Lover vol.33
「牧野が売りに出てるっていうから買いに来た」
衝撃の余韻を払拭できずに、男を唖然と見ること⋯⋯1、2、3、4秒。
きっかり5秒めで声を張り上げた。
「人を物扱いしてんじゃないわよ! ふざけたこと言わないで!」
「違うのかよ、弟」
私を通り越し唐突に問われた進は、どうしてだか笑み崩れていて⋯⋯。
「違いません! 本日、特売日、大安売りです!」
鮮やかな手のひら返しを披露した愚弟に、くらくらと眩暈がしてくる。
手にしていたペンも、ポトリと落ちた。
一体、さっきまでの姉思いの弟はどこ行った!
Lover vol.33
「進っ! ふざけてる場合じゃないでしょ! とにかく、道明寺に構ってる暇はないの。とっとと帰って!」
「牧野、おまえは黙ってろ」
「はぁ?」
抗議も虚しく偉そうに返してきた道明寺は、ズカズカと部屋の中に入り、図々しくも一人がけのソファーを陣取った。
「なんであんたに指図されなきゃなんないのよ! てか、ホント何しに来たわけ?」
不機嫌さを目一杯顔に乗せて言ってやる。
感情を顕にするのは癪だが、今更だった。
「宝物探し」とやらで、取り繕った顔を強引に剥がされたのだから、もうどうだっていい。
「だから言ってんじゃねぇか、おまえを買いに来たって。こいつに脅されて、弟や会社のために身を売ろうとしてんだろ? だったら俺が買う」
瀧本さんに向かって顎をしゃくった道明寺の言葉に、途端に顔が強張った。
――――この男、一体どこまで事情を把握しているの?
表情を変えたのは、何も私だけじゃない。
瀧本さんも顔を歪め、先程までの余裕は消えている。
そんな瀧本さんを一瞥してから、テーブルに視線を移した道明寺は、
「胸糞悪りぃもん持ち込みやがって」
忌々しそうに言うなり婚姻届をビリビリと破りはじめた。
「瀧本、随分とナメた真似してくれんじゃねぇか」
呆気なく切り刻まれた紙が、瀧本さん目掛けて宙に舞う。
挑発的な道明寺の態度に、流石に瀧本さんの眼差しも険あるものへと変わった。
「まさかここに来て、道明寺さんが出張って来るとはね。でも、あなたには関係のないことだ」
瀧本さんが毅然と言い返すも、不敵に笑う道明寺に、ざわりと悪寒が走る。
――――な、何をするつもりよ。
自分がとつてもないものに巻き込まれそうな、嫌な予感しかしない。
小さく震えた体には、びっしりと鳥肌が立つ。
「そういやぁ、瀧本。おまえはまだ知らねぇようだな。仕方ねぇから教えてやるよ」
「⋯⋯何をだ」
「おまえが傘下に入れたクレアリゾート。そこの大口取引先が、ついさっき、うちの傘下に入った」
「えっ!」驚きが過ぎて声が勝手に漏れた。
それって、瀧本さんがやったことと、まんま同じじゃない!
一体どういうことよ? と詰め寄る間もなく道明寺は続ける。
「ついでに、おまえが狙ってたもう一社も、俺がもらっといたぜ」
瀧本さんが狙ってたってことは⋯⋯、まさか、一次請けまで傘下に?
続けざまの告白に、声を失う。
会社とは、ついでにもらうようなものじゃない。断じて違う。
そう突っ込みたいのに、軽い口調で次から次へと驚愕の事実が明かされたせいで、完全にパニックだ。頭が追いつかない。
こんなの、驚かない方がおかしい。
なのに⋯⋯、
「俺の傘下に入ったからには、瀧本。おまえが手にしたクレアリゾートを真っ先に切り捨てちまうかもな」
不穏な科白を吐く道明寺に、一切動じないヤツがいた。――――進だ。
瀧本さんに食ってかかっていたときの姿が嘘のように、今はにこやかに笑みを浮かべ、余裕すら感じられる。
道明寺の発言に驚いた様子が微塵もない。
不思議なことに進は、道明寺が現れたときから、ふざけたことを吐かすほどにご機嫌だ。
それに、そもそも道明寺が、私が売りに出ているなどと口にすることからしてあり得ない。
何故そんなことを道明寺は知り得ていたのか。
そこを考えれば、自ずと一つの可能性に着地する。
冷静さを欠いたがために遠回りしたが、至って答えは簡単だ。
要するに⋯⋯。
道明寺と進は手を組んでいる。
それも、木村さんの態度を鑑みれば、進の独断かつ秘密裏に!
道明寺は、瀧本さんが引き入れた会社の大口顧客を傘下にいれたのは「ついさっき」だと言っていた。
ということは、調印して直ぐにここへ駆けつけたことになる。
だからか。だから進は、瀧本さんに1時間も待ちぼうけを食らわせ、無駄に時間を引き伸ばしたのだ。
道明寺が来るまでの時間稼ぎとして。
つまり、協力体制をとっていた道明寺と進は、事前に瀧本さんの動きを把握しつつ、且つ、密に連絡を取りながら、瀧本さんを蹴落とす算段までとっくにつけていたってことになる。
⋯⋯オマケに私まで嵌めた。
音沙汰ないと思ってたら、裏でこんなとんでもない計画を企ててたなんて!
怒りがじわじわと胸を焼く。
「ま、そういうわけだからよ。弟、安心しろ。うちの傘下に入ったとこが瀧本んとこを切れば、この男が、こっちにちょっかい出す余裕はなくなる。下請けのことも安心しろ。悪いようにはしねぇから」
「はい、ありがとうございます!」
「対価は牧野な。牧野は俺が嫁にもらう」
「ええ、どうぞどうぞ、遠慮なく持ってっちゃってください!」
今にも小躍りしそうなほど進の声は弾み、とうとう血管がブチ切れた。
なんの茶番よ、これはっ!
「痛ってぇーっ! 何すんだよ姉ちゃん!」
進の頭を思いきり叩いてやった。
こういうときは殴るに限る。
涙目で睨んでこようが知ったこっちゃない。姉を特売品扱いするなんて以ての外、自業自得だ。
一時は確かにあった、姉思いである弟への感動を返せ!!
「瀧本、見たろ。これが牧野の本性だ。こんな跳ねっ返り、おまえごときじゃ手に余る。大人しく諦めんだな」
道明寺は言い募るが、「跳ねっ返り」は激しく余計だ。
「冗談じゃないわよ! あたしは絶対にあんたとなんか結婚しないからね!」
「あ? てめ、まさか瀧本の方がいいとか言うんじゃねぇだろうな」
「っ⋯⋯、そうね、あんたと結婚するより何万倍も良いかもね!」
売り言葉に買い言葉。思ってもいないことが口から滑り落ちる。
「てめっ⋯⋯。だったら覚悟してんだろうな」
「何をよ!」
「こいつに抱かれる覚悟に決まってんだろ!」
「っ⋯⋯!」
「なに黙りこくってんだよ。結婚するっつーことは、そういうこと込みだろうが。いいか、よーく考えてみろよ? そういう関係になんなら、昨日今日知り合った男より、俺の方が良いに決まってんだろ。相性の良さは過去に実証済みだしよ」
明け透けな物言いに言葉が止まる。
急に生々しい話に突入されれば、そこは私だって一応は女。僅かな恥じらいが、咄嗟に言葉を詰まらせる。
けれど、私よりもあからさまな態度の者がいて、お陰でそんなもんは急速に冷めた。
「なんであんたが顔真っ赤にしてんのよ!」
「いや、だって⋯⋯」
「だってじゃない! シャキッとしなさい!」
ウブな乙女でもあるまいし、進は、もじもじしながら見る間に茹でダコだ。
こんなにも純情なのに、どうして道明寺と組んで姉を嵌めるような大胆な真似ができたのか。こうして理解に苦しんでいる間にも、私に災いを運んでくる男の口は止まらない。
「まぁ、おまえが俺との結婚を拒否すんなら、大事な弟の会社を徹底的に追い込むまでだけどな。それがイヤなら俺と結婚しろ」
「っ! あんた卑怯よ!」
「俺は全力で行くっつったろ。有言実行だろうが。それに何が悪りぃんだよ。こいつだって同じことしてんじゃねぇか。なのにムカつくことに、瀧本との結婚は受け入れようとしたくせに、俺のは受け入れねぇとか、そんなんずりぃだろうが」
「卑怯な真似をした分際で平等を語るなっ!」
「姉ちゃん、頼むよ。ここは可愛い弟のために一肌脱いで、道明寺つくしになっちゃってよ、ねっ?」
脅しをかけるバカ男に、脅された側の進が笑顔で援護するという、カオス。
味方がいない中、私の気持ちは誰もが蔑ろで、どんどん劣勢に追い込まれていく。
「痛ってぇ!」
やり場のない怒りの矛先は、当然、最も近くにいる進になるわけで。今度は弁慶狙い、蹴りを一発お見舞いしておく。
相変わらず足癖が悪りぃな、と態度が誰よりも悪い男に呟かれて睨みつけるも相手にされず、男の目は瀧本さんを捉えた。
「それと瀧本。これ以降、牧野や弟の会社に手出しするってことは、俺に喧嘩を売ったも同じだって覚えとけ。悪足掻きしてみろよ。そんときは、踏みつけて踏みつけて、徹底的におまえを潰す。社会からおまえを抹殺してやるよ。
ま、その前に、おまえんとこの兄貴や親父が黙ってねぇだろうけどな。道明寺を敵に回す前に、身内におまえが潰されるかもな」
尊大な態度である道明寺の毒めいた忍び笑いが響く。
やがてそこに混じったのは、諦めが滲む瀧本さんの深い溜息だった。
「残念ですが、どうやら俺は引くしかないようだ。流石にこれじゃ、俺も分が悪い」
「へぇ。満更バカじゃねぇみてぇだな。わかりゃあいい。大人しくしてりゃあ、取引きも継続してやるからよ。命が惜しけりゃ、これからも賢い判断しろ」
「まさか、とうの昔に別れた女性のために、道明寺さんがここまでするとはね。お陰で俺は、とんだ道化でしたよ」
もしかして瀧本さん、道明寺と私の関係を知ってたとか? と疑問が湧くが、考える暇すら状況が許さない。
「よし、これで万事解決。弟、交渉成立だな!」
「異議ありっ!」
「はい、成立です! お買い上げ、ありがとうございます!」
差し挟んだ私の発言権は、道明寺も進も丸っと無視で。
切羽詰まった私の声をすっ飛ばした進の元気な返答に、背中に何ともいえない嫌な汗が滲む。
これはいよいよ本気でまずいんじゃないだろうか。と、不安と焦りが綯い交ぜになって、濁流のように押し寄せてくる。
冗談じゃない。
このままでは、相手の思惑に嵌り、自分の人生を道明寺のいいように操られてしまう。
けれど結婚を拒否すれば、常識という概念が損なわれている男だ。何を仕出かすかわからない。
いざとなれば、うちの会社を追い込むという脅しも、ただのポーズじゃ済ませない可能性だってある。
だからって、言いなりになって堪るかっ!
自分にとって道明寺との思い出は、数多ある黒歴史の中でも断然トップ、頂点に君臨している。
人生の汚点と言ってもいいその男と私が⋯⋯結婚!?
ない。ないないないないない!
あり得ないっつーの!
ガバっと勢い良く立ち上がる。
ドアまで走ると、くるりと向き直り宣言した。
「あんたとなんか、絶対に! ぜーったいに結婚なんてしないからっ!」
こうなれば、根底から覆すしかない。
我が身の人生がかかっているときに、私だって手段は選んでいられない。
早速行動あるのみと、捨て科白を残し部屋を飛び出した背中に、
「諦め悪りぃとこも変わんねぇなぁ。どうせ逃げても無駄だっつーのによ」
余裕めいたのんびり口調が追いかけてくる。
呪詛にしか聞こえないそれから逃れるように、走る足は止まらない。
自席に戻り荷物を掴むと、この忌々しい状況をひっくり返すべく会社を飛び出した私は、向かうべき場所へと急いだ。

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