その先へ 2
──── 一体、何が起きているというのか。
私は今、先週、会ったばかりの老婦──神島(かみじま)サチさんと、その夫である神島誉(ほまれ)さんに、半ば強引に誘われ、休日の昼、待ち合わせ場所に指定された銀座の寿司屋の前に来ていた。
自らの意思では来ることもないだろう高級店に足を踏み入れ、個室のドアが店員によって開かれた、その刹那。
ドクンと鼓動した胸は痛みを伴い、一瞬、息をするのも忘れた。
そのお陰で、衝撃の声は漏らさずには済んだが、思いもよらぬ光景を前に、金縛りにでもあったかのように体が動かない。
見開いた目を動かし、視線を外すのがやっとだった。
サチさんのお願いとはいえ、安易に聞き入れてしまったことを早くも後悔する。
──いつか孫と一緒に出掛けて食事をして、そんな夢があったの。
──叶わぬ夢だと思ってたけど、本当の孫のように思ってるつくしちゃんとお出掛け出来たら、こんな嬉しいことはないわ。
──年寄りの我が儘だと思って、私達の願いを叶えてはもらえないかしら。
「つくしちゃん、急にごめんなさいね。驚かしてしまったわね。さぁさ、こちらにいらして」
先に店に着いていたサチさんが、座っていた椅子から立ち上がる。
あまりにも動かない私の隣までやって来ると、小さな手のひらで背中を押し、腕をも掴んだ。
程よい空間であるはずなのに窮屈にしか感じられない私は、視線の矛先を、ただひたすらに神島夫妻だけに向けた。
「え、えっと……す、すみません。これは一体どういうことでしょうか?」
動揺しながらも何とか問いただしてはみたものの、次の瞬間、誉さんの答えに絶句することとなる。
「驚かせてしまったね、つくしちゃん。まぁ、お見合いって言っても、そう固く考えずに、まずは気楽に食事を楽しもうじゃないか」
「……ッ!」
「あなた、つくしちゃんにはまだお見合いって話してないのよ? いきなり言ったら、余計びっくりさせちゃうじゃないの」
……お見合い
そう言葉にするのも難しく、こんな降って湧いたような話を、理解したくないと頭が拒絶する。
どんな策略が隠れてるのかも分からない。易々と中に入るわけにはいかない。
バクバクと騒ぐ胸を押さえながら踏ん張るも、半歩、また半歩と促され、意思とは反対に中へと進んで行く。
適当に言い訳つけて、とにもかくにもこの場から退散しよう。そう思ってたのに……。
「先ずは、お座りになって。……牧野さん」
私の思考を遮ったのは、12年ぶりに聞く魔女の声だった。
これが正真正銘のお見合いだとするならば、当然その相手となりうる人物がいるわけで……。
視界に収めないよう頑なに動きを止めていた視線を、ゆっくりとさ迷わせれば、惹き付けられるように一人にと止まる。
魔女と、昔会ったことのある秘書。その間に挟まれ座っているその人こそが、お見合いの相手であり────嘗ての私の恋人だった。
彼が真っ直ぐに私を見る。
何の感情も読み取れない、無の表情のままで。
「初めまして、道明寺司です。今日はご無理を言って申し訳ない」
低いのに響きの良い声も、遠くからでも分かるだろう髪質も、昔と然程変わってはいない。
そして、疑う余地もない彼の言葉に思い知る。
何も思い出してはいないんだと。
あれからずっと、私を忘れたままなんだと。
彼に続いて、道明寺の第一秘書を務めているらしい西田さんの挨拶は、音として通り過ぎてくだけで、12年前と何も変わってはいないという現実に、無意識に息が零れ出た。
吐き出されたそれに乗せたのは、淋しさでもあり、悲しみでもあり────何より安堵でもあった。

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