Secret 7
危機感がないのか、自分達の立場を分かっていないのか。
先輩は、この状況すら喜ぶ幸せボケで、何を言っても耳に届いているのかさえ怪しい。
昨日発売された週刊誌のスクープで世間を賑わせていると言うのに、無邪気に嬉しがる先輩に、芸能人としてどうなの、それ? とマネージャーとしては、首を傾げたくなる。
でも、その気持ちは痛いほど分かる。
道明寺さんと離れていた遠距離時代は、本当に耐え忍んでいる状態だった。
気丈に振る舞いながらも、時折見え隠れする寂しげな表情。いつも気持ちは不安定だったに違いない。
道明寺さんを信じていながらも、次々と出てくるのは熱愛報道で、道明寺さんの実力が備わると共に、更に輪を懸けて頻繁に取り上げられるようになっていった。
それに加えての道明寺さんの帰国延期。
周りには明るい笑顔を振り撒きながらも、胸の奥底では抱えきれないほどの不安を抱き一人泣き明かしていた事は、いつも傍にいた私には、手にとるように分かった。
離れている間に何度か先輩がNYへ行ったり、極秘で道明寺さんが帰国したりと、数少ない逢瀬はあったけれど、ほとんどは、愛する人の顔をマスコミを通じて見るしかなかった先輩。
それも、傍らにはもれなく女性も並んでいるのだから、愛する人のみを視界に収められなかった先輩の心中は、穏やかでなんていられなかったはずだ。
そんな生活を何年も続けてきたわけだから、何年後かに、その愛する人の隣に自分が並んで週刊誌に載るとは想像もしなかったのだろうけれど。でも今は、道明寺さんだけでなく、先輩自身が世間に注目され、マスコミにも狙われている身なのだと、もう少しだけ自覚してくれると、マネージャーの私としても助かるところだ。
とはいえ、それだけ先輩が幸せであるということは、マネージャーとしてではなく、先輩を知る一人の人間として、やはり嬉しい気持ちの方が先に立つ。
ただ一つだけ。どうしても気になることがあった。
余計な心配であればいい。そう願いながらも行動せずにはいられなかった。
丁度マスコミが騒いでいる今、タイミングよく昨日からオフである先輩には外出禁止令を出してある。
事務所としては、仕事の打ち合わせで会っただけ、という内容でコメントを出し、先輩にはノーコメントで押し通させると方針を固めて、一通りの仕事に片を付けた私は、心配を払拭するために、事前に連絡を取りつけてあった人の元へと急いだ。
「すみません。私が呼び出したのに遅れてしまいまして」
急いだにも拘らず、待ち合わせ場所のカフェに着いた時には、約束の時間から15分ほどが過ぎていた。
「いいの、いいの! 私もさっき来たばっかだし。それより大変だったでしょう。私も週刊誌買っちゃったわよ! やけに嬉しそうな顔で写ってたね。あんな顔で週刊誌に載る司、初めて見たわ」
いつもと変わらず元気の良い滋さんだけれど、やはり聞かずにはいられなかった。
私は店員にコーヒーを注文すると、すぐさま本題に入った。
「滋さん。今日はお伺いしたい事があって、連絡させて頂きました」
「うん、分かってるよ。私が司の秘書につくことでしょ?」
「はい」
「桜子は心配? 私が司の傍にいるのは」
「えぇ。先輩にとっても滋さんにとっても、あまり良いことだとは正直思えません」
「それは、私が司の事を思ってたらの話じゃないの?」
違うとでも?
私は、滋さんの気持ちも良く分かっているつもりだ。
報われないのに、それでも一途なまでに道明寺さんを求めてしまう、滋さんの気持ちを。
「もう諦めたんですか?」
「あはは、またもや思いっきり振られたからね! これで3度目よ、同じ男に振られるの3度目! 今回も手加減無しで見事なまでに振られてきたわよ」
「滋さん……」
この人もまた、辛い気持ちを封じ込めて、笑顔で私の酷い質問に答えている。
「ヤダ桜子、そんなしんみりした顔しないでよ。実際、私もどこかで踏ん切り付けたかったんだよね。もう、司は結婚したわけだし、どう足掻いても、つくしはに勝てないしさ。自分でもいい加減イヤになっててね。振られるの分かってて、これが最後だからって自分の気持ちをぶつけたの」
「それでも道明寺さんの秘書になるおつもりですか?」
いくら振られたからと言って、すぐに立ち直れるはずはないし、気持ちが冷めるわけでもない。
そんな器用に気持ちをコントロール出来るなら、この人もまた、こんなにも長い間苦しまずに済んだだろう。
「本当はね、私もこの話が出た時、すぐにパパには断ったんだ。だけど聞き入れて貰えなくて。だから司にお願いしに行ったの。司がつくしと結婚しているって、パパには話してもいいかって。でも司は、自分だけの問題なら誰に文句言われようがブっち切るけど、つくしの今の立場を考えたら、安易に動けないって。
だとしたら、道明寺と大河原の繋がりを考えると、私が秘書として働く以外に方法が見つからない」
「滋さん……」
「だからね、司の傍で働くなら私もケジメつけなきゃならないし、思い切って自分の気持ちを伝えたの。
今も司の事が好きだって。そんな私が秘書になってもいいのって。そしたら何て言ったと思う? 私に限らず女が近くにいるだけで迷惑だ、だってさ。傍に置きたいのは、いつだってつくしで、それ以外は必要ないって。
正直言ってさ、司ってつくしの仕事に反対していると思ってたんだよね。だから、今回こんな話が出た時も、世間に発表しちゃってそのままつくしに仕事辞めさせるのかなって単純に思ってた。でも違うんだよね。司がいない間につくしが築き上げてきたものを、簡単に自分の手で奪えないって。
だから、自分達の結婚を伏せたまま、道明寺と大河原の関係を維持するのなら、私を秘書として迎え入れる用意はあるって言われた。
それから、自分達がこんな状況のせいで、私を傷付けて済まなかったって、珍しく司に頭下げられちゃったわよ。迷惑かけているのはこっちなのにさ。うちのパパが変なこと言い出したばっかりに」
ここまで一気に喋った滋さんは、目の前に置かれていたアイスコーヒーで喉を潤した。
「そうですか……。今の先輩、とても幸せそうです。私は毎日その様子を間近で見ています。秘書になれば、きっと滋さんも目の当たりにしますよ?」
アイスコーヒーを静かにテーブルに置くと、滋さんにしてはらしくない、口元を僅かに緩めた静かな笑みを浮かべた。
「幸せならそれでいいよ。つくしも司を大事に思っていてくれるのなら……それでいい。
私が言える立場でもないけどさ、遠距離の時のつくしを見ていたら、あまりにも司とつくしの想いに温度差があるように見えて、どっかでつくしを責めてたんだよね。誰のためにNYで頑張ってると思ってんのって。何で傍で支えてあげようとは思わないんだろうって。元々、意地っ張りなのもあるだろうけど、それにしたってどうしてそんなに落ち着いていられるのか、私には理解出来なかったから。
だからね、そんな私の思いがいつの間にか態度に出てたんだよね。普通にしているつもりでも、どっかつくしとの間に距離が出来ちゃってさ。つくしもきっと同じように感じてると思う」
これは滋さんの言う通りだろう。
道明寺さんの帰国が延長した辺りから、普通に接しながらも、どこか二人の間には距離が生まれた。
きっと先輩は、滋さんの想いを充分に分かっている。
だからこそ、どんな風に接すれば良いのか分からなかっただろうし、愚痴や弱音は勿論のこと、寂しげな表情も一切、滋さんの前では見せはしなかった。
滋さんの何年にも渡る隠した想いを知っているからこそ、余計なことは言えず、そうするしかなかった先輩。
そして、たとえ先輩がどんな風に振舞おうとも、道明寺さんを想うフィルターが邪魔をして、先輩の言動は受け入れられなかったのではないか。そう思わずにはいられないほど、滋さんもまたギリギリの状態に見えた。
過去には、酔っていたとはいえ、先輩のいない隙に批判したこともあったのだから。
でもこれは、滋さんに限ったことではない。
どうしたって女は、惚れた男にではなく傍にいる女を標的にしてしまいがちになる。
人を好きになると綺麗ごとなど構っていられない。気持ちに余裕がなくなるせいで。……過去の自分もそうだった。
「滋さん。先輩って、滋さんが思っているより、ずっと道明寺さんのこと愛していますよ? 道明寺さんが、あんなにストレートな人だから分かりづらいかもしれませんけど、遠距離の間だって、道明寺さんを支えたのは間違いなく先輩です。でもね、今の先輩はもっと分かりやすいですよ。
滋さんもF3の皆さんも知らないでしょうけど、あの二人の結婚は道明寺さんが強引に迫ったわけじゃないんです。むしろ、子供のように駄々をこねたのは先輩の方なんですから」
「えっ?……嘘」
「本当です。すぐにでも結婚するって泣いて騒いだんです。事務所の社長にも、結婚を認めてくれないのなら、仕事を辞めるって脅迫までしてね。
今回の二人の熱愛報道だって、世間に秘密にしている関係を鑑みれば、これから先だって慎重にならなくてはいけないのに、週刊誌見てニヤついてますから。
道明寺さんが帰国してからは、とても素直と言うか、我慢しなくていい状態になったからか、普通に恋する可愛らしい女性ですよ。まぁ、可愛いと言うか、天然のような気もしますけど」
驚いている滋さんだけど、それも無理もない。
結婚してからの先輩はとても幸せそうで、あの意地っ張りの姿は今ではすっかり影を潜めているのだから。
先輩が意地を張らずに、これから先も自然体でいてくれることを心から願っているが、毎日、道明寺さんの傍に滋さんがいるという生活は、果たして先輩に不安を抱かせないだろうか。
この心配だけが、ずっと拭えなかった。
滋さんにしたってそうだ。
幸せな先輩と道明寺さんを見なければならない立場は、辛い場面も多くある。
でもこれは、滋さんが避けては通れない道でもある。現実を見なくては、この人も前へは進めない。
「そっか、つくしがそんな風に。てっきり司の強引さに負けてつくしは結婚したのかと思ってた……桜子、私なら大丈夫。ちゃんとケジメをつけたから。それに期間限定だし」
「期間限定、ですか?」
「うん。世間に発表できるようになったら、すぐに秘書は辞めてもらうって、そうはっきり司にも言われているし、私もそのつもり。
それに、今もこれから先も、私を女として見ることは絶対にないって言われてる。
どんなに泣こうが喚こうが、何もしてやれないってさ!
だから最後の悪足掻きはこれにて終了。これから暫くは、秘書として一緒にいる事になるけど、昔のように司とつくしの幸せを願うのに徹するよ。だから、これからも宜しく、ってことで!」
「そうですか。分かりました。こちらこそ、宜しくお願いします。何かと協力していかないと、あの二人のサポートは出来ませんからね」
「うん。それとさ……つくしに会うこと出来ないかな? 自分の口から挨拶しておきたくて。本当は、合わせる顔なんてないんだけど……」
「今なら自宅で大人しくしていると思いますよ。出歩かないようにきつく言っておきましたから。それと、滋さんが道明寺さんに気持ちを打ち明けたことは、多分先輩は知らないと思います」
「でも夫婦だし、司が話しているんじゃないの?」
「いいえ。道明寺さんは、そういうことは言わない人です。だから、滋さんも何も言わなくていいと思いますよ。人を好きになるだけなら、それは罪ではないですしね。じゃ、私、先輩に連絡してきますね!」
「桜子ありがとう」
私は先輩と連絡を取るため席を立ち、それから1時間後に先輩のマンションへ行く約束をした。
✢
「電話、三条か?」
「うん。これから滋さんと一緒に遊びに来るって!」
「滋も?」
「そう。ちょうど良かったわ。司がこれからお世話になるんだもんね。ちゃんと挨拶しておかないと」
私も会いたいと思っていた。実際、司と仕事をしていくのに、会わないままというわけにはいかない。
本当なら、司がいない時の方が腹を割って話せたのかもしれないけど、こんな日に限っていつもより早い帰宅。何件か予定が先延ばしになったらしい。
今回の私との騒動のせいで、マスコミに追いかけられ、約束していた取引先にまでも押しかけてきそうな勢いだったみたいで、日にちを改めたとのことだった。
「んだよ、せっかく俺が早く帰って来たっつーのに、邪魔すんじゃねぇよ」
「また、そんなこと言わないの。今回は桜子にも迷惑かけちゃったし、滋さんにもこれからお世話になるんだから、皆で一緒に食事しよ? 頑張って料理作るからさ!」
「旦那と二人きりになるよりダチかよ」
「なに言ってんのよ。毎日一緒にいるじゃない。それに、司にも私の手料理食べて貰いたいし」
「そ、そうか」
急に顔を赤くして大人しくなる司。
今では、日本の経済の次世代を担う逸材と評され、ひとたび外に出れば、道明寺グループの副社長として厳しい顔つきと共に、その存在を認めざるを得ないほどのオーラを振り撒いていると言うのに。
家で見せるその顔を知っているのは、私だけの特権で、誰にも教えたくない私だけの秘密だ。
そんな可愛い一面を持つ私の旦那様は、料理の準備に取り掛かる私をカウンター越しに眺めている。
「そんな見られると穴があきそうなんですけど」
「何かこうして見ると凄ぇよなぁ。つくしはつくしだけどよ、モデルの牧野つくしでもあるお前が、こうして料理作ってる姿を生で見られんのは、俺だけの特権だろ?」
「ぷっ」
「なに噴き出してんだよ?」
「同じこと考えてるんだな、って思ったら可笑しくて」
「同じ?」
「うん。司が顔赤くして大人しくなる姿なんて、世間は知らないでしょう? 私だけの特権だなぁ、って思ってたところ」
「……赤くなんかなってねぇし」
照れ隠しでぶっきら棒に答える司。こんな姿を見られる私は幸せだ。
だから余計に思ってしまう。
誰も奪わないで、と。私達の時間を取り上げないで、と。こんな些細な幸せが、いつまでも続きますようにと、願わずにはいられなくなる。
滋さんのあの涙を見てから、私の中に静かに潜む不安。こんなに幸せなのに、私は何を恐れてるのだろう。
「どうした? 今度は急に大人しくなって忙しい奴だな」
手を動かすのも忘れてボーっとしてしまっていた私は、慌てて司に話しかける。
「ねぇ、司。やっぱり私一人だと大変だから手伝って!」
「あ? 俺なんもできねぇぞ」
「いいの、いいの。ちゃんと教えてあげるから。えーと、まずは形からよね」
キッチンに掛けてあるいつも私が使うエプロンに目を向ける。
嫌なことは変換する。そうやって過ごしてきた遠距離時代を思い出し、笑いを堪えながら実写版で体験できるイタズラを思いついた私は、エプロンを手に取ると、キッチンに入ってきた司の背後にまわり抱きついた。
「うぉ、どうした?」
その隙に、上身を折り畳んだエプロンを、素早く司の腰に巻きつける。
私愛用のピンクのフリルエプロン。半分を畳んで身に付けさせたエプロンは、まるでミニスカートのように見えた。
「てめ、何してんだよ」
「えへっ、司、可愛いよ」
「ふざけんなっ!」
怒ってエプロンを外そうとする司の手を押さえて阻止する。
「ダメ。こんなイタズラ出来るのも私だけの特権なんだから」
「お前さ、手伝えって言いながら、本当はこれを着させたかっただけじゃねぇの?」
確かに、手伝いって言うのも、このエプロンも、全部この場での思いつきだけど。それにしても、笑える。
「そんな青筋立てないで、司ちゃん」
「つくし。お前じゃなければ間違いなく張っ倒してるところだ」
「ふーん、私のことは殴らないんだ」
「当たりめぇだ。お前にこんな状態にされたって何されたって、殴るはずねぇだろうが」
「おかしいな、過去に二度ほど経験あるんだけど」
「うっ……根に持ってんのか?」
「事実だし記憶力がいいだけです! それに、そのうちの1回は私も悪かったし。あの時は、酷いこと言ったから……。でも、そんなこともう言わないから」
────道明寺には、ああいう人が合ってると思う。
過去の自分が滋さんを指し、司の気持ちを無視して突き付けた言葉だ。今でも覚えている。
「アホか、当たりめぇだ……つくし何にも心配すんなよ。分かったな?」
あの時の言葉を司も忘れていなかったのか、不安を取り除くように柔らかな声音だった。
自分でも何を恐れているかは分からないけど、私もこんな自分は嫌だ。折角、滋さんも遊びに来てくれるのだから、早いところ料理を作って楽しい時間にすればいい。
「はーい! じゃ、早く料理作っちゃおうっと! 司は邪魔だからあっちで休んでていいよ」
「やっぱエプロン着せたかっただけじゃねぇかよ。頼むから着せ替えるのは雑誌の中だけにしてくれ」
「へぇー、まだ飽き足らず、他の女性と噂になるつもり?」
「やっ、違げぇ、そうじゃねぇって!」
この時は慌てて否定した司だけれど、他の女性との噂はやはり避けられず、この先も続いていった。
そして皮肉なことに、それらの噂によって、私達の熱愛騒動も収束へと向かっていくのだった。

にほんブログ村
スポンサーサイト