その先へ 28
※ 今回のお話は、軽めではありますが、数行ほど大人的表現が含まれています。
この手のものが苦手な方は、これより先へお進みになられませんよう、お気をつけ下さい。
牧野と西田がこの部屋から出ていって、既に二時間近く。
一体、何年がかりの誤解を受けていたんだと、必死の訂正に消費した気力の余力はない。
静まり返る執務室に一人。
そもそもよぉ……と、仕事も放棄で胸の内で不平を溢す。
この俺が女関係で疑われるなんて、心外以外の何物でもねぇんだよ。
昔から見てきた。醜い女って生き物を。
媚び売って、誘うような目付きで近寄ってきて。
見てんのは俺なんかじゃねぇ。俺の地位や名誉や金だ。
気を惹く為に躍起になる低脳な女には、心底うんざりする。
見てくれの良い女なら、男は誰でも喜んで飛び付くなんて浅はかさ。
体を差し出せば、自分のもんになると思ってる勘違い。
実際、そんな男ばかりじゃねぇと、俺は過去に立証済みだ。
毛嫌いしてるだけで、女を抱けば変わんのかと試してみたのは、まだNYにいた頃の大学ン時。
相当、自分に自信があんのか、ホテルのキーをちらつかせ、恥じらいもなく誘ってきた、見た目も格好も派手な女の話に乗っかった。
自ら進んで服を脱ぎ、自信有り気に裸を晒されても、特別興奮も沸き上がらねぇ。
化粧を塗りたくった女のテカった唇が気色悪くて、自分のを押し当てる気にもならなかった。
何とか自分を奮い起たせ女の体に沈めたものの、赤い口許から出される大袈裟なよがり声に虫酸が走る。
女の顔が見えないようにと、うつ伏せにした俺は、萎えそうになるのを力任せに突いてどうにか達した。
引き抜けば、ゴム越しに絡み付く体液を目にし、込み上げてくる吐き気。
嘔吐し、シャワーを浴びると、汚いものを流し落とすように肌を乱暴に洗い続けた。
この女が駄目だったのか、ならば他の女と、と試した二回目も結果は同じ。
それどころか、イクより先に胃液が逆流し、続ける気にもならなかった。
それ以来、女嫌いは更に輪をかけた。
どんなに美人だと言われる女に言い寄られても興味は持てねぇし、近付かれるだけで気分が悪りぃ。
前にババァに子種でもばら蒔くか? なんて脅したこともあったが、実際には生理的に無理な話だ。
女が居たって、俺には何の足しにもならなければ寧ろマイナスにしかならない。
快楽以上に精神が侵されると身をもって学んだ。女などいらないと。
そんな俺が牧野だけには…………。
───コンコンコン
「失礼します」
コーヒーの匂いを漂わせながら牧野が入ってきても動かなかった。
「副社長、勤務中ですよ! ちゃんと仕事して下さい!」
すっかりやさぐれ、デスクに背を向け、窓へと回転していた椅子にふんぞり返っていれば、仕事をしていないのは誰の目から見ても明らかだ。
「変な要求はされるわ、あらぬ疑いを掛けられるわで、心身ともに消耗中なんだよ」
嫌みを返され戸惑ってんのか、少しの沈黙が流れる。
「…………わ、悪かったわよ。ほ、ほら、コーヒーでも飲んで落ち着いて? ね?」
「おまえが今夜、回転寿司に連れてってくれるってんなら落ち着くかもな。仕事もちゃんとやる」
チラリと背後に視線を流せば、牧野のやや引き気味の笑みが目に写る。
「え……うん、分かった。但し、19時までにその書類の山を片付けられたらね!」
「マジか?」
高速回転させ、正しき場所へと椅子を戻す。
「うん。だから頑張って!」
コーヒーを置いてそれだけ言うと、手をヒラヒラさせ牧野は出て行った。
目の前には堆く積まれた書類の山。
これ終わんのか? いや絶対に終わらせる。
人参をぶら下げられた俺は、それから一心不乱に書類と格闘した。
それから数時間。
全てを片付け時計を見れば、約束の時間より3分程過ぎている。
これくらいは許容範囲内だろうと、急いで秘書課へと駆け出した。
…………結果。
捕獲は失敗。牧野は既に帰った後だった。
肩を落とし執務室に戻ると、LINEを告げる音が鳴る。
力なくスマホを取り出し確認すれば、
『残念! タイムアップ! お先に失礼します。お仕事頑張って』
時間に正確な牧野に、甘やかすという概念はないらしい。
たった3分なのに厳し過ぎんだろ。
厄日としか言い様のない今日1日に改めて疲れを覚え、ソファーに身を沈める。
何をやってんだかな、俺は。
浮気を弁明する憐れな男と何一つ変わらない今日の自分の振る舞いを思い返し、もう笑うしかない。
こんな風に必死になって疲れるのも、牧野の存在が絡めばこそだ。
それが嫌じゃねぇって思っちまうんだから、どんだけだよ、と、またも漏れるのは苦笑のみ。
どんなに頑張って食い止めようとしても、牧野だけは追わずには要られない。
視線が、心が、本能が、無意識に牧野だけには向かってしまう。
俺の中に宿った、得体の知れないザワつく何か。
それが何なのか、もう知らぬ振りは出来なかった。
その感情の輪郭に、俺はいい加減気付き始めていた。

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