Secret 6
私の悪戯がバレて数週間。
私達は相変わらず、お互い忙しい日々を送っていた。
夕飯を一緒に摂るのは難しく、私より帰りの遅い司を待ち侘びるのはいつものことで、司が帰って来てから少しだけ会話を楽しみ、そして、同じベッドに入り共に朝を迎える。
朝食だけは必ず二人で摂るのが約束で、いつだって司は旨いと言って食べてくれた。
そんなささやかな日常に幸せを感じつつも、妻としてもっとしてあげたいこともあるのに、それが儘ならない現状は、時折私に溜息を吐かせたりもした。
そんなある日のこと。
たまには外で夕食を食べようと、司から誘いの連絡が入り、途端に私は浮き立った。
人目を忍んでの生活だから、自宅以外での行動は避けるべきだけど、でもやっぱり時にはって思ってしまう。
今夜、行く場所はメープルの一室。常に司がキープしている部屋だ。
例えメープルの一室でも、私にとってはデートのようで、堪らなく嬉しかった。
約束の時間、細心の注意を払って送ってくれた桜子と共にメープルの部屋の前まで辿り着く。
「先輩、帰りも十分気をつけてくださいよ? 道明寺さんが注意をしてくれるとは思いますけど、何かあったときは、時間気にせず連絡くださいね」
いつもの事ながら、自分のプライベートを削ってまでも私のサポートに徹してくれる桜子には、お礼を何度言っても言い足りない。
「桜子ありがとう。いつもごめんね」
「何言ってるんですか。それより、早い時間から夜を一緒に過ごすのは久しぶりなんですから、二人の時間を大切にしてくださいね。あ、それから、避妊だけはくれぐれもお忘れなきように」
最後は桜子らしい一言を添えて、颯爽と帰って行った。
念には念を入れて、辺りを見回して人影がないこと確認してからチャイムを鳴らせば、直ぐに司が出迎えてくれた。
「ごめんね、待たせちゃった?」
「いや、俺もさっき着いたとこ」
そう言って中に入るなり、私を抱き寄せ唇を重ね合わせる。
家ではないのに当たり前のようにする、扉を開けてすぐのお帰りのキス。いつもより少し長めのキスを交わした司は、悪戯な笑みを浮かべた。
「これ以上はまずいな。お楽しみは後にとっとくか」
いつもの如く赤くなる私の腰に手を回した司が、ダイニングへとエスコートしてくれる。
ダイニングのテーブルには、既に所狭しと料理が並べられていて、サーブする必要がないように、二人だけの空間を作り出してくれていた。
シャンパンの乾杯から始まり、料理を多いに堪能して……。
F3の話やら私達の思い出話で一通り楽しんだ頃。ワインに切り替えた司が、突然、想定外の話を切り出した。
「あのな、つくし。俺の秘書、西田から女性秘書に代わることになった」
……女性秘書。
「そうなんだ」
「その秘書ってのが、滋だ」
「どうして!」
思わず声が跳ね上がるけど、そんなことに構っていられる余裕はなかった。
私の脳裏には、瞬時に一つの光景が浮かぶ。
司の隣で涙を流す、あの時に見た滋さんの姿が……。
「嫌か? 滋でも女ってのに抵抗あるか?」
滋さんでも、じゃない。滋さんだからこそだ。
でもそんなこと言えるはずもなかった。私と滋さんの間に生じた溝など、司は知るはずもないのだから。
でも、もし私がイヤだって言ったら、司はどうするの?
「それって、もう決まったことなの?」
「滋の親父さんから直々に頼まれた。社会勉強させてぇらしい。今、俺が抱えてるプロジェクトには大河原も関わっている。その関係を崩すわけにはいかねぇ。秘書って言っても、このプロジェクトが終わるまでの期間限定だ。終われば直ぐに断る。2週間後から来る事になると思うが、我慢してくれねぇか?」
要は断れないってことだ。
端から口を挟む隙のない決定事項なら、私の答えなど決められたも同じだ。
そうか、と思う。司はこの話をする為に、今夜ここに私を呼んだんだ。少しでも私の気を紛らわすために。
デートだと思って喜んだ気持ちが、空気が抜けた風船のように萎んでいく。
「そう。滋さんだったらちゃんと司のフォーローしてくれそうだし、安心だよね。私にとっても友達なんだし」
あらゆる思いを飲み下し、自分にも言い聞かせるように、こう言うしかなかった。
最初から断れない話なら、物分り良く納得する以外、選択肢なんてないのだから。
これから先の生活の何かが変わる。漠然とそう思った。
司と多くの時間を過ごすのは、滋さんだ。
司ほどの秘書ともなれば、四六時中一緒にいることになる。私なんかよりもずっと一緒に……。
秘書になるのには、別の理由はない?
二人の間には何か秘密があるんじゃないの?
ねぇ、あの滋さんの涙はわけは? 私に黙ってるのは大したことじゃないから、そう思っていいんだよね?
次々と疑問が浮かんでは消え、そして何年か前に聞いた滋さんの言葉を思い出す。
────私ならすぐにでも駆け付けて、司を支えてあげたいって思うのに。
その気持ちは今でも変わらないのかな、滋さん。
訊く事の出来ない問い掛けは、胸の奥にそっとしまった。
「つくし?」
「あ、ごめん……くれぐれも滋さん困らせないようにね!」
今まで黙り込んでいたつくしが、顔を上げると同時に笑顔になり、気にも留めない様子で困らせるなと言う。
つくしにとっても俺にとっても滋は大切な友人だ。それは滋にしても同じで、つくしは大事な友人だろう。
だからと言って、つくし以外の女と長い時間を共にするのは、俺自身に抵抗があった。
それが例え滋と言えども同じだ。つくしだって複雑だろう。
長く口を閉ざしたことからも、つくしにも思うところがあるだろうと察せられる。
だが、問い訊ねたところで、無駄に内に溜め込んでしまうつくしが、簡単に口を割るはずがなかった。
だからこそ、全てを話すわけにはいかない。
余計なことをゴチャゴチャ考えるつくしのことだ。一人勝手に悩むに決まっている。
しかもその相手が滋だとなると、その気の揉みようは相当なもんだ。
俺と結婚しているのは間違いなくつくしなのに、滋の親父が俺と滋との縁談を望んでるなんてことを知ったら、しなくても良い心配をし、色んな思いを張り巡らせるだろう。
実際どうこうなるはずなんてねぇのに。
「ねぇ、司」
「ん?」
「滋さんが秘書になるって、いつ決まったの?」
正式に決まったのは今日だが、ほぼ間違いないものになったのは、つくしの撮影がメープルで行われた日。突然、滋が押しかけて来た時に、二人で話し合い決めた。
「数週間前だったか」
だが、その日の詳細も、滋を思えば言えなかった。
「そう……ねぇ、今日はここに泊まるの? それとも家に帰る?」
「どっちでもいいぞ。つくしが決めろ」
「うん……帰りたくないかなぁ」
そう言ってワインを口に含むつくし。
いきなり話題を変え、帰りたくないというつくしの気持ちは、やはり不安に揺れているからか、心配なのか。
どちらにしたって、既に余計なことを考えているのが分かる。
それでも俺を想うからこそ、そういう感情が出るんだろ?
滋には悪いが、そんなつくしがやはり愛おしかった。
その晩は、つくしの不安を取り除くように、そのままメープルで何度も肌を重ね合わせ、目を閉じても尚、俺にしがみ付いたまま離れようとはしないつくしを、俺はきつく抱きしめ眠りについた。
更にそれから一週間が経ち、いつもと変わらないはずだと思われた今朝は、何故か家の中が騒々しかった。
三条のいつもより高い声が聞こえたかと思うと、今度はドタバタと走る音が続く。
朝っぱらから、つくしが駆けっこでもしてんのか?
「つくし、何してんだよ」
「あ、司。おはよう。珍しいね、自分から起きてくるなんて」
……お前のせいでな。
「あんなに家の中で駆けっこされてりゃ起きんだろ」
「駆けっこ? あぁ、ごめん。でも、あれ私だけじゃないよ。桜子も一緒!」
三条が? 全く想像できねぇんだけど。
「で、その三条はどうした?」
「うん、忙しいからって走って帰っちゃった」
忙しいって、肝心のつくしは此処にいるのにか?
「何かあったのか?」
「えへへ。訊きたい? でもどうしよっかなぁ」
やけに嬉しそうにはしゃぐ可愛いつくし。
「いいから、勿体つけないで早く言えって」
「もう、しょうがないなぁ。実はね、私の初スキャンダル! 熱愛報道が週刊誌に載っちゃったの!」
なんだと!?
俺の血管は、今確実に切れた。
「つくし、相手は何処のどいつだっ! そんな噂されるようなことしたのかよ!」
「噂されるようなこと……うん、したね。ホテルから出てくるとこ撮られちゃって、弁解のしようもないよね! いやぁー、参ったまいった!」
ホテルだと?
「てめぇっ、男とホテルなんか行ったのかよっ!」
「うん、そうだけど?」
文句あるのとでも言いたげに、悪びれた様子もなく俺を見上げやがって!
文句なんぞ腐るほどあるに決まってんだろが。なにを考えてるんだ、この馬鹿女はっ!
「つくしっ! てめぇ、いい加減にしとけよ。何をヘラヘラしてんだ! 事と次第にによっちゃ……、」
俺の話も終わらないうちに、目の前に差し出された雑誌。
そんな糞ムカつくもん見てられっか、と、もう一度怒鳴りつけてやろうとした矢先。目に映り込んだ文面に俺のボルテージは失速し、怒りは霧散した。
「えへへ」
嬉しそうな顔は可愛いが、でもな、これだけは言っておく。
根本的におまえは間違ってんだよ!
「何でこれがスキャンダルなんだよ。スキャンダルってのは、良くない噂ってことじゃねぇか。これの何処が良くない噂だ! ったく、紛らわしい言い方しやがって」
「あははは、そうだった。スキャンダルじゃなかったね!」
にしても、随分と嬉しそうだが、俺達の立場を考えれば、そんな無邪気に喜んでていいのかよ。お前の仕事を考えてみても、まずいんじゃねぇのか?
「なぁ、普通、お前みたいな仕事してると、この手のやつって迷惑な話だろ? 暢気に喜んでて良いのか?」
「桜子は、すっーごく怒ってた。目をこんなに吊り上げちゃって、道明寺さんがついていながら何ですかこれは! って。夜にお説教しに来るって言ってたよ」
両目尻を指で押し上げながら、つくしが言う。
怒った三条を真似てんだろうが、それ本人の前でやんなよ?
余計、怒られんぞ。
これじゃあ、三条が忙しくもなるだろうし、怒りたくもなるわけだ、と納得する。マネージャーとして、スポンサーや出版社に説明まわりもしなきゃなんねぇだろうに、当の本人は、これだ。
で、説教ってのは、俺もか。
確かに別々に車に乗り込むなどの配慮に欠けてたのは、俺のミスだ。
普段なら色々気を張り巡らすが、いつものつくしと違った様子に、他にまで気が回らなかった。
きっと今夜は、長い説教になる。
なのにコイツと来たら、何がそんなに嬉しいんだか、いつまでもニコニコと笑みを絶やさない。
「つくし、そんなに記事になんのが嬉しいのかよ」
「だって司の記事だよ? 司の記事で隣で笑っているのは、いつも知らない綺麗な誰かだったのに。それが司の隣にいるのが私なんだよ?」
そう言ってまた笑う。
きっと三条が言っていた通り、何度となく俺の記事を見て辛い想いをしてきたのだろう。
そして今、立場を考えれば喜んでばかりいられないだろうが、それでも俺の隣に写っているのが自分だと喜ぶつくしの姿を見て、悲しい想いをさせてきたと悔やむと同時に、こんな事で喜ぶ女だったんだと初めて知った。
ソファーで俺の隣に座っていたつくしの背後に回りこみ後ろから抱きしめる。
「つくし、どうする? イタズラ書きでもするか?」
「え? 何のこと? 私がそんな失礼なことするはずないでしょ?」
都合を良く話す妻の顔からは、いつまでも笑顔が消えなかった。
そして、その晩。
可愛い妻と共に、俺は三条から執拗なまでの説教を受けていた。
同席した西田でさえ口を挟めず、それは永遠に続くのかと絶望を感じた時、つくしの一言であっさりと幕は閉じた。
「桜子……、その皺、戻らなくなるよ?」
「…………」
怒りを露に深く刻まれた三条の眉間の皺。つくしが自分の眉間をツンツンと突っついて指摘すれば、三条はそのまま固まり言葉を失った。
でかした、つくし!
しかし、三条は帰り際、アイツらしい科白を残していった。
「皺が戻らなかったら、メンテナンス代は道明寺ご夫妻に請求しますからね」
……まだ、いじる気か。
まぁ、説教を受けないで済むなら、それくらい幾らでも俺が払ってやる。
────この週刊誌騒動はともかくとして、これからも何かとマスコミに取り上げられることになる俺達。
そして、それらが俺達に不穏な空気を運んでくるのだった。

にほんブログ村
台風の影響を受ける地域にお住まいの皆様、ご無事でしょうか。
身の安全を第一に、無事でありますよう願うばかりです。