Lover vol.37
Lover vol.37
道明寺の足を、これでもかってほどグリグリ踏んづけちゃったけど、これこそチャンス。
自分は気に入られようと思って、ここに来ているわけじゃない。寧ろ、逆。
ならば、浅はかな行為を生かさない手はない。
「すみません。うっかり息子さんの足を踏みつけてしまいまして。でも、ご覧のとおりです。育ちが悪いものですから、息子さんを見ると、ついつい手も足も出したくなるんですよね」
結婚話を白紙にするためならば、幾らだって自分を貶めてみせると、意気揚々と言ってみたものの⋯⋯。
「俺は牧野専用のサンドバッグだからな!」
何故か嬉しそうに言うバカ男。
「⋯⋯つくしさん、息子は喜んでいるようなんだが。息子が嬉しいのなら、私としても何も言うことはない」
「いやいやいや、駄目ですよね。暴力ですよ、暴力。結婚なんてしたら、DV妻間違いなしです!」
「実は、タマからも色々と訊いていてね。高校時代から君は、悪さを繰り返す司を殴っては躾けてくれてたそうだね。親の私たちができなかったことだ。殴る蹴る大いに結構。椿くんだって、そうやって司を教育してきたわけだしね。これからも司が悪事を働くことがあれば、遠慮なく躾けてほしい」
逆に頼まれた。
非難されても良いはずなのに、どうしてこうなる。
けれど、悩んでいる暇はない。
さっきので駄目なら、これでどうよ! と駄目押しで自虐ネタを投下する。
「息子さんだけならいざ知らず、かつて私は、楓社長にも紅茶を浴びせてしまったり、バシーンと一発打ってしまったこともありまして。そんな女は道明寺家には相応しくないかと」
ほら、どうよ。
流石にこんな暴力女、ドン引きでしょ?
思ったとおりラオウは言葉をなくし、
「おまえ、ババァにそんなことまでしてたのかよ。すげぇな」
雨の日の別れの直前に紅茶をぶっかけ、道明寺がICUに入っているときに一発殴った、若かりし頃のかつての自分。
知る由もなかったバカ男までが呆れている⋯⋯と思う。まかり間違っても感心しているとは思いたくない。
息子の方はともかくとして、自分の妻にまで暴挙に出たとあらば、ラオウだって怒るはず。
こんな女は嫁に相応しくない! と、いっそ怒って私を摘みだしてくれれば大成功だ。
さぁ、早く!
心行くままに怒鳴り散らかしちゃってください!
そう願う私の耳に聞こえてきたのは、
「素晴らしい」
⋯⋯何ともおかしな言葉だった。
怒鳴られることはあっても、褒められる場面では決してない。
想像外の科白が返され、逆に私の方がドン引きだ。
「大の男でも楓の前では平伏すのに、流石はつくしさん、勇気がある」
「昔から度胸と根性だけは超一流よ」
感心しきりのラオウに楓社長が補足するけど⋯⋯、楓社長! こんなときに、そんな褒め言葉要りませんから!
「だろ? 俺に楯突いた唯一の女だからな」
バカ男の自慢なんてもっと要らない!
「いや、でもですね。考えてもみてください。元は貧乏育ちです。息子さんの躾をする前に、道明寺家のお金に目が眩んで、私の方が駄目人間になるかもしれませんよ? 贅沢三昧して、これでもかってほど、湯水のようにお金を使う可能性大です!」
「ほぅ、それは助かるね」
⋯⋯え、助かる!?
心の底から叫びたい。何でよ!!
「我々はお金があっても忙しくてね、あまり使う暇がないのだよ。お金を使って経済を回すのも私たちの役目だ。それをつくしさんが担ってくれるのなら、これほど助かることはない」
「なっ⋯⋯」
庶民とのスケールの違いを見せつけられ唖然とするしかない。
「どれだけ使っても構わなくてよ。そんな簡単になくなる資産でもないですから」
楓社長まで恐ろしいことを言い出し、道明寺家の凄さを見せつけてくる。
「牧野、やれるもんならやって見ろよ。フッ」
道明寺に至っては『どうせおまえには無理だろ?』と言わんばかりに、鼻で笑われた。
何でだ。目論みが悉く崩されていく。
結婚話を破綻させるために何度も楔を打ち込むが、全く手応えを感じられない。
本来なら嫌悪されて然るべきなのに、どういうわけか良いように受け取られてしまう。
寛容すぎでしょ、道明寺家!
「ですがっ!」余力で以て抗議する。
「マナーもなっていないですし、私では道明寺家が恥を掻きます!」
力を込めて訴えたのに、
「あら、おかしいわね。私が直々に教えたから、つくしさんは完璧なマナーを身につけているはずなんだけれど」
「うっ⋯⋯」
楓社長の静かな、けれども有無を言わせない圧ある声に返す言葉はない。
⋯⋯⋯⋯詰んだ。
「楓のお墨付きなら、何処へ行っても通用する。何も心配は要らないよ、つくしさん」
「俺には内緒で、ずっと牧野とババァが繋がってたとはな。マジ面白くねぇ」
ラオウの太鼓判も、道明寺の不満も、私の耳を素通りしていく。
言葉を尽くしても聞き入れてはもらえず、こんなにも訴えている自分が、実体が伴わない無機質な何かに思えてくる。
今や言葉を失くした石化状態。肩を押されたら、簡単にコテンと倒れてしまいそうだ。
言いくるめられ、やり込められ、既に頭は飽和状態で。
反論して反論して反論しまくった果てに悉く潰されては、気力だって削がれるというもの。
呆然とする以外に何ができるというのか、誰か本気で教えてほしい。
尤も、教えてくれるような味方がいれば、こんな苦境には立たされていないわけで。
「というわけで、そろそろつくしさんの主張も出尽くしたんじゃないだろうか」
ラオウが穏やかな声音で紡いでいく。
「そこでだ。私としては、君の懸念を一つずつ潰して何の問題もないと判断したわけだが、それでもつくしさんが、どうしてもこの結婚に異を唱えると言うのであれば、」
そこで言葉を区切り、ラオウは道明寺を見た。
心得たように道明寺が頷き、どこに隠していたのか書類を2枚取り出す。
それをテーブルに広げると、ラオウは言った。
「つくしさんが選べばいい。病気をして息子に要らぬ苦労をかけてしまった私としては、司の望む結婚を後押ししたいんだがね」
ラオウだなんてとんでもなかった。今、目の前にいる人は、息子を愛する、ただの父親だ。
「しかし総帥としては、結婚を蹴るのであれば、そちらに署名してもらうしかない。結婚話が流れたら、きっと司はショックのあまり使い物にならなくなるだろうからね。ならば、回収できるものは回収しておかないと、社にとっての損失が多すぎる」
「全く以てそのとおりだ」
偉そうにふんぞり返り賛同する道明寺に一発お見舞いしたいところだけど、それよりも何よりも、目が釘付けになるのは書面だ。
一つは婚姻届。
もう一つは、バカ男が買収した企業譲渡に関する書類だった。
要は、その企業を買収したことで我が社のピンチを救い、その見返りは私だったわけだから、反故にするのであれば、買収した企業をうちの社が責任持って買い取れと言っている。
前に、見返りはわかり安く金銭であれば良いと思ったけど、これはレベルが違う。桁外れだ。
⋯⋯できるわけがない。
そもそも私の一存で決められるものでもなければ、私個人で支払える額でもない。
何百年生きたとしても返済は無理だ。
『絶望』の二文字が頭に浮かぶ。
「会社が関わっているためにこのような形になってすまないが、どちらに署名をするかは、つくしさんに選んでもらおう。勿論、私は婚姻届に書いてもらえれば嬉しいのだけれどね」
「オヤジ、完璧だ!」
まさかこれは、道明寺が考えたシナリオ在りきの展開なのか。称えるバカ男を見る限り、そうとしか思えない。
父親は笑みを浮かべ、バカ男に鷹揚に頷き返してから、
「ただ、会社に関する話はつくしさん一人で判断はできないだろうから、もう一人客人を呼んでいるんだ」
言うなり内線を繋ぎ客人を呼んだ。
⋯⋯寒気がするほど嫌な予感しかしない。
すぐさまドアが叩かれ入って来た人物を認めた私は、魂が抜け落ちたように、茫然と遠い目になった。
全ては完璧に仕組まれていて、初めから自分には逃げ場がなかったのだと、ここにきて漸く敗北を悟る。
「姉がお世話になっております。この度は、色々とありがとうございました」
折り目正しい人物は、言うまでもなく進だ。
ずっと別室にてスタンバイしていたに違いない。私に内緒で。
「今、結婚の話が流れるのであれば、こちらの企業を買い取ってほしいと説明をしていたところでね」
一人がけのソファーに進が座ったところで道明寺の父親が説明をするが、
「うちでは無理です」
弟は、いっそ清々しいほどの即答だった。
「じゃ、決まりだな。牧野、いい加減腹括れ」
道明寺がグイッと婚姻届を押し出してくる。
それを見て目を剥いた。
「ちょっと道明寺!」
私はバカ男を呼んだつもりなのに、
「何かね」
「何かしら」
「おぅ、どうした」
3人の道明寺さんが揃って返事をしてくる。
「え、いや⋯⋯息子さんの方でして⋯⋯」
しどろもどろで言ってから、書面を指さし仕切り直す。
「ちょっとこれ、どういうことよ!」
指をさした先は、証人の欄。
道明寺のお父さんと、うちのパパの名前が、ちゃっかり書き込まれてある。
「娘さんをくださいって挨拶に行くのは常識だろ? そんときに書いてもらった。返品不可だって言ってたぜ。それと、祝いの舞まで披露してくれた。相変わらず面白ぇな、牧野んちの親は」
「私たちも一緒にご挨拶に伺ったんだが、大変明るくて感じの良いご両親だね」
道明寺の父親に言われて顔が引き攣る。
あんの親ッ! 恥ずかしげもなくまた小躍りしたのか!
道明寺だけならいざ知らず、よりによって道明寺のご両親の前で!
というか、親に挨拶までしていたとは⋯⋯。
「それと姉ちゃん、退職の手続きは俺の方でしておいたから」
進がさらりと爆弾を落としてくる。
「はっ? 何よそれ!」
「名のある道明寺家に嫁ぐんだから、うちで扱き使うわけにはいかないでしょ。結婚を世間に公表したあとだって、姉ちゃんをマスコミから守るのは、うちじゃ難しいしさ。
それに気づいてないみたいだけど、金曜日の時点で、姉ちゃんの口座に退職金振り込んであるから」
どうやら私は、知らないうちに職まで失っていたらしい。
私に言うだけ言った進は、道明寺家の面々に向き直る。
「ふつつかな姉ですが、末永くよろしくお願いいたします」
あんたにふつつかとか言われる謂れはないわよ!
退職だって不当でしょうが!
そう返す気力も、残念ながら、もう残っちゃいなかった。
こうして、道明寺を筆頭とする道明寺家と進との連合軍により、私を置き去りに話はトントン拍子に進み、目を白黒させているうちに決まってしまった、道明寺との結婚。
途中で我に返り、強引な結婚を飲む代わりに、
「いざというときのための離婚届も同時に署名しなきゃ、絶対に婚姻届にサインはしない!」
と最後の最後で力を振り絞って騒ぐだけ騒ぎ、渋々ながらも道明寺を頷かせることに成功。
誰もが納得する理由がない限り離婚届の提出は禁止、との条件付きだけど、こんな場面で要求を捩じ込めただけでも、私にしては上出来だと思う。⋯⋯そう自分を慰めるしかない。
道明寺家で急いで用意してもらった離婚届と、予め準備されていた婚姻届。
片方の書面には力強く、もう片方の書面には泣く泣くサインをした私は、かくして、その日のうちに『道明寺つくし』となってしまった。
――――そして。
「マスコミに発表する前に勘付かれでもしたら事だ。追われたりでもしたら偉い目に遭うから、おまえ、今日からここに住め。俺はまだ進と話があるから、タマに部屋を案内してもらえよ」
帰ることも許されなかった私は今、市場に売られていく仔牛の気分で、タマ先輩に部屋を案内されている。
辿り着いた部屋のドアを開けてもらうなり、
「うわ、素敵⋯⋯⋯⋯って、違う! そうじゃない!」
うっとりしそうになるが、素敵なんて言ってる場合か!
確かに私の憧れが詰まったような申し分のない部屋ではあるけれど、私の部屋まで既にあるなんて、用意周到すぎて泣けてくる。⋯⋯勿論、嬉し涙じゃない。
何でこんなことになっちゃったのよ⋯⋯。
頭を抱えて蹲り、暫く立ち上がれなかった。
どれくらいそうしていただろうか。
しかし、嘆いていても状況は覆らない。ならば、開き直るしかない。
この結婚で会社が守れるのであれば、仕方がない。
会社存続のための政略結婚だと思って、結婚自体は甘んじて受け入れよう。
けれども、強引な手段を使われたからには、こっちもそれなりにやり返すまで。
⋯⋯良いわよ。
道明寺の嫁、やってやろうじゃないの。
こうなったら、あっと言わせる悪妻になってやるわよ!
「見てなさいよ、道明寺家! ここに悪妻爆誕よ!!」
私を嫁に迎えたこと、せいぜい後悔するがいいわ。
「ふっ、ふふふふふ」
メラメラと決意の炎を胸に灯し、顔を上げて不敵に嗤う。
「やれやれ」
薄く開いたドアの側。
すっかり存在を忘れていた先輩が、呆れて見ていたとも知りもせずに⋯⋯。

にほんブログ村
- 関連記事
-
- Lover vol.38
- Lover vol.37
- Lover vol.36