その先へ 6
『姉ちゃん、今夜は、大学時代の友達に、飲みに誘われてて……』
『了解! 飲みすぎないようにね』
『姉ちゃんは? 遅くなりそうなら、途中、合流して一緒に帰ろうぜ!』
『私は今日は定時予定。サッサと帰ってくるわよ。じゃあ、進は食事要らないね』
『うん。戸締まりちゃんとしとけよ』
『あんた、私をどんだけ子供扱いする気? ほら、もう行かないと遅刻するよ』
あれから1ヶ月。
今朝も姉弟二人暮らしの1日は、いつもと変わらないスタートを切った。
あの思いも寄らなかった見合いの翌日。
道明寺との約束通り、神島さんにはお断りの電話を入れた。
『こちらこそ、突然で申し訳なかったわ。許して下さるかしら? つくしちゃんに幸せになって欲しくて、世話好きが顔を出してしまったの。本当にごめんなさいね』
ミチさんには、こちらが恐縮するくらいに謝られ、続いて電話口に出られた誉さんの言葉も、
『つくしちゃんの返事は分かっていたよ。心配しなくても大丈夫だ。こちらこそ、申し訳なかったね。つくしちゃんの幸せを願ってるのは、私もミチも同じだ。これから先も、私達は君の応援団だから、何かあれば幾らでも知恵も力も貸すからね』
だから、あのお見合いは大丈夫だ、片付けて貰えると安心出来るものだった。
もう会うことはない。
昔と変わらない、あの低い声に特徴のある髪。
あの頃より顔はシャープになり、増した貫禄に大人になった彼の目の下には、隈があった。
顔色も悪い。
そこに心配する思いは込み上げるてくるけれど、それに驚きは感じなかった。
何故なら、知っていたから。
ずっと動かぬ彼を見てきたから。
経済紙や雑誌に載る姿を、彼の活躍と共に。
またそんな日々を、これからもきっと繰り返す。
これまでと同じ生活を送るのが望みであり、こうして仕事を終えて駅に向かう道すがら、一人の夕食に頭悩ますのも、私の日常のひとこまだ。
なのに、嵐はいつも突然やって来る。
「牧野様、先日はお時間を作って下さり、ありがとうございました」
駅を目前に、ロータリーに止まっている黒塗りの車から降り立ったのは、道明寺の秘書──西田さんが腰を折って、今、私の目の前にいる。
あのお見合いに、誰かの思惑が潜んでいるのは分かりきっていた。
それが誰なのかも。
でも、その思惑には悪意を感じられなかった。
私が懸念するもとは全く違う。
そう判断したから、思惑を発信する誰かを追求するつもりはなかったし、あの日で終わると思ってたのに。
まさか、また接触してくるとは……。
神島さんも間に入って要るからと、油断し過ぎていたのかもしれない。
顔を上げた西田さんを無視するわけにもいかず、落ち着いて対応するしかなかった。
「先日の件でしたら、神島会長を通して、既にお断りさせて頂いております」
「はい、承知致しております。また、牧野様がそうされるだろうことも、織り込み済みでした」
「でしたら、もう……」
「どうか今一度、お時間を頂けないでしょうか? 楓社長が、どうしても牧野様にお会いしたいと申しております」
「申し訳ありません。お話することはありません」
「お願い致します。決して、牧野様に無礼を働くことは致しません。だからこそのお見合いだったのですから」
だからこそのお見合い?
意味を持たせた言い回しが気になる。
疑問符を浮かべ黙ってしまったままの私に、西田さんは続けた。
顔色一つも変えずに、魔女が仕掛けた見合いの経緯を。
魔女にとっての見合いは、きっかけにすぎなかったらしい。
そもそも、私が断ると思っていたし、今の道明寺に会ってさえくれれば良かったのだと。
だからこそ、私を可愛がってくれている、神島夫妻の仲介が必要だった。
きっかけを頼み、『また会う』という繋ぎを作るために。
過去を鑑みれば、その繋ぎを私が警戒してしまうはずだからと、自分のしてきた全てを神島会長に話し、牧野つくしに二度と非礼はしないと約束までして。
その約束を反故には出来ない。
神島会長を敵に回せば、道明寺も痛手を負う。
だから、信じて欲しい。
敵意などないから、もう一度、会って欲しいと。
次に会った時に、そう伝えられるよう、あの日の見合いは開かれたと言う。
「社長が求められていた本命は、牧野様に信じて頂き、もう一度、会うことだったのです」
……また、お会いしましょう。
お見合いの日の魔女の声を思い出す。
あれは、建前ではなかったんだ。
「だとしても、どうしてそこまでして……」
「これより先は、社長からお話を聞いて下さい」
そう言って西田さんは、戸惑う私を余所に、車の後部ドアを開け促す。
「社長からこの話を伺った時、私は、自ら率先して社長に協力にしようと思いました」
ドアを開けて待つ西田さんは、変化を見せないと思われた口元に、弧を描いていた。
司様のために。そう、言い添えて。

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