その先へ 4
目の前の男に、見合いはなかったことに、と告げようとした瞬間。ノックと共に、失礼しますと入ってきた仲居さんによって、入れていた気合いは脆くも崩れた。
面と向かって話すのは、何しろ12年ぶり。
幾ら多少の落ち着きを取り戻したとはいえ、居るだけで存在感をアピール出来る男を前にしては、一握りの覚悟が必要だった。
仲居さんが並べるデザートであるメロンを見ながら、人知れず力を込める。
入ってきた時と同じように声を掛け出ていく姿を確認すると、数秒置いて
「あの……」
と発すれば、今度は抑揚のない声に遮られた。
「あんた何を企んでる?」
企む? って何を?
唐突に言われても頭が働かない。
そんな私を気にも留めず、さっきまで紳士然とした姿は跡形もなく消えた。
気だるそうに指を掛けネクタイを弛めると、ジャケットのポケットに両手を突っ込み、だらしなく大きな背中を椅子に預けている。
認めるのは悔しいけど、その姿さえカッコイイと思ってしまう。
「どんな手を使ってババァをたらし込んだ?」
「た、たらし込むって私は──」
「まぁ、いい」
言い掛かりも良いとこだけど、何となく奴の苛つきに気付き始めて否定しようと試みるも、俺様は未だ健在らしく、聞く耳を持つつもりはないらしい。
「俺は、あんたに興味もなければ、結婚する気もねぇ。今日は神島のじいさんの手前、我慢してやっただけだ」
「……それは────」
ご苦労なことで、と嫌みを返してやろうと挑んでみても、それすらも阻まれる。
「神島の身内でもねぇのに可愛がられ、ババァまでその気にさせるとはな。たいしたタマだ。一体、何が目的だ?」
「私はただ──」
「おまえ如きが、この俺まで取り込もうなんて思──」
バン! ガシャン!
何度目かの遮りに、遂には血圧が上昇した私は、デザートのお皿があるのも忘れ、テーブルを両手で思いきり叩きつけると、漸く奴の言葉の阻止に成功した。
「いい加減にして! 何も企んでもないし、このお見合いもこちらから願い下げよ! あたしもあなたに興味なんてないわ!
大体ね、あたしが此処に来た時の様子を見て分からない?
お見合いだなんて聞かされてもないし、聞いてたら初めから来たりなんかしなかったわよ!」
先程の覚悟や気合いは何だったんだ? と、自分で突っ込みを入れたくなるほど、久々に声を荒らげていた。まるで、昔の自分に引き戻されるように。
「あんたの言葉を信じろと?」
「信じてくれなくても結構よ! 明日にでも神島のおじ様に、ご縁がなかったと伝えれば済むことだしね!」
「30手前の女の本音とは思えねぇな。それも地位も名誉もある、この俺との結婚だぞ? それに興味がねぇだと? 」
……そうだった。
自惚れを自惚れとも思わぬ厄介な男だったと、段々と思い出してきた。
「地位と名誉しかひけらかすものがない男の、どこに興味を持てと?
それ以外は何もありませんって、自らアピってるようなもんじゃない!
あ、それから念のため先に言っとくけどね、その美貌をひけらかすのも止めてよね。
昔からあたし、あんたなんてタイプじゃないんだから!」
青筋が出現するんじゃないかと、内心ヒヤヒヤしたものの、それが現れそうな気配もなければ、反論もない。
そういえばさっきからこの男は、内容は失礼極まりないけれど、怒鳴り散らすでもなく、淡々と声に言葉を乗せてるだけだった。
私の大人気ない反撃にも、珍しい生き物だとでも思っているのか、ピクリと片方の眉を上げただけ。
少しは大人になってるらしい男に、幕引き位は冷静に振る舞ってやろうと、気を落ち着かせ静かに立ち上がった。
「兎に角、何も企んではいませんし、あなたとの結婚を望んでいないのも、先ほど話した通りです。何も心配は要りません。では、私はこれで」
そう言ってバッグを掴みスマートに出て行こうとする私に、再び奴の声が追いかけてくる。
「神島のじいさんに、ちゃんと断れよ。二度と俺達が会わなくて済むようにな」
扉の前で立ち止まり振り返ると、もう一度、昔の恋人を角膜に焼き付ける。
あの頃には見られなかった、疲労の影が見える目の前の男を。
「えぇ、必ず。それから、最後に一つだけ…………。お酒を飲むなら、もう少し食べないと。さっき、殆ど食べてなかったでしょ? あんな飲み方してたら、体壊しちゃいますよ?」
それだけ告げると、今度こそ振り返らずに部屋を出た。
道明寺との時間を遮断するように、後ろ手にドアを閉めて。
──終わった。本当にこれで終わったんだ。
歩みを進めながら、何度もそう自分に言い聞かせる。
胸の高鳴りを感じれば、興奮したせいだと自分に暗示をかける。
12年前に千切れた糸は、何の因果かまたこうして繋がりをみせた。
そこには、誰かしらの思惑を感じずにはいられないけれど、それすら知る必要はない。踏み込みたくなんかない。
明日にでも神島家に断りの連絡を入れさえすれば、これ以上の無理強いはしないはずだ。それだけ信用はしている。
道明寺の望み通り、もう二度会うこともない。
でもそれは、道明寺だけの望みじゃない。私にしたって同じだ。
外に出て、ビルの隙間の青い空を仰ぎ見た。
雲一つない青空に向かって深呼吸をしてみれば、思いの外、気分がスッキリしていることに気付かされる。
折角の休みだし、このままショッピングでもして帰ろうか。
多すぎる人の合間を縫いながら、ふと、そう言えば……と、考え苦笑を漏らした。
あんなに声を張り上げたのなんて、いつ以来だっけ?
感情を露にしたのも久しぶりだ。
ブラブラと充てもなくさ迷っては、気まぐれにショップを覗き見る。何件目かのショップの前に立ち止まった時、思考が突然と答えを導き出した。
──そっか、あの時以来だ。声を張り上げたのは……。
何で、そんなこと考えてしまったんだろう。
分かりきってたはずなのに。
嘗ての恋人に会って浮かれていたのだろうか。
あんな横柄な態度だったのにも関わらず……。
12年前のあの日。
諦めもせずに通った道明寺邸で、私の目が捉えたものは、ヘッドボードに身を預けてベッドに座る男と、その男の首に腕を巻き付ける少女──海ちゃんの姿だった。
彼女が更に距離を詰め、二人の顔が重なり合った時、私は声を震わせ感情を吐露した。
『あんたはもう、あたしの好きだった道明寺じゃない』
代わりがきく恋ならいらない。
あたしを見つけ出してくれないなら……もういらない。
なんて傲慢だったんだろうと、今なら思う。
愛されることに慣れ過ぎて、自惚れていたのかもしれない。
愛することに不慣れだったのかもしれない……なんて、これは言い訳だ。
それでもあの時の私には余裕なんてなくて、目の前の光景に傷ついて、だからこれは道明寺のせいなんだと、自分の弱さを守る為に全ての非を押し付けた。
泣いて感情を露にして、勝手なことを吐き捨てて。
そして、逃げ出した私は……、私は────────────
過去の残像が目の奥にこびりつき、顔を手で覆って頭を振る。
それでも消えない残像を振り払いたくて、もう一度、青い空を求めた。
道明寺のように、私も記憶を失くしてしまえたら良いのに。
あの日を真っ黒に塗りつぶしてやりたい。
見上げた空は相変わらず青いのに、眼にはくすんで映る。
もう駄目だと諦めた私は、ショッピングする気力も消え失せ、ただ家に帰りたい一心で、足をひたすらに動かし続けた。

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