれば良いんですけどね。この歳では、今更ムリってもんです」
桜子まで何食い付いてきてんのよ! と眉をもひそめた。
「もう、私のことは放っておいて!」
「くくくっ。牧野のそんな怒った顔見るのも久しぶり」
怒った顔を見て笑える類は理解不能だけど、こうして皆と過ごせるのは、私にとっては良かったかもしれない。
司の居ないあのだだっ広いマンションで一人、鬱々として思考を巡らせるよりかは。
無心でなんていられるはずなかった。
今日は司のあんな顔を見てしまったから。週刊誌に載った司の顔が、いつもとは違うものだったから……。
次々と運ばれてくる料理とアルコールを頂いて、話題に事欠かないF2の話を聞きながら、時折からかわれたり、怒ったり、笑ったり。
そして今は、隣に座る西門さんから、和の心とか、立居振る舞いのアドバイスを貰っていた。
そんな時だった。
不意にシャッター音が鳴り、音のした方へと視線を移せば、優しい笑みを浮かべた美作さんが、スマホをフラフラと振ってみせている。
どうやら私達の写真を撮ったらしい。
「何だよ、あきら。撮るなら撮るって言ってくれよ。俺はこっちの角度の方が写りが良いんだよ」
西門さんが左の頬をパチパチと叩き、こっちだ、と強調する。
どっから撮っても綺麗な顔してるのに。そんな感想を抱く私に、美作さんがスマホを差し出してきた。
「牧野、総二郎どうだ? よく撮れてるよな?」
画面に写る私達二人。
「うん、自然体で良く写ってるよ。日頃の女癖の悪さなんて微塵も出てないし」
「牧野、人聞きの悪いこと言うな!」
認めない気? と向けた目で語りかけても相手にしてくれない西門さんに代わって、美作さんが話を繋ぐ。
「牧野の言う通りだ。女癖の悪さも出てないし、穏やかな顔で良く写ってるよな?」
全く美作さんに同意だけれど、どうしてそんなに西門さんに拘るのかが不思議だった。
確かに良くは撮れているけれど。
「うん、お世辞じゃなく良いと思うよ」
「だろ。ダチといる時なんて、誰だってこんなもんだ。司も滋といる時、そんな感じだったんじゃないか?」
「え」
「だから余計なことグダグダ考えんなよ?」
もしかして、ずっと心配してくれていたの? それで、こんな風に写真まで撮って……って、まさか今日もわざわざ?
忙しい中、皆が揃いも揃って現れたのは、あの熱愛報道を知って私を心配してくれたから?
漸くそう理解が追いつき、何か言わなければと口を開こうにも、リズム良く刻まれていくF3の会話に挟む隙もない。
何か言おうとしているのは、絶対に気付いているはずなのに、誰も私に頓着しない。
それが彼等の気遣いだと分かるからこそ、余計胸に痛い。
「あきら、俺が牧野と写真撮りたかった」
「バカ。類じゃ意味ねぇだろ。いつも牧野の前じゃ、天使の微笑みなんざ言う顔してんだから。少しは牧野の前以外でも愛想良くしろ! マスコミの前でも司並に笑わねぇもんな」
「嫌だ。あんな怖い顔とひと括りにしないでよ」
「とにかくだ、牧野に全く興味がない奴で、愛想笑いをしていない時の総二郎の方がリアル感があるだろう?」
「そうそう、俺なら牧野に女なんて感じねぇし、他の女達に見せる笑顔を牧野に使うのは勿体ねぇ!」
さり気なさを装い優しさを与えてくれるこの人達に、私はどんな言葉を掛ければいいのだろう。
感謝を伝えるには何を言っても軽すぎるような気がして、言葉選びに悩んでいる間に、いつの間にか隣には類が座っていた。
「牧野、一緒に写真撮ろっか」
せめて私に出来ることがあるとすれば、それは大切なこの人達に、これ以上の心配をかけないことだ。
私は大丈夫だと、元気なところを見てもらうしか……。
だから、お礼の代わりに精一杯明るく振る舞う。
「そうだね。撮ろう、写真!」
「うん。あきら、撮ってよ」
「なんで俺指名なんだよ。あのなぁ、類。撮ってやっても良いが猛獣には見せんなよ」
「あきら、司が怖いんだ」
「厄介なんだ! お前、こんな写真見つかってみろ。牧野と一緒に写ってる類じゃなくて、この写真を撮った俺が殴られるのが目に見えんだよ。俺のことも考えろよ、いいな?」
「あきら、しつこい」
全くこいつは、などと呟きながらも、言われるがままに写真を撮る美作さん。
その後も、折角だからと皆とも写真を撮ったりしながら、賑やかに過ごした楽しい時間は、徐々にお酒を飲むペースも上がり、いつしか私の記憶は途絶え、その日の夜は、知らないうちに過ぎて行った。
「思ったより牧野元気だったな」
先輩の自宅のリビングで、ポツリと溢した西門さんだったけれど、
「いつもよりお酒飲んでたけどね」
花沢さんの指摘が先輩の僅かな異変を窺わせる。
何時にも増してお酒を口にしていた先輩は、結局酔いつぶれてF3の皆さんと一緒に先輩のマンションまで運んできた。
そして今は、大きなベッドで静かに眠っている。
「なぁ、桜子。その……なんだ。滋は今回の事は乗り気ではないんだよな? 滋の親父さんが勝手に暴走してるだけだろ?」
歯切れ悪く訊ねてくる美作さんの気持ちは良く分かる。
「今回の話があった時に、滋さんはすぐ断ろうとしたみたいですけどね」
「だったら良いんだけどよ……」
それでも晴れない美作さんの物言いは、きっとこの先を案じてるからだ。
私だって同じだ。私が危惧しているところもそこなのだから。
滋さんの心情を思えば、悪い方向に流されやしないかと、どうしたって不安を覚える。
もし……、もしも、滋さんが自分の想いを抑えきれず、箍が外れてしまったとしたら。そう思うと私の心も曇り、訊かずにはいられなかった。誰かに安心させて貰いたいがために。
「あの……、実際、道明寺さんと先輩は結婚してる訳ですし、滋さんとどうにかなるなんて、ないですよね?」
けれど、私の気持ちは晴れそうになかった。
美作さんと西門さんの表情が物語っている。笑みもなく硬いその表情。二人の懸念が伝わってくるようだった。
心配して三人揃って来た程だ。それだけ事態を重く見ている、そう捉えるべきなのかもしれない。
そんな中でも変わらないのは花沢さんで、私は縋るような眼差しを送った。
「間違いないのは、司の気持ちは揺らがないって事でしょ」
落ち着き払った花沢さんの声。
「それは、私もそう思いますけど、実際、滋さんのお父様って先輩の存在をどれ位知ってるんでしょうか?」
答えたのは美作さんだった。
「結婚してるとは思ってねぇだろうな。そこは、道明寺財閥が完全にブロックしてるし、大河原と言えども分からないはずだ。ただ、司と交際して同棲してる、くらいには把握してんだろ」
「先輩に何かしてくる可能性は?」
「ないとは言えない。ただすぐに動くとも思えない。今は他の企業も絡んだプロジェクトの大事な時だ。下手な動きが取れないのは、司だけじゃない。向こうも同じはずだ」
「そうですか……」
「桜子、そんな心配すんな。司の事だ、ちゃんと考えはあると思うぞ。まぁ、牧野が変に色々考えないでくれれば良いんだが……司の悩みどころも、恐らくそこだろうからな」
「友達だから先輩も複雑なんですよ。他の女性のことなら、不器用なりにも乗り越えられる。でも、滋さんとなるとどうなんだろうって、少し心配なんです」
ましてや、滋さんの気持ちは道明寺さんにある。それが何よりも怖かった。
気持ちを残しながらも、三人は先輩を私に託し帰って行った。
ぐっすりと眠りについている先輩。
ここまで熟睡していれば起きはしないだろうけれど、どうしてもこのまま一人にさせる気にはなれず、ゲストルームを勝手に借りて、今夜はここに泊まらせて貰うことにする。
このまま何事もなく早く時間が経てば良い。先輩も、滋さんも傷付かないうちに、少しでも早く時が過ぎれば……。
帰り際、『大河原の親父が、牧野に接触してこないか気を付けて』と、花沢さんが残していった言葉を思い浮かべては、何度も願わずにはいられなかった。
────そんな私達を嘲るように、不可解な写真が再び週刊誌を賑わしたのは、それから十日後のことだった。

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