Secret 2
愛しい女が隣にいて『おはようのキス』で目が覚める。
そんな甘い新婚生活…………のはずが。
カンカンカンカ~ン!
隣で優しくキスをしてくれるはずの妻は、俺の耳元で中華鍋を叩いて起こそうとする。
……有り得ねぇ。
「うっせぇんだよ朝っぱらから! もう少し優しく可愛らしく起こせねぇのかよ!」
「そんなんで起きないじゃない」
「お前な、俺達は新婚なんだぞ? 朝は甘~いキスで起こそうとか思わねぇの?」
「うん、それはダメって、私の中の危険信号が点滅するのよ。危険、危険って!」
「はっ? 仮にも自分の旦那捕まえて、危険って何だよ。朝からイチャイチャして、その先もしてぇつーのは普通だろうが! 新婚男のロマンを勝手に潰すなっ!」
ピンクのエプロンを身につけた今日も可愛い姿のお前を、俺はすぐにでも抱きてぇっつーのに、返された言葉は危険って、あんまりだろうが。
ホヤホヤの新婚さんなんだぞ、俺達は。
「とにかく、仕事のある時はダメなの。それでなくても昨夜は……、」
言い淀むなり顔を真っ赤に染める、俺の可愛い新妻。
まぁ、確かに、昨夜は自分でもやべぇかなとは思った。
けど、パーティーであんな姿見せられたら、嫉妬に狂いそうで激情を止められなかった。
無理させた自覚があるだけに、強引に出るのは得策じゃねぇ。
「キスだけはさせろよ。それ以上はしねぇから」
信用がないのか、向けられるのは疑いの眼差し。
「時間ないんだってば。だから本当にキスだけだよ?」
「あぁ」
信じたのか、素直になっただけなのか、つくしは、そっと俺にキスを落とす。
しかし、触れてしまえば、それだけで我慢出来るはずもなく、つくしの腕を強引に引き寄せベッドに押し倒せば、アイツが大人しくなるようにと深いキスで攻め落とす。
暴れていられるのも今のうちだけだ。
そのうち段々と力が抜け、トロトロに蕩けさせて…………
カンカンカ~ンカン!
…………って、おい。
ベッドに投げ出されていた中華鍋を手繰り寄せ、右手に持ったお玉で激しく叩く妻。
……まだ理性が働いてたんかよ!
ムードもへったくれもねぇ、妻との攻防戦。
「何してんだよ」
「うん? 終了の合図だけど?」
ふざけんなっ! ここはリング上か? お前が鳴らしてるのはゴングなのか!
「お前は甘いムードを楽しむって事が出来ねぇの?」
既にベッドから起き上がったつくしは、乱れた服をサッサと直している。
そんなつくしを恨めし気に見る俺の耳元で、
「夜ならいいよ」
そう囁くと、走ってリビングへと行ってしまった。
そ、そうか、夜ならいいんだな!
よし、今日は西田を脅してでも何でも早く帰ってきてやる!
こうやって、つくしに操縦されているのだと気付いてはいても、それすら悪い気がしないほど、俺はアイツに惚れちまってる。
俺が約束の4年で帰れないと分かったのは、約束の時まであと半年って時だった。
時を同じくして、アイツが本格的にモデルの仕事を始めようとしたのもこの頃。
出来ればやらせたくなかったが、牧野家の家計的事情やら、俺が4年で帰れないって言う負い目で、渋々ながらも承諾した。
アイツに帰国が延びると報告をした時には、約束が守れなかったことに落ち込み、更には、そんな俺に嫌気が差して、いつも傍で見守っている類の元へと行ってしまうのではないかと、不安ばかりが募った。
そんな俺を見透かしたのように、逢うことさえも、約束さえも守れなかった俺を叱咤激励し、弱音も吐かずに支えてくれたのは、紛れもなくつくしだ。
今の地位があるのも、つくしの存在があったからこそだ。
そして、今。
ダイニングテーブルに2人で座り、朝食を摂っているこの夢のような状況を、漸く俺は手に入れることが出来た。
此処に辿り着くまで7年。思い返しても、長い道のりだった。
「何、ニヤニヤしてるの?」
「幸せだなって思ってよ」
「うん、幸せだね」
そうやって俺だけに向けてくれる笑顔が堪らなく愛しい。
しかし、一歩外へ出れば、その笑顔も俺だけのものではなくなる。
コイツは俺のもんだ、と叫びたくなる衝動に駆られることも多々あれど、それは許されなかった。
あと1年は辛抱しなくてはならない。
正確には、あと11ヶ月。
それが俺と牧野が結婚できる条件だった。
────1年間は、俺達の結婚を隠し通すこと。
こんな馬鹿げた条件を飲むしかなかった。
「これで世間に公表できれば、文句ねぇのにな」
「……無理して結婚しないほうが良かった?」
俺の言った一言で、途端につくしの顔が不安気に揺れる。
そんな顔をさせたいわけじゃない俺は、慌ててつくしの隣に座り、肩を抱き寄せた。
「勘違いすんな。俺だってお前と結婚したかったに決まってんだろ。今だってすげぇ幸せだ。ただ、お前を狙ってる男達が多すぎんだよ。それがムカつくし、つくしだってそいつ等に愛想良くしなきゃなんねぇのが腹立つだけ」
「ごめんね。私がすぐにでも結婚したいって司のこと困らせたから」
「何言ってんだ。困るはずねぇだろ。むしろすげぇ嬉しかったぜ!」
意外なことに、すぐにでも結婚するって泣いて騒いだのはつくしの方だった。
もちろん、プロポーズをしたのは俺だ。
帰国してから、もうすぐ1年って時に、ダメ元でプロポーズした。
つくしの仕事を考えれば、すぐに結婚は出来ないだろうと踏んでいた俺は、断られるのは覚悟の上だった。
『なぁ、俺達結婚しねぇ? もうお前と一時たりとも離れていたくねぇんだよ』
そうつくしに告げた。
帰国してからもお互い仕事で会えるのは限られていて、しかもマスコミの目もある。
それでもお互い時間を見繕っては、束の間の逢瀬で2人の関係を築いてきた。
でも、もう限界だった。つくしが他の奴に取られてしまうのではという不安。
何より、同じ部屋で夜を過ごし、共に朝を迎えたい。少しでもつくしの温もりを感じていたかった。
そんな俺からのプロポーズに、
『私ももう離れていたくない! もう嫌なの。お願い、すぐにでも司のお嫁さんにして!』
そう言ってつくしは俺にしがみ付き、今までに見たこともないくらいに泣きじゃくった。
よく話を聞けば、帰国してから結婚の話に触れない俺に不安を感じ、ずっと7年近くも抑えていた感情が溢れ出たらしい。
NYにいる時も弱音なんか吐かずに俺を支え続けてくれた、つくし。
だが、俺の見えないところで寂しさに耐え、不安な想いを閉じ込めていたのかと思うと、絶対コイツだけは幸せにする、と改めて心に決めた。
それからの行動は早かった。
まずはババァに報告。
結婚自体は反対じゃないものの、しかし、条件を提示された。
一つは、俺が今抱えている大きなプロジェクトが終わるまで結婚が世間にばれない様にすること。
もう一つは、メープルのウェディングキャラクターと、うちの会社のジュエリー部門の専属モデルにつくしがなること。
今じゃ、つくしの獲得はどこもが狙っているところだ。
それをあっさり楽して手に入れようってんだから、どこまでも食えねぇババァだ。
続けて、つくしの事務所にも報告に向かった。
つくしがモデルの仕事を引き受け評判になった時、色んな事務所から誘いがあったらしいが、その中でつくしが選んだのが、現在も所属している出来たばかりの弱小プロダクションだった。
即戦力になったのはつくしだけで、つくしが1人でこの事務所を支えてきた。
そんな事務所からの答えは、結婚が人気に影響を及ぼす可能性や、契約の縛りもあったりで、直ぐに結婚させる訳にはいかない、というものだった。
屋台骨でもあるつくしの人気は、ダイレクトに事務所経営に繋がるだけに、当然の判断とも言える。
だから俺は、つくしが諦めると思っていた。
周りに迷惑を掛けてまで、我を通す奴じゃない。
それが、だ。
『社長、結婚させて貰えないなら、今日限りで仕事を辞めます。違約金なら払いますから』
と、事務所の社長を脅しだした。
つくしの言動に驚くと共に、それだけ俺を想い、待っていてくれたのだと、飛び上がりたいほど湧き上がる幸福感。夢をみているようだった。
まぁ、実際のところは、この事務所を見捨てるなんて出来ないつくしは、あくまで脅しとして口にしたにすぎないのだが。
結局、事務所サイドが折れた。但し、ここでも条件が出された。
1年間、結婚は世間に公表しないし、ばれないようにする。
その間は子供は作るなという、余計なお世話の条件だった。
道明寺からも事務所からも同様なことを提示され、それでも結婚を認めてもらえるならと、条件を飲むことで俺達も手打ちとするしかなかった。
「何か付いてる? そんなに人の顔ジッと見て」
今日に至るまでの長き道を思い出し、無意識につくしの顔を見つめていたらしい。
「お前には寂しい思いさせたなって思ってよ」
「え? どうしたのよ急に。寂しかったのは本当だけど、でも司が頑張ってくれたから、今はこうやって幸せなんだよ?」
ヨーグルトを食べながら、嬉しそうに話すその顔に偽りはなく、そんな顔を見れる俺も、やっぱり最高に幸せだ。
二人の歴史を辿りながら浸る至福の一時。
しかし、そんな時間も長くは続かない。
突如として室内に響くインターフォン。
貴重な時間に横槍を入れるように、訪問者を告げる音が鳴る。
「あっ、桜子かな? それとも西田さん?」
モニターを確認するべく、つくしは席を立った。
三条は、つくしのマネージャーをしている。
昔からつくしを慕い、今も尚、つくしの為に働いてくれて、俺の次につくしの理解者でもある。
だが、その分チェックも厳しく、つくしと何故か俺までいつも説教じみたことを言われる始末だ。
きっと、今日もそんな一日の幕開けで始まる。
2人きりの甘い朝のひと時は、三条、もしくは西田によって奪い取られる。
これが俺達新婚家庭の、いつもの朝の風景だ。

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