その先へ 37
自宅に帰りリビングの扉を開けるなり、驚愕の光景に目を見開いた。
「なっ! どうして道明寺が居るのよ!」
驚きのまま叫ぶ私に、
「よぅ」
「よぅ、じゃない!」
笑顔の道明寺は、家のリビングにあるソファーに優雅に座っていて、私の驚きなんかちっとも気に掛けない。
状況が読み込めず立ち竦んだままの私に、もう一人の呑気な声が間に入る。
「姉ちゃん。俺が上がってもらったの。前に姉ちゃん送って貰った時は、お茶の一つも出せなかったんだから。良かったよ、改めてこうしてお礼言えて」
爽やかに言うのは我が弟だ。
だからって……と、言葉に詰まる私と違って、
「いいからコートぐらい脱げよ」
進が淹れただろうコーヒーを口にしながら、どこまでも道明寺はマイペースだ。
突っ立っていても状況は変わらず、もうこうなったら仕方がない、と部屋に行きコートを掛け、手洗いもうがいもして、深い溜息と共にリビングへと戻った。
「で? 今日はどうしたの? それより、仕事ちゃんと片付けて来たんでしょうね?」
今日一日、道明寺は外回りだった。
私が会社を出る時には、西田さん共々まだ帰社していなかったはずだ。
仕事納めと言うことで、道明寺とは午前中に挨拶も済ませ、次に会うのは年が明けてからだとばかり思ってたのに。
まさか、外回り中に逃走してきた訳じゃ……。
疑いの眼差しを向けてみると、何故か道明寺も文句でも言いたげに、流し目で私を見ている。
人の質問には答えもせずに、私を見続けている。
その視線が道明寺の隣に流れ、チラリと視線を短く下に落としたことで、漸く察した。
道明寺が座っているのは二人掛けのソファーだ。当然、私は一人掛けに座っている。
文句が言いたいのは、恐らくそこだ。
道明寺の隣に座らなかったことが、どうやらお気に召さないらしい。
弟だって居るんだから変なこと言わないでよね!と、眉間に皺を寄せ、目に力を込めて無言の念で訴える。
道明寺も不満気な眼差しを寄越しながら、自分の隣を指先でトントンと叩き出して、主張を譲らない。
暫く続いた静かな攻防戦は、段々と私の視線に剣が増すのが分かったのか、先に折れたのは道明寺だった。
横を向き、チッと小さく舌打ちをしたそのタイミングで、いつの間にか部屋に戻って着替えていたのだろうか、コートを引っ掛けた進が口を挟んだ。
「姉ちゃん、俺出掛けてくるから!」
「え? どこ行くの?」
「飲みに誘われててさ。断ってたんだけど、チョッとだけ顔出して来るよ」
「断ってたのに?」
不審に進を見やる。
「んー、まぁ、姉ちゃんが一人寂しく誕生日を迎えるようなら、行くつもりはなかったんだけどね」
え、っと表情が固まる。
「もしかしておまえ、自分の誕生日忘れてたのかよ」
割って入ってきたのは道明寺だ。
今の言い方だと、私の誕生日を道明寺も知っているように聞こえる。
「その顔は図星かよ。ったく! 此処に料理運ばせる手筈になってっから、そろそろ来んだろ。お祝いしようぜ? 弟の分も用意してあるからよ、出掛けんなら帰って来てからでも食えよ」
「え、俺のもですか?」
驚く私の側で、進の顔に無邪気な笑顔が広がる。
「道明寺さん、ありがとうございます! 帰ったら遠慮なく頂きます」
「おぅ、気を付けて行ってこいよ」
「はい! じゃあ、行ってきます。あ……姉ちゃん、誕生日おめでとう!」
「あ、うん。ありがとう」
めでたいと浮かれる歳でもないし、と思うと返すお礼も照れ臭くなる。
私の小さな声に柔らかな笑顔を向けた進は、道明寺にも笑顔のまま会釈して出掛けて行った。
「ねぇ、道明寺?」
さっきの言葉が気になって、道明寺に問い掛ける。
「私の誕生日知ってたの? それで今日ここに?」
「あぁ。好きな女の誕生日くらい把握してるし、一緒に祝いてぇだろ」
「…………」
「んな困った顔すんな」
道明寺はフッと笑うと、身を乗り出して私の腕を掴み引っ張ると、強引に隣へと座らせた。
「俺はおまえが好きだし諦めるつもりも毛頭ねぇ。けどな、俺の想いを受け入れらんねぇからって、おまえがそんな顔すんな」
「…………」
「おまえを直ぐに落とせねぇって覚悟はもう出来てる。俺には、牧野を忘れたっつうペナルティもあるしな」
俯く形になっていた顔をパッと上げで、大きく頭を振った。
「それは不可抗力でしょ。道明寺のせいじゃない」
「でも、牧野を傷付けた。違うか?」
「それは、その……、私もまだ子供だったし……自分勝手だったと思ってる」
だから後悔してる──そう続けたい言葉は呑み込んだ。
「まぁ、長期戦で挑むからよ、気持ちに応えらんねぇにしてもだ。友達っつーんなら、食事くらい付き合え! 何だかんだと理由つけて最近じゃ逃げまくりやがって。俺の楽しみ奪ってんじゃねぇよ」
俺様は、だからこうして戦法を変え、家にまで押しかけて来たのか。
「あんたが人の迷惑省みず、強引な行動に出るからでしょ!」
「おまえを手に入れるためには仕方ねぇ。諦めろ」
「そっちが諦めてよ」
「ひっでぇ女」
言葉とは裏腹に、ニヤリと片側の口角を上げた道明寺は、ランチの時のように私との距離を詰めてきた。
二人がけの小さなソファーだ。詰め寄られれば、直ぐに隙間なくピッタリとくっ付いてしまう。
「ちょっ、離れてってば!」
「ケチケチすんな。変なことはしねぇーよ」
「…………それは知ってるけど」
「ん?」
「道明寺は、私が本気で嫌がることはしない、絶対に。過去の経験から、それは知ってる」
「…………そっか」
「ただね、普通に迷惑だからね? この距離は!」
声を大にして主張したけれど、聞いてるのか聞いていないのか。弛めていた口元を元に戻し、窺う様に黙って見てくる。
「……なに? どうかした?」
「なぁ……昔の俺は、牧野を大切にしてたか?」
何を突然言ってるのだろうと、キョトンとして目をしばたたく。
「俺が記憶してる高校ン時の俺ってのは、怒りとイラつきしかなかったんだよ」
まぁ、確かに、と妙に納得する。
知り合う前は、いつもイライラしてるような鋭い目つきで、絶対に関わりたくないと思っていた存在だ。
いや、知り合ってからもか。
赤札なんて幼稚な遊びに巻き込まれた、最大の被害者だったわけだし。
「女に対しても低俗な生き物だって思ってた。その俺が、おまえをちゃんと大切にしてたかって、優しく出来てたかって。自分じゃ想像つかねぇから余計にな……、自信ねぇ」
最後は尻窄みの声音になった道明寺は、後頭部に手を宛ながら、決まり悪そうに視線を揺らした。
記憶を失くしても尚、過去に遡って気にかけて。そんな人が優しくなかったわけがないじゃない。
ちゃんと伝えたい。
照れなんか取っ払って、一人の男として、どれだけ私を大事に想っていてくれたかを……。

にほんブログ村