その先へ 47
ここ最近、牧野との食事は叶わず仕舞い。俺のバースデー以来だから、機嫌は消化不良気味だ。
そんな二月も下旬。
一週間の滞在予定でババァが帰国したのを狙うかのように、俺の機嫌を更に下降させる報告が、突然に西田から齎された。
「副社長だけではありません。楓社長と美作専務の同席をも求めてきています」
「美作専務もですか?」
怪訝に眉を顰めた牧野が、もう一度、西田に確認を取る。
「はい」
頷きながら西田が答えた。
「先方は、社長と専務の他に秘書と弁護士も同席させるので、この話を受け入れるのであれば、私と牧野さんもご一緒に、との事でした」
陽も傾き掛けてきた夕刻。
西田と牧野を前にして、即刻判断を下す。
「面会に応じてやる。西田と牧野も、そのつもりでいてくれ。それから西田、社長には俺から話す。これから時間あるか確認して調整してくれ」
「畏まりました」
「牧野、あきらは来てるのか?」
「はい。直ぐに呼んで参ります」
「頼む」
二人が部屋から出て行って10分後。牧野があきらを連れ戻って来た。
「悪りぃな、あきら」
「どうした? 何かあったのか?」
ここに来る間に、牧野からの説明はなかったらしい。
社内と言えども誰が訊いてるか分かんねぇし、懸命な判断だ。
「牧野もここにいろ」
出て行こうとする牧野を引き止め、ソファーに腰掛けたあきらの前に座る。
背後に立つ牧野に、おまえはここだ! と俺の隣を指すと、これ見よがしの溜息を吐きながらも指示に従った。
「あきら、蓮見田が面会を申し込んで来た」
「はぁー。 あの親父、ついに仕掛けて来たか。全く大人しくしてりゃ良いものを」
あきらは、髪を掻き上げながら呆れるように首を振った。
「おまえも一緒だ」
「なに?」
あきらの動作が止まる。
「あきらもご指名だ。うちのババァもだ。それに牧野と西田も連れてく」
双眸を細めたあきらは、険しさを表情に刻んだ。
「司の母ちゃんまで? ってことはだ。恥も外聞もかなぐり捨てて、頭を下げ倒すつもりか。或いは……、脅迫と言う名の爆弾をぶちかますつもりの、本物の大馬鹿なのか……」
「後者の大馬鹿の方でしょうね。頭を下げると言う知識を、未だ長い人生の中で取得出来得ていない御仁のようですので」
話を引き取ったのは牧野だ。
牧野による蓮見田の人物評は、俺達も苦笑しちまうほど、小気味く良くバッサリと切り捨てた。
「牧野の言う通りだ。価値ある話を訊かせてやるだとよ。舐めた口聞きやがって。向こうが喧嘩腰なんは間違いねぇよ」
「爆弾の心当たりは?」
あきらの問いに、いや、と首を振り否定する。
「全く分かんねぇ。寧ろ、奴等を潰せるだけの情報は、こっちも掴んでる。返り討ちにあわせてやるよ」
「だとしても、向こうの手札が見えないだけに、無視するのは危険だな」
「あぁ」
とにかく、と牧野が差し挟む。
「何を仕掛けて来たとしても動じないことです。脅しと言うのは、脅される側に立つ人間が、動揺を見せて初めて成り立つものです。冷静な態度で、一切応じない姿勢を終始貫き通すのが、一番の有効手段ですから。良いですね? 副社長」
「何で俺だけに言ってんだよ」
「だって美作専務は大人ですから。いつだって冷静に対応出来るじゃないですか。ね?」
と、牧野に同意を求められ、笑うだけで全く否定しないあきらが腹立たしい。
「頭に血が登って、間違っても『てめ、ぶっ殺す!』なんて騒ぎ立てちゃダメですよ? 相手だけでも厄介なのに、副社長まで暴れたら、どこで足を掬われるか……。フォローする私達の身にもなって下さいね。大変なんですから!」
「ふざけんな! 俺だって冷静な大人だッ!」
俺の尤もな主張は『ほらね、もうそういうところが大人じゃないし』と突っ込まれ、二人の笑い声に虚しく掻き消された。
それから、滞在予定が一週間しかねぇババァのスケジュールに合わせ、日程を組むことをあきらに了承して貰い、その場は解散となった。
夜になり、時間の空いたババァに事の成り行きを説明する。
「分かりました。小蝿は早めに払いましょう」
と、冷たく言い放ったババァの都合に合わせ、対峙する日は、明後日の午後7時。
会社では目立つからと言う、これもババァの提案により、場所はメープルの応接室に決まった。
─────そして、その日は直ぐにやって来た。怒涛なる、その日が……。
朝のミーティングでは、通常業務の連絡事項と共に、今夜の簡単な打ち合わせも行った。
その中で、弁護士としてのアドバイスを全面に押し出した牧野の意見を採用した。
「既に駆け引きは始まっています。社長と副社長、美作専務は、西田さんと共に約束の時間より遅れて入室して下さい」
「遅れてか?」
「はい。相手を苛立たせるのも駆け引きには有効です。強引に面会を求めて来た相手です。非礼な要望にも関わらず応じて差し上げるのですから、威風堂々と、遠慮なく遅刻して、動じていないことをアピールしましょう」
弁護士ってのは、法律を知ってるってだけじゃねぇ。
揺さぶりをかけたりするのは裁判でも良くあることで、企業法務が専門とは言えども弁護士の牧野は、少しでもスムーズに事が運ぶようにと、対策を練っているようだった。
「分かった。八時に入ればいいか?」
「いやいや、流石に一時間は遅れすぎなので、向こうがホテルの部屋に入室してから、ここを出発して下さい。ここからだとメープルまで車で15分程です。蓮見田側が入室した時点で私が連絡を入れます」
「牧野が?」
「はい。定時に上がって、先にメープルに行ってますね」
「駄目だ! 一人でなんて危ねぇだろうがっ!」
何を考えてるか分かんねぇ腹黒い奴等だ。
んな所に牧野一人で行かせられるか! と、感情任せに喚けば、流石の牧野も素直に頷いた。
「ですので、 SPの方をお借りしても良いですか? 私も一人では抵抗ありますし。それに、蓮見田側が入室しても部屋には入らず、副社長達が来るまで離れた所で待機しておりますから」
そういうことなら大丈夫か、と考え直し、西田に指示を出す。
「分かった。西田、SPを10人牧野に付けろ」
「はっ? じゅ、10人?」
牧野が慌てた様に手を振り止めに入る。
「二、三人で充分ですから! 」
「駄目だ!」
話になんねぇ、とそっぽ向く。
「三人だけでお願いします」
牧野が、窺うようにお願いしてきても、ツーンと余所を向き、無視したままだ。
「三人で大丈夫だって言ってんでしょッ!」
半ば逆ギレ気味の牧野は、それでも認めない俺に呆れ、西田に泣きつく。
「もう西田さんからも言ってやって下さいよ~」
「副社長、向こうは恐らくSPは付けておりません。普段からそうですから。だとすると、三人もSPを付ければ、喩え何があったとしても事足ります。寧ろ、ゾロゾロとSPを従えさせれば、過剰に相手に刺激を与え、危険な場面を作りかねないとも考えられますよ?」
危険な場面だと?…………んなこと言われりゃ、折れるしかねぇじゃねぇかよ。
「チッ、分かったよ」
仕方なく、SPは三人で手を打ってやったってのに……。
会社からSPと共に行動するのは嫌だとワガママを言う牧野と、それを援護する西田にまた丸め込められ、ホテルの地下でSPと牧野が合流することで、無理矢理納得させられた朝のミーティングは、二人により強制終了した。
お陰で、主張が通らずの俺は、モヤモヤを抱えたままだ。
けど、それはほんの序章でしかなかった。
午後になってから、思いも寄らない情報ばかりが舞い込み、それらが俺の気持ちを翻弄して行く。まるで甚振るように……。
「失礼します。副社長これを」
牧野との昼食も終わり、30分程が経った頃。西田が一人部屋に入ってくるなり、デスクの上にスマホを滑らせた。
「…………」
想像だにしなかったものを目の当たりにして、呆然と眺め言葉を失う。
「無視しろ。西田、余計なことは何もするな」
「はい、畏まりました」
暫くして漸く声を絞り出した俺は、気持ちを鎮めた。
鎮めたつもりだった。
どんなことでも受け入れる覚悟は出来ているし揺るぎねぇ。
それでも、微小の乱れが顔に出てたのか。
「副社長? 何かありました?」
三時になって、お茶を運んできた牧野に、あっさり見破られる。
「いや、何もねぇよ。疲れただけだ」
そう? と、疑うように俺を見る牧野は、心配そうに言った。
「今夜もありますし、少し仮眠を取りましょうか。無理しちゃ駄目です」
「そうだな」
「ちゃんと休んで下さいね」
そう言って背を向けた牧野を呼び止め振り向かせる。
「牧野」
「はい」
「あの女、おかしな動きしてねぇか?」
「……あの女?」
思案してる牧野に告げる。
「中島海」
「あぁ」と納得した牧野は、ニッコリと笑った。
「大丈夫ですよ。今のところ何の動きもありませんから。それとも何か気掛かりでも?」
「蓮見田のことがあるからな。念のために確認しておきたかっただけだ」
「それなら心配ないですよ」
笑顔で打ち消した牧野を、今度は呼び止めはしなかった。
眠れるはずもなく、また、寝かせる気もねぇらしい情報が更に飛び込んでくる。
夕方の四時過ぎ。デスクの上の電話が、内線を知らせる音を立てる。
『落ち着いて訊きなさい』そんな言葉から始まった話に、受話器を持つ俺の手が震えた。
「……ざけんなよ」頼りなく漏れた声に一気に力が入る。
「ふざけんじゃねぇっ! ぜってぇ俺は認めねぇからなっ!」
受話器を力任せに叩き付ける。
音が消え訪れた静けさ。
頭の中を占領するのは、ババァから告げられたばかりの、受け入れ難い報告だった。
────────『牧野さんから辞表が出されました。牧野さんは、今夜の蓮見田カンパニーとの面会を最後に、退職します』

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