その先へ 38
道明寺を真っ直ぐに見て、あの想い出の日々を口にした。
「大切にしてくれたよ。そりゃさ、道明寺は俺様だし障害だらけの大変な恋愛だったけど……、」
道明寺の揺れてた瞳が、その先を待つように私のものと合わせてくる。
「凄く大事にしてくれたし、私が困ってる時はいつだって助けてくれた。そりゃもうしつこいくらいに」
「しつこいって、ひでぇな」
不満気に道明寺の眉間に皺が寄る。
それを見て、クスッと笑みを落とす。
「本当に何度も何度も助けてもらったの。意地っ張りで可愛いげのない私を見捨てもせずに、本気で想ってくれて。私、沢山、道明寺から大切なものをもらったよ。だからさ…………、」
一旦、言葉を止め、努めて明るく振る舞う。
「失くした記憶なんて気にすることないよ。もう忘れちゃいなよ」
今日の道明寺は大忙しだ。
私の言葉によっぽど驚いたのかもしれない。
でも事実、私は別れてからずっと、記憶が戻ることを望んだことはない。
寧ろ逆だ。思い出さないで欲しいって願ってた。
道明寺の近くにいる今となっては、その願いが叶い続けても意味がないかもしれないけれど。それでも……、と今でも確かにそう思う。
「私がちゃんと覚えてるからさ! それに、気にしたってしょうがないじゃない?」
「そりゃ…………けど、良かった。大切にしてたんなら」
はぁー、と一つ、安心しきったように道明寺の長い溜息が流れる。
「うん」
「でもな、何も知らねぇつーのもな。例えばよ……」
何故か言い淀む道明寺に首をかしげて先を促す。
「実際、俺達ってどこまでの関係?」
「……っ!」
それは、もしかして……、もしかしなくてもセクシャル的な事を意味してるのだろうか。
黙りこむ私を見て、意地悪くニヤリと笑ったところをみると、どうやら当たりだ。
「なぁ、どうなんだよ。教えろよ」
「…………清く正しく、高校生らしい関係だったわよ」
「清く正しく? キスもなしか?」
「そ、それは……」
「なるほどな、キスはしてたんだな」
「…………」
「で、それ以上はナシって……。何となくそんな気はしてたけどよ、何をやってたんだ高校ン時の俺は!」
だから、言ったじゃない。
道明寺は大切にしてくれたって。
「私が奥手だったから、18歳の道明寺は待ってくれてたの!」
半ばヤケクソ気味の言い方だ。
「マジか! すげぇな、18の俺」
だから、ヤケクソついでだった。
「うん、本当に。そこまで大事にしてくれたのに、何を怖がってたんだろうね。勿体つけずにあげちゃえば良かったよ」
「ッ!」
自覚はある。自分がどんな事を口走ってるのか。
それは、道明寺の顔が真っ赤に染まるほどで、普段なら絶対に言わないことだ。
「お、おまえな、んな突然爆弾落とすんじゃねぇよ!」
「う、うん、ごめん。あー、大人になった今だから言える客観的感想? ってことで気にしないで?」
ジロリと睨まれ身を竦める。
自分からの発言ではあるけれど、得意じゃない方面の話題だ。寧ろ避けて通りたいほど苦手なはずだった。
今更ながら羞恥に染まる。
放った言葉が本心だっただけに───。
「次、おまえを手に入れたら、今度は待ってなんかやんねぇからな」
更なる追い討ちに、いよいよ耐えられないと感じた時だった。
助け船の如く来訪者を告げるチャイムが鳴り、胸を撫で下ろし玄関へと走った。
「料理が来たんだろ。タイミング良く逃げられて良かったな」
お見通しとばかりの道明寺の声を背に受けながら。
22時を回ると、道明寺は直ぐに帰って行った。
女一人しかいない家に遅くまではいられないと、紳士然とした振る舞いで。
一人になり自分の部屋に戻る。
ドアを閉めると、電気も点けずベッドにダイブした。
あれから、道明寺が頼んでおいてくれた豪華な料理が届き、そこにはケーキも用意されていて。
赤ワインを開けてくれた道明寺から、『おめでとう』と祝って貰った誕生日。
こんな誕生日を迎えるなんて、去年までは想像すら出来なかった。
料理を囲んで、会話も途切れることなんてなくて。
『早く俺んとこに落ちてこい』
『すげぇ好き』
『つーかよ。俺はタイプじゃねぇとか見合いン時言ってたよな? 牧野、おまえのタイプってどんな?…………まさか、類とか言わねぇよな?』
会話の一つ一つに無理して捻り出した返事をして。その度に胸の中の塊が大きくなった。
カシミアのコートとマフラーのプレゼントが差し出された時には、受け取れないと拒むと、
『10数年も何もしてやれなかったんだ。黙って受け取れ』
って頬を抓ねられた、その頬が今も熱い。
頭まですっぽりと布団を被る。
胸の中にある塊に、堪えていたものが込み上げてくる。
───────消えてしまいたい。
私の中に潜む塊。
その、どす黒い大きな塊に呑み込まれそうで、心が壊されそうで、誰も居ない部屋で声を殺して泣いた。
声を上げないことが、黒い塊────憎悪へのせめてもの抵抗だった。
***
「今年も宜しくお願い致します」
西田さんとデスクの前に並び、道明寺に頭を下げる。
今日から仕事初めだ。
こうして道明寺と西田さんと顔を合わせるのは、実は、新年明けてから今日で二度目だったりする。
と言うのも、ずっとNYに居た楓社長が帰国し、労いたいからと、西田さんと私は、二日の日に道明寺邸に招待されていたからだ。
それを知らされていなかったのが道明寺で、私達がお邪魔してから一時間程が経ってからその姿を現した。
何も訊かされてなかった道明寺は、一緒に出掛けるつもりで私を誘いにマンションに行っていたらしく、行き違いになった! と、正月からおかんむりだった。
結局、休みの間、二人きりは愚か、二日の日以来会えなかった道明寺の不満は燻り続けていたようで、
「今後、長期休暇廃止!」
年明け早々、目の前の上司は、バカみたいなセリフで今年も私達を振り回すつもりらしい。
「どんなブラック企業よ」
って、笑い飛ばしていられたのも、ものの数分だけ。
正月ボケを引き摺ることは許されないほどの忙しさが、私達には待ち受けていた。
来週からは、リゾートホテル関連で、複合商業施設建設を目指し、他社との共同プロジェクトが立ち上がる。
良く知った企業名が載るその書類に目を通しながら、来週ここで他社との初顔合わせをする予定や、今後の流れを三人で確認した後、それぞれに仕事へと散った。
忙しいくらいが性に合ってる。
平穏な一年が送れるようにと切に願いながら、こうして動き回って働くのが心地好かった。
だけど、どうして願いは届かないのだろうか────。
それは、初日と言うこともあり、関わりある全ての部署に顔を出し、執務室のあるフロアに戻るため、エレベーターを待っていた時だった。
手の中にある小さな機械が震え、エレベーターの前で耳に宛てた。
「もしもし、牧野です。お疲れ様です。……え……?」
一瞬言葉を失い、慌てて短いながらも言葉を繋ぐ。
「…………接触?」
電話の相手は調査部の主任───佐野さんからの電話だった。
体がひんやりと冷たくなる。
暗い足音が、影を忍ばせ近付いて来る予感がした。
そんな自分を叱咤し、素早く判断を下す。
「分かりました。引き続き、海…………中島さんの調査を続行して下さい。それからもう一つ…………、」
言葉を止め、慎重に辺りを見回す。
人の気配を感じて、近くの鉄製の扉を開け、非常階段へと逃げ込み身を隠した。

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