その先へ 39
高級外車が静かに滑り込むのを確認して、身を正す。
ドアが開けられ、降りて来た人物が私との距離を縮めて来るのを待って頭を下げた。
「牧野! やっと会えたなぁ。マジで嬉しいよ!」
懐かしさが胸を撫でる。
穏やかな声に導かれるように顔を上げれば、声に違(たが)わず表情も優しく、柔らかな雰囲気も当時と変わっていなかった。
12年、いや、もう直ぐ13年になる長い年月を隔てても尚、あの頃の雰囲気を損なわないこの人は、加えて大人の男性の魅力をも纏っていた。
「美作さん、本当にごめんなさい」
「何度謝る気だ。電話でも言ったろ? もう何も言うなって」
仕事始めだった二日前の晩。
突然、美作さんに連絡を入れた私は、図々しくも頼みごとをした。
しかも、自分のことは誰にも言わず何も訊かず、私が電話したことも秘密にして欲しいと、身勝手な主張まで押し付けて……。
「しかし、おまえ綺麗になったなぁ。女は変わるって言うけど、これじゃ街で会っても直ぐには気付かねぇぞ。…………あれからもうすぐ13年だもんなぁ……」
連絡を断って約13年。
誰にも何も言わずに引っ越した私を責めもせず、懐かしさに頬を崩して話す美作さんを見てると、申し訳なさで胸が苦しくなる。
「でも、良かった。牧野から連絡貰えてよ。ずっと心配してたんだ。司のことも牧野のことも。あの当時、結局、俺達は何もしてやれなかったしな」
「美作さん…………」
「難しい顔すんなよ。仲間なんだから、心配くらい勝手にさせろって」
指先で額を軽く小突かれる。
「13年ぶりにこうしてまた会えた。今はそれだけで充分だ。言ったろ? 無理に問い質すつもりはないし、無理に訊いて突然居なくなられる方が手痛いってもんだ。約束通り今は未だ誰にも言わないから安心しろ」
私を映す美作さんの眼差しは、どこまでも優しい。
「ありがとう美作さん。それに、突然連絡して勝手なお願いして。こんな早くにこんな形でアクション起こしてくれるとは思わなかった」
「いや、丁度良かったんだ。今まで、司のとこと仕事で手を組んでも、俺はノータッチで来た。公私混同は互いにしないだろうけど、司と疎通が取れてないし、やっぱりな。けどな、きっちり足固めするには、俺達が組んで内外にアピールした方が互いに良い頃合いだ。いつまでも只のジュニアじゃねぇぞ、ってな。うちもそうだけど、食えない役員共もいんだろ? 司を失脚させようと企んでる輩が」
確かにいる。
ここまで道明寺と仕事をしていれば、大体分かってくる。
道明寺を煙たがってる取締役が誰なのかも。
恐らく、道明寺も警戒はしてるはず。
「どうせ、プライベートで連絡したって、司のヤツはガン無視だ。仕事に絡ませた方が何かと上手くいく。牧野に司のスケジュール訊いてチャンスを貰った以上、早く捕まえねぇとな。
これは、牧野に頼まれたからじゃない。俺だってもう、司とこのままの関係は嫌なんだよ。だから牧野は何も心配なんてしなくていい。ただ……、」
一度、言葉を区切った美作さんは、真摯な眼差しで私を見た。
「何でおまえが、あの時居なくなったのか、どうして皆とまだ会いたくないのか。話したいって思う日が来たら、いつだって訊く。変な気遣いは一切なしだ。いいな? おまえは今も変わらず大切な仲間だってことだけは忘れるな」
込み上げてきた涙が下瞼を乗り越えそうになる。それを悟られたくなくて俯いて凌いだ。
「うん。ありがとう……美作さん」
「おぅ。じゃあ、先行くぞ! 司には内緒なんだから、一緒じゃ不味いだろ」
そう言って、子供をあやすようにあたしの頭をポンポンと二度ほど叩くと、美作さんはエレベーターへと乗り込んで行った。
***
「副社長、美作商事の担当者変更につき、美作専務がこれから挨拶に来られるそうです」
「随分と急な話だな」
「はい。プロジェクトの責任者は美作専務に決まったそうです」
「ふーん、まぁ別に良いけどよ」
来週から始動する合同プロジェクト。
一緒に組む相手が美作商事だってのは、去年から決まっちゃいたが、体調不良を理由に責任者が突然代わるって訊いたのは、今朝になってからだ。
道明寺と組む以上、下手な奴を据えるはずねぇだろうけど、まさかこんな早さであきらが出張ってくるとは思わなかった。
それも、これから挨拶とは……。
たまたまスケジュールが空いてたから良かったものの、暫く会わない内にせっかちにでもなったか。
何せ、あきらとまともに会うのは13年振りくらいか。
あの頃の俺は、記憶を失くしたことに混乱し、思い出せねぇことに苛立ちばかりが先行して、焦れてるアイツ等が俺を責めてる様にも思えて……。
全てが煩わしい。神経に障る。そんな思いにばかり支配され余裕のなかった俺は、NYへと逃げてそれっきり。
アイツ等とは、まともに連絡を取っちゃいなかった。
律儀なあきらからは、たまに連絡も入ってはいたが、全部無視。
パーティーで見掛けることはあっても、話し掛けるな、って雰囲気を如何にも作り出し、会話すら避けてきた。
記憶について触れられるのが面倒だった。
全てから逃げた後ろめたさもなかったとは言えねぇ。
何れにせよ、もうそんなんは止めだ。
自分の気持ちから逃げるつもりは、毛頭ねぇんだから。
誰に責められようが何だろうが、牧野が好きだしそれが全てだ。
記憶がないって現実を受け入れた上で、それでもまた牧野に惚れた俺は、希望を信じて前を見据えるだけだ。
それから程なくして、穏やかな笑みを携えたあきらは、執務室へとやって来た。

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