Precious Love 4
八年の年月が流れても、世間は何も変わらなかった。
耳を塞ぎたくなるような事件も、芸能人のスキャンダルも、この世の中から消えずに繰り返される、変わらない社会の日常の一コマだとも言えるし、一年前に政権が変わっても、私達の日常の生活に影響はない。
身の回りで変わったことと言えば、二年前に優紀さんが職場結婚したことと、優紀さんの代わりに私が先輩と一緒に暮らすようになったこと。
普通のマンションに住むのにも慣れ、五年前に立ち上げた人材紹介とエステの仕事も順調に軌道に乗せ、また先輩も変わらず独身のまま教師を続けていた。
「先輩、最近お疲れじゃありません? たまにはうちのエステでリフレッシュしたら良いのに」
平日の朝食を一緒に摂りながら、近頃悩んだ様子の先輩に話しかける。
「うーん、そうだね。なんか気分が滅入ってるし、そうしようかなぁ」
「何かあったんですか?」
あったって言うかさ……、そう話し出した先輩は箸を置いた。
「生徒の進学のことでチョッとね」
「先輩のクラスの子ですか?」
「うん。成績が良いから、学校側は少しでもレベルの高い大学へ進学させたがっててさ」
学校側からしてみれば、当然とも言える。
良い大学への進学は、学校側の実績となり宣伝に繋がる。
「本人が進学希望じゃないとか?」
「ううん、本人も進学したい気持ちはあるんだけどね、ご家庭の方が進学させるのには無理があって」
つまりは、進学させるだけの金銭的事情にゆとりがないってことか。
「学校は奨学金でって簡単に言うけど、最近では、奨学金が返せなくなって自己破産するケースも多いんだよね。そう言うのも踏まえると、生徒の後の人生も考えたら、学校の言いなりのままには勧めたくなくてね。お陰で最近じゃ、教頭からの小言三昧だよ」
嘆く先輩だけど、想像がつく。
喩え、毎日のように小言を言われても、大人しく黙っているような人じゃない。
昔、英徳で戦ったように、きっと今も生徒の為に職場で戦い続けているに違いない。
「一番は、その生徒さんの意識の高さ加減によりますね」
「まぁね。兎に角、あたしに出来ることは、教師として集められるだけのマイナス面も含む情報を与えた上で、一緒に必死になって最良の方法を考えることかなぁ。
あ、ヤバイ! もう時間だわ!」
先輩は、冷めたコーヒーをゴクゴク豪快に飲むと、慌てて食器を片付けて、
「今度の休み、エステにお邪魔するかも!」
そう言いながら、朝から騒々しく家を出て行った。
先輩から遅れること二時間。
銀座に構えた事務所に出社するなり、来客が居ると告げられる。
「来客? 来たばかり? アポはなかったわよね?」
スタッフは困惑気味に答えた。
「はい。アポもありませんでしたので、お断りしようかと思ったのですが、花沢さんの紹介らしくて。今、桜子さんの指示を仰ごうと電話するところでした」
「花沢さんの?」
「はい」
花沢さんから何も連絡は入っていない。
一言、何かあっても良いのに……と思ったところで、あの人にそんな細かな作業が出来るはずないと直ぐに打ち消した。
「分かったわ」
スタッフに告げるとバッグを置き、応接室へと向かった。
「お待たせして申し訳ございません。三条桜子です」
60代手前だろうか……。
仕立ての良いスーツに身を包んだ、ダンディーな紳士に名刺を差し出す。
「花沢くんから、貴女なら相応しい人材を知ってるはずだと教えられましてね。優秀な方をご紹介しては頂けませんかな?」
そう言って机の上に滑らせてきた名刺を受け取り目を落とすと、直ぐ様、顔を上げた。
***
「あー、スッキリした! 日頃の疲れが癒されるぅ!」
「折角、私みたいな友人がいるんですから、もっと利用して下さいよ」
「嫌だ。桜子、お金支払わせてくれないだもん。こんなメイクまでしてもらったんじゃ申し訳ないよ」
「だったらエステ代の代わりに、この後、少し私に付き合って頂けません?」
先輩がお休みの日曜日。
先輩を誘い込んでエステを受けてもらい、綺麗にメイクも終わったところだ。
「良いけど、何処に行くの?」
「見て頂きたい場所があるんです。人材紹介の仕事なんですが、どう思うか先輩の意見を聞かせてもらいたくて」
「私の意見なんかで参考になるか分からないけど、それでも良ければ……」
***
車を暫く走らせ、目的地より手前で止める。
「先輩、ここから少し歩いても良いですか?」
「うん、勿論」
車を止めた場所は河の近くで、土手へと二人で上がる。
「この近くに無料塾を開いてる所があるんです。それを先輩に見て頂きたくて」
「無料塾?」
「えぇ、見て下さい」
指し示した先は河の向こう側。
この河川を挟んで世界は変わる。
こちら側と向こう側、河川が境界線にでもなっているかのように、裕福層と貧困層で見た目にも分かりやすく分断されている。
「その無料塾は、当然、こちら側の高層マンションに住む方たちを対象にはしていません。意欲はあるのに塾には通えない、そんな子供達を受け入れています」
「今、貧困対策が叫ばれてるよね。世代を越えた貧困の連鎖がないよう、整備も進められてはいるけど、なかなかね。
…………そう、無料塾か。そう言う塾が増えつつあるって耳にはしていたけど、あたしは見学すらしたことなかった。
貧しい経験もしてるからこそ、もう少し意識を向けるべきなのに……」
河の向こう側を見続け、反省しながら胸を痛めてる先輩を促し歩き出す。
歩きながら、私は一から説明を始めた。
正確に、全てを先輩に……。
「先輩、その無料塾は、小学生から高校生まで教えてるんですって。
スタッフは、大半が大学生のボランティアだそうで、塾を立ち上げた方は勉強はあまり教えないみたいなんですけどね。
中には、勉強に慣れない子達もいるらしく、集中力が途切れがちになると、塾を立ち上げたオーナーが、この河川敷で思い切り遊ばせたりするんですって」
「その方は、本当に子供が好きなんだね」
硬かった表情の先輩がクスリと笑い口許を緩める。
「サッカーや野球に付き合ったり、時には喧嘩の仕方まで教えたり。勉強も出来て進学をしたい強い意欲のある子には、無償で学費も出してあげるつもりだそうです」
「無償で?」
驚くのも無理はない。
無償で学費を出していては、いずれ破綻する可能性もあるし、悪用される心配も生まれる。
だから当然、条件付きだ。
「本当に志が強いガッツのある子だけ限定で、無償のことは公にはしていません。まだ開設してから日も浅いし、知っているのはごく僅かな人達だけです」
「それでも無償なんて誰でも出来ることじゃないよね? 金銭的にもそうだけど、気持ちの上でも簡単なことじゃないと思うの。慈しみに溢れた人なんだろうなぁ」
「まぁ、お金は持ってるでしょうね。先輩、この階段下りますよ?」
階段で土手を下り一般道に出て住宅街に入る。
このまま、目的地へと向かって歩きながら、一気に話を進めた。
「その方は、ずっと死に物狂いで働いていたそうです。働いて働いて……、自分の役目は終わったと仕事を離れて、塾を立ち上げて。
疲弊したんでしょうね。
彼の居た世界は、暗澹たる世界で、彼の担った役目はあまりにも大き過ぎましたから。
さもすれば、国の危機的状況にまでなりかねない窮地があった。その時彼は、危機的状況を回避するために裏で奔走したそうです。救うためならと、愛してもいない人と結婚までして」
隣からの視線には気付かぬふりで、口を挟ませない勢いで喋り通す。
「敵と対峙するには、その結婚が必要だった……。
当然、お互いに愛はありません。あくまで、敵を倒すために手を組んだ同士ってだけです。
結婚をアピールすることで、『こっちも戦う準備は出来たぞ、だからバカな真似はするなよ』って、暗に敵に牽制を掛ける意味合いもあったみたいですね。
愛する人を傍に置いたら、彼女を危険な目に合わせるリスクもありましたし、愛する人を守る為に、友人達も巻き込ませない為に、恋愛結婚だって思わせて距離を置き、平和な世の中を守るため自分だけを危険にさらして……。
悪の塊を解体するには相当な年月が必要だって想像してたでしょうに、それでも挑み続けて。
どこぞの国の映画のヒーローかって思いますよね。
ヒーローなら世間に称賛されるはずが、彼の場合はそれすらない。
世間に知られてはいけないことでしたから。
彼に何があったのか、何を知ったのかは分かりませんし、これから先も分からないと思います。
ただ、一年前に政権が変わったとこに、何らかの繋がりがあるのかもしれませんけど、触れたら危ないものですし、知る必要はありません。尤も、もう誰も探れないよう奥深くに、そんな危険な闇は彼が隠したでしょうけどね。
彼を信じる友人達も、彼に何かあったに違いない、それも危険な何かが、って仮説を立てて、彼の周辺を探るのを止めず何年も諦めずに来ました。
そして、やっと彼の父親と会うことが出来て、自分達の親友を返してくれと訴えたそうです。
今の彼の状況を知り、無料塾を開いてると聞いた友人達は、自分達も力になりたいと基金を設立しようって盛り上がってるんですよ。特に、過去に彼を殴ってしまった友人が率先してね。
でね、笑っちゃうんですよ。その友人、彼には何も知らせずに基金名まで勝手に決めちゃって、それがスター基金って言うんです。
S、T、A、RでSTAR基金。
友人達の名前の頭文字を取って、誕生日順に並べたらスターになったって大騒ぎで。どんだけ大物なんですかって話ですよね」
「…………待って、桜子」
誰の話をしてるのか確信を得ただろう先輩が声を上げる。
隣に並ぶ先輩を見れば、幾筋もの涙が頬を伝っていて、折角施したメイクはぐちゃぐちゃだ。
そんな涙を見ても、幾ら待てと頼まれても、待てるはずがなかった。
「今度、塾を開いてから初めての学費提供者が出たんです。
私、その子に先日会って話を訊いてきたんですよ。
高校三年生の男の子で、オーナーの彼から、そこまで志が高いならとことんやれと突然言われたらしくって。
それにね、俺の愛する女は貧乏だったけど心は貧しくなかったって。誰よりも優しく心豊かで真っ直ぐな女だって。そんな人間になれって真顔で言われたそうです。
18歳の男の子ですよ? 恥ずかし気もなく言われた高校男子の方が赤面ものですよね。
でも、塾に通う子達からは慕われてるそうですよ。
小学生の子達なんかは、彼を王様先生って呼んでるんですって! 子供の洞察力も侮れませんよね。
そんな彼をどう思われますか?
そう訊いて欲しいと、友人に紹介された彼の父親が私の事務所に訪ねて来られました。
私が今話した全てを教えてくれたのもその方で、結婚しても夫婦関係は勿論なかったそうですし、女遊びも一切しない堅物だって。事情があったとは言え、愛する人を傷付けるしかなかった自分を、今も戒め生きていると言っていました。
ああ、そうだ。もう一つ!
塾の運営や無償の学費なんですけどね、愛する女性から返された通帳を運用してるそうです。
誰を想い、何を思って彼はここを作ったんでしょうね。
…………さぁ、先輩、着きましたよ?」
彼のイメージにはそぐわない、こじんまりとした平屋の民家の前。
「先輩は、彼をどう思いますか?」
門の並びには小さな銘板があって、手を伸ばしなぞった先輩は
「辛かったでしょ……苦しかったよね」
彼を想い声を上げて泣く。
涙で滲んで映るだろうそこには、若草色のプレートに【すぎなハウス】と刻まれていた。
─◆エピローグ◆─
春の心地好いそよ風が掠める中。
河川敷では、すぎなハウスの子供達の声が明るく響く。
「あったー! あったよー! つくし先生、早く来てーっ!」
引率の女性スタッフは、小学生の低学年と見られる男の子の声に促され、ゆっくりと歩みを進め近付いて行く。
「先生、これだよね? これが本物のつくしでしょう?」
お腹に手を宛ながらしゃがんだ女性は、
「そうそう、これがつくしよ! わぁー、あたしも久々に見たわ」
スギナの新芽の傍に生えた土筆(つくし)。それを囲む様に座る子供達は、一層声を弾ませた。
「つくし先生、知ってる? つくしとスギナは、地下で繋がってて、同じ一つの植物なんだよ!」
「祐二くん、良く知ってるね!凄い凄い!」
祐二と呼ばれた男の子は、誉められて表情は得意気だ。
「王様先生が教えてくれたんだ。つくしが、ホウシ? って言うのを出して、スギナが増えるんだって。つくしのお陰で、スギナは沢山増えて、強く逞しく生きられるんだよ!」
強く逞しくは間違いない。
スギナは駆除するのが厄介だと言われてるほどだ。
「だから王様先生は、つくしと一つに繋がってるスギナになりたいんだって。つくしと一緒なら強く生きられるからだって。王様先生は、つくしが大好きなんだもんね」
祐二の後に続き話を添えた女の子も、どうやら同じ人物に教えられたらしい。
他の子供達も「うんうん」と頷いている様子から、すぎなハウスの子供達には定番の話のようだ。
「へ、へぇ。そ、そうなんだ」
女性だけが知らなかった様子で、目を丸くし声は上擦っている。
「王様先生に見せてあげたいなぁ。王様先生は、いつ帰ってくるの?」
また別の女の子が首を傾け訊ねる。
「今日、出張から戻るから来るはずだよ。多分、そろそろだと思うんだけどね」
「王様先生、前みたいに仕事しなきゃ良いのに」
「前はね、お休みしていただけなの。ずっと一人で走り続けて来たから、心にお休みが必要だったのね。大人でも一人だと寂しくて、心が疲れちゃうことがあるのよ」
「ふーん。もう王様先生は寂しくないの?」
「うん、もう大丈夫! みんなも居るし、あたしが一人になんてさせない、絶対に!……って噂をすれば……」
よいしょ、と声で弾みをつけて立ち上がった女性の視線の先。子供達のキラキラした目が追うように続けば、それは一斉に上がった。
「「「王様先生!」」」
幾つもの高い声が重なる。
「王様先生の大好きなつくし見つけたよーっ!」
子供達の声に、土手に立つ王様先生と呼ばれる彼が手を上げ、長い足が歩みを見せる。
階段を下りて、河川敷に広がる植物に注意しながら歩を刻んで行く。
近付くほどに笑み崩れて、目尻は下がり口角が上がった男の表情は、無邪気な子供達に負けず劣らずで、ただ一点にだけ慈愛の眼差しを向けた。
彼に言わせれば、こっちが本物だと言い張るに違いない、彼がこの世で見つけた、たった一つの守りたい宝物。
─────張り出したお腹を大切そうに撫でる『大好きなつくし』へと一途に向かって。
【Precious Love】 fin.

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苦しい展開の中、最後までお付き合い下さりまして、ありがとうございました!
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