Secret 4
「お待たせして申し訳ありません。副社長室の方へご案内致します」
化粧室から戻って暫くすると、私達を呼びに応接室に西田さんが現れた。
これから司と対面するというのに、さっきの光景が頭にこびりついて離れない。
司と滋さんが二人でいただけでも驚きなのに、まさか滋さんが泣いているなんて……。どうすればあんな状況になるのか、考えたくはなかったし、出来れば見たくなかった、そう思ってしまう光景だった。
私達は案内されるまま、広報の社員の方たちと共に部屋へと足を踏み入れた。
中に入ると普段私の前では見せない、道明寺グループ副社長である、経営者の顔をした道明寺司の姿がそこにはあった。
なに食わぬ顔して桜子がマネージャーを名乗り、続けて私を紹介するのをどこか他人事のように眺めていると、私からも挨拶するよう桜子に腕をつつかれる。どうやら半分上の空でいたらしい。
慌ててモデルとしての牧野つくしの顔を張り付け、
「牧野つくしです。今回は宜しくお願い致します」
簡潔に挨拶し握手を交わした。
握られる手から伝わる温もりは間違いなく司のもので、その握る手には少しだけ力が込められる。
司は副社長らしく、
「つくしさんの宣伝効果を期待しています」
私に向かって話す顔は、やはり家で見せる顔とは違っていて、そんな顔も素敵だと思う反面、いつもと違う毅然とした顔は、どこか寂しく感じたりもして……一体、滋さんは司のどの顔を見たのだろう。
どうしたんだ?
入ってきた時から、つくしの顔が優れない。
三条に促されて、急にシフトチェンジしたかのように笑顔を作るが、何故か拭えない違和感。何かあったんじゃないかと本人に確かめたいが、訊きたくても訊けない状況がもどかしかった。
俺が待たせたせいで時間は押し気味で、つくしの様子を探ることも出来ないまま、すぐに撮影に入る事となった。
俺は別の仕事もあって、ここでつくしと別れるしかなかったが、やはり意識はつくしへと向かってしまい、どうにもこうにも落ち着かない。
つくしと別れてから二時間は経つが、一向に仕事に身が入らず、見るに見かねた西田が、普段ならあり得ない時間に休憩を告げる。
「つくし様がいらっしゃる以上、副社長が落ち着かれないのは想定内です」
嫌味か気遣いか判断しかねるが、西田が言うや否や、ここがホテルだと言うのも忘れて、撮影場所へと一目散に走った。
現場に着くと、そこにはウエディングドレスを身に纏い、輝く笑顔で撮影をこなしているつくしの姿があった。
心配は杞憂だったか、と思えるほど完璧な姿に、カメラマンの声が飛び交う。
『いいねぇ』だの『可愛い』だの、つくしの気分を高めているつもりだろうが、それのどれもこれもが、俺の癇に障る。
……気に入らねぇ。
確かに目の前にいるつくしは誰が見ても可愛い。
けど、そんな言葉だってアイツに向けて言えるのは俺だけでありたいのに……。
人の女房に気安く話かけんじゃねぇよ、と心で毒付く。
こんな事なら、カメラマンは女にしとけば良かった。いや、次からは絶対に女性カメラマンにしてやる。
今回の撮影は、新作ウェディングドレスをカタログに載せるためのものだ。当然、新郎役のモデルも、つくしと一緒に撮影するはずだった。
しかし、それだけは断固阻止し、つくし一人の方がつくしもドレスも映えるなどと適当な理由をつけて撥ね退けた。
俺達だってまだ式を挙げてないのに、他の男をつくしの隣に並ばせるなんて、もっての外だ!
そこまでは気が回ったのに、カメラマンを女に指定しなかったのは、完璧な俺にあるまじき失態。
カメラマンの耳障りな声を訊くたびに自分の失態を悔やみ、且つ殴りかかりたい衝動に堪えながら、西田が呼びに来ても梃子でも動かねぇ、とカメラマンを監視するように、その場に立ち会った。
やがて撮影も終わり、副社長としてつくしに近づいていく。
「お疲れ様でした」
つくしに声を掛ければ、アイツもにっこりと愛くるしい顔で俺を見上げ、
「お疲れ様です」
と、返してくれる。が、次の瞬間、割って聞こえて来たのは、カメラのシャッター音だった。
カシャ、カシャ、と何度も切り返される、それ。
「いや、勝手にすみません。あまりにもお二人がお似合いで、思わずシャッターを切ってしまいました」
カメラマンが慌てたように突然とった行動に侘びを入れてくるが、そうかそうか、そういう正当な理由なら仕方ねぇ、と俺の気分は一気に上昇だ。
俺達がお似合いなのは当然だ! れっきとした夫婦なんだしな!
「いや気にしないで下さい。それとその写真、出来あがったら引き伸ばして、私にも貰えませんか? 実はつくしさんの大ファンなんです」
真顔で言う俺に、周りの連中はそれぞれの反応を示した。
メープルの社員達は、目も口も開けて驚き、カメラマンは胸を撫で下ろしている様子だ。
そして、目の前にいるつくしは顔を赤く染め、カメラマンの後ろにいた三条は…………鬼の形相で俺を睨んでいた。
全ての撮影が終わり、着替えを済ませたつくしの元へは、広報の奴等と、他の社員までもが駆け寄ってきて取り囲んでいる。
サインを求めたり、スマホ片手に写真をねだったり。綺麗だの可愛いだのと言いながら、しまいには握手を求めたりと男連中が騒ぎ立てる。
今騒いだ奴等、明日には僻地にでも飛ばしてやろうか、とマグマのように怒りが沸くが、かなりの努力でそれらを飲み込み、つくしを見送るべく、広報の奴等と共にエレベーターに乗り込んだ。
箱の前方には、うちの社員とつくしのスタッフ達。俺達は後ろの隅で二人で並ぶ。
隣にいるつくしの温もりを僅かに感じ、直接触れたい、とそんな事を考えていると、直に伝わってきたアイツの手の温もり。
つくしは前を向きながら手を伸ばし、俺の左手を握り締めてきた。
チラリとつくしを見遣るが、やはり前を向いたままのすまし顔で、俺達が手を繋いでいるなんて、誰もこの表情からは気付きはしないだろう。
ただ少しだけ、つくしの耳元は赤かった。
────誰も知らない、俺達だけの秘密事。
これだけの人がいる中、秘密にしなくてはならない状況下で、俺を求め、俺と同じように考えていてくれた事が、さっきまでの男共へのイラつきなんざ、どっかへふっ飛ばし、俺の気持ちをこれ程までに満たしてくれる。
握り締めるその小さな手が愛おしく堪らなく、指を絡める。エレベーターが止まるその時まで、つくしの手の甲を親指でそっとなぞり、柔らかなタッチで愛撫し続けた。
地階に着きゆっくりと開かれていくドア。
それに合わせ人の動きが再開した時、つくしは最後にギュッと力を込め余韻を残すと、俺の手の中からすり抜けていった。
「本日はお世話になりました。また宜しくお願いいたします、道明寺副社長」
桜子がマネジャーとしての挨拶をする。
それに対して、こちらこそ、とだけ告げると、つくしに歩みより声を掛ける。
「つくしさん、またお願いします」
そう言って差し出した右手。
「はい」と、答えたつくしが、差し出した手を握り締めた刹那。今しがたの行為の再現とばかりに、指で甲を一撫ですれば、慌てた様子で視線を外したつくし。
極めつけに、身を屈めて赤く染まった耳元で囁く。
「さっきの写真、よく撮れてるといいですね。私の宝物にしますよ」
「え……は、はい」
さっきの秘密を思い出しているのか、それとも、囁くと言っても、周りの奴等には聞こえる程度の声で言った俺の言葉に照れているのか。隠しようもないほど顔を赤らめ動揺しているつくしの姿は可愛いが、きっと三条に後で小言を言われるだろう。
からかい過ぎたかと少しは反省しつつ、すぐに反応する純な姿を見ると、こんな仕事に身を置きながらも何にも染まらず、変わらないままでいてくれる事に安心する。
つくしの姿が見えなくなるまで見送ると、手だけじゃ足んねぇ。今夜は絶対に早く帰って全身隈なく愛撫しまくってやる、と意気込みも新たに、軽やかな足取りで執務室へと戻っていった。
いつものようにチャイムを鳴らし、つくしの出迎えで帰宅する。
俺が落ち着ける場所は、つくしがいるこの場所だけにある。
「お帰りなさい」
笑顔で迎えてくれるつくしは、間違いなく俺の妻で、こんな幸せが永遠に続くのだと喜びを感じる瞬間だ。
つくしの唇を気が済むまで堪能した後は、食事の用意がもう少しで出来るからと先に風呂を促され、つくしの言うとおりに動く。
風呂から出てダイニングへ行けば、つくしの手料理が並べられ、月に何度もない二人だけの大切な夕食の時間が始まる。
「今日は疲れたか?」
何着も着替えて、その度にメイクも変えて、大変な仕事だと思う。
「うん、大丈夫だよ。いつもの事だし。それより、司の方は大丈夫だったの? 現場にいたりなんかして。私が着いた時は、忙しそうだったから……」
あぁ、滋が来てた時か。
「あん時は、仕事で滋が来てた」
「そうなんだ……滋さん、元気だった?」
「あぁ。つくしに宜しくってよ。そのうち、此処にも遊びに来るらしい」
「そっか」
滋がつくしを気に掛けていたのは本当だ。でもそれ以上、余計なことをつくしに言うつもりはなかった。
つくしのいる生活に幸せを感じ、全てを手に入れたと思っていた。
夜になればつくしの温もりを求め、それに応えてくれることで愛を確認できると安心しきっていた俺は、つくしの胸の奥深くに芽生えた感情など、この時はまだ、気づいてやることが出来なかった。

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