その先へ 40
「おぅ」
「今回は急な担当者変更で申し訳ない。プロジェクトは俺が担当することになった。宜しく頼む」
「あぁ。取り敢えず座れよ」
10数年振りのあきらは、先ずは社会人としてのけじめか、若しくは、律儀な性格故か。頭を下げてから、促したソファーへと腰を下ろした。
「司、前より随分と顔色良くなったんじゃねぇか? たまにパーティーで見掛けても、痩せてるし顔色も良くなかったから心配してたんだぞ?」
まぁ、端から見りゃそうだろう。
不健康そのもの。自分の体なんかどうでも良かったんだから、当たり前か。
生きる、ってもんに執着がなかった。
それが今じゃどうだ。
牧野のお陰で体調は良いし、生きることにしがみつきてぇって思う有り様だ。
牧野が居るなら……。
「今は、体調管理されてるからな。口煩せぇのに」
「口煩いって言う割には嬉しそうだな」
何も言わずに口の端だけ控え目に上げた。
「…………司……」
あきらが神妙な面持ちで見る。
「俺は、ずっと後悔してた」
「…………後悔?」
「あぁ、そうだ。あの当時、司に本当のことを教えるべきだったんじゃないかってな」
「……本当のことって、記憶のことかよ」
あぁ、とあきらが顎を引く。
「おまえが失くした記憶は、おまえが心底惚れてた女のことだって、きちんと話すべきだった。自分自身で思い出さなきゃ意味ねぇとか言ってよ。急かしながら、その実、突然記憶を失くしたおまえを、突き放しただけだったんじゃないか、って。
全てを話して理解させた上で、その後どうするかは、本人達が話し合いでもして決めれば良かったんだ。
あの当時、苛ついてるおまえにそれを言って聞かせられたのは、俺達だけだったのにな」
責めるどころか、んなこと思ってたのかよ。
真面目なあきららしい。
そんなこと言われちゃ、逃げ出しただけに居心地が悪りぃ。
それに、急かした気持ちも今なら分かる。
「牧野のためだろ? 牧野を気にかけてくれたから、俺を急かしたんじゃねぇのか?」
僅かに身を乗り出したあきらが、何か言いた気に俺を見る。
「なんだよ?」
「司、おまえ記憶戻ってないんだよな?」
「全く」
「ふーん、そうか。でも、記憶を失くしたのは、牧野のことだってのは分かってんだな?」
「あぁ、調べた。それよりちょっと待っとけ」
そう言うなり立ち上がり、デスクにある受話器を取り内線に繋ぐ。
「西田。コーヒーはアイツに持ってこさせろ」
指示だけ出して、またソファーへと戻った。
「あきら、おまえが気に病むことはねぇよ。全部、俺の余裕のなさが原因だ」
流石に面と向かって、当時の気持ちを曝け出すのは決まり悪くて、間違っちゃいねぇが無難なところで纏める。
「それによ、今、その牧野がうちにいる。体調管理してる煩せぇ奴ってのが牧野だ」
「牧野が?」
「あぁ。おまえも牧野とは会ってねぇんだろ?」
「そうだな、13年振りくらいか」
丁度、その時。
ノックと共に、牧野がコーヒーを持って執務室に入って来た。
「失礼します」
「おー、マジかよ! ホントに牧野か! 久しぶりだなぁ!」
「お……、お、お久しぶり振りです」
久々の再会にハイテンションになったのか、食い付くように立ち上がったあきらに、牧野は眉をひくつかせさせ、若干引き気味だ。
トレイに乗せたカップが小さくガチャリと音を立てている。
それを牧野から奪いカップをテーブルに並べると、トレイをそこら辺に適当に投げ、牧野の手首を掴んでソファーへと座らせた。
当然、俺の隣だ。
「牧野、綺麗になったなぁ」
「い、いえいえ……それよりご無沙汰してしまって……ごめんなさい」
少しでも近くに引き寄せようと、まだ手首を掴んで離さない俺に、抵抗を見せながら話す牧野の口調は小さく硬い。
「どうでも良いけどよ。おまえ達、いつもそうなのか?」
俺達の手元を見たあきらが、ニヤニヤしながら腰を下ろす。
「違うからッ! 勝手に副社長が!」
さっきの小声が嘘のように声を張り、素早く否定にかかるのは牧野だ。
「副社長言うなっ!」
「今は勤務中でしょ! セクハラ禁止!」
「司、いつもセクハラしてんのかよ!」
「セクハラじゃねぇ。愛情表現だ」
シレっと言う俺に真っ赤になる牧野は、二言目にはセクハラで訴えると孟攻撃だ。
やれるもんなら遣ってみろ! 受けて立ってやる! と、応戦し騒がしい俺らに、あきらの声が割って入る。
「二人、もしかして付き合って……、」
「付き合ってないッ!」
…………硬さがなくなったのは良いけどよ、剥きになって瞬殺で否定してんじゃねぇよ。
「なるほどな! さっき司との会話で引っ掛かっちゃいたんだよ。昔の話をしててな、『牧野を気にかけてくれた』なんてセリフが司の口から出たからよ。好意的な言い方に、もしやこれは、ってな」
「うん? 何それ」
要領を得ず、首を傾げる牧野。
いくら話の内容が見えねぇからって、んな可愛い顔をあきらの前で……。
思わず、まだ手首を掴んだままの手に力が入った。
「司はまた牧野に惚れたわけか!」
「悪りぃか」
「いやいやいや、あまりに司らしくて、寧ろ安心したくらいだ! なんか昔を思い出すよなぁ!」
なぁ? とか言いながら、ニヤついた面で牧野を見やがって!
「あきら! あんま牧野を見んじゃねぇっ!」
釘を刺す俺に醒めた視線を寄越す牧野と、ゲラゲラ笑い出すあきら。
「そんなとこまで昔のまんまかよ!」
笑いの止まらないあきらに、
「昔?」
何を言いたいのかと聞き返せば、遠慮なしに突き返された。
「昔からおまえは、相当なヤキモチ妬きだ! 牧野に関しちゃ、余裕のねぇ器の小さな男だったってことだよ」
「てめっ……」
記憶がないだけに、本当なのかと確かめるように牧野を見れば、返事の代わりに、当て付け混じりの重い溜息を吐かれる。
否定しないってことは、あきらの言う通りか。
「まぁ、それも司らしくて良いんじゃないか? 但しだ! 」
やっと笑いを収めたあきらが、今度は真面目腐った顔を作る。
「場所は考えろよ? 司を厄介だと思ってる奴等に、そんな隙は見せるな」
んな事は、あきらに言われるまでもなく分かってんだよ。
「会社の内でも外でも敵はいる。足掬われる真似はしねぇよ」
「分かってんなら良いさ。あ、社外と言えば、蓮見田には気を付けろ。今回のプロジェクトのどこでも良いから食い込みたくて、うちに必死になって頼み込みに来たぞ。司のとこにも来たか?」
「いや 、今のところ、今回のプロジェクトで直接の打診はねぇな。あっても手を組むつもりもねぇし。パーティーでアプローチしてきたくれぇだよな?」
そう言って隣を向けば、牧野が頷き返しながら「うーん」と、唸る。
「蓮見田カンパニーの経営状況は、かなり厳しいみたいね。元々、遣り口が褒められたものじゃないし、後がない今は、警戒するに越したことはないかもしれない」
「牧野、詳しいんだな」
あきらが、目を瞬かせてる。
意外、とでも言うような表情だ。
そう言えば、あきらにはまだ言ってなかったか。
「牧野は、企業弁護士だ。その手の情報もある程度は掴んでる」
「はぁ? 牧野弁護士だったのか!」
説明すれば驚くあきらに「あ、そう言えば伝えるの忘れてた」と、たった今、自分の立場を思い出したらしい牧野は、ブンブンと腕を振り回し俺の手を払うと、ジャケットから名刺入れを取り出した。
一枚名刺を抜き取ると、それを机の上に滑らす。
「副社長室付きのインハウスをしています」
牧野が改めて挨拶すると、名刺を手に取りマジマジと眺めるあきらは、感心しきりだ。
「あの牧野が弁護士になってたとはなぁ! そうかぁ……。じゃあ、プロジェクトにも力を貸してくれるんだろ?」
「法務面で参加させて頂きます」
「心強いな、司。兎に角だ、内外にアピール出来るチャンスだ。失敗は許されない。だからこそ、蓮見田にも気を付けろ。人の弱味を握るのがお得意な様だからな。司も牧野も、それから秘書やプロジェクトチームにも気を付けさせた方が良い。問題を抱えてる社員は外した方が無難だな」
あきらが言うように、弱味を握り、それをネタに脅迫紛いの真似をするのは、奴等の常套手段だ。
パーティーで会ったひ弱な男は兎も角、その男の父親────蓮見田社長は、一癖も二癖もある。全てはこの男の指示によるものだ。
ふと、目の奥は淀み、狡猾さが滲み出ている男の顔が脳裏に浮かんだ。
そんな男を跳ね返せるだけの黒い部分を、こっちも情報として掴んじゃいるが、向こうに後がない今、充分注意する必要がある。
「そう言うおまえは大丈夫なんだろうな? 不倫相手は綺麗に清算しとけよ?」
俺の意見に、隣では牧野が同意するように何度も頷いている。
「おまえら何年前の話してんだよ! とっくに不倫は卒業してるんだよ!」
歳上限定不倫は、どうやら本当に卒業したらしい。
そんなあきらとのプロジェクトは、翌週から無事にスタートを切った。
世間の注目度も高く、牧野も陰ながら力を発揮し、プロジェクトは順調に進んでいる。
忙しさは増しても、時間を見つけては牧野と二人で食事に行く関係も続いていて、まだ恋人には発展しなくても充実した日々を送っていた。
だから気付かなかった。
──────牧野が何を考え、何をしようとしているのか。この時の俺は、まだ何も気付いちゃいなかった。

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