その先へ 42
「ったく、もう諦めろって」
げんなりとした顔で、エレベーターを待つ間にあきらが嘆く。
うるせぇよ、と不満は声に乗せずに、胸の内に据え置いた。
あきらと共に着替えを済ませ、パーティーに行く前に牧野の顔を見たくて探してみるも見当たらず、俺の機嫌は低空飛行のままだ。
当然、今夜のパーティーも事前に誘ってはみたが、返事はNO。それも想定内だった。
経済界を始め芸能人も多く参加するパーティーは、入口付近だけマスコミにもオープンにしてあるらしい。
それでなくても牧野はパーティー嫌いなのに、そんな一段と派手な場所に行きたがるはずもねぇ。
初めてパーティーに牧野を引き連れ行った時の様子を思えば、あれ以降、無理強いは出来なかった。
同伴がどうしても必要な時だけ牧野には付き合って貰っちゃいるが、それ以外は無理は言わず我慢するのが常だったりする。
けど、せめて行く前に顔でも見て、乗らない気分の底上げを図ろうとしたのにそれも叶わず、俺の表情には不機嫌が貼り付いたままだ。
「向こうにはマスコミがわんさかいる。笑えとまでは無駄だから言わないが、間違っても怒鳴り散らしたりするなよ?」
どこまでも心配性且つ口煩せぇあきらには、無言で反発だ。
こうして大人しくパーティーに向かおうとしてんだから、多少の機嫌の悪さくらい大目に見ろ。
「申し訳ありません、美作専務。お手数お掛けします」
背後にいる西田が、あきらに律儀にも頭を下げた時、エレベーターが到着し扉が開いた。
その瞬間、笑み崩れるのが自分でも分かった。
「牧野ッ!」
「おまえは飼い主を見つけた犬か!」
思いもかけず、エレベーターに一人乗っていたのは牧野だ。
殴ってやりたいあきらの言葉は、一先ず見逃してやる。それよりも牧野だ。
前のめりで大声を出したせいか、仰け反っている牧野の手を掴み、箱から引っ張り出した。
「どこ行ってたんだよ、探したんだぞ?」
「チョッと調べものがあって、法務部の資料室に。何か急用でした?」
「何てことはねぇよ。司が牧野の顔見たかっただけの話だ」
あきらの言う通りだけどよ、訊いた途端、ンな嫌そうな顔しなくても良いじゃねぇかよ。
「副社長? 美作専務や西田さんを無駄に疲れさせないで下さい。これからパーティーですよね? って、もう時間ないじゃない! 遅れたら大変!」
しかめた顔を解き腕時計を確認した牧野は、閉まっちまったエレベーターを直ぐ様呼び戻す。
動いてなかったらしく、間を空かずして扉が開いた。
一旦中に入ってパネルを操作し、片手で扉を押さえながらフロアに身を戻した牧野は、やっと顔見て話せたっつーのに、せっかちにも俺を中へと強引に押し込む。
「行きたくねぇ」
この期に及んで愚痴る俺に、
「歩く広告塔なんですから、しっかりアピールしてきて下さいね」
すげなく返した牧野は、視線をあきらに移した。
「美作専務、副社長があまり飲み過ぎないように見張っておいて下さいね? それから、ちゃんと食事も摂るよう頼みます」
「司だけかと思ったら、牧野も十分司には過保護なんだな」
「それ、語弊があるんですけど。私はこれも仕事の内ですので、任務です。では、行ってらっしゃいませ」
不本意そうに切り返した牧野が、押さえていた手を離し静かに閉まる扉。
「帰ったら連絡する!」
閉まりかけたところで声を上げれば、
「結構でーす!」
明るくもすげない第二弾が放たれ、扉により完全に遮断された。
こんな拒否的返事にも慣れたもんだ。
牧野の顔を見れただけで気分は上々。さっきまでの不機嫌は一掃された。
「数分前の言葉は訂正する。どうやら笑えるらしいが、その腑抜けた笑みは禁止な!」
そんなあきらの心配は杞憂に終わる。
「うぜぇ」
到着するなりの第一声。
入口は一ヶ所しかなく、その前にはハイエナのようにうじゃうじゃとマスコミが沸いていた。
断りもなく容赦なしにカメラが向けられ、気分がいい筈もねぇ。
あきら曰くの腑抜けた笑みとやらも当然ひび割れ、険しい表情が貼り付く。
笑えと言われてももう無理だ。
覚悟はしちゃいたが、これからの数時間は拷問に等しい。
そんな風に思うのは、このパーティーの形態にある。
今夜は船上パーティー。
西田や牧野が時間を気にしていたのは、乗り遅れては大変だと心配してたからで、船に乗せられちまえば、大海原の上からじゃ逃走ルートもありゃしねぇ。
適当に挨拶を済ませても途中退席出来ねぇのが、拷問の最もたる理由だ。
かと言って今更逃げる訳にも行かず、
「行くぞ」
あきらの掛け声と共に、マスコミに揉みくちゃにされながら船内へと足を踏み入れた。
「司、少し食っとけよ。牧野に頼まれたしな」
二時間近くかけて挨拶を済ませたところで、料理を乗せた皿をあきらが差し出してくる。
牧野の名を出されちゃ受け取るしかなく、近くのソファーに二人で腰掛け、旨いとも思わねぇ料理を突っつく。
そんな俺を見てあきらが小さく笑う。
「ホント牧野の言うことは絶対なんだな」
……当たり前だ。
「今だって、こうして素直に飯喰うわ、周りの女連中にも軽い睨みの威嚇だけに留めてるわ、牧野効果は絶大だな」
船に乗る直前。
桟橋で待機することになっていた西田に、
『女性を追い払う為に必要以上なことを致しますと、牧野さんに嫌われますよ?』
と、脅迫まがいの釘を刺されてる。
下手打って牧野の耳にでも入ったら、どんな軽蔑な目で見られるか……。
だからと言って、あきらのように愛想良くも出来ねぇ。勘違いでもされたら堪ったもんじゃねぇし、想像するだけで気持ち悪りぃ。鳥肌通り越して鮫肌もんだ。
今も飯喰ってるってのに、女共がチラチラ見やがって。
俺は見世もんじゃねぇんだよ。
見るなら、ホールのステージで騒がしい音楽をかけながらやってるマジックでも見てろ。
隙あらば近付こうとすんな、とイライラしながらも、棘ある目を流すだけに留めてる。
「しかしまぁ、司は昔も今も、やっぱ牧野なんだなぁ。昔からカッコ悪いくらい追いかけ回して。大人になってもまた牧野って」
カッコ悪りぃとは聞き捨てならねぇと睨んでみても、あきらは気にする素振りもねぇ。
「けど、そんな司が羨ましいよ。そこまで惚れる女に出会ったんだからな。今度こそ、ちゃんと捕まえられると良いな」
俺の肩を叩くあきらに「おぅ」と小さく返した時だった。
マジックの演出なのか、照明が一斉に落とされ暗闇に包まれる。
時間にしたら、ほんの数秒か。
一段とボリュームが上がった音楽と共に、また照明が灯ると、その明るさに一瞬目が眩む。と、同時にズキンと脈打つような、脳が揺れる程の痛みに突然襲われた。
「痛……ぇ」
「どうした? 司?」
あまりの痛みに目と額を片手で覆う。
閉じた瞼の奥では閃光が走り、その隙間に不意に情景が浮かび上がる。
────なんだこれ。
若い奴等が犇(ひし)めき合って…………パーティーか何かか?
至近距離には、着飾った女?
痛みの中で浮かんだ場面を掴もうとしても、今度は違う光景が脳裏に映し出され掏(す)り替わった。
────ッ! 女の…………濡れた裸。
な、何だよこれは!
必死に探ろうとしても、激しい痛みに邪魔され阻まれる。
「おい、司。大丈夫か? しっかりしろ」
異変を周りに悟らせない為か、あきらは声を潜めながらも焦ってるらしい。
「…………大丈夫だ。ちょっとした頭痛だ」
本当は、ちっとも大丈夫なんかじゃねぇ。
脈に合わせるように波打つ痛みが引かねぇ。
「あきら、悪りぃ。外の空気吸ってくっから、デッキに誰も近付かせねぇようにしてくれ」
「外っておまえ、この真冬だぞ? 予報じゃ、これから雨だって言うのに……待て、俺も行く」
立ち上がるあきらに大丈夫だと制し、持ってた皿を押し付けデッキへと向かった。
闇を呑み込んだように暗い海の上。
見えるのは、遠くにある工業地帯が放つ、明滅する幾つもの赤い点とした光だけ。
周りに誰も居ないのを確認すると、デッキに置かれた一人掛けのチェアに腰を下ろした。
吹き付けてくる、凍てつく潮風に晒されてもすっきりともせず、頭の痛みは一向に止みそうにねぇ。
肘掛けに乗せた右腕で頭を支え目を瞑る。
さっきの場面を何度も思い浮かべても、それ以上のものは痛みに支配され、ただじっと堪えるしかなかった。
どれくらいそうしていたのか。
波風のうねる音が激しさを増し、船の揺れが酷くなったところで目を開ければ、海面を乱暴に叩きつける雨が降っていた。
「痛ぇっ」
一際、強い痛みが走った、その一刹那。
脳内に、荒れ狂う嵐の音と共に女の叫びが響き渡った。
────あんたが好きだって言ってるじゃないっ
「ッ!…………牧野」
間違いねぇ。間違えるはずがねぇ!
この声は牧野だ。
なら、これは俺が失った記憶か?
「おい、司! 大丈夫か? 顔、真っ青じゃねぇかよ! このままじゃ、頭痛どころか風邪ひいて熱まで出すぞ!」
コートを手にしてデッキに現れたあきらの声を、辛うじて聞き取る。
「あと数分で着く。西田さんにも電話しておいたから、直ぐ降りられるよう出口近くに行くぞ」
コートを羽織らされ、あきらに促されるままに移動し、着岸するのを待った。
「マスコミの前だけ何とか堪えられるか?」
船が停止し、扉が開かれるなりあきらが囁き、頷き返す。
歩き出した俺達の目の前には、来た時と同じくマスコミ共が群がって…………って、待て。これってデジャヴか?
いつかも見たような既視感に包まれ、しかし、カメラを突き付けられた瞬間にハッとし息を呑む。
違う!これはフラッシュバックだ!
そうだ。脳裏に浮かんだもの全てが過去の記憶、二人の大切な想い出。
最初に浮かんだ映像をなぞる。
あれは、暗闇でぶつかるようなキスを初めて交わした、熱海の船上パーティーだ。
濡れた裸は、一時の停電が回復した直後に見た牧野の姿。これは、滋ン家のSP共に拉致られ、無人島に向かう船の中の出来事だ。
さっきの牧野の叫び声もその船の中で、無人島に着いた俺達は、互いの気持ちを確かめ合ったはずだった。
『いかないで───どうなってもかまわない。ここから帰れなくてもいい。もう離れるのはいや』
堰を切ったように埋もれていた記憶が溢れ出し、無人島での牧野の泣き顔が、10数年の時を経た今の俺の胸に痛烈に突き刺さる。
全てを捨てる覚悟だった。
何を失っても、牧野だけは手放さないと心に決めて…………
「車までもう少しだ、司」
あの日、船を降りた俺達を待ち受けていたのは、今日のように溢れ返るマスコミ連中で……。
牧野を掴むはずだった伸ばした手は空を切り、突として刺され頽(くずお)れた俺は、俺は────
「司、もう少しだからな」
─────牧野を、牧野だけを、忘却の遥か彼方に消しちまった。

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