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その先へ 52


牧野さんの小さな背中を見送り部屋に戻ると、蓮見田守は膝を折り、床に両手をつけたまま、

「大切な牧野さんを傷付け…………、本当に申し訳ありませんでした」

涙交じりでありながら、気弱な男らしからぬ通る声で謝罪しているところだった。

「じ、時効は……」

逆に、威勢の良かった姿は影を潜め、覚束なげな声で弁護士に確かめるのは、蓮見田社長だ。
息子が全てを認めたこの期に及んでも、気掛かりは己の保身ばかりか。
道徳心の欠片も見当たらない男に、美作専務が冷たく吐き捨てる。

「時効なんて関係ねぇな。あんた、もう詰んでんだよ。俺達の逆鱗に触れた時点で」

たじろぐ蓮見田社長を睨みながらも、隣に座る副社長の肩に回した腕は解いていない。
いつ暴れてもおかしくない副社長は、刃物のような視線を、ただただひたすらに蓮見田守へと向けていた。

「確認します」

冷静にそう言ったのは弁護士で、テーブルの上にあるタブレットに手を伸ばした。

『────だから貴女は』で途切れた、その先の会話に何が語られているのか、確認をするために。

誰もが言葉を止めた沈黙の中、それは流れ始めた。

『───あの日、泣きながら歩いていたんじゃないですか?
貴方が道明寺さんと別れた日と、僕がその…………あなたにしてしまった時期は、同じ時期です。
道明寺さんの記憶があんなことにならなかったら、泣いてボロボロになることも…………、僕に付け込まれることもなかった。
その全てを貴女は恨んでるから、今、道明寺さんの傍にいるんじゃ…………』

『…………』

『…………僕は恨まれて当然です。償わせて欲しい、でもそれで許されるはずないってことも分かってます。
血が付いてるのを見た時、本当に申し訳ないことをしてしまったって……初めてをあんな形で奪ってしまったのですから。
でも、僕だけじゃなく…………本当は、憎んでいるんじゃないですか? 道明寺さんを。
…………自分も幸せになれたかもしれないのにって』

流れる会話の途中から、怒りの炎が揺らめくように、わなわなと全身の震えが大きくなった副社長の前で、弁護士がタブレットから流れる会話を止め、口を開いた。

「強姦罪、今は刑法改正により、強制性交等罪と言いますが、時効は10年です」

「じゃあ、時効は成立か?」

救いを求めるような蓮見田社長の声は、弁護士の言葉で打ち砕かれた。

「いいえ。蓮見田専務は強制性交等罪ではありません。強姦致傷、法改正後の、強制性交等致傷罪に当たります。時効は15年です」

「なっ、どういうことだ!」

声が跳ね上がった蓮見田社長ではなく、弁護士は、窺うように副社長を見遣り、そして、居たたまれない様子で直ぐに反らすと話を続けた。

「蓮見田専務本人が認めています。血が付いていたと。処女を強姦し処女膜を破裂させた場合は、強制性交等罪より重い強制性交等致傷罪になります」

これだったのだ。牧野さんが言っていた、秘密の暴露に値すると指し示したものは。

「てめぇーっ! 赦さねぇっ! てめぇだけは絶対ぇ赦さねぇ!」

怒りの針が振り切れた、副社長の爆ぜた激情が空気を引き裂く。
副社長に突き飛ばされた美作専務はソファーにバランスを崩し、しかし、直ぐに立て直すと、SPと共にまた副社長を押さえに掛かる。
本気で暴れ出した副社長を止めるのは至難の業で、座り込む蓮見田守の前を二人のSPが立ちはだかり、美作専務と残りのSPで何とか動きを封じ込めたのは、蓮見田守から数歩ほど手前でだった。

「何でだよ……」

立ったまま動きを押さえられている副社長が、苦しそうに言葉を吐き出す。

「何で牧野を! 何でアイツがこんな目に遭わなきゃなんねぇーんだよ! 何で牧野が……どうして……」

答えなど出るはずも問いが、哀しみに支配された声で何度も繰り返され、遣るせなさを物語っていた。
歴然とした男女の力の差の上で成り立っただろうこの犯罪に、理由など認められるべきものはない。
それが分かりながらの問いかけは、理由なき暴力への憤り。ただそれだけだ。

副社長が自分に向かって来ようが、逃げの姿勢を見せなかった蓮見田守は「すみません」を幾重(いくえ)にも重ねて頭を床に擦り付けた。

「確認させてくれ」

息が上がりながら蓮見田守に話掛けたのは、美作専務だった。

「あんた、牧野が司の女だから狙ったわけじゃねぇんだな?」

蓮見田守が勢い良く頭を上げた。

「はい、本当にそれは違います。何も知りませんでした。名前さえ知らなかったんです。お会いしても、だから牧野さんがあの時の子だとは全く分からなくて……。
道明寺さんの恋人だったと知ったのは、道明寺さんを調べ出してからです。本当に……本当に申し訳ありませんでした」

罪を認めた蓮見田守は、もう全てを語る覚悟が出来たらしい。目を反らさず、気弱さを振り払い答えていた。

「てめぇの身勝手な欲で傷付けて、その女を見ても分からなかっただと?」

副社長が凄む。

「…………すみません」

蓮見田守と牧野さんが会っていた会話でも、パーティーでは気付かなかったと語られていた。
それは本当だと思えた。
高校生の時の牧野さんと、大人になった牧野さんの今では、当時を知る者でさえ、下手をすれば咄嗟には同一人物だとは気付かないかもしれない。
それほどまでに、牧野さんは美しく大人の女性になられた。
しかも、蓮見田守が覚えているだろう牧野さんは、厳しく辛い状況下に置かれていた時の姿だ。
それは、私達の知る牧野さんとはかけ離れた、泣き叫び、恐怖と苦痛に歪んだ姿であっただろう事は、想像に難くない。

「だとして、おまえはいつ、傷付けたのが牧野だって気付いた? 司を調べてるうちに、司と牧野が別れた時期や、おまえが犯罪を犯した時期が重なったって分かったにしてもだ。何故、その被害者が牧野だと確信が持てた?」

美作専務が疑問を投げつけた。
美作専務が言うとおり、確かに疑問ではある。
名前も知らず、顔を見ても牧野さんだと気付かず、それが確信に変わった時、何がそこにはあったのか。

「…………最初は、時期が同じでも、まさか、としか思いませんでした。ただの偶然だと。
でも、牧野さんだとしたらって考えたら、分かったことがあって……」

蓮見田守が言葉を区切り下を向く。
言い難いことなんだと見てとれる様子に、苛立ちを乗せた美作専務の声が飛び、

「さっさと言え!」

決心したように顔を上げ、蓮見田守は口を開いた。

「牧野さんは……、何度も、助けを求めるために何かを言っていました。その時は、それが何なのか、途切れ途切れの掠れた声では分からなかった。でもやっと分かったんです。聞き取れた言葉の一つ一つを重ねたら……、」

蓮見田守は、視線を床に落とし萎れた声で続けた。

「牧野さんはあの時…………、助けて道明寺、と、言っていたんだと」

誰もが息を呑んだのが分かり、一瞬にして冷気が落ち沈黙が広がる。
楓社長は、苦し気に眉を潜め目を瞑り、美作専務は天を仰いだ。
副社長の項垂れた姿を映したのを最後に、私は力を失い瞼を下ろした。

…………呼んだのか、副社長を。求めたのか、ただ一人、副社長を。
どうしようもない絶望の時の中で、何度も何度も、司様の名を…………。

時空を飛び越え助けに行くことも出来ない過去の現実は、大切な人を思う気持ちを、これでもかと容赦なく抉った。
成す術もなく、目を硬く閉じるしか出来ない今に、自分に、やり場のない感情が渦巻く。
しかし、いつまでもそうしていることは許されなかった。

「…………殺してやる」

小さな声が、冷たい沈黙に亀裂を作り、反射的に目を開ける。
次の瞬間には、

「ぶっ殺してやる」

抑揚のない副社長の声が完全に沈黙を突き破り、押さえるSP達を殴り飛ばし、美作専務をも突き飛ばした。
怒鳴って発散させず、怒りを内に取り込んだ副社長の目は、蓮見田守以外を映す気はまるでなく、SP達が止めようと視界に入れば、容赦なく足や拳で薙ぎ倒す。
美作専務にも拳を繰り出し、誰にも食い止めることが出来ない副社長は、やがて、手をついたまま座る蓮見田守に近付き、襟首を掴み上げると、床に思い切り叩き倒した。
何かに取り憑かれたように周りが見えなくなった副社長は、一切の抵抗を見せない蓮見田守に馬乗りになると、何も発することなく、硬めた拳を振り落とした。
冷たく凍りついた表情で、無言で何度も振り下ろし、吹き出した血を受けても止める気配はない。
10代の荒れてた時代よりも、数段上を行く危うさ。
これ以上は本当に危ない。殺しかねない。いや、本気で殺すつもりだからこそ危険なのだ。

「副社長に多少の怪我を負わせても構わない」と、SPに力を使ってでも抑止させる指示を出すと同時、美作専務が声を荒立てた。

「司! これ以上、牧野を苦しめるなっ!」

何度めか分からない振り落とされた拳が直前で止まる。
動きを止めた副社長の隣で片足をついた美作専務は、止まった拳を手で押さえた。

「こんなことして牧野が喜ぶと思うか? 喜ぶ女じゃねぇだろ。こんなことしたって、牧野の心の負担を増やすだけだ」

「…………」

「司だって気付いてるはすだ。一昨日、牧野が俺達に言った意味を」

事前に三人で何かを語られていたのだろうか。
蓮見田守しか映していなかった眼差しが、ゆらゆらと揺れながら、美作専務に移る。

「牧野言ってたよな? 何を仕掛けられても動じるなって。間違っても、ぶっ殺すなんて騒ぎ立てるな、とも言ってな」

「…………」

「今夜だって、こうして抜かりなく計画を立てていた女だぞ? 全て見通して、あの日、牧野は俺達に伝えたんだ。その牧野の気持ちを踏みにじるな」

「…………俺は……牧野を……助けてやれなかった」

副社長のものとは思えない、頼りない声だった。
美作専務は、手を拳から肩へと移し、力強く掴んだ。

「あぁ、赦せねぇよな。俺だって殺してやりてぇよ。こいつも、こいつの父親も」

美作専務の言葉に、肩をビクッと震わせた蓮見田社長の姿が視界の端に映り込む。

「けどな、司。過去は救えなくても、今は救いの手を差し伸べてやれる。牧野もそうだったんだ」

「…………牧野も?」

虚ろげな瞳の副社長に「ああ」と美作専務が頷いた。

「これは、牧野との約束を破ることになるが、司は知っとくべきだから話す。
俺がおまえとのプロジェクト担当になったのは、俺んとこの常務の体調のせいなんかじゃない。俺が無理矢理ねじ込んだんだ。牧野から連絡を受けてな」

「…………どういう事だ?」

「10数年振りに俺に連絡するのは勇気もいっただろうがな。それでも牧野は俺に頼みたかったんだと思う。司のことを。
牧野は後悔してたよ。司が記憶を失くした時、自分のことしか考えられずに、苦しんでる司を救えず孤独にさせてしまったってな。だから、もう寂しい思いはさせたくないってよ。今の司なら大丈夫だから、友人としてまた傍にいてあげて欲しいって、そう連絡してきたんだ」

副社長は目を閉じ唇を噛んだ。

「ただ、牧野のことは皆には伝えるなとも、何も訊かないで欲しいとも言われたよ。そりゃそうだよな。過去には触れられたくなかっただろうからな」

美作専務は、ぐったりとした蓮見田守に一瞬だけ目を向けた。

「俺は司だけじゃなく、牧野のことも、もう一人にさせたくなかった。だから、仕事に絡ませて二人同時に関わってやろうと思ったんだ」

「…………」

「司? 牧野は、近い内に今日のような日が来るって予感してたから、俺に連絡してきたんだと思う。
全てが分かれば、おまえの元を立ち去る覚悟で、その時、司を一人にさせない為に俺に託したんだ。
誰にも言えない傷を抱えた牧野が、それでも司んとこで働くって決めたのだって、おまえを救いたい、その一心だったはずだ。
過去を後悔したが為に、今度こそ間違いたくなかったんだろうな。全ては司を思って」

「…………」

「司、今度はおまえの番だ。過去を後悔するなら、今の牧野を救ってやれ」

立ち上がった美作専務は、副社長の腕を掴み引っ張り上げる。

「牧野と話す約束したんだろ? 牧野が待ってる。早く行ってやれよ」

副社長の背中を押した美作専務の目が、頼む、と言うように私を見て頷き返す。
力をなくし立ちすくむ副社長を促そうとした時、楓社長が声を掛けた。

「司さん。牧野さんを頼みます」

心を感じる声で言う楓社長は、軽く頭を下げ、戻すと直ぐに蓮見田社長を見遣ると、今度は温度のない声音で言い捨てた。

「どうやら本気で私を、この道明寺楓を怒らせたようね。あなた方とお話することは、もう何もありません。お引き取りを」

「ま、待って下さい」

「話はないと言っているんです」

圧倒され言葉を失う蓮見田社長を尻目に、副社長を促す。

「副社長、参りましょう」

危うい副社長を牧野さんが待つ部屋まで送り届けようと、歩みを進めた私達の耳に届いたのは……、

「申し訳……ありませんでした。本当に……すみません……申し訳ありませんでした」

床に倒れ顔を血に染めた蓮見田守の、蚊の鳴くような声で繰り返される、謝罪の言葉だった。

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  • Posted by 葉月
  •  4

Comment 4

Thu
2018.06.28

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2018/06/28 (Thu) 17:08 | REPLY |   
Thu
2018.06.28

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2018/06/28 (Thu) 19:09 | REPLY |   
Sun
2018.07.01

葉月  

コメントありがとうございます!

ス******* 様

更新にお付き合い下さり、ありがとうございます!

想像された通りの辛い内容となっており、本当に心苦しいばかりです(涙)
厳しい状況下でつくしが呼んだ名は司であり、それを知ることとなった司の心情も、救いをどこに求めれば良いのかと、居たたまれなくなると思います。
この犯罪により、体だけではなく心にも傷は刻まれ、それを抱えているだろうつくしを思えば、戦い方はどうするべきか、と、この話をスタートする前から散々悩みました。
法の下で訴え、当然の罰を受けるのも戦いだし、心を守るのも戦いの一選択肢。
色々と書きながらも考えさせられてしまいます。
そんな事を考えていると、どうしても書くスピードも落ちてしまいまして、この話を書き上げたら、今度はもっとコミカルな話にしようと決意したり。←まだプロットも浮かびませんが。
しかし、共通意見だけは任せて下さい!
しかと受けとりました!
私のフラストレーションも全てはそこに当てようと思います(笑)

コメントありがとうございました!

2018/07/01 (Sun) 10:57 | EDIT | REPLY |   
Sun
2018.07.01

葉月  

コメントありがとうございます!

ゆ**** 様

更新にお付き合い下さり、ありがとうございます!

父親に言いなりの蓮見田守がつくしに近付けたのは、心のどこかで、時効を迎えたという安堵があったからだと思います。
13年前の傷は決して消えることはないけれど、未来はこの先も続きます。
そして、今も変わらずつくしを思う司がいます。
全ての願いは司に託して!
問題があるとすれば、それを巧く書き上げられるのかどうか……難産になりそうです(涙)

コメントありがとうございました!

2018/07/01 (Sun) 11:09 | EDIT | REPLY |   

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