その先へ 30
きらびやかな会場に踏み込めば、視線が俺達に一斉に集まる。
それはいつものことでムカつきもしないが、ある一定数、浅ましい奴等ってのが存在する。
こっちからはバレバレなのに、然り気なさを装ったつもりでいるらしい、我先にと近付いて来る奴ら。
こういう余裕のない者ほど能力は低く、今後の付き合いはないだろうと思わせる小物ばかりで、時間を割くのも無駄だ。
近付いて来る人の気配に、俺の腕に絡まる牧野の手に力が込められる。
大丈夫だ、と安心させるように空いてる方の手で牧野のものを軽く叩けば、それは驚く程に冷たかった。
究極の寒がりってのも、パーティーへ出たくないが為の出任せなんかじゃなかったらしい。
そう言えば、夏場でも長袖を着てたなと思い出す。
主催者に挨拶を済ませたら、牧野に温かいもんでも飲ませてやった方が良いか、と目の前に禿げ親父が立ちはだかり言葉を発してくるまで、意識は完全に牧野だけに向けられていた。
「これはこれは道明寺副社長。ご無沙汰しております。ご活躍は然る事ながら、相変わらずの男前で羨ましい限りだ。連れて歩かれる女性もこれまた美しいですな」
牧野を上から下にと舐め回すように見やがって。濁った目で牧野を見てんじゃねぇよ!
媚び売るにしたって、その抜け散らかした斑(まだら)な頭を、もう少しまともに使ったらどうだ。
「お久しぶりです。高杉社長」
最低限の返ししかしない年下の俺相手に、脂ぎった顔を気持ち悪りぃほど崩し、黄ばんだ歯を見せ愛想を振り撒いてくるこの男には、プライドってもんがねぇらしい。
尤も、媚びへつらって、先代の社長娘を手に入れ婿に入った男だ。元よりプライドつうもんを知らねぇのかもしんねぇけど。
そんな男を取り入れた先代の目ってのも大したもんじゃねぇ。この会社の先行きが伺い知れる。
「道明寺副社長、実は、我が社で開発しました……」
「申し訳ないですが、まだ必要な挨拶を済ませていないため先を急ぎますので、今夜はこれで失礼します」
だからおまえとの挨拶は重要視してねぇんだよ、と言外に匂わす。
さっきまで黄ばんだ歯を見せていた口元が、悔しげ気に歪むのを尻目に会場の中央へと向かうが、次から次へと第2、第3の高杉が道を塞ぐ。
軽い上辺だけの言葉しか使えない奴等には、同じ様に適当にあしらい、少しずつ歩みを進める。
その間も、チラチラと牧野に向かってくるヤローどもの下心有り有りな視線に、鋭い眼差しで牽制し捲ってる俺の神経は、ピリピリと尖る一方だった。
その殺気を感じ取ったのか、
「あ、あの……道明寺副社長……」
声をかけてきた新たな人物は、情けないまでに声が震えていた。
「ご、ご無沙汰致しております」
あ、こいつか。
さっきから、次から次へと声を掛けてくる奴等の背後から、チョロチョロと様子を窺ってるのは視界の隅に入ってはいた。
こいつなら、俺が苛ついていようがいまいが、元から小心者の情けねぇ野郎だ。
髪もムカつくほど真っ直ぐなサラサラで、俺より確か2、3個ほど歳上だったと記憶してるが、女みてぇな穏和な顔立ちは、見た目にも若く見えた。
「お久しぶりです」
気がちっちぇのは気に入らねぇが、俺が挨拶を返せば、直ぐ様、牧野に視線を移しても嫌らしい目もせず、律儀に頭を下げるだけ他の男どもよりはマシか。
「初めまして。蓮見田カンパニーで専務を務めております、蓮見田守(まもる)です」
「牧野つくしです。副社長付で法務を担当しております」
「では、弁護士さんですか?」
「はい」
「そうですか。優秀な女性なんですね」
同じく緊張はしていただろうが、牧野はそんな素振りを瞬時に消した。
目の前の男と違って、いざとなったら、こうして毅然とした声で話す牧野の方が、よっぽど肝が座ってる。
泰然と構えた牧野に対して、下心のなさそうな穏やかな笑みで対応した小心者は、俺に視線を戻した途端、またも怯えた様子で怖々と話し掛けてくる。
一々、態度が変わるのが鬱陶しい。
「ど、道明寺副社長、ち、近い内に一席設けさせては頂けませんでしょうか。うちの父も、ぜ、是非に……ご一緒させて欲しいと申しておりまして……」
うちに切られそうだからって必死か。
つーか、悪どい父親に何とか取り持って来いとケツでも叩かれてきたってとこだろう。
「申し訳ないですが、そう言うお話は秘書を通して下さい」
まぁ、西田が受け入れるはずねぇけどな。
では、失礼、と一歩踏み出した時。
「待って下さいっ!」
怯えてた声はどこかに消え、真っ赤な顔して切羽詰まった様に張り上がる声に、俺の腕を掴む牧野の小っせえ手が、ギュッと力を増した。
周りの奴等も何事かと、こちらに視線を飛ばしてくるのが気配で分かる。
驚いただろう牧野の手に自分のものを重ね合わせ安心させると、小心者に冷淡に返した。
「場所も弁えず声を荒げるとは、随分と非常識なんだな。アポイントメントは、秘書を通してくれって言ってんのが分かんねぇか? 今日は秘書が同行してない。日を改めてくれ」
「父の意向で確かなお約束を頂かないと! もしかして、うちを切るつもりなんじゃ? も、もし道明寺HDに切られでもしたら───」
どんだけパパが怖ぇんだよ。
「マイナス面があれば、経営者として切るのは当然の判断だ。それくらいの認識はあんだろ? そちらに不安要素がないって言うんなら堂々としてればいい」
皮肉を吹いて鋭く一瞥する。
行くぞ、と牧野の手に重ね添えていた自らのを外し、今度こそ軟弱男を置き去りにした。
それからも何組もの挨拶を捌き、主催者との交わし合いも終われば、一休憩入れようと、料理が並ぶ方へと移動する。
「疲れたか?」
「……ううん、大丈夫」
そう否定はしても、慣れない場で相当疲弊してるはずだ。
それに、二度ほど触れた牧野の手が、いずれも冷たかったことが気になり、近くを通りかかったコンパニオンにホットワインを頼む。
「寒いんだろ? 少しアルコールでも飲んどけ。暖まるには酒が手っ取り早い」
「……うん」
暫くして、コンパニオンが持ってきたワインを牧野に渡す。
チビチビと飲みながらも、露骨にならない程度に辺りを見回してる牧野は、やはりまだ緊張の糸が解けないんだろう。
料理を取ってみても、「まだお腹空いてないから」と、手をつけないことからもそれは窺えた。
「あと、重鎮を何人か見つけて挨拶すれば、もう帰れっから、どっかで飯でも食ってこうぜ」
きっとこんな場所じゃ、幾ら待っても食欲は湧かず、食べる気になんてなんねぇだろう。
「うん……あ、じゃあ、その前に化粧室に行って来ても良い?」
「あぁ、付いてってやる」
心配でそうは言ってみたものの、流石にそれには抵抗があるのか、ギョッと目を見開いた牧野は、慌てて両手を突き出し、頭を振って拒否する。
「いやいや、一人で行けるから。チョッと待ってて」
本当は付いて行きたいが、女からしてみればイヤなもんなのか。
足早に遠ざかる牧野を仕方なく見送ると、近付いて来た取引先の社長に声を掛けられ、更には重鎮達をも見つけて、牧野と別れた場所を視線で気に掛けながらも挨拶を済ませてしまう。
これで牧野が戻って来たら、直ぐにでも抜け出せばいい。
これ以上は、牧野に負担を掛けるのも忍びなければ、風邪を引かせるわけにもいかない。
……にしても、遅い。
もう20分は経ってるか?
さっきまで牧野と居た場所へは、常に目を光らせていた。戻って来てないのは確かだ。
まさか、変な男にでも絡まれたか?
突如、生まれた不安に支配され、途端に鼓動が早く刻む。
動揺を周囲に悟られないよう重鎮との挨拶を巧く切り抜け、透かさずトイレへと急いだ。
トイレの前を窺っても牧野の姿は見つからない。
もしかして行き違ったかと、またパーティーフロアへと引き返せば、入口近くで背を向け、辺りを見回している牧野を見つけた。
ホッと胸を撫で下ろして、近付いて肩を叩くと、ビクンと華奢な肩が大きく跳ねた。
「牧野!」
驚きの余り声が出そうになるのを咄嗟に押さえたのか、振り返った牧野は口元に手を宛てている。
「ッ!道明寺っ!」
宛てていた手を胸に移動させ、上がった呼吸を落ち着かせているのか、
「居ないから、置いていかれたかと思った」
息を吐き出しながら静かに漏らす。
やっぱり行き違ってたか。
「遅せぇから心配で。つーか、置いてくわきゃねぇーだろ」
「化粧室、混んでたの。でも良かったぁ。道明寺が見つかって」
見上げてくる牧野は、はぐれた子供が親を見つけて安心しきったように、くしゃっと無邪気に表情を綻ばせた。
その笑顔が、じんわりと俺の心を温かくする。
頼られることが、こんなに嬉しいものだとは思わなかった。
信じてくれてるようで、受け入れてくれたようで、余計に守ってやりたいと本能が騒ぐ。
邪気のない笑顔がもたらすのは、心で感じる陽だまりのような温もり。
暗い深淵の闇に居た俺が知ることのなかった、これが幸せと言うものならば、永久(とわ)に手に入れたい。
何の躊躇いもなく、そう思った。

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