Lover vol.38
『道明寺つくし』になって早10日。
早速私は、結婚生活に厭きていた。
それもこれも――――。
「外に出られないってどういうことよーっ!」
だから、こうして今日も私は――――屋敷の中心で愚痴を叫ぶ。
Lover vol.38
どうして外に出られないのか。
それは完全に道明寺の都合による。
道明寺は仕事上、必要な関係各所に、事前に結婚報告を兼ねての根回しをしなくちゃならないらしく、離婚が世間にバレたのが最近なだけに、事情含みで説明に回っているようだ。
それが済んでからマスコミに発表する手筈になっているのだが、口止めはしているとはいえ、他人に結婚の報告をしているのだから情報が漏れる可能性が無いとは言えない。
暫くはマスコミに見つからないよう、お屋敷で大人しく身を隠していてほしい。それが道明寺の言い分だった。
確かに、離婚発覚で世間を騒がせてから、然程日を置かずしての今度は結婚。
今まで以上にマスコミが騒ぎ立てるだろうことは予想できるだけに、事前の根回しが必要なのはわかる。
とはいえ、急な結婚に軟禁生活。
幾ら広大な敷地を誇る道明寺邸といえども、ずっと家にいるしかない不自由さにストレスも溜まる。
そもそも、結婚への強引な手段からして不服なのだから余計だ。
人に婚姻届を書かせるに至るまで用意周到に策を講じていたのなら、根回しも先にしておいてくれれば良いものを。
道明寺曰く、
『おまえのことだから、何を仕出かすかわかんねぇのに、確実に婚姻届を出すまで動けるかよ』
だそうだ。
あの手この手と仕組んだ分際で、なんとも納得し難い横柄な言い訳が癇に障る。
それを呑み込み、
『マスコミにバレたときは大人しくするから、それまでは自由にさせて!』
毎朝、道明寺の出勤を――仕方なく――見送る際も、懲りもせずに真っ当な主張を続けてはいるが、全て右から左。
『つくし、お利口にしてろよ? 行ってくるな』
メイドの人たちが頬を染めるくらい甘い笑みを引っ提げ頭を撫でてくる道明寺は、人のことをすっかり慣れた風で名前で呼び、話は聞かずして言うだけ言って出勤してしまう。
知らない人からすれば、道明寺の姿は鷹揚な態度と映るだろう。
どう見たって私が駄々を捏ね、あやされている絵面で、それも納得がいかない。
このやり切れなさを叫ばずにはいられるか! ってわけで、嫁いでからというもの、場所を問わず大声を張り上げているのだけれど⋯⋯。
人の慣れとは恐ろしい。
私が叫ぶ場面に出くわしても、道明寺家の人々は全く慌てなければ、同情もしてくれない。
初めこそ驚いていたメイドの人たちからは、
『つくし様のお陰で、道明寺家は一気に明るくなりましたわ!』
微笑みながら生温かい眼を向けられ、あるSPには、
『腹から繰り出される立派なお声。今日も体調は万全そうで何よりです』
体調のバロメーター扱いにされている。⋯⋯解せぬ。
心からの叫びを、勝手に別のものにすり替えないでいただきたい。
悪妻らしく、買い物三昧してやろうにも外出禁止でそれもできず、自宅に必要なものを取りに帰りたいと訴えても、
『必要なものなら俺が持ってくるよ』
道明寺から話を聞いただろう弟の余計な申し出により、あえなく却下。
挙げ句、進が持ってきてくれたものといえば、私が大事に大事に育ててきた『ぬか床』だけ。
そりゃ確かに、常日頃から冗談めかして『これは私の嫁入り道具よぉ!』と、言いながら糠を掻き混ぜてはいたけれど、だからって真に受けて、コレだけってのはどうなのよ。
そうは思うものの、実際のところ、必要な物は全部揃えられてあるのだから主張を引っ込めざるを得ない。
クローゼットを開ければ、見渡す限りの服、服、服。
知らないうちに、すっかり衣装持ちだ。
ワンピースにスーツにドレス。おまけに道明寺家には似つかわしくないだろう、私が休日に好んで着るようなカジュアルなものまで揃えられてある。
化粧品を始めとする日用品やらアイマスクまであるのだから、文句のつけようがない。
外出できない不自由は別として、道明寺邸での暮らしそのものには、困ることがないのだ。
そう、困ることが何一つも⋯⋯。
その最もたるものが、与えられた部屋だといえる。
私に与えられた部屋と道明寺が使っている東の角部屋は隣同士で、中にあるドアで互いの部屋を行き来できる仕様だ。
入籍までしてしまったし、だから当然、好き勝手に出入りされ、この身も道明寺に良いようにされてしまう、そう覚悟していたのだけど⋯⋯。
入籍してここに住むようになった初日。
『なに警戒してんだよ。俺は獣か何かか?』
それまで進と諸々の話をしていたらしい道明寺は、私の部屋に来て隣に座るなり、開口一番、そう言った。
意地で平静を装っていたつもりでも、身体はぎこちなく強張っていたのかもしれない。
道明寺は、そんな私の緊張を即座に感じ取ったんだと思う。
『ったくよ、おまえは俺を何だと思ってんだよ』
『バカで自己中で非常識を撒き散らかす歩く公害―――』
『悪さするのはこの口か?』
何だと思ってる、って訊かれたから素直に答えてやったのに、無情にも道明寺は、口の両端を引っ張るように、頬ごとブニブニと遠慮なく摘んでくる。
『いひゃーい! はなひなはいよー!』
何とも締まりのない抗議の声に、だけれども道明寺は、真剣な声で返してきた。
『心配すんな。おまえがちゃんと俺に惚れるまで、なんもしねぇから、安心しろ』
ホントでしょうね?
怪訝な目を向ければ、
『当たりめぇだろうが。強引に抱いたって意味ねぇよ。俺が欲しいのは、おまえの気持ちだ。俺だって、ちゃんと段階ぐらい踏む。だから安心して、ここに住め』
強引に結婚に持ち込んだくせに、どの口が言う!! と反射で噛みつこうにも、思うように口が動かせず沈黙するしかなく。
でも多分、この男は本気で言っている。
強引なくせして、こういうところは無理強いはしない、反対の性質を持つ厄介な男。
頬から手を離した道明寺は、
『まぁ、そのうち必ず惚れさせるけどな。そんときは覚悟しとけよ?』
私の額をコツンと小突き、そう言って綺麗に笑った。
笑って油断させた隙に、人の薬指にお揃いの指輪を勝手に嵌めて。
初日の宣言どおり道明寺は、手を出すような真似はしてこない。
尤も、年度末に加えての急な結婚は、彼を相当忙しい身にさせているらしく、私に構う時間が余りないとも言える。
毎朝、朝食は一緒に摂っても、夕飯までに帰宅できないのがほとんどで。ここに住むようになってから夕食を共にしたのは、一度だけ。
それでも、何とか私との時間を取ろうとしているらしい道明寺は、私が寝ていない限り、部屋に必ず顔を出して、束の間の会話を欠かさない。
『何か困ったことはねぇか?』
『外に出られないのが困る』
『土産にマカロン買ってきたからよ、明日のオヤツに出してもらえよ?』
『外に出られないのが困る』
『そうだ。落ち着いたら、新婚旅行にでも行こうな』
『外に出られないのが困る』
『その前に結婚式だよな。おまえが俺に惚れたら、ソッコーで式挙げてやる』
『外に出られないのが困るっ!てか、惚れないから結婚式はなしよ!』
『それよりもよ、早く名前で呼べよ。いつになったら名前で呼んでくれんだよ』
『話を訊けッ、バカ男!』
『この口は、ホント悪さしかしねぇな』
『いひゃーい!』
『プニプニだな、つくしのほっぺ――――やべぇ、可愛い』
『はにゃへー!』
こんな、会話と呼ぶのも怪しい噛み合わない会話の繰り返し。
どんなに私がぞんざいな口を利こうが、いつだって道明寺は嬉しそうに笑い、ある程度の会話が済めば、大人しく自分の部屋に引き返す。
二人の部屋を繋ぐドアも私側にしか鍵がなく、寝るときには、しっかり施錠をさせる紳士っぷりだ。
一緒の部屋ですらなく別室での生活。
貞操を脅かされる心配もなく、道明寺家の人々もみんな親切で。
必要なものは何でも揃い、10時と15時には、沢山のスイーツまで用意してくれる。
つまり――――至れり尽くせりなのだ。
だけど、厭きる。退屈で仕方がない。
今まで自分のことは自分で何でもやってきた。
この歳になるまで、こんなにのんびりと過ごしたこともない。
それが真逆の生活を送っているのだから、やることがなさすぎて窒息しそうだ。
自由になって立派な悪妻にだってなりたいのに⋯⋯。
とはいえ、私だって何も手を打っていないわけじゃない。
だから、外からも後押しをしてもらおうと、せっせと毎日、鬱憤込みの、とある『小さな作戦』を実行している。
効果があるかは微妙だし、今のところ結果は伴わないが、何もしないよりはマシだ。
とにもかくにも、一日も早く外に出たい!
こうして悶々としている間にも私の前には、見た目にも可愛いスイーツたちが並んでいる。10時のティータイムだ。
それらを摘みながら不満を振り返っていた私は、改めて三段重ねのティースタンドを見て、ハッとした。
⋯⋯ヤバい。
いつの間にか、スイーツの半分以上が消えている。
あれこれと考えながら、無意識の内に頑丈な胃袋に送り込んでいたらしい。
急に焦りが迫り上がる。
このままじゃ⋯⋯
――――悪妻になる前にブタになる!
「どうしたんだい、つくし」
丁度、紅茶のお替りを持って入室してきたタマ先輩が、急に立ち上がった私を驚きの目で見た。
「先輩! 私、走ってきます!」
「何だい、唐突に。若奥様になったっていうのに、相変わらず落ち着きがないねぇ」
「若奥様って柄じゃないんで勘弁してくださいってば!」
「だからって、メイドたちにまで『若奥様』じゃなく名前呼びにさせるだなんて⋯⋯。まったく前代未聞だよ」
若奥様と呼ばれるなんてとんでもない。呼ばれただけで鳥肌もんだ。
吐息を落としながら、首をフリフリ嘆く先輩を置き去りにし、
「とにかく走ってきますんで!」
言い捨てて、ウォークインクローゼットに急いだ。
走るのにの適当な服はないか。クローゼットを漁れば、それは直ぐに見つかった。
しっかり揃えられてあったスポーツウェア。ランニングシューズまである用意周到さだ。
どこまでも抜け目がなさすぎて、有り難いやら悔しいやら。
複雑に思いながら急いで着替え、庭へと飛び出した。
広大な敷地内、家の周りをグルっと走るだけでも、無駄な脂肪を溶かせるはず。
軽く準備運動をしてから、
「よし!」
気合を入れた私は、地面を蹴って颯爽と駆け出した。
――――それから30分後。
息も切れ切れに、ソファーにだらしなく座る。
「なん、で⋯⋯SP、が、付いて、くるんですかぁ⋯⋯」
「そりゃあ、自業自得ってやつだろうさ」
合間合間に『ぜぇぜぇ』と荒い呼吸を挟みつつ、レモンウォーターを用意してくれるタマ先輩に不満を溢す。が、先輩は何ともつれない。
こんな疲労困憊な私に、何故か呆れた様子だ。
私が走り出すなり、どこからともなく現れたSP集団。
無表情の集団は、私がギョッと目を剥くのにも構わず、もれなく背後からゾロゾロと走って付いてきた。
敷地内を走り回るだけなのに、なんで付いてくるのよ!
そう思って、逃げるようにスピードアップしてみても、残念ながら振り切れず、涼しい顔してどこまでも付いてくる。
しまいには、一人のSPが勝負を挑むように私と並走し、やがてニヤッと笑い余裕で抜かされた。
ここに最初に連れて来られたとき、車から降りるなり安堵の息を吐き出した人であり、私の叫びをバロメーター扱いにする人物――名前を鹿島さんという。
何とか彼を追い抜いてやろうと挑み、そして⋯⋯、追い付く前に力尽きた。
「なんで私のせいなんですかー?」
何とか息が整ったところで先輩に言う。
「おや、まぁ。憶えてないのかい? ここに来て二日目。捜索願いが出されていたのは、どこの誰だったっけねぇ」
ジロリと睨まれ目が泳いでしまった。
先輩の含みのある言い方に、不本意ながら心当たりがある。
あるだけに何も言えずにいれば、構わず先輩が続けた。
「家を探索するって部屋を出てったきり、どこを探しても見つかりゃしない。邸内中大騒ぎで、報告を受けた坊ちゃんまで慌てて帰って来る始末だ。漸く見つけたと思ったら、屋根の上でスヤスヤ寝てるときた。坊ちゃんなんて、『落ちる!』って焦って顔が真っ青さ。そんなお転婆娘にSPを付けないはずないじゃないか」
「⋯⋯⋯⋯」
だって、敷地内なら好きにして良いって言われてたし⋯⋯。
探索していた部屋にロフトがあったら、登るしかないでしょ。
で、そこに窓があったら開けたくなるし、屋根に出られそうだと思ったら、出てみたくもなる。
出たら出たで、屋根に寝そべって開放感を味わいたくなるのは、興味だけは人一倍の暇人にとっては、当然の流れだと思う。
勿論、私だって寝るつもりなんてなかった。
けれど、その日はあまりにも天気が良くて。
見上げれば雲一つない青の空が広がり、春の日差しが柔らかく降り注いで、ポカポカ陽気に誘われるまま、ついうっかり夢の国へと旅立ってしまったのだ。
「⋯⋯た、確かに、皆さんに心配をおかけしたかもしれませんけど⋯⋯だからって、敷地内でSPを付けなくても⋯⋯」
「四日目には木に登り、七日目には、逃走を試みて塀をよじ登ろうとしたのにかい? 坊っちゃんにしてみたら、危なっかしくてSPを付けさせない選択肢なんてないだろうさ」
「うっ⋯⋯なぜそれを」
全部、バレてる!
暇すぎて、あれやこれやとやらかしたことが、全部把握されていたとは⋯⋯。
引き攣った表情筋が痛い。
「今も、体力バカのSPと競いあってきたそうじゃないか。ホント、とんだお転婆だよ」
旗色が悪くなった私は、丁度、確かめたいことがあったのを思い出し、無理やり話題を変えた。
「そ、そうだ、先輩! さっき走ってるとき、屋敷の裏にある小屋の近くでヨモギを見つけたんです! ヨモキですよ、ヨモギ! あれって摘んでも大丈夫ですかね?」
「あぁ、裏の敷地は最低限の手入れしかしてないからね。自然と生えたんだろうさ。取るのは構わないけど、まさか、つくし食べる気かい?」
「はい、勿論!」
話題のすり替えに成功し、元気よく答える。
「坊ちゃんが知ったら卒倒しそうな話だね。まぁ、好きにおしよ」
「ありがとうございます!」
今日は、他にも届くものがある。
外で金遣いを荒くするだけが悪妻じゃないことに気づき、演出道具の一つとしてネットで買ったものだ。
早速、今夜それを使い実行するつもりでいる。
「あ、それと先輩。今日は、昼食も3時のオヤツも夕飯も要りませんので! あとで厨房だけ使わせてくださいね!」
今度は何をする気だい? と目で訊ねられている気がするが、答える代わりにニッコリ笑った私は、ご機嫌でレモンウォーターを飲み干した。

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