その先へ 31
あれからパーティーを直ぐに抜け出し、行きと同じ様に部屋で着替え直してから、食事に行くために、俺達はそそくさと車に乗り込んだ。
「あー、お腹すいたぁ」
車が走り出すと同時に、力尽きた様に頭を垂らした牧野が言う。
必要以上に気が張ってたんだろう。漸く解放された今、ぐったりはしているが、その表情からは緊張の色が消えている。
やっと通常の食欲も取り戻した様だし、飯を食わせて、いつもの元気な牧野に戻してやりたかった。
「牧野、食いてぇのある? それとも回転寿司でも行くか? 今夜は逃走されそうもねぇし?」
尋ね見れば、
「まだ覚えてたの?」
逃走って言葉を使ってはみたものの、半分は冗談込みだ。が、苦笑してるところみると、強ち間違ってなかったのか?
「覚えてんに決まってんだろ。3分だぞ、たったの3分! そんくらい待ってろよ!」
「ふっ、ごめん、ごめん」
否定もせずに謝られ、逃走したのは確定したらしい。
あんな必死に仕事片付けたのによ、働き損じゃねぇかよ。
「でもさぁ、道明寺。本当に回転寿司に行きたい?」
「あぁ」
おまえが一緒ならどこでも良い。ってセリフは照れが邪魔して省く。
「私は回転寿司大歓迎なんだけどね……、」
そう前置きした牧野は、回転寿司がどういうもんなのか、前回よりも丁寧に教えてくれた。
楽しい未知の世界だと思っていたそれは、例え牧野が一緒でも受け入れ難い、想像だにしない驚愕だらけの世界だった。
…………なっ、安い店なら100円で食べられるだと!? しかも、一皿に2貫でか? どんな寿司屋だ。
踊り食いじゃなく、寿司が乗った皿がレールの上を流れるから回転寿司って、ネタ乾くじゃねぇかよ!
しかも、冬場のこの時期だ。ウィルスがうようよと踊り散らかしてるかもしんねぇのに、その中を呑気に流れるとか…………有り得ねぇ、腹壊すだろ!
そもそも寿司ってのはな、握って直ぐ食わねぇと、シャリだって沈むんだよ!
「却下だ!」
「やっぱりね」
俺の答えを予測してたのか、牧野が声を出して笑う。何にも縛られていない笑みだ。
「事前に説明して正解だったわ。うっかり連れてったら、こんなの寿司じゃねぇ!とか、腹壊す! なんて騒がれそうだしね。私が要らぬ恥かくとこだったわよ」
おまえ、凄げぇな。俺が思ってたこと読み取るなんてエスパーかよ。
「回転寿司は止めて、他のもんにしようぜ」
「じゃあ、ラーメンにする? 道明寺も明日から出張だし、ラーメンなら出て来てから10分もあれば食べれちゃうし、早く帰れるでしょ? まぁ、ラーメン屋も道明寺には似合わない場所だけどさ、私、ラーメン好きなんだよねぇ」
…………続けて却下だッ!
明日から一週間も会えないからこそだ。
何が悲しくて、折角の牧野との時間を短縮させなきゃなんねぇんだよ!
「嫌?」
覗きこむように窺い立てる牧野とは逆を向き、俺は慌ててスマホを取り出した。
もし今、牧野が上目遣いでもしていたらと思うと、アドレス帳を引っ張り出す指の動きも早くなる。
あの高度な技を前にしたら、俺は無力だ。喩え驚愕だらけの回転寿司だろうが、ラーメンだろうが、分かった、と頷き聞き入れてしまう。それほどまでに脅威だ!
「もっと旨くて栄養あるもん食わせてやるから待ってろ」
とうとう視線を合わせず、目的の店の番号をタップした。
「道明寺です。これから二人で邪魔したいんだが。あぁ、宜しく頼む」
スマホをしまい一息つく。
「ラーメン美味しいのになぁ。ラーメン食べたかったなぁ。あ、そう言えばね、店にもよるけど、回転寿司には、ラーメンもあったりするんだよ?」
恨めし気な主張の後に続く不思議な世界。
ラーメンも回るのか? …………伸びんじゃねぇか。
それからも牧野の好きなラーメンの話や、回転寿司ネタは続いた。
「じゃがじゃがツナサラダも、案外いけるんだよねぇ。あ、これ軍艦巻ね」
ここまで来ると、全くもって理解不能だ。じゃがじゃがって何だ。初めて訊く寿司ネタは想像すらつかねぇ。
突っ込みどころ満載の摩訶不思議な話でも、俺にとっては心地好いBGMでしかない。予約を入れた店に到着するその時まで、耳障りの良い高音が止むことはなく、俺の胸を弾ませ続けた。
「うわー、贅沢! 塩水ウニまで乗ってるぅ!」
…………おい、牧野。ラーメンへの執着は何処へ飛ばした?
予約した店に入りカウンターに並んで座れば、お通しに出された雲丹の乗っかった生ゆばを見て、牧野は早速、目を爛々と輝かせている。
それが、可愛くて仕方ねぇ。
此処は姉貴に教えてもらった、隠れ家的な和食の創彩料理と謳ってる店で、カウンター6席と、奥に個室が一つあるだけの、こじんまりとした造りになっている。
一人で切り盛りしている顔も体も丸い店主は、まだ30代だが腕は確かだ。
今日は暇だったらしく、俺からの連絡が入って直ぐ、貸し切りに切り替えたらしい。
料理はお勧めのものを、と店主に丸投げすれば、間違いないものが出てくるはずだ。
「こちらは地肝蒸しになります。所謂、あん肝ですね。低温調理してあるので、普通のものより一段と滑らかですよ」
「わーぁ!」
早速口に運んだ牧野は、感嘆を漏らし、
「ムースみたい!」
更に笑みが弾ける。
それからも、次から次へと少量ずつ出てくる料理の一つ一つに、牧野は喜びの声を上げた。
無農薬野菜が、花のようにアレンジされサラダとして出てきた時は、その可愛さに、カワハギの刺身が出されれば肝の大きさに、のどぐろ焼きには、旨味溢れるジューシーさに感激しきりで。
とらふぐの白子のコンフィが出された時には、「オリーブオイルとニンニク醤油が入ってる食べ方は初めて!」 と、特に気に入った様子だ。
「これも食えよ」
俺の分の白子の小鉢を差し出す。
「道明寺、白子苦手?」
「まぁな」
男だからな。共食いしてるようで食う気になんねぇんだよ。って理由は、牧野に引かれそうで心にしまう。
「にしても、お肉を二種類も頼むとは……」
メインは、比内地鶏と神戸牛のイチボのどちらにするか尋ねられ、迷わず両方と頼んだ俺に牧野が呆れかえる。
疲れた分、栄養つけろ。
それに、今までの料理だって少量を品良く盛られてるだけだ。肉だって、ガッツリ出てくるわけじゃなし、牧野なら楽勝でいける。
そう見込んだ通り、比内地鶏が出てくれば一気に牧野の興味は傾き、
「え、このソース、パクチーなんですか?」
店主に訪ねながら、炭火焼きされた地鶏を緑色のソースに絡ませ、美味しいを連呼してあっという間に平らげた。
「パクチーをペースト状にして、塩レモンを使ってるんだって! 癖が消えて、こんなにも美味しくなるんだね」
気さくな店主に作り方まで訊いた牧野は、楽しそうに俺にまで説明を振る。
「こんな美味しいお店に連れて来てくれて、ありがとう。パーティーのドレスも用意して貰ったし、御礼に今夜は私に支払わせて? いつもご馳走になってばっかりだし」
「アホ言うな。パーティーでも無理させたのは俺だ。おまえが旨そうに食うのが面白くて連れて来てんだから、余計な気遣いはしなくていい」
「面白く、って。相変わらず失礼な」
牧野がムッと口を尖らす。その形の良い唇に触れてみたい、って思考は一先ず飛ばす。
「まぁ、それだけが理由じゃなくなったけどな」
「うん?」
怪訝な目の牧野にあっさり伝える。
「餌付け」
「ん? 餌付け? 何それ」
「お待ちどおさまです。神戸牛イチボのからすみ掛けになります」
…………間の悪りぃ。
俺の言葉の真意を図るつもりはないのか。それとも差し出されたイチボに俺は負けたのか。
「うわー、からすみが一杯! 神戸牛だけでも凄いのにね!」
瞬く間に俺の言葉はなかったことにされ、肉を頬張る牧野に、それでも"可愛い"と言う形容詞が浮かんでしまう俺は、どれほど惚れてるのか。
「からすみがアクセントになってる! お肉とこんなに合うんだなんて知らなかったなぁ」
店主が奥へと消え、カットされた肉を牧野が一切れ食べ終えたところで、攻め方を変え切り出した。
「なぁ、元サヤに戻んねぇ?」
「元サヤって何の? ねぇ、これも可愛いくない? 瓢箪(ひょうたん)だよ、瓢箪!」
…………肉と一緒に箸休めとして添えられてる、瓢箪の漬け物を可愛いなんて言うおまえこそが可愛い。
けどな、今だけは少し待て。今、気にすべきとこはそこじゃねぇよ。断じて違うはずだ。
つーかよ、元サヤに対して"何の?"って切り返しがあるか普通。
結構ストレートに言ったつもりだったが、まだ理解出来ないのは、言葉が足りないせいか。それとも単純に牧野が鈍感なだけなのか。
恐らく後者だろうと踏んだ俺は、鈍感な女は苦労すると学習しながら、それでもこの気持ちを抑えるつもりはなかった。
手に負えなくなった溢れる想いを、ただ牧野だけに受け止めて欲しい。
「なぁ、牧野?」
「なに?」
「…………おまえが好きだ」
「…………」
目を瞠(みは)った牧野が持つ箸からは、小さな瓢箪がカウンターにポトリと落ちた。

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