Secret 3
「おはようございます、道明寺さん」
「おぅ」
三条か……。
「あからさまに嫌な顔しないで頂けます? 私だって、仕事じゃなければ来たくありませんよ。二人の邪魔して恨まれるよう真似なんて、割に合いませんからね」
「ほぅ、邪魔してる自覚はあったんだな」
「えぇ、勿論です。そんなに私は鈍感じゃありませんから。それでも、こうして来ないと先輩が捕まって動けなくなっちゃうじゃないですか。仕方なく来ているって訳です」
動けなくなるだと? 捕まるって、俺にか?
「どういう意味だよ?」
「まんまですけど? じゃあ、聞きますけど、今朝は何もしようとはしませんでしたか?」
「っ」
言葉に詰まると、慌ててつくしが口を挟んでくる。
「ちょ、ちょっと桜子止めなさいって! してはないわよ!」
馬鹿か、お前は。
『してはないわよ』じゃ、何かしようとしたのはバレバレじゃねぇかよ。
『してないわよ』と言い切れ! 『は』を入れるな!
もっとも、そんなつくしの科白にも、驚く訳でもなく落ち着き払っている三条は、こんなやり取り、とっくに慣れっ子だ。
慣れていないのは、俺達だけか。
「二人とも顔真っ赤ですよ。相変わらず分かりやすいですね。まぁ、新婚さんですし、あれだけ離れていた時間も長かった訳ですから、仕方のないことだとは思いますけど。でも、道明寺さん? ちゃんと気をつけて下さいね?」
ん? 何のことだよ。
「何をだ?」
「子供ですよ、子供! ちゃんと避妊はして下さいとお願いしているんです。興奮しすぎて、つけ忘れることがないように」
て、てめぇは女だろうがっ!
よくも恥ずかしげもなく、朝っぱらから真顔で言えるな!
見てみろ。つくしなんか、顔真っ赤にしたまんま戻んないじゃねぇか。
「三条お前な、女が、んなこと言うな!」
うちのつくしは純情なんだ。困らせるんじゃねぇよ。
「女もちゃんと気をつけるべきなんです。でも先輩はこの手のことは苦手でしょうから、私が代わりに言ってるまでです」
「ちょっと、桜子。そんな心配はいいから。大丈夫だよ…………ね?」
「あ、あぁ」
って、つくし。そんな心細そうに見上げてくんな。少女のような恥じらいを纏う雰囲気に、堪らなくなる。
こうなってしまえば、三条がいようが関係ねぇ。
愛しいつくしの肩にそっと腕を回し抱き寄せた。
こんな行為も見慣れてる三条は、何も言わない。言わないが、付け足した溜息は、絶対に嫌味的な呆れを含ませているはずだ。
「道明寺さん、ここはお二人の住まいですからいいですけど、先輩が可愛い仕草をしたからって、他では気を付けてくださいね。特に今日はメープルでの写真撮影が入ってますから、同じ場所にいるからって、くれぐれもお得意な暴走行為を繰り広げないよう、注意して下さい」
「分かってる」
憮然と答えるが、でもなぜだ?
いつもは、道明寺グループの日本支社で執務を取る俺が、今日はメープルにいるって、なぜ知っている?
「お前さ、俺が今日メープルにいるって、なんで知ってんだよ」
「私と西田さんは、密に連絡を取り合ってますからね。先輩だけではなく、道明寺さんのスケジュールも大体は私の方でも把握しています。西田さんも先輩のスケジュール、ちゃんと分かっていますよ」
なるほど、よく出来たマネージャーと秘書だ。隙がなさ過ぎて、腹立つくれぇだ。
「先輩、そろそろ用意して貰えますか?」
三条に促され、俺の腕の中から逃れたつくしは、用意をするためにクローゼットがある部屋へと消えて行った。
「道明寺さん、ちょっとお伺いしたいのですけど」
「何だ」
「西田さんが、道明寺さんの秘書を外れるって本当ですか?」
……そんなことまで知ってんのかよ。
「そういう話が出ているのは本当だ。でもまだ決まったわけじゃねぇ」
「道明寺さんは、その話を受け入れるおつもりですか?」
三条は、大筋を分かっていながら確認をしているのだろう。
今、俺が参加しているプロジェクトは、大河原財閥も加わっている。
その大河原社長である滋の親父が、滋を俺の秘書として使って欲しいと言ってきた。
社会勉強のため余所でも働かせたいとの事だが、それは表向きだ。
本音は別にあると俺は睨んでいる。
最近の大河原財閥は、以前ほどの力はない。かと言って、危機感を覚えるほどの状態でもないが、全盛期のように巻き返しを図りたいのか、或るいは確固たるものを築きたいのか、滋を差し出すことで道明寺財閥と繋がりを持ちたい、と言うのが隠された本音だろう。
つまり、婚姻を望んでいるってことだ。
一度、婚約破棄をしている間柄のせいか、今のところ明言は避けているが、石油のパイプラインを持っている大河原を道明寺も欲しがっているはずだと、足元を見ているのは間違いない。道明寺にとっても悪くない話だと優位に立っているつもりか、不遜な態度が見え隠れしている。
大河原は一人娘である滋しかいない。
将来、大河原を存続できる相手を確保したいと願うならば、提携だけで満足するはずがなかった。
大河原社長は、俺が結婚している事実を知らないからこそ、俺と滋の結婚を望んでいるのだろうが、当然そんなのは無理な話だ。
ただ、関係を悪くさせたくないのは、双方同じなわけで、こっちとしちゃ、秘書としてだけなら受け入れる用意もある、と俺とババァの意見は一致している。
今更、つくしの存在を無視するようなことはしないと俺の前で言い切ったババァと共に、大河原の出方を様子見している段階だった。
「本格的にお願いされれば、そういう可能性もある」
「そのこと、先輩は?」
「いや、まだ決まったわけじゃねぇから、何も言ってねぇ」
どこか不安そうな表情の三条。
だが、三条がどうしてそこまで不安に駆られているのか、その時の俺は、まだ何も分かっちゃいなかった。
✢
「先輩、道明寺グループの副社長にご挨拶しに伺いますからね。いいですね?」
ホテルメープル東京の地下駐車場に着いた所で、桜子が言う。
「え? 司に挨拶に行くの?」
「違いますよ。道明寺副社長です」
「あ……、はい」
ここに来たのはあくまで仕事で、これから会うのは夫である司ではなく、ナショナル・クライアントである大企業の副社長だ。
気を引き締めさせる為に、敢えて桜子が訂正したのは分かる。
それを理解しながらもこんな時は、公に出来ない自分たちの置かれた状況に切なさを感じてしまう。
望み通りに結婚だって出来た。それなのに、それ以上の欲を望んでしまうのは、昔とは比べものにならないほど、司を愛してしまったせいなのかもしれない。
長く離れている間、会うことさえ儘ならなかったのに、いつの間にか司への想いは、自分でも驚くほどに膨れ上がっていた。
そんな自分の心の変化に気づき始めたのは、多分、私の全てを司に捧げてからだと思う。
この人以外、欲しくない。だからこそ、世間に公表して堂々と司の隣を歩く道を選びたかった。
昔の自分からは想像もつかない貪欲さだ。昔なら尻込みしていただろうに、自分の心境の変化には呆れてしまうくらいだ。
でも、実際には公表は見送るしかなかった。許されない以上、我が儘ばかりを押し通す訳にはいかない。
例え隠れた結婚生活でも、司と一時も離れたくない私は、世間を騙してでも結婚の道を選んだ。
あと11ヶ月もすれば、今度こそ司の妻として、誰の遠慮もせずに隣で寄り添って歩いていける。
それでも11ヶ月は長い、と思ってしまう私は、どれだけ欲深いのか。
公表出来ずとも、正真正銘、道明寺司の妻だというのに……。
「先輩、もう暫くの辛抱ですよ」
私が物思いに耽っていたばかりに察したのだろうか、桜子が優しく微笑む。
「そうだよね、11ヶ月なんてあっという間よね!」
明るく切り返したものの、何故だろう。司との生活は凄く幸せなはずなのに、時折、不安定な影が心の底で揺れる。
きっと、こんな穏やかな時間を過ごしたことがないせいだ。過去に辛い経験をしている私は、自分が思っている以上に心配症になっているのかもしれない。
エレベーターに乗り辿り着いた最上階。そこは司がいる重役フロアだ。
エレベーターから降りれば、メープルの担当者達が待ち受けていて、取り囲まれながら司の部屋へと案内された。
担当者の一人が執務室の扉を叩くと、
「緊急以外なら後にしろ」
間髪入れずにビジネス仕様の司の声が返ってきた。
「副社長、牧野つくし様がご到着されました」
「悪いが少し待ってて貰ってくれ」
急な仕事でも入ったのだろうか。
「申し訳ございません、応接室の方にご案内いたしますので、そちらでお待ち頂いて宜しいでしょうか」
司が忙しい身であることを充分承知している私は、笑顔で了承を伝えた。
司の執務室から離れた場所にある応接室に入り、出されたお茶で一息つくと、
「遅れるなんて、西田さんから何も連絡受けてないんですけどね」
桜子が私にだけ聞こえる声でぼやく。
だけど、誰よりも忙しい身である立場だ。突然身動き取れなくなる事も珍しくはないはず。
私は、他の社員の方たちと談笑しながら時間を過ごし、それも一段落すると、化粧室へ向かうため応接室を出た。
化粧室へ向かう途中、司の部屋の扉が偶然にも開き、中から司が出て来るのが見えた。
思わず駆け寄ろうとして、けれど、司の後ろにいる人物に気づき、慌てて足を止める。
肩に手を掛けた司に促されるように出てきたのは女性で、それを認めた私は、息を呑んだ。
女性は目元をハンカチで押さえ、どう見ても泣いているようにしか見えない。
その光景に動揺を隠せず、咄嗟に近くにあった大きな観葉植物の陰に身を隠す。
二人きりでいたの?
何故、泣いているの?
────どうして滋さんが此処に?

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