Secret 11
「司君。今日から滋がお世話になるが宜しく頼むよ。うちでも秘書の仕事はしていたが、世間知らずの娘だからね。司君の傍で色々と勉強させてやっくれたまえ」
突然の滋の歓迎会。
秘書課で別の日に予定を組んでいたらしいが、割り込んで来た滋の親父が、強引に俺と秘書課全員を招待したいと場を設けてしまった。
くそっ、この親父さえしゃしゃり出てこなけりゃ、さっさと帰れたっつうのに。
「秘書課の皆さんも娘を頼みますよ。将来のためにも色々学ばなくてはならない身なのでね。皆さんには、この先を見据えて手を貸してやってもらいたい」
何が先を見据えてだ。含みを持たせた言い方しやがって。その物言いが鼻に付く。
社員の好奇心を掻き立てるようなそれは、絶対に意図的だ。
これじゃ、滋が秘書になったのには、社会勉強とは別の裏事情がある、と大抵の奴らは想像を膨らませる。
尤も、それを口に出すほど愚かな奴はここにはいねぇと思うが。
「パパ、何しに来たのよ。私は道明寺グループに就職したんだからこんな勝手な事しないで。挨拶が済んだならもう帰って」
「あぁ、分かってるよ。滋に余計な事はするなと言われていたんだけどね、道明寺と大河原の未来ある今後の関係を思えば、滋も長い間お世話になるだろうし、秘書課の皆さんに挨拶をしておきたくてね。親心だと思って理解して貰いたい。では、邪魔者はこの辺で失礼するよ。司君、滋のことくれぐれも宜しく頼むよ」
「預からせて頂きます」
分かりました、なんて言ってやるつもりはねぇ。曖昧に濁す気もなかった。
あくまで預かるだけで、つまり何れは返すってことだ。
滋の父親の満足気な顔を見る限り、俺の返しに何の深読みもしてねぇようだが、この先、道明寺と大河原の関係を深めたいなら、それは業務提携のみ。その他に付随するものは何一つとしてない。
滋の父親が帰ってからも、他の奴らはどこか固く、砕けた会話をする奴はいなかった。
俺がいるだけでもレアなのに、その上、大河原の一人娘が同僚だなんて、周りの奴等の気遣いも相当なもんだろう。
しかも、あの親父の話を耳にした後だ。下手は打てないと、守りの態に入るのも無理はねぇ。
その空気を感じてか、滋も明るく振舞うが、
「皆さん、父が勝手な事してすみません。私は、ただの一社員として働かせていただきますので、そのつもりでこれから宜しくお願いします」
秘書課の連中は取り繕った笑みで頭を下げるだけで、滋との間を隔てる壁は分厚い。
誰もが滋をただの一社員として見做しはしないだろうし、打ち解けるなんて所詮無理な話だ。
秘書課の奴らからしてみれば、滋は一線を画すべき存在。
俺と滋との将来を信じれば馴れ馴れしくするわけにもいかず、上辺の笑顔を貼り付けて当たり障りなく振舞うのが無難だと考えてるに違いねぇ。
俺が結婚してる事実を知っているのは幹部の、それも信頼のおける一部の人間だけ。秘書課で知っているのは、西田しかいない。
その西田もババァに付いてるから、今はNYだ。
そんな中で、滋が溶け込めず、やりにくい状況であるのは分かる。
本当ならすぐにでもつくしの元へ帰りたかったが、初日で、しかもこの状況。滋を一人残して帰るのは、流石の俺も気が引けた。
「大河原とは関係なく、滋には秘書として務めてもらうから、皆もそのつもりで接してくれ。とにかく、今夜は大河原会長が折角用意してくた場だ。有難く楽しませて貰えば良い」
俺の言葉で少しずつ食事をしたり、酒を口にしていく者達。
馴染めない雰囲気に滋も相当緊張しているのか、気を紛らわすように早いペースでお酒を口にしていく。
俺は、そんな間にも、つくしと類の事で頭が一杯だった。
何かあると本気で疑ってる訳じゃねぇが、類だけは、いつまで経っても俺にとっちゃトラウマだ。
俺がつくしの傍にいられなかった6年間。
類は近くでつくしを見てきたはずだ。
それは三条だって他の奴らだって変わりはないが、類の中には他の奴らとは別の感情が存在する。それが今でも俺を脅かす。
情けねぇが、この気持ちだけはどうしようもなかった。
「副社長~」
スローダウンした口調の滋は、明らかに酔っていた。
飲み始めて既に1時間半。
いい加減帰りたい俺は、絡んでくる滋に無意識に鋭い視線を向けていたらしい。
「きゃーっ、司怖ーい!」
さっきまでの緊張はどこにやった。
酒の力を借りて緊張も飛ばしたんなら、もう放っておいても大丈夫だろ。
「滋、俺は帰るから、あんま飲み過ぎんなよ」
「え~っ!滋ちゃんの歓迎会なのに私置いて帰る気~!」
いつものハイテンションに更に輪をかけ、どさくさに紛れて纏わり付いてくる。
てめぇ、抱きついてくんじゃねぇ!
これ以上、誤解を受ける真似すんな!
引き剥がしにかかるが、完全に酔ってる滋はなかなか離れず、他の奴らの引き気味な様子にも気づいちゃねぇ。
「今朝、てめぇは家でなんつった。場をわきまえて振舞うって言ってなかったか?」
やっと滋を振り解いたはいいが、
「今朝って……家ってなに」と、こそこそと話す女子社員の声が耳に入り、小さく舌打ちする。
思わず睨めば目を逸らし黙る連中だが、余計誤解させちまったか。
「もう司ったら、いつも会社でこんなに怖いの?」
俺に相手にされず口を尖らせた滋は、ターゲットを別に変えたらしい。近くにいた社員の一人を捕まえ話し始めている。
酔っ払いは、ここまで来れば怖いものなしのようだ。
そんなんだから周りの奴も普通とは違うって腰が引けんだろうが、と嘆きたくなる。
他の連中がいる前で俺のことを名前で呼び、抱きついたりする一社員なんかいるはずがねぇのに、加えて誰彼構わずグイグイ近づくこの強引さだ。
「い、いえ、そんなことは……」
「本人目の前にして怖いとは言えないかぁ。昔から怖いもんねぇ、司は!」
絡まれた社員は下手に同意も出来ず、少しでも話題を逸らそうとしたのか、俺を気にかけながらも口を開いた。
「副社長と大河原さんは、昔からお知り合いなんですか?」
「18の時に知り合ったから、もう7年だねー。司は私の初恋の人だからっ!」
また余計な事言いやがって。もうこれ以上は無理だ。
俺はスマホを取り出し繋ぐと、車の用意を指示した。
「滋、飲み過ぎだ。もう今夜は帰れ」
「えっ、司が送ってくれるの?」
「お前んとこの車呼んだ。もう外で待ってんだろ」
「もぅ、勝手に呼ばないでよ〜!」
酔っ払いは無視して、秘書課の部長に後は頼むと告げると、滋を連れ出し外で既に待機していた大河原家の車に押し込んだ。
「さっさと帰って寝ろ」
「司は早くつくしのとこ帰りたいんでしょう?」
視線を前に置いたままの滋が、訊いてくる。
「悪ぃか」
「悪くなんてないよ~! じゃ、つくしにヨロシクね~!」
こっちに向きを変え笑顔で手を振ってくる滋に構わずドアを閉めてやると、滋を乗せた車は、ネオンの中を静かに走り出した。
やっとつくしの元へ帰れる。
……あいつ怒ってっかな。
どんな顔でも自分の視界に早く収め、華奢な体を抱きしめたい俺は、待たせてあったもう一台の車へと足早に乗り込んだ。
✢
「美味しかった!」
「それは良かった」
類と桜子の3人で、食事とアルコールを嗜みながら久しぶりに司以外との楽しいひと時。
せっかく来たのだから楽しまないと、と思いつつも、時折浮かぶのは司の顔だった。
まだ帰ってきてないのかな、なんて、ふとした隙間に思考が入り込んでくる。
「牧野、猛獣が恋しくなった?」
「ち、違っ、そんな事ないよ!」
「ぷっくくく」
全て見透かされているようで、そして何が可笑しくて笑い続けるのか、相変わらずの類にかける言葉は見つからない。
「全く先輩ったら、道明寺さんが帰国してからというもの、すっかり乙女チックになっちゃいましたよね。まぁ、昔が色気も何もなさ過ぎたんですけど、人って変われば変わるもんですよねぇ。旦那様を思い浮かべるほど愛しちゃってるとは」
「バ、バカなこと言わないでよ」
先輩と言うのは名ばかりで、先輩を先輩とも思わない桜子のからかいにも、やはり気の利いた科白で返すのは困難だ。
弄られたが最後。この二人相手じゃ、もうお手上げだ。
「牧野は昔から可愛かったよ」
そしてまたも、私を焦らせる類。そんなこと急に言われて茶色のビー玉のような瞳で見つめられたら、誰だって顔が赤くなるに決まってる。これを司は怒るのだけれど。
「花沢さん、頼みますから道明寺さんの前でそんなこと言わないでくださいね。それでなくとも、花沢さんとなると異常なまでに嫉妬するんですから」
「だって本当のことだし。昔はよく空を見上げて、NYの司を思い出してたりしてたよね」
「えっ? いや、どうだったかな? あははは」
「可愛いって思って見てた」
止めにはこんなことまで言うのだから、顔の赤みは増すばかりだ。
大人になればなるほど、若い頃の出来事を引っ張り出されるのは恥ずかしく、内容が内容だけにそれは一入だった。
確かに、遠距離を乗り越えるのに必死だったあの頃。寂しさ、不安、孤独、全てを包み込み意地を張って自分を支えてきた。そして一人、どこまでも続く空を見上げては、司に想いを馳せたりして。
そんなよりにもよっての場面を見られていたなんて……。
今更、面と向かって言われては、あまりの恥ずかしさに穴でも掘って潜りたい気分だ。
当然、穴が掘れる場所なんてここにはなくて、いたたまれなくなった私は一旦逃走という手段で、「トイレに行ってくる!」と言い捨てると慌てて席を立った。
先輩の姿が消えたのを確認した花沢さんは、私に向き合うと表情を消した。
「三条、牧野は大河原が秘書になった背景に、司との婚姻関係が求められてるって知ってるの?」
流石は花沢さん、もう知っていたとは。いや、この人だけじゃない。きっと、美作さんも西門さんも情報を掴んでいるに違いない。
「いえ、道明寺さんからハッキリ聞いたわけではありませんけど、おそらく先輩には伝えていないと思います。先輩には必要以上に心配掛けたくないでしょうし。ただ道明寺さんは、先輩との結婚を世間に発表できるまでの期間限定での秘書だと、滋さんの方には伝えてあるみたいです」
「そう。秘密にするなら、最後まで気付かれないようにしたほうがいい」
「ええ、そうですね。余計なことまで考えてしまいますから、あの人は……」
花沢さんがこうして気にかけるくらいだ。滋さんの父親の本気度が窺える。
見えないこの先を思うと、暗澹とした気持ちになった。
✢
結局、この日は類にご馳走になった上に、マンションまで送ってもらった。
「類、今日はどうもありがとう。今度、お礼に手料理ご馳走するからね!」
「うん、楽しみにしてる。それと牧野、司に苛められたら俺のとこおいで」
「だ、大丈夫! 苛められっぱなしじゃいないし」
「ぷっくくく。さすが牧野」
「まあね! 」
「牧野、司は牧野のこと大事に思ってるよ。牧野だけを。じゃ、おやすみ」
マンションの前で今更ながらそんな言葉を残し、類は帰って行った。
司はもう帰って来ているのか、手元の時計を見ながら部屋へと急ぐ。
さっきはあんな形で電話を切ってしまったけれど、やっぱり司の顔が早く見たい。早く声が聞きたい。喩え、まだ怒っていたとしても……。
自分の気持ちに嘘はつけなくて、歩く速度は自然と速くなる。
速足で辿り着いたドアの前、指紋認証で扉を開ければ聞こえてきたのは、ドンドンと床を叩きながら近づいてくる、大きな足音だった。
その音がピタリと止まると、腕を掴まれ抱き寄せられる。
電話の怒声も、この足音も、同じ人物とは思えないほど優しく弱々しい声で。
「つくし、ごめん」
そんな声を、私の安らぐ司の胸の鼓動と共に聞きながら、私だけが帰れる場所が此処に在る。────そう喜びに浸れるはずだった。
司はいつものようにキスをして腕に力を込め抱きしめてくる。だけど私は安らぐはずの司の胸を叩き、そこから距離をとった。
「つくし? 怒ってるのか?」
再び弱々しい声で、顔を覗き込みながら聞いてくる司。
「えっ? 怒ってないよ。それより早くお風呂入ってきなよ。私もお酒飲んだから、明日浮腫まないように早く入りたいんだ。ほら!」
何か言いたそうな司を無視して、背中を押す。
私の様子を伺うように振り返る司だったけれど、私が微笑むと安心したのか、そのままバスルームへと入って行った。
────どれ位そうしていただろう。
大した時間ではないはずだ。けれど、考えることを拒絶するように思考は停止していたように思う。
暫く座り込んだままでいたベッドから立ち上がり、さっきまで司が着ていたジャケットを掴むと、歩みを勧めた先にあるクリーニング用のランドリーボックスの蓋を開けた。
私が好きな司のコロンが染み込んだジャケット。
抱きしめられる温もりとともに、この香りがいつだって私を癒やす。
────でも、今夜は違った。
仄かに薫る別の香り。
それが滋さん愛用のものだと気付いた時、揺蕩う香りがそこはかとない不安を運び、私を包んだ。
ジャケットをランドリーボックスの中に静かに落とす。
不安や戸惑いや、その他の一切合切を香りごと閉じ込めてしまえるように、私は息を止めて蓋を閉じた。

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