その先へ 27
道明寺と海ちゃんの想像だにしなかった驚愕の事実。その驚愕の余波は突然に私へと向けられた。
「それから、これからはパートナーは牧野さんにお願い致しますので」
「それは絶対嫌です」
「ですが、このような問題が起きた以上、やはりこの先は信用出来る方にお願いする他ありません」
道明寺の存在を置き去りに、執務室を後にしながらの私は、西田さんから執拗なまでに説得され続けている。
でも、どうしてもパーティーだけは避けたかった。
「あの……副社長には、他に頼める様な女性はいないんですか? その……キチンとお付き合いされてる方とか……?」
「居りましたら中島さんとの契約など交わしてはおりません。副社長は、女性とは長く一緒にいられないと言う致命的な問題を抱えておりますから。社長も心配してお見合いをセッティングしたりもしましたが、中島さんをパートナーにした時点で、そこまでするほど嫌なのかと諦めた様です。副社長は気付いておりませんが、社長は副社長が中島さんに対してどう思っているのか、お見通しの様でしたし。ですが……」
秘書室に戻る一歩手前。並んで歩いていた西田さんは立ち止まり私を見た。
「牧野さんは別の様です。お食事をお誘いになるほどですから」
「それは、昔からの知人らしいと思っているからに過ぎないと思います。面白いオモチャを見つけたとでも思ってるんじゃないでしょうか」
本当にそれだけだと思う。
ずっと友人達とも疎遠になっているから、その隙間に、たまたま昔を知ってる私を受け入れただけだ。友人としての感覚で。
F3の代わりだなんでおこがましいけれど、多分、理由としては一番これが近い。
それに、私の食べる姿が面白いと言われてもいるくらいだ。
食事に行けば、笑わせろよ? って、言われるのも、もう定番のセリフになりつつある。
完全にオモチャ化だ。
「いずれにせよ、牧野さんが来てからというもの、先程も見ての通り、感情が豊かになったのは事実です。他にお願い出来る女性はおりませんし、牧野さんをパートナーに出来なかったら唯じゃおかないと、さっきから背中に副社長の殺気すら感じますので、宜しくお願い致します」
「なっ、そんな……」
真顔で言わないで欲しい。
相変わらず変化の乏しい表情の西田さんは、本気とも冗談ともつかぬ口調で言いのける。
「覚醒した副社長を敵には回したくありませんので、私の身を案じて下さるのならばお引き受け下さい」
「それずるいですよ、西田さん!」
「はい、社長に遣え、今は副社長に遣えておりますので、必然的に鍛えられたとでも申しましょうか。お褒めに預り恐縮です」
「どう捉えれば褒めた、になるのか…………」
敵に回したくない、と言葉に乗せられない思いを強烈に痛感中の私に、西田さんは止めとばかりに口を動かした。
「避けられるものは極力避けますので、パーティーの件は宜しくお願いします。それと中島さんですが、報告は牧野さんの連絡先へ直接伝えるよう、私から調査部に話は通しておきますので牧野さんの方で対処を。また必要とあらば、調査部への依頼も牧野さんの判断でなさって下さって結構ですので。では、お願い致します」
澱みなく話した西田さんは、最後は言い逃げと言う手段で秘書課をも通り過ぎ、颯爽と何処かへと消えた。
私に有無も言わせもしないで。
一筋縄ではいかない相手であるのだけは確かだ。
反論も出来ないまま仕方なくデスクに戻ると、深い溜め息を一つ落とす。
パーティーなんてごめんだ。
それよりも、と、また溜め息を増やした。
さっきは驚きばかりが先行していたけれど、こうして一人になると、道明寺と海ちゃんとの真実を受け気分が曇る。
なんて悲しい関係だったんだろう。
慰謝料請求は無理にしても、そうしたくなる程には道明寺を思っていたんじゃないかってまだ思ってしまう。
かと言って、これ以上何かするとか、例えばストーカー的な存在になるようなものは、海ちゃんからは想像がつかないけれど。
もし本当に必要とあらば、社の顧問弁護士か外部の弁護士に依頼した方が良い。その方が企業法務専門の私より手堅い。
それにしても……と深く考えてしまうのは、だったら道明寺はずっと一人、寂しさの中で生きてきたの? と、遣りきれない疑問が生まれたからだ。
親友達とも連絡を断ち、唯一の救いが海ちゃんだとばかり思っていたのに。
思いもよらぬ記憶喪失という傷を負った道明寺を、あの時もっと労ってあげられていたら、また違う時間を歩めたのだろうか。もう全ては手遅れなのに、と、道明寺と初めて二人で食事した時に浮かんだ思いに振り戻る。
それでも思わずにはいられなかった。
もしも、あの時、道明寺を無意識に追い詰めてると気付いていれば……。
もしも、道明寺の気持ちに寄り添ってあげられていれば……。
いくつも重なって行く『if』。
そんなたられば話を繰り返しても、救われるものなど何もないと身を持って経験してるのに、そんな事は無意味だ、今更だと、ブレーキを掛けたいのに制御が効かない。
もしも、12年前に見た光景に怖じ気づかなければ……。
もしも、私が別れを切り出し逃げさえしなければ……。
もしも私が12年前、道明寺と海ちゃんの関係を勘違いしなければ……。
重なり積もる『もしも』が私を襲い、勘違いした上の事の顛末に悔しさが滲む。
もしあの時……そしたら、私は今も────。
最後の思いに行き止まり苦しくなる。
押し寄せる過去からの後悔の渦に蝕まれ、胸に込み上げるものを感じて、慌てて化粧室へと駆け込んだ。
気付けばもう、時計の針は午後の3時を指していた。
お茶を用意する時間だと席を立つ。
もう大丈夫、落ち着けと、心を鎮めながら淹れたコーヒーを手に、普通を装い執務室のドアをノックした。
中に入れば完全なる仕事放棄。
道明寺は、デスクに背を向け座っていた。
私は気持ちを払拭して声を上げた。
「副社長、勤務中ですよ! ちゃんと仕事して下さい!」
それでも振り向かない道明寺は、隠しもしない不機嫌さを声に乗せてくる。
「変な要求はされるわ、あらぬ疑いを掛けられるわで、心身ともに消耗中なんだよ」
最近まで怒ることも忘れてた人だ。あんな風に感情を乱すのも久しぶりで、もしかしたら凄く疲れてるのかもしれない。
ふと、昔にも同じようなことがあったな、と思い出す。
あれは確か、花沢類に対してだ。
まだ道明寺が入院していた頃、病院の屋上で、私の為に声を荒ららげ感情を露にしてくれて……日頃と違うアクションに疲れただろうと、翌日、お礼がわりにお弁当を作ったんだっけ。
そして、道明寺にもお弁当を…………と、そこで、無意識に過去に引き戻っていたことに気付き、思考を意図して止める。
また過去の歪みに呑み込まれ、胸が苦しくなるのだけは避けたくて、焦りを覚え思わず慌てた。
「…………わ、悪かったわよ。ほ、ほら、コーヒーでも飲んで落ち着いて? ね?」
「おまえが今夜、回転寿司に連れてってくれるってんなら落ち着くかもな。仕事もちゃんとやる」
「え……うん、分かった。但し、19時までにその書類の山を片付けられたらね!」
「マジか?」
道明寺が急に向き直れば、弾んだ声とパッと咲いた笑顔に心が痛む。
「うん。だから頑張って!」
じゃあね、とばかりに手だけを振って、動揺を悟られないよう、直ぐさま道明寺に背を向けた。
先程までの思考がまだ住み着いている。
払拭してもしきれない過去への悔やみ。
こんな気持ちを抱えたまま、道明寺と普通に食事なんて出来るのだろうか……。
道明寺の嬉しそうな笑顔が、今は酷く胸に刺さった。

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