Precious Love 3
『桜子か?』
「美作さん、おはようございます」
先輩の家に泊まり、帰った翌日。
帰宅して直ぐに、先輩を心配する美作さんからの電話が入る。
昨夜の先輩の状況と、怪我をして病院に連れていったことを告げると、美作さんは『堪んねぇな』と重く沈んだ声を漏らした。
「今朝は、少しでも腫れた目を隠そうと私がメイクをしたんですけど、完全には隠しきれなくて……」
『そうか……。司も今頃、顔が腫れ上がってんだろうけどな』
「道明寺さんも?」
『あぁ。総二郎が、な…………』
どうやら、花沢さんからは訊いてなかった一悶着があったようで、あの後、道明寺さんは、先輩を切り捨てるようなセリフを吐いたらしい。
気持ちが変わるのなんて別に珍しいものでもなければ、事実、心変わりしたんだから、いつまでも幻想を抱くな、と言い放ち……。
極めつけは、他の女が良くなったから先輩が面倒になった、って言い出したところで、遂に西門さんが殴りかかったと言うことだった。
『司は無抵抗だった。でも、牧野のことは、もう興味はねぇって、ハッキリ言い切ってよ……』
先輩の気持ちを打ちのめすような気遣いのない言葉に、西門さんが怒るのも無理はない。
────但し、それが真実であれば、だ。
「花沢さんは、何かあるって言ってました。こういう状況にならざるを得ない、緊急事態が起きたんじゃないかって」
『類が?』
「えぇ」
昨日、花沢さんが立てた仮説を順に追って説明していく。
『うーん、確かに……類がなんも言わねぇのは気にはなってたんだよ。牧野が絡んでんのに、司を責めもしなかったしな。まぁ、総二郎が司を殴っても、止めることもしなかったけどよ。でも司は……』
昨夜の道明寺さんの様子と、花沢さんの仮説を照らし合わせてでもいるのだろうか。「んー」と唸りながら慎重に思案してるようだった。
待つべく会話は止まり、その時、明らかに私とは違う相手に対して『電話中だ、後にしてくれ』と、小声であしらった美作さんの声が、次の瞬間慌てたものへと変わった。
『なに……? 桜子、ちょっと待ってろ』
相手は秘書だろうか。
何か報告を受けてるようだった。
言われるがままに待てば、上擦る声でそれは齎された。
『司がマスコミに結婚するって発表した!』
先輩と道明寺さんが別れて、まだ一夜が明けたばかりだというのに……。
花沢さんの仮説による "思っている以上の早さ" は、的中する形となった。
***
「あきら、それから大河原も。司を含む道明寺財閥の背後関係を調べてみて。俺も調べてるけど、まだ何も掴めてない」
美作さんとの電話から一週間。
丁度、先輩の抜糸が済んだ頃だ。それぞれの手元には、道明寺さんの披露宴の招待状が届き、先輩と優紀さんを除く私達は、美作邸に集まっていた。
想像以上のスピードで事が進んで行く。
花沢さんの仮説通りに。
流石に美作さんも仮説を無視は出来ないと思ったのか、改めて花沢さんから消去法を訊き、調べるよう指示されても異論はなさそうだった。
滋さんも了承はしたものの、その胸中の複雑さを隠せないでいる。
今でも道明寺さんを想っているからこそに余計だ。
相手が先輩だから自分の気持ちに蓋をして応援もしてきただろうけれど、何か理由があるにせよ、他の女性との結婚となると、複雑に感情が絡むのは無理もない。
いつになく言葉数が少なく、滋さんは堪えるように唇を噛み締めていた。
そんな時だった。
「司の気持ちは変わってないでしょ。今も変わらず牧野を大切に思ってんじゃない?」
唐突に花沢さんが重い空気を翻した。
一斉に皆の視線が集まる。
「だって司、牧野が投げつけたネックレス、土星の形したヘッド部分だけ、こっそり持って帰ったよ」
「はぁ?」
信じられないと言わんばかりに西門さんが声を上げる。
「総二郎に殴られてさ、倒れた時。可笑しいと思ったんだよね。あんな一発目で、いきなり司が倒れるはずないじゃない」
「……あんな言うな」
別なところに微妙な引っ掛かりを見せたらしい西門さんに構わず、
「どういうことだ?」
美作さんが先を急かす。
「三条が司を問い詰めた時、目線を合わせなかったのは、合わせづらいってのもあったんだろうけど、明らかに途中からは違ってたしね。
チェーンから外れた土星が転がってんの見つけて、そこだけに視線置いてた。
総二郎に殴られて、土星に手を伸ばせるところにわざと倒れてさ。二発目を喰らう前に、気付かれないよう即ポケットにしまう早業。興味のない女なら、司はそんなことしないでしょ」
そこまで細かく見てたのか、と、全員が目を丸くする。
もしかして、病院で続きを聞くことの出来なかった話はこれか、と見つめた先の花沢さんは、やはりどこまでも表情に感情を滲ませていない。
「あの二人は、そう簡単に気持ちが離れたりなんかしないよ」
そう言った花沢さんは、
「そんな二人を見守ることが、俺の役割だと思ってるからさ」
遠くに視線を置き話を結ぶ。
そんな役割を引き受けようと思うまで、どれ程の葛藤があったのだろうか。
それ以上、誰も口を開くことはなかった。いや、開けなかった。
その日以来、花沢さんや美作さん、滋さんは勿論のこと、西門さんや私も人脈を使って、情報集めに奔走した。
その間、二日に一遍は先輩の様子を見に行き、落ち着いて見える────正しくは、その様に振る舞ってるだろう先輩には気付かれないように駆けずり回った。
なのに、相手の女性の素性以外は、何一つとして情報が掴めない。
仮説を裏付けるものが、ただの一つとさえも……。
そして、何も得られぬまま二ヶ月が過ぎ、道明寺さんの結婚式当日──。
「先輩、優紀さん? 明日はお休みですし、お食事にでも行きません?」
夕方の五時を回り、私は先輩達の住むマンションへと来ていた。
道明寺さんから披露宴の招待状は届いていたけれど、最初から出るつもりはなく欠席で返している。
どうしても先輩の傍にいたかった。
他の皆も先輩を気には掛けていたけれど、友人として、また仕事の関係を鑑みれば、欠席と言うわけにはいかない。
美作さんに御祝儀を預け、今日まで道明寺さんと連絡も取れなかった為に、先輩から頼まれていたものも託した。
それは、道明寺さんから持たされていても下ろしたことのなかった通帳と、大学時代に渡された婚約指輪だった。
「賛成! 久々に美味しいものでも食べに行こうよ」
優紀さんが察して話に合わせてくれる。
今日は土曜日で明日も休みだ。何とかこの部屋から連れ出したい。
道明寺さんの披露宴は六時から始まる。始まれば、恐らく、ニュースなどでその模様が報じられてしまう。
わざわざそんなものを先輩の目に入れたくなんかない。
「うーん、そうだね。でも、もう少ししたらでも良い? ちゃんと見ておきたいんだ」
大丈夫だから、とでも言うように、穏やかな笑みで先輩に言われてしまえば、
「…………分かりました」
そう言う以外になかった。
現実を直視することで、恋の埋葬をするつもりなのかもしれない。
自分の気持ちを整理する為に……。
でもそれは、テレビに映る道明寺さんを見て、直ぐに後悔へと変わる。無理にでも連れ出しておくべきだったと……。
「そろそろ行かない?」
テレビを遮るように、優紀さんが言うのも当然だった。
優紀さんも、これ以上、道明寺さんのこんな姿を見せるのは堪らなかったに違いない。
…………仮説は? 何かあるんじゃなかったの?
そう信じたい気持ちにヒビが入りそうになる。もしかして道明寺さんは、ただ単に他の人を好きになっただけかもしれないって考えが脳裏を掠めていく。
それほどまでに、テレビの中の道明寺さんは穏やかな笑みを浮かべて、私達の知らない女性を見ていた。
先輩以外の誰かにこんな顔を向ける道明寺さんを受け入れたくなくて、目を覆ってしまいそうになる。
「そうですよ先輩。私、もうお腹空いちゃいましたよ! 早く行きましょ?」
二人がかりで先輩の意識をテレビから切り離そうと躍起になっても、まるで先輩は耳に入ってないかのように、ただ一筋に視線は道明寺さんに向けられたままで……、
「違う…………道明寺……無理してる」
突然、ポツリ呟く声が漏れ出た。
「先輩……? 無理してるって、何? ねぇ、先輩?」
食い付くように声に力を持たせ身を乗り出せば、我に返った様に驚いている。
「え、あ……な、何? そ、そうか食事よね、食事! うん、よし行こう!」
無意識に言葉を漏らしてしまったのか、それに気付いて慌てて誤魔化した先輩は、もうその事には触れてはくれなかった。
私達も触れることは出来なかった。
それだけじゃない。この日以来。先輩の口から道明寺さんの名前が語られることはなかった。
***
「…………これ以上、調べても意味あるか?」
先輩と道明寺さんが別れて半年。
相変わらず、有力な情報は掴めないままで、美作さんの声も硬い。
久々にF3と滋さんと集合してみても、どこか皆、諦めにも似た表情をしていた。
「類だって見たろ。あの披露宴での司の顔。ありゃ、もしかすっと本気かもしんねぇぞ?」
西門さんの言う通り、披露宴での道明寺さんの態度は、私達の気持ちを揺さぶるのには充分で、確証のない仮説は、どうしたって霞んでしまう。
「外務省出でのキャリアウーマン、父親も官僚で、母方の祖父は政界のドンだ。今は表舞台に出ちゃいないが、未だにその力は絶大と言われてる…………と、なるとだ。
司がその女に惚れたとしたらめっけもん。結婚相手としちゃ牧野より良いだろうって、司の母ちゃんの計算が働いたとしても不思議じゃない。司の気持ちが変わらない内に結婚まで一気に……って考えることも出来るよな?」
美作さんをフォローするように、西門さんも花沢さんの顔を窺いながら後に続く。
「道明寺が経営で難儀してるって話もねぇんだろ? トラブった話も出てこねぇ。結婚を機に司が日本支社副社長就任したのも、急っちゃ急だけどよ、祝い事に便乗した今のタイミングが、話題もかっ浚えるしってとこじゃねぇの?」
「何にも出てこないんだよね。司が危機に迫られてたような事態がさ。探って探ってやっと出てくるのは、出会った瞬間に運命を感じたって言う、陳腐なお互いの感想だけなんだもん。正直、なんか白けちゃったよ」
棘を含ませた滋さんの心情も分かるのだろう。それを、嗜めるように美作さんが繋いだ。
「でもな、もし司が本気なら、ダチとしちゃ喜んでやらないといけないだろうな。ここまで何も出てこないんだ。これが真実で現実だと受け止めるしかない」
皆を纏める役の多い美作さんらしい発言だった。
『喜んでやろう』と、皆を誘い込むように言い切らなかったのは、先輩も大切な仲間だからだ。
先輩を思えば、一様に皆の気持ちは複雑なものが混じる。
現実を受け止めなければならない。そう理解はしても葛藤するように誰もが沈黙した中。
足を投げ出し、ソファーの膝掛けに頬杖をついて黙って訊いていた花沢さんが「あのさ」と、斬り込んだ。
「逆でしょ。不気味なほど何も出てこない方が不自然、って考えるのが妥当なんじゃない?」
虚を衝かれたように全員が花沢さんを見る。
「つついてみても何も出てこないし、他の角度でアタックしてみたら、行き止まったりしなかった?」
思い当たる節があるのか、美作さんと滋さんの眼差しが揺れる。
「かと思えば突然先が開けて……。で、出て来るのは、道明寺の良好な業績と、大河原が言った陳腐な話だけ。出てくる情報が綺麗すぎる。まるで判を押したようだよね」
「……じゃあ、何か? 誰かが妨害してるとでも言いたいのか?」
美作さんの問いに花沢さんが頷く。
「花沢、美作、大河原が組んで、この程度の情報しか拾えないって可笑しいでしょ」
皆が押し黙る。
きっと考えてることは同じ。
…………だとしたら、一体誰が?、と。
「道明寺サイドもブロックしてるだろうけど、俺達が総がかりで挑んでるなら、崩せる部分もあるはず。なのに、そうはならないってことは、もっと大きな力が働いて助けてるのかも」
「もっと大きな力って、見当はついてるのか?」
道明寺家より強大な力。
花沢さんは、いつも通りに事も無げに言ったけど、緊張が走る内容だ。
問い質す美作さんの口調も、さっきより早い。
対して花沢さんはのんびりと答えた。
「例えば…………国家ぐるみ、とか」
例え話にしては壮大過ぎて、でももしもこれが本当だとしたら愕然とする。
「司の結婚相手の祖父は政界のドンだしね。財界と政界は切っても切り離せないし、もしかすると、その仮定で表に出しちゃならない、この国の闇を知ったのか近付き過ぎたのか……所謂、パンドラの箱があったのかも」
「おいおいおいおい、待て待て待て!」
スケールの大きさに美作さんが慌てふためいても、花沢さんは気にも留めなかった。
「パンドラの箱を開けさせない為に、国内外にパイプを持つ道明寺財閥と、政界を牛耳るドンが手を組んだとしたら、この結婚も辻褄があう。敵へのアピールになるし」
「それって…………」
滋さんは、それ以上の言葉を持たず、西門さんが後を引き取った。
「かなりヤバイってことか?」
「だろうね。ここまで強固なブロックに合うのは、絶対に知られちゃならないものがあるからでしょ」
「そのパンドラの箱を開いてしまったら?」
恐る恐るの態で訪ねれば、
「永田町が吹っ飛ぶかも」
皆が驚愕で言葉をなくす中、だからか、と合致した。
「だから道明寺さんは、私達の前で幻滅させるような振る舞いを必要としたんですね。道明寺さんの背後関係を調べて、皆が危険なものに近付かないように、自分を見放すようわざと仕向けて」
「多分ね」
「…………マジかよ」
一言漏らして両手で顔を覆った西門さんは、道明寺さんを殴っただけに、遣りきれない思いなんだろう。
「いやでもまさか…………あくまでこれも仮説──」
「でも先輩は……、」
美作さんの話を割って、強引に自分の言葉を差し込む。
「道明寺さんの披露宴をテレビで観て言ってました。道明寺さん無理してるって」
「愛された牧野だから分かる司の顔があるんじゃない? そして、あの披露宴での司は、愛する者を見る目じゃなかったって牧野には分かった」
今なら、花沢さんの言う通りだと思える。
私達にはそうは映らなかったけど、恋人同士の間でしか存在しない表情があるはず。
誰よりも深い愛情を受けていた先輩だからこそ、披露宴での道明寺さんの振る舞いは、無理をしていると感じたのかもしれない。
「だとして、どうして司が……」
弱々しい声だった。犠牲になったのかもしれない道明寺さんを思えば、滋さんだけじゃなく、ここに居る全員が無力の前に力を失くす。
「当然でしょ。司には守りたい人がいるんだから」
それが誰なのかなんて、野暮なことを言う者はいなかった。
「この国のことだけの話なのか、どこかの国に狙われてるのかは分からないけど、本来、司は破滅型の人間。守りたいものがなきゃ、いっそ清々しいくらいに、自分も含めて全部ぶち壊してもおかしくないのに、そうさせない為にきっと頑張ってる。恐らく、司だけじゃなく、道明寺家が必死になって食い止めようとしてるはず」
滋さんの嗚咽が漏れる。
どこの国にも、表には出せない暗部がある。
綺麗事だけでは済まされず、意図的かどうか理由は分からずとも、成り立つ過程に生じる闇は確かに存在したりするのだ。
もしも悪意ある敵が、そのパンドラの箱を開けてしまえば、怪我だけでは済まされない。
永田町が吹っ飛ぶと言うのなら、経済界にも被害は及ぶ。道明寺財閥だって倒れる可能性もある。
私達の生活も当然脅かされ……、いや違う。それ以前に国家として成り立つのか、危機的状況に陥りかねない。
「まぁ、あくまで仮説だけどね。仮説を裏付けるものもないしさ、寧ろこの仮説は、裏付けが取れた時が危ない。これから先は、危険だと感じたら深追いして調べないようにして。司の足を引っ張り兼ねない」
全員が今度こそ本気で言葉を失い「何も情報が掴めない限りは有利に働いてるって考えていい」と、花沢さんは更に続けた。
「司が負けずに戦ってる証拠だから」
それから無情にも時は流れた。
一年、二年と過ぎ、道明寺さんとは連絡すら付かず、まるで仮説の裏付けのように、有力な情報は何もないままで…………。
気付けば八年が経った。
そして、半年前。
────道明寺さんは一年前に離婚していたことを発表し、表舞台から忽然と姿を消した。

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