その先へ 34
車が静かに流れる中、私は目を閉じたままでいた。
長く真っ直ぐ続く道。
車窓を見なくても、ここが道明寺邸の正門へと繋がる道だと分かる。
色んな思いが胸を掠め、そして一つの記憶に固定する。
瞼の裏に映るのは、遠い昔の止まない雨だ。
呑み込まれそうな真っ暗な夜に、二人を遮断するかの如く叩きつける雨。
その雨音に本音を隠して私が投げつけた言葉は、道明寺の胸を抉り、表情から色を奪った。
あの日の道明寺の顔を、今でもはっきりと覚えている。
今も、あんな顔をしているのだろうか……。
浮かんだ疑問は、胸の奥を針で刺すように痛みを疼かせる。
また傷付けてしまった。
道明寺の気持ちが変化するなんて想像もしていなくて、望むべきではない方向へと動き出す現実に、内心、相当な動揺を感じていた。
あの日。
まさか、そんな、でももし……と、心の中は混乱で渦巻きながら、時間を稼いで導き出したのは、流されては駄目だという自戒の念で、努めて気持ちを着地させた。
本当なら誤魔化し、その場を取り繕いたかった。
だけど、それは許されない、と断念して告げた想いに嘘はない。
私にとって道明寺は大切な人。だからこそだ。
掛け替えのない人だからこそ、想いには応えられずきっちり線引きしたけれど、せめて、関係は違(たが)えど、大切な人だという本音だけは隠さず伝えようと思った。友人と言う名を借りてでも……。
それが私に赦されたギリギリのライン。
速度を落とした車が曲がり、門を潜り抜けた所で目を開けた。
この邸に来るのはあの日以来12年振りだ。
辺りを見渡せば、そこは私の記憶にある風景と何一つとして変わってはいなかった。
手入れが行き届いているせいか、まるでこの場所だけが時を忘れたかのように、12年前と同じ佇まいを見せている。
タイムスリップしたのかと錯覚してしまうほどに。
でもやはり錯覚は錯覚でしかなかった。
願望が見せる錯覚だったのかもしれない。
車が止まり、竦みそうになる足を中に踏み入れた時。確実に12年もの歳月が流れているのだと思い知る。
「牧野さん、わざわざすみません」
「いえいえ、大丈夫です」
出迎えてくれた西田さんに、私のせいですみません、と付け足すのは、あまりにも自意識過剰過ぎて、言葉を濁し頭を下げるに留める。
私の左右には、快く迎え入れてくれた使用人の方達が並び、そこには誰一人として知る顔がなかった。
恩義があり拠り所でもあった、あの人の顔も見当たらない。
「あの……西田さん? タマ先輩は……今、どうされているんですか?」
姿がないことが胸に不安を落とし、恐る恐るの声で訊ねてみる。
「……タマさんは、二年前に」
結末を呑み込んだ短い言葉で悟る。
もしこの場に居れば90歳を越していたはずだ。
当たって欲しくなかった不安の行き先は、受け入れ難い哀しみだった。
「そうでしたか……」
確実に時は流れていた。
かつて重なりのあった縁は、逆らえない時間の流れに奪われ哀しみを色濃くする。
「参りましょうか」
「はい」
道明寺が居る部屋へと案内を買って出た西田さんの背後に続きながら、肥大した哀しみを、また一つ胸にしまい長い廊下を歩いた。
「こちらです」
長い廊下を渡りきった一番奥。
そこは案内されるまでもなく、良く知った東の角部屋だった。
部屋の前には、一人のメイドさんがおろおろと困った様子で立ち尽くしている。
見るとワゴンに載せた夕食が用意されていて、聞けば今夜だけでも何度目かの挑戦で食事を運んで来たものの、激しい拒否にあったと言う。
「これは私が……」
困ったメイドさんに言い寄れば、彼女は西田さんの頷きを受け取り、「すみません」と一言置いて、ホッとしたようにこの場を立ち去って行った。
「では、牧野さん。宜しくお願い致します。それと帰りも車で送るよう手配してありますので、遠慮なくお使いになって下さい」
「いえ、帰りはタクシーを───」
時間を考慮すれば、これ以上、運転手さんを拘束するのは申し訳ない。
しかし、断ろうと続けるより先に、西田さんか言葉を被せる。
「それはダメです。頼んだ手前、無事に送り届けないことには私も落ち着きませんし、タクシーで帰したと副社長に知られたら、後の者達がどうなるか。何しろ……」
溜めを作った西田さんが続ける。
「ワガママ坊っちゃん発動中ですから」
30男の、しかも上司に対しての余りの言い様に思わず吹き出してしまう。
口元を右手で押さえながら西田さんを見れば、ほんの僅かながら口角が上がっていて、あぁ、そうか、と思い当たった。
此処に来てからの自分は、表情が硬かったかもしれないと。
西田さんのことだ。目敏くそれに気付いて、敢えてくだけた表現をしたに違いない。
タマさんのことを始めとするこの場所は、余りにも思い出が多すぎると、私の心情を慮って。
「では、帰りもまた甘えさせて頂きますね」
私は、此処に来て初めて口元を緩ませた。
「何か問題があれば直ぐに連絡を」そう言い添えて西田さんも帰って行った。
誰も居なくなり、ドアを三回ノックする。
予想通り返答はなく、ワゴンを押しながら部屋へと入った。
薄暗い中を奥へと進んでベッドサイドで立ち止まれば、左腕には点滴が繋がれ、目元を右腕で覆い隠した道明寺が横たわっていた。
これでは起きてるのかどうかも分からず、声を掛けるのに躊躇していると、
「勝手に入ってくんじゃねぇ! 出てけ!」
低い怒声で威嚇して、起きていると自ら証明した道明寺に苦く笑う。
ワガママ坊っちゃん発動中は、どうやら本当みたいだ。

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