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その先へ 48


────牧野が辞める。俺には何の相談もせずに。それも今日限りで……。

気付けば俺は、執務室を飛び出していた。

秘書室に牧野の姿はなく、プロジェクトチームの所へと走って向かう。
そこにも居ないことを確認すると、また走り出した。

…………何でだよ。何で辞めんだよ。どうして俺の傍にいてくれねぇんだよ。

向かった先の法務部で、牧野は資料室にいると知らされる。
10階にある資料室。
エレベーターを待つのももどかしく、非常階段を一気に駆け下りる。
このまま会えなくなるような錯角に囚われ、逸る気持ちに足が追い付かず、縺れるように辿り着いた資料室。
そのドアを開け足を踏み入れると、書架が立ち並ぶ広い部屋はシーンと静まり反り、人影も見当たらなかった。

「牧野っ!」

縋るような思いで叫べば、書架と書架の間から牧野が顔を出した。

「えーっ! 副社長どうしたんですか?」

目を丸くする牧野に駆け寄り、小さい体を腕の中に仕舞い込む。

「ちょ、ちょっと! 副社長、何してるんですか!」

逃げようとジタバタともがく牧野をそれでも離さず、更に力を込めて抱き締めた。

逃がさねぇ、絶対に。
離せねぇ、おまえだけは。

「…………認めねぇからな」

「え?」

「辞めるなんて、俺はぜってぇ認めねぇ!」

俺の言ってる意味を理解した牧野は、ピタリと動きを止め、抵抗はなくなった。

「訊いたんだね、社長から。ごめんね、何も言わなくて」

牧野が静かに話し出した。

「今夜のこともあるから、別の日に改めて謝るつもりだった」

「謝る? んなもん要らねぇ。辞めるのを止めろ」

「ごめん。それは出来ない」

考える素振りすらなくきっぱりと断られ、焦る気持ちが胸の奥を痛ませる。

「何でだよ。こんな話、急過ぎんだろ」

「うん。それについては、本当に申し訳なく思ってる。でも、私が居なくなっても支障が生じないように、プロジェクトに関しても他のものにしても、法務部で引き継げるよう手筈は整えてあるから」

…………なんだよ、それ。

それって、昨日今日考えた話じゃねぇってことだよな?
おまえが抱えてる仕事の全てを、他に難なく引き継げるくらい、相当前から準備してたってことじゃねぇかよ。

「いつからだ。いつから辞めるって考えてた?」

「…………初めから、かな。道明寺ホールディングスに入ると決めた、その時から」

「ッ!……なんだ、それ」

辞めるのを前提でここに来たのか。
幾らでも話す機会はあったのに何も言わず、俺の気持ちも知ってて、それでも無惨に置き去りにするっていうのか!

言いたいことは沢山あんのに、思いもしねぇ返答に怯み、言葉が上手く出て来ねぇ。

「だから、社長には最初に条件を出してたの。突然だろうが、辞めたいと申し出た時は辞めさせて欲しいって」

「全然分かんねぇよ! そんな条件無効だ!」

「私は楓社長と契約を結んだの。あなたじゃない」

毅然と言い放った牧野は、両手で俺を押し退けた。

「道明寺?」

「…………」

「私には私の進むべき道がある。それは、この場所にはない」

「だったら、そんな道は俺が作ってやる。何がやりてぇんだよ。牧野が望むもんは俺が全部叶えてやるから、頼む。ここに居てくれ! 俺の近くにいろよ!」

俯いた牧野が、力なく左右に首を振った。

「……違う。違うの。そういうことじゃない。私は進むべき道で生きる。それと同じように、道明寺は道明寺の進むべき道で生きて」

ガシャン、と書架から大きな音が生まれる。
焦りや苛立ちを乗せた拳を受けたせいで、書架からは何冊かのファイルが床に落ちた。

「それって、暗に俺とは今後関わらねぇって言ってんのか」

「…………」

華奢な両肩を掴んで、揺するように問う。

「答えろ、牧野!」

「そう、だね」

「だったら、俺を納得させろよ。何を隠してる! 分かるように理由を全部話せ! 」

「……分かった。全部、話す」

揺するのを止めた手には、掴んだままの肩がどれだけ薄いか伝わってくる。
俺が本気で力を入れちまえば、骨が砕けそうなほど華奢な肩。その肩から手を離す。

「でも、少し待って。今はきちんと話すだけの時間がない。今夜の面会が終わってから、全てはそれからにして」

今すぐにでも訊きたかった。
訊きてぇけど、血が上った頭でも、考えてみればそれは無理だと引き下がるするしかなかった。
牧野がメープルに向かうまで、あと30分もねぇ。

「蓮見田が片付いたら、その後直ぐにだ。約束しろ、絶対逃げんなよ」

「うん、絶対。約束する。だから今は気持ちを切り替えて? 相手に動揺なんて見せちゃ駄目。隙を与えないで?」

「……分かった」

「じゃあ、早く仕事に戻ってよね。私もここ片付けたら向かう準備急いでしなきゃ」

そう笑顔で言われ、落ちたファイルを広い集める牧野を残し、資料室を後にする。

それから程なくして、俺の元には牧野がメープルに向かったと報告が入った。







***



牧野さんから、蓮見田側が入室したとの連絡が入り、社長とは別々の車でメープルへと向かう車中。
副社長が醸し出す雰囲気により、社内の空気は決して良いとは言えなかった。
それを、素早く察知したのは、流石は気遣いの人、同乗している美作専務だった。

「元気ねぇな、司。どうした?」

一定に保たれたままの強張った表情は、張りつめた細い糸のようで、いつ切れてもおかしくはない危うさを感じさせる。
お返しになられた声音も色がなく、抑揚がなかった。

「牧野が今日で辞める」

「え?」と、美作専務が驚くのも無理はない。

訊かされた全員が、そんなまさか、と驚きを隠せはしなかった。
私もその一人であるし、冷静沈着な、あの楓社長でさえも例外ではなかった。
しかし、引き留めるわけには行かない。牧野さんが入社するにあたり、出された条件を呑んだが故に。
『無理だと限界を感じた時には、突然だろうが辞めさせ欲しい』
その条件を受け入れていた社長は、止めたくても止める術を持たなかった。

牧野さんの進退は本当なのか、と確認をするように美作専務からの視線を受け、静かに顎を引く。

「司、一先ずその件は先送りだ。分かってると思うが、今は蓮見田だけに集中しろ」

必要以上に余計なことは語らず、話を引き上げられた美作専務は、下手に刺激をお与えにならない方が良いと判断なされたに違いない。
それは間違いない判断だった。
牧野さんがお辞めになる事だけじゃない。今日、齎らされた情報が、副社長のお心を乱したはずだ。
しかし、副社長は決してそれを口に出されることはないだろう。
そのお気持ちは痛いほど理解出来たし、私もまた、それを支持した。
今は、これ以上、お心を乱すわけにはいかない。
美作専務が仰られたように、蓮見田との件を決着させるのが最優先だ。
そう思う傍らで、この件が無事に片付いたのちには、牧野さんの進退を覆す方法はないだろうか、と考えに及んでしまう。
そう考えてしまうほど、牧野さんの退職は、私にとっても動揺を与えていた。

司様と牧野さん。
この二人に、どうしても願わずにはいられない。
二人で一つの幸せが訪れるようにと……。

夢見ずにはいられなくなる。
二人の笑顔が一つに重なる日が来ることを……。

それぞれの想いを胸に秘め、車はメープルの地下駐車場へと到着した。


地下駐車場からエレベーターに乗り込み、目的のフロアに降り立てば、そこには三人のSPと共に牧野さんの姿があった。

「参りましょう」

社長の声を合図に、社長や副社長付きのSPも従え、蓮見田が待つ部屋へと向かう。
SPがドアを開け、社長を先頭に中へと進む。
最後尾の牧野さんも中へと入り、SPはそれぞれの決められた配置場所へと戻って行った。
但し二名のSPだけが、中にある扉の前を警備する持ち場とした。
その扉を開き、いよいよ蓮見田側と対峙する時を迎える。

部屋の中には、楕円形の大理石のローテーブルが鎮座している。
それを挟むように、四人は優に座れるソファーが向き合って二つ置かれてある。
扉から対面上の上座にある、一人掛けのソファーには、楓社長が腰を下ろした。
先に座って待たせていた蓮見田側は、蓮見田社長、蓮見田専務、恐らく弁護士だろう面々が並び、向かいに、奥から副社長、美作専務と並び座った。

私は扉近く、壁に添うようにおかれた椅子に身を置き鞄を床に置いた。
牧野さんは、手早くコーヒーをカップに注ぎ、社長を始めとする三者の前に置く。
それが終わると私の隣に来られ、手帳とタブレットを取り出してから腰を落ち着かせた。
この席からは、両サイドの表情が見てとれ、少し離れたところにある椅子には、向こうの秘書も一人で座っている。

この部屋に入った瞬間、鼻についたのは煙草の臭いだった。
本来、このメープルは全館禁煙だ。
あるはずのない灰皿は、牧野さんの指示によるものか。
蓮見田サイドには、ティーカップと並んで、それぞれの前に一つずつ置かれている。
牧野さんの作戦通り、敢えて遅れたことに神経を苛立たせたのか、灰皿には何本かの吸い殻があるようだった。

「今日はお忙しいところ大変に申し訳ない」

如何にも取って付けたような似非的笑みで切り出した蓮見田社長を、楓社長は冷たく斬り捨てた。

「今更、私達の間に常識的な挨拶など不要でしょう。要件を伺います」

ふん、と蓮見田社長が鼻を鳴らす。
必要な箇所を書き留めるつもりなのだろう。
隣の牧野さんからは、ボールペンをノックする音と、手帳を開く紙の擦れる音がした。

「では、早速、本題に入らせて頂きましょう」

思わず身構える。一体、何を仕掛けてくるつもりなのか。

「実は、ある噂を聞き付けましてね。もしそれが本当ならば、株価にも影響を与えかねない。辞任、解任要求もされるのではないかと思いまして、こうしてご忠告させて頂きたく、お時間を頂戴したわけですよ」

勿体つけた言い回しは、どこまでも胡散臭い。
しかし、辞任、解任となれば、それを指すのはどちらだ?
恐らく美作専務ではない。
ならば、社長か副社長か……。

「道明寺副社長」

…………副社長だったか、ターゲットは。

だらしなく口角を上げる蓮見田社長と視線をぶつけても、副社長は顔色一つ変えない。

「どうやら、貴方には障害があるようだ」

「…………」

「記憶障害、と言えばお分かりになりますかな? 貴方は、記憶の一部を失っている。違いますか?」

思わず息を飲む。
思いもしなかった。そこを突いてくるとは。
確かに、意図的に隠してはいる。
記憶喪失になる切っ掛けとなった、刺されて運ばれた病院にも箝口令を敷いてある。
それは、社の内外に不安要素を与えないためだ。そのようなものを抱えていては、何れ仕事に影響を来すのではないか、と疑われる不安要素。
しかし、喩えそれが知れ渡ったとして、果たして辞任、解任まで追い込まれるだろうか。
株価の影響は避けられないが、そもそも、噂で貫き通せる。
どうやら副社長も同じ考えだったようだ。

「ただの噂だ。誰がそんなもん信じる」

蓮見田社長は、益々不適に嗤(わら)った。

「隠したいお気持ちは察しますが、これは事実でしょう。この話を反副社長派の役員にでも売れば、喜んで買うでしょうな。またとない貴方を蹴落とすチャンスだ」

「…………」

「貴方は、かつての恋人だけを忘れてるそうですな。マスコミもこぞって喜ぶ話だ」

何処まで掴んでいる?

「勿論、噂を噂のままにはしませんよ」

突然に、自分達に視線が向けられる。

「ねぇ、牧野つくしさん?」

緊張が走る。

「道明寺副社長は、記憶障害ですよね? それも、かつて恋人だった、貴方だけを忘れた記憶喪失。間違いないですよね、牧野さん」

「…………はい。間違いありません」

まさか!

副社長以外の視線が一斉に牧野さんへと集まった。
私も全身が強張る。
同時に、今日齎らされた、副社長の心を乱したメールが頭を掠めた。
それは、明らかに盗撮と思われる写真が添付されたメールで、ベンチに座る牧野さんと蓮見田専務の背後から、二人の横顔を写したものだった。
送り主は、中島海。
メールの主文には、自分も蓮見田からアプローチを受けたこと。そして、牧野さんが取り込まれたらしいこと。他にも伝えたいことがあるから会って欲しいという内容で、副社長宛てでは開いても貰えないと危惧し、私を通して訴えて来ていた。
それを無視しろと言った副社長と、気持ちは同じだ。
そんなはずはないと。牧野さんが裏切るはずはないと信じた。いや、今でも信じている。
副社長は、中島海に動きはないかのみを、牧野さんに確認をしたそうだか、答えはノーだった。
中島海の件は調査部に依頼し、全てを牧野さんに一任したのは私だ。
もし、メールが本当であれば、中島海が蓮見田からアプローチを受けた時点で、調査部から牧野さんに知らされているはずである。
うちの調査部が見逃すはずはない。
だとすれば、メールが嘘なのか、或いは、牧野さんが嘘を語ったのか。
何れにしても、調査部に確認すれば良いだけの話だった。
それを敢えてしなかったのは、牧野さんを信用しているからだ。
その一方で、俯き牧野さんを見ようとはしない副社長は、覚悟もしていたはずだ。
万にも一つ、あのメールが本当だったとしても、それを含め牧野さんを受け入れる覚悟を。
そういう人だ。副社長というお方は。
記憶を失くし、牧野さんを傷付けた過去を、罪として深く受け止めるような人なのだから。

部屋の中に、蓮見田社長の豪快な笑い声が響き渡る。
それは、本当に可笑しくて可笑しくて堪らないといった様だった。

「飼い犬に噛まれるとは、まさにこの事ですな。元恋人でもあり、今や側近として働き、貴方の思い人でもある者の裏切り。貴方は彼女に相当怨まれてるようだ。牧野さん? 今後必要とあらば、取締役会や株式総会でも、このことを証言して下さいますかな?」

「えぇ。証言致します」

また耳障りな嗤い声が広がる。

何か意味あってのことだ。牧野さんは裏切らない。
信じる思いを固め牧野さんを見る。

そんな私の目に映ったのは、一切の感情を排除した、かつて見たことのない、氷のような冷たさを纏った横顔だった。

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  • Posted by 葉月
  •  4

Comment 4

Fri
2018.06.15

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2018/06/15 (Fri) 07:34 | REPLY |   
Sat
2018.06.16

-  

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2018/06/16 (Sat) 16:43 | REPLY |   
Sun
2018.06.17

葉月  

コメントありがとうございます!

ス******* 様

更新にお付き合い下さり、ありがとうございます!

最終章に入り、やっとラストが見えてきました。
これから全部が明らかになります。
心臓、大丈夫ですかね?(汗)
書いている私もぐったりしてますが……(苦笑)
蓮見田とも対面し、どのように話が流れていくのか……。
重い展開の憂鬱さ故に、次話をアップするのも躊躇われますが、腹黒い蓮見田側との攻防が待ち受けております。
引き続き西田視点です。
推理する西田さんと共に、見届けて頂ければと思います!

今週からは、ずっと天気が悪いみたいですね(溜息)
今日は、貴重な雨のない一日となりそうです。
日頃の疲れを癒すと共に、素敵な休日をお過ごし下さいませ♪

コメントありがとうございました!

2018/06/17 (Sun) 10:38 | EDIT | REPLY |   
Sun
2018.06.17

葉月  

コメントありがとうございます!

H********** 様

こんにちは!
コメントまで頂き、本当にありがとうございます!

はい、窺っております(笑)
一気読みして頂いたと訊き、かなり時間もかかっただろうにと申し訳ない気持ちと、同時に有り難く嬉しさ満載でした!
近々、ご挨拶に行きたいと思います!ってお話もさせて頂いてたのですが、一気読みの話を訊いて、直ぐ様、突撃させてもらっちゃいました。
送って頂いた"念"も、しかと受けとりました!(笑)
司にも届き、必ずや期待に答えてくれると思います(^^)d

私は、長いブランクがありまして……
暫く、二次には敢えて目を通して来なかったんですね。
そんな中、昨年のGWに、ふとまた読みたくなりまして探してみたら、沢山のブログ様があることに驚き、最初に読ませて頂いたのが、実はH**********さんのお話だったんです。
やっぱり何年経っても良いものは良いですね!
私も無理せず、楽しんで書いて行けたら良いなと思っております。

今後も、癒しを求めてお邪魔させて貰うこと確実ですが、しかも長編一気読みが大好きなので、居座ること確定ですが、これからもどうか、宜しくお願い致します!

コメントありがとうございました!

2018/06/17 (Sun) 10:55 | EDIT | REPLY |   

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