その先へ 29
隣に座る牧野を見遣る。
力を込めた手を組み合わせ俯く姿は、本気で憂鬱なんだと窺わせる。
「大丈夫か?」
「…………」
今、俺達は、とあるパーティーに赴く車の中。
この時期からやたらとあるパーティーの一つで、今夜はパートナー必須だ。
主催者側との関係を鑑みれば、出席以外の選択肢はなく、だとしたらパートナーももれなく連行って訳で、当然、その役を担ってもらうのは、なかなか首を縦に振らなかった牧野だ。
西田が根気よく駆け引き含みの説得を続け、どうにかこうして実を結んだが、それまでが苦慮した。
パーティーは嫌いだ、究極の寒がりだから薄い布地のドレスなんか着たくない、肌なんか出せるか、化粧し過ぎると皮膚呼吸出来ないとか、何だかんだ。
次から次へと不満を量産する牧野を連れ出すに至るまでが一苦労だったわけだが、パーティー会場へと走り出した車中では、今更言うだけ無駄と踏んだのか、打って代わって無言が広がる。
但し、声を掛けても返事の代替で投げてくる視線は恨めし気だ。
「そんな拗ねんなよ」
宥めても返ってきたのは
「ぅ……」
溜め息混じりの唸り声のみだった。
パーティー会場になっているホテルの一室で着替える段になっても、憂鬱な表情は変わらなかったのに……。
「ぅッ……」
いざ着替えを終え、リビングに立つ仕上がった牧野を見たら、溜め息混じりの小さな唸り声を上げ憂鬱な表情となったのは、俺の方だった。
……やべぇだろ、これ。
牧野のこんな姿を晒すのか? 他のヤローどもの前にか!?
髪をアップにしたことで余計に引き立つ細い首筋。
白いうなじには後れ毛がかかり、それが妙に色っぽく映る。
ドレスは、自分で用意すると言って聞かない牧野を封じ込め、それでも、派手な色は嫌だと言い張る牧野の主張も取り入れ、俺が一人でショップに行き選んだのは、後ろが長めになっているフィッシュテールデザイン。所々、ラメ入りの白銀の刺繍が華やかさを添える、ネイビーブルーのドレスだ。
膝上までの前の裾から覗くのは、スラリと伸びたしなやかな脚。
浮かび上がる綺麗な鎖骨に、ノースリーブからは露な華奢な腕。
化粧もしっかりしているのに、決して厚化粧には見えない気品の良さ。しっかり引かれたアイラインが、牧野の魅力の一つである大きな瞳を更に強調し、唇には、落ち着いたピンクベージュながら艶やかにグロスを乗せて……………………って、やっぱダメだろ、これッ!
何だってこんな綺麗なんだよ!
まともに牧野の顔を見らんねぇほど綺麗すぎる。
パートナーにするなら絶対牧野が良いなんて思った自分の浅はかさが怨めしい。
何故、他の男の目があるとは考えなかった?
このドレスだけじゃなく、牧野に似合うだろうと本人には内緒で浮かれて買ったドレスは、他にも30着近くある。いずれも派手な露出は控えた上品なデザインのものばかりだ。
だがしかしだ。
今夜だって、こんなにも綺麗に着こなしてるのに、これから先も、俺の選んだドレスを着て俺の隣を歩いたとすれば、男どもの目を惹き、ライバルを呼び寄せるリスクが孕んでんじゃねぇのか?
しかも、明日から俺は一週間のNY出張だ。
俺の居ぬ間に、もしも忍び手が……。
…………危険だ。
他の男になんか見せたくねぇ。勿体ねぇと独占欲までもが生まれる。
いっそ、この部屋に牧野を軟禁しちまうかって不埒な考えが頭を過った時、牧野の声で思考は途切れた。
「……ドレスを着こなすなんて無理。パーティーなんてもっと無理よ」
俺が混乱するあまり黙る姿が不安を与えたのか、それとも気分が乗らないせいなのか、牧野の声は小さく硬い。
寧ろ、似合いすぎて困ってんだよ、俺は。声に乗せない言葉を内心で落とす。
頬が火照るのを誤魔化すように、牧野から顔を反らせたまま、
「……すげぇ、似合ってる。綺麗だ」
普段より声が小さくなるのは仕方ねぇ、と自分に言い訳しながら放った言葉に返答はない。
ちらりと様子を伺えば、「はぁ」と俯きながら溜め息を溢しただけで、俺のセリフは上滑りか?
俺が女を誉めるなんてねぇのによ。
かなりの勇気だって振り絞ってんのに、なんでそんなナチュラルにスルーしてんだよ。
「……ねぇ、道明寺?」
俺の心の内を読み取る技なんて持ち合わせていないだろう牧野は、上目遣いで俺を見た。
…………何の罠だ。
華麗にスルーしたかと思ったら、今度はそれか? 上目遣いは、おまえの必殺技か? 可愛いさが5倍増し、いや10倍増しになるって、どんだけすげぇ高度な技持ってんだよ!
しかも、それだけで終わらなかった。次に発した言葉は核並の威力で、俺の胸を直撃した。
「会場で私を一人にしないでね」
…………軟禁はやめだ! 監禁だッ!
何なんだ、こいつの破壊力は!
俺の理性を試してんのかよ!
やっとだぞ。やっと、もしかして? と疑問を抱いてた自分の気持ちを、ハッキリと自覚したばっかなんだぞ?
そこに辿り着くには、それなりの葛藤だってあった。
相手は、12年前に忘れた女だ。12年間も忘れていた女だ。だから何かの気の迷いだと冷静を装うとしたこともある。
それでも気持ちは言うことなんて聞かなくて。
好きになるはずなんかねぇって否定的根拠も、好きだと認めるための理屈も、考えても考えても見つけ出せずに、結局、俺は自分の気持ちに白旗を上げざるを得なかった。
答えが出ねぇもんを、いつまでもグチグチ考えてたって仕方ねぇ。
根拠も理屈もクソ食らえだ。
ただ、どうしようもなく惹かれる。それを否定する材料はなく、単純な、それでいて純粋な気持ちしか残らないのに気付いた。
つまりは、おまえに対する愛情に関しては完全降伏だ。
その無防備なまでの想いを抱えた俺に、そんな威力ある言葉を投下なんかしたら、勘違いして暴走しそうになっちまうだろうが!監禁なんて物騒な言葉まで引きずり出すまでによ。
俺が暴走したって、煽ったおまえが悪りぃんだかんなっ!
…………なんて言えるはずもねぇか。
煽りを盾に突っ走れねぇのは、惚れた弱みってヤツなんだろう。
牧野を見れば緊張してるのは丸分かりで、不埒な考えは、一瞬にしてまともな理性で叩き潰せるくらいに俺は惚れてるらしい、と更に自覚の上乗せだ。
俺と居たい訳じゃなく、俺しか居ないから頼るしかないだけ。
そもそも、無理矢理連れ出して来たようなもんだ。
それを踏まえれば、不埒な考えより数十倍も勝って、守ってやんなきゃなと庇護欲すら湧いてくる。
実際、暴走なんてして牧野を傷つけるような真似、俺には到底出来るわけもねぇんだから。
「牧野、一人にしねぇから安心しろ」
よし、行くぞ! そう声を掛け牧野を促す。
不埒は理性で叩き潰せるとは言っても、ヘアメイク担当の奴等も出ていった今。いつまでもこうして密室にいるのは精神上宜しくはない。
いつもの威勢の良い姿を隠した牧野を部屋から連れ出しエレベーターに乗り込むと、不安気に沈む牧野を盗み見る。
どうしてこんなパーティーひとつでテンションだだ下がりなのかは理解に苦しむが、俺と一緒にいれば注目を浴びんのが心底嫌なんだろう。間違っても鼻高々に喜んで隣を歩く様な女じゃないことだけは確かだ。
大丈夫だ、俺が付いてる。心で付け足し腕を突き出す。
おずおずと伸ばされた牧野の手が、俺の腕にそっと絡めば、同時に開いたドアを抜け会場へと足を踏み入れた。
自分のどこにこんな思いが潜んでいたのか。誰かを守ってやりたいだなんて気持ち、俺は牧野で初めて知った。

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