その先へ 5
「お疲れ様でした。どうでしたか?」
迎えに来させたリムジンに乗り込めば、車内で待機してただろう西田の声に反応し、チラリと睨む。
「休みの日に、しかも、朝っぱらから拉致らんとばかりにSPを部屋に雪崩れ込ませ、監視役にお前まで参加した、あの見合いとやらを言ってんのか?」
「はい。その嫌み通りのお見合いの事で間違いありません」
「だったら聞くまでもねぇだろ。女の方もお断りだとよ」
窓の外に目をやり、盛大にため息をつく。
「ババァも一体何を考えてる。俺に女がいるって思ってたんじゃねぇの?」
「ご存知だとは思いますが。では、副社長はその方とご結婚されるおつもりで?」
「やめろ、気持ち悪りぃ。するかよ」
年中無休の能面面。
知ってて聞いてくるところが腹が立つ。
ババァの執務室に突然呼び出されたのは、3日前。
仕事上、必要とあらば話もするが、それ以外は殆ど互いに口も利かないのは昔からだ。
そんなババァから、一方的に告げられた見合い話。
『司さん、今度の日曜日、あなたにはお見合いを受けて頂きます』
『お断りします』
『お昼からですから、そのおつもりで』
『聞こえませんでしたか? お断りすると言ったんですが』
『神島会長にご無理を言って、ご紹介して頂くんです。くれぐれも失礼のないように』
…………聞いちゃいねぇ。
俺の意見なんざまるで無視。
でも、ババァはそう言う女だ。
自分の意見は、決定事項だと言わんばかりの鉄の女。
アメリカに居る時もそうだった。
何度も勝手にセッティングされた見合いの席。
その度に、『あんたに興味はねぇ』と、相手に告げてはあの手この手と潰しても、女の影もないからだと、また次の見合いを仕掛けてくる。
ならばと、女を調達して影をちらつかせれば、やっと諦めたのか、それからは見合いの『み』の字も出してきやしなかったのに。
30に突入しても結婚する気配も見せないから、跡取りの心配でもし始めたか。
だったら、女がいると自ら吹き込み、信用させた方が賢明か? と浮かんだ考えは、直ぐさま消した。
ババァにその気にでもなられたら厄介だ。結婚まで一気に話を進めかねない。
ましてや、女にまで本気になられたら、考えただけでもゾッとする。
ビジネス口調を封印して、淡々と、だが、はっきりと本音だけは伝えておいた。
『見合いを受ける気はねぇよ。仕事はちゃんとやってやる。人生の暇潰し程度にはなるからな。だが、それ以上は望むな。それでももし、あんたが結婚だ跡継ぎだと騒ぐんなら、手当たり次第、子種でもばら蒔くか? 20年後にはお家騒動勃発だ。今の時代、同族経営だ政略結婚だ、って古いんだよ。あんたも良く考えんだな』
そう捨て置いて来たが、やはりどこまでも鉄の女だった。
何とか眠りにつき、束の間の夢を見る時だけは安らぎを覚えても、また直ぐ目が覚めての繰り返し。頭は休まずとも目を瞑り、時をやり過ごしどうにか迎えた今朝。
すっきりしないままま体を起こせば、ノックと共に雪崩込んできたのは、ババァのSPどもで、一瞬にしてベッドを囲まれた。
あのババァ、諦めてなかったのかよ、と髪を掻きむしりながらソファーへ移動すれば、逃走させないつもりか、むさ苦しい一団も付いて来る。
がたいの良い男達に取り囲まれ飲んだコーヒーは、過去に類を見ない不味さだった。
何とかしろと、目の前の能面面に電話してみても、監視役として自分も同席すると言う。
社長であるババァから命令を受けたらしい西田に、おまえは誰の秘書だ? 簡単に従うな、と言ったところで『私も我が身が可愛いもので』と一蹴された。
昔なら暴れていたはずだ。
そんな気力もどこか遠くに置き忘れてきた。
何をやっても虚しいだけ。
どうせ変わらぬ運命ならば、誰にも煩わされず、この身が滅びるまで一人、仕事だけの日々でいい。
西田が邸に迎えに来ると、男達に一瞥くれただけで、連行される前に乗り込んだリムジン。
仕事の関係上もある神島の手前、見合い中は大人しくしといてやる。
後で女を泣かすなり脅すなりして潰せばいいと、西田から手渡された、興味もねぇ釣書に目を滑らせた。
29歳、弁護士、名前は…………忘れた。
雑草だった気がする。
現れたのは、紺のワンピースを纏った地味な女。
最初はガチコチで、食事中もろくに会話に入らず、時折、引きつった笑みを浮かべていた。
ところがどうだ。
二人きりになり、相手を探りつつ、バッサリ斬り捨ててやろうと話し出してみれば、いきなりテーブルは叩くわ、怒鳴り散らすわで、さっきから頭が痛ぇ。
しかも、大きな目を更に大きくしてイカってんのに、イキイキしてるようにも見えた。
…………変な女だ。
何を必死に喚いてるんだと観察していた俺は、ある一言で眉を僅かに動かした。
引っ掛かる。あの女の言葉が。
「具合が悪いのですか?」
米神を指先で揉んでたらしい俺を見る西田に指示を出す。
「あの女の釣書、もう一度見せろ」
丁度、邸の門扉を潜り抜けた景色を見ながら、あの女のセリフを思い出す。
『────昔からあたし、あんたなんてタイプじゃないんだから』
俺相手に、散々の口を利く舐めた女は確かに言った。
…………昔から、と。
「こちらになります」
手渡された釣書に、今度はしっかり目を通す。
牧野つくし。29歳、弁護士。
会う前には見ることもなかった、その先に認めてある学歴、経歴に目を走らせる。
「2年まで英徳…………なるほどな」
記された俺との接点を知り、曖昧な記憶から見つけ出す。
居たじゃねぇか、イカってた女が、昔にも。
あの女は企みなどないと言ったが、信じるにはまだ尚早か。
それとも企んでるのは、ババァか神島か。
釣書を突き返し、リムジンが静かに止まると、西田と共に外に出た。
先ずは女だなと、西田に再度指示を出す。
「おまえも休みだろうから、明日でいい。牧野つくしを調べ上げろ」
返事も聞かずに、エントランスを歩く俺を西田が呼び止めた。
「副社長。こちらを」
振り返れば、渡される透明ファイル。
そこには、牧野つくしに関する調査書、と書かれたシールが貼られていた。
「調べてあったのか。流石だな」
「…………お疲れ様でした」
西田の声を背中に聞きながら、東の角部屋へと急いだ。
スーツを脱ぎ捨て、白シャツとジーンズに着替える。
ソファーに腰を落ち着つかせ、ファイルから調査書を取り出した。
何が出てくるかとページを捲った瞬間、思わず自分の目を疑う。
知りすぎた顔。なのに、知らないその表情。
俺がいる。
今より随分と若い、高校生だった頃の自分。
その隣には、あの女、牧野つくしが並んでいた。
数枚に渡るプリント。
そこには、どれも幸せそうに笑っている二人が居た。
これだったのか、俺が失った記憶は。
俺と牧野つくしが付き合っていたと言う過去。
だからか?
あの女の、最後に見せた笑みが寂しそうに見えたのは、この失われた記憶のせいか?
体の心配までしやがって、余計なお世話だ。
むしろ、滅びる日が早く来れば良いとさえ思ってるってのに。
覚えのない自分と女の過去を全て読み切り、ぼやく。
「頭痛ぇ」
バカらしい。
12年も前に終わったことだ。
今更、記憶なんてどうでもいい。
どうせこの虚無感を埋められるものなどありやしねぇんだから。
何を考えてるのかは知らねぇが、警戒するにこしたことはねぇか。
立ち上がると、ゴミ箱に書類を投げ入れ、ベッドに横たわる。
まだ明るい部屋の中、眠れるはずもないのに瞼を下ろし右腕で覆う。
一時でいい。思考が暗闇に堕ちろと乞いながら。

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