その先へ 25
何が慰謝料だ。
あの女に損させるようなことはしてないはずだ。
寧ろ、見たくもないもん見せられ、裸で迫られた俺の方が請求しても良いくらいじゃねぇか。
「払う義理も義務もねぇだろ」
「えぇ。ですが、これだけに限らず、警戒まではせずとも、一応は気に掛けられてた方が宜しいかと」
「裸で迫られた俺の方が被害者だけどな」
「ですが、密室ですし、証言者も居りません。それすら、あのお方なら何を言い出すか、私も予測不能です」
どこまでバカ女なのかと呆れてると、ふと思い出す。
「証言者ならいるぜ?」
「どなたですか?」
「牧野だ」
鉄仮面の眉がピクッと反応した。
「牧野さん、あの時いらしたんですか?」
「あぁ。あの夜、とっくに帰ったと思ってたら、コーヒー持ってこの部屋に来た。あの女の裸見て驚いたのか、迷惑してる俺を放置して逃げやがったけどな」
「副社長!」
な、なんだよ。急にデカイ声出して。
かと思えば、
「だから……牧……さん……機嫌…悪く……」
今度は小さな声でぶつぶつ言いながら、大袈裟な溜め息まで吐いている。
「何だよ西田。言いたいことあんならハッキリ言え」
「言わせて頂きます。流石の私も、副社長の鈍さに嘆きたくなったんです!」
「は? 意味分かんねぇんだけど。鈍い?」
「結構です」
西田は眼鏡のフレームを人差し指でクイっと押し上げると言い切った。
「この件は、牧野さんにお任せしましょう。企業法務が専門とは言え、牧野さんは弁護士です。中島さんに不審な動きが見受けられた時は、牧野さんの判断で対処して頂きましょう」
「牧野に?」
「はい。その方が何かと良い気がします。宜しいですね?」
宜しいも何も、「牧野さんを呼んで参ります」と、さっさと有無も言わせず出て行きやがって。
全く意味が分かんねぇんだけど。
牧野に頼るほど厄介な話でもねぇだろ。
放置しときゃ良いんだよ。
西田は深く考えすぎだ。
数分もしないうちに牧野を引き連れ戻って来た西田は、デスクの前に二人並んで立つと、俺にお構いなしに、早速、牧野に話を切り出した。
「牧野さん。実は副社長は、先日パートナーの解消を申し入れまして、お相手の中島海さんから慰謝料を請求されております」
「っ!」
牧野が目を見張る。
「払う必要なんてねぇよ。だろ?」
「えっ……だろうと言われても」
何故か驚いた様子の落ち着かない牧野は、フッと一呼吸置くと、普通を取り戻し真面目な口調で話し出した。
「慰謝料請求は、婚姻関係にあるか、又は婚姻の約束をされているか、或いは内縁関係であった場合に請求される可能性があります。副社長は中島さんと結婚のお約束を?」
「真顔で聞くな。するわけねぇーだろ」
「でしたら、内縁関係と言うことですね?」
「なんでそうなんだよっ!」
頭痛ぇ。
大した話でもないのに、何で厄介な方向に話が進む?
「では、ごく普通の恋人関係、と言うことで宜しいですか?」
「宜しかねぇよ! 恋人でもねぇ!」
「…………つまり、割りきった男女の関係、って訳ですか」
「ちげっ、睨むなっ! 西田! てめぇっ、説明しろっ!」
声を張って否定しても、ことごとく面倒な方向へと話が流れてってんじゃねぇか。
何だよ、この不穏な空気は。
見てみろよ、牧野の軽蔑の目を。
何で俺が嫌な汗かかなきゃなんねぇんだよ。
西田のせいだ。責任持っておまえが話せ、牧野の誤解を早く解け、と顎をしゃくる。
「副社長と中島さんは、パートナーとしての契約を交わしておりました。パーティーや、その他必要とあらばパートナーとしてと振る舞うという契約です。但し、あくまで周りの目を欺く為だけのパートナーであり、1時間以上は一緒にいない。必要以上に話しかけない。このことを誰にも漏らさない。間違っても付き合ってる等と吹聴しない。どちらかの申し出があれば、速やかにこれらを解消する。反すれば違約金も。と、まぁ、大体がこのような契約内容です。書面もあります」
「……それじゃあ、道明寺。あんた、海ちゃんとホントに付き合ってないの?」
会社なのに役職呼びを忘れるくらい、目見開いて驚くことか? 俺は呼び捨ての方が良いけどよ。
それより俺は、あんな女と付き合うような男にみられてたのか……。
「だから、付き合ってねぇって」
弱々しく答えて、あまりの脱力に項垂れた。
「牧野さん、この契約を結んだのは8年前からです。8年と申しましても、パートナー同伴のパーティーはなるべく避けられるものは避けましたし、先程もお話しました通り、1時間以上は副社長が耐えられませんでしたので、中島さんと一緒に過ごされました時間は、トータルで72時間にも満たないくらいだと思われます。お互い納得の上での契約でしたが、しかし、今回こんな形となり、慰謝料請求をされてこられました。これに限らず、今後も何かと騒がれる恐れもなくはないと思い、牧野さんに力を貸して頂き、対処して貰えればと思っております」
「12年前からじゃなく?」
「どっから出てきたんだよ、その12年ってのはよ」
西田の説明受けて拾うとこそこかよと、突拍子もない牧野の言葉に視線だけを上げ、益々力なく返す。
「あんた、付き合ってたじゃない。高校の頃、海ちゃんと」
「高校ン時、俺が付き合ってたのはおまえだろ?」
「私は別れたわよ」
バッサリ言い捨てるな。傷付くから。
って言うか、こいつ本当にあの時から誤解してんのか?
と言うことはだ。俺はそこから誤解を解かなきゃなんねぇのか? どんだけ、こんがらがった話になっちまってんだよ。
俺は、ワシャワシャと後頭部を掻きむしった。
確かに当時。牧野を邪険に扱ってた記憶はある。あの女が俺の周りを彷徨(うろつ)いていたのも確かだ。
誤解されても仕方ねぇのか?
いや、自業自得ってやつか。
しかし、勘違いされたままじゃ困る。
「あの女とは、高校ン時も付き合ってねぇし、打算の見える女に靡くはずねぇだろ?」
「さあ、私に聞かれても……」
「そうなんだよ! それに、今にして思えば、おまえだろ?」
「ん? 何が?」
「俺が入院してる時、枕元に弁当置いてったの」
「……へ?……い、いやぁ、どうだったかなぁ? あまりに昔過ぎて覚えてないなぁ。あ、あれ? あたしも記憶喪失だったりして?」
おまえな、冷静じゃなくなると、自称が『あたし』になること気付いてるか? 今は動揺してってとこだろ。
昔のことだから恥ずかしがって、目も泳がせてんのかもしんねぇけど、その笑えない冗談だけは止めろ。
未だにおまえを忘れてる、記憶喪失現役中の俺の胸が痛むじゃねぇかよ。
「兎に角だ。その弁当をあの女が作ったと俺は勘違いした。あの女も否定せずに、それに乗っかった。で、あの弁当の味がやけに懐かしくて、もう一度作らせたら、全く違う味でアイツの嘘もバレたんだ。そういう女なんだよ。そん時だって俺の為とか抜かしてたけどよ、少し怖がらせたらビクついて直ぐさま逃げ出したぜ?」
「……そ、そうなの?」
「ああ。だから、契約するまであの女とは会ってなかったし、打算的な女だから、契約するには丁度良かった」
「丁度良かったって……」
これ以上、誤解がないように、洗いざらい一気に説明する。
「どっかの企業令嬢じゃ仕事に絡ませて面倒になるかもしんねぇだろ。プライドのないあの女なら話に乗るだろうと思ったら、案の定、即OKだ。パーティーへ出る為に身につけるもんも、最初の頃はまだ俺もNYに居たから、呼び寄せる飛行機代も宿泊代も、向こうの要求を飲んで、言い値のキャッシュ前払いで俺持ちだ。契約解除したって、買ったもん返せなんて言わねぇし、金だって言い値で払ってんだ。余ってるくれぇなんじゃねぇの? なのに慰謝料なんてふざけた話だろうが」
所詮、向こうは金目当てだ。
ここまで説明すれば、あの女の強欲さと俺の身の潔白も証明されんだろ。
やっとこれで一息つけられると、漸く腕を組む余裕も出来た俺は、今度、牧野に弁当でも作ってもらうか? と呑気に考えながら、後は西田に任せていた。
「……何か、唖然とするしかないのですが……でも、どうしてこんな契約を?」
「周りの女性に、恋人がいると思わせることで牽制をかけ、被害者を出さないためです」
「被害者……ですか?」
「はい。副社長を狙ってるご令嬢は多くおりまして、しかも、過激な誘いをかけてこられる方も少なくありません。対して副社長は大の女性嫌いです。パーティーなどで近付いてくる女性が入れば、躓いたふりしてシャンパンを浴びせたり、手元が狂ったと言っては、わざとらしくドレスを料理で汚されたり……。世間では綺麗と言われてる女性に対して、人造人間に興味はないと言い捨てたこともありました。それ以来、その方を表舞台で見かけることはなくなりました」
「うわ……」
「牧野さん、これはお話出来るほんの一例です」
「…………」
言葉にされなくても分かる。
牧野の目が全てを物語ってる。……最低、と。
俺の受難はまだまだ続くようだ。

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