Lover vol.30
「おっ、帰ってきたぜ! でもよ、何で別々なんだ?」
総二郎が2階の窓にへばりつきながら首を傾げる。
総二郎や類と共に一日遅れで合流した俺たちは、無人島にひっそりと建つ屋敷の中、司や牧野の関係がどう変化したのか、二人の帰りを今か今かと待ちわびていた。
『牧野がどうにもこうにも⋯⋯』と、プラス思考の滋すら苦笑するあたり、限りなく司の一方通行ってとこか。
まぁ、頑固者の牧野が、そう簡単に気持ちを翻したりはしないだろうが。
「にしてもよ-、牧野のヤツ、すんげぇー息切れしてんぞ」
窓際から実況中継を続ける総二郎の傍に皆で近づき、外の様子を覗いてみる。
⋯⋯なんだありゃ!?
牧野、女、捨てたのか?
Lover vol.30
木々に隔てられた二本の道が、ここからだとよく見える。
司が歩いている道とは別の方からこちらへ向かってくる牧野は、今にも「ぜぇぜぇ」という荒い息づかいが訊こえてきそうなほどの勢いで、地球に優しくない乱暴な足取りの大股ガニ股で、地面を叩き歩いている。
対して司はというと、一見、普通に歩いているように見える。
ゴシゴシと目を擦ってみても、視力の良い俺の目に映るのは、やはり普通に歩く司の姿。⋯⋯と、それに反する首より上。
「なんか司、すっげぇ怒ってないか?」
「みてぇだな」
やっぱり俺だけじゃないらしい。
確かめるように訊ねれば、総二郎の目にも、司の顔は怒り塗れと映っているようだ。
「俺には見える。司の額に浮き出る青筋が⋯⋯」
「すげぇな、あきら。んなもんまで見えんのかよ」
「あぁ、俺には見える。培ったマイナス思考が、著しく俺の視力をアップしているらしい。総二郎、あの様子じゃ青筋三本以上は確定だ」
「牧野と派手に喧嘩でもしたか?」
「かもな。二人の関係が好転するどころか、亀裂入りまくりの修復不可とか? しかも司は全開怒りモード。つまり、俺ら餌食に猛獣暴れる!?⋯⋯ど、どうすんだよ、あれっ!」
煮え切らずだんまりを決め込んでいたときの司を思えば、牧野相手に怒るほど自分を解放したのか、と喜ぶべきなのか。
いやいやいや、それはそれで俺が危惧していた傍迷惑っつーもんも、もれなくオマケで付いてくるやもしれん。
早くも今後の成り行きに不安を募らせる俺の背後から、深い溜息が訊こえてきた。
「何だよ、桜子」
「相変わらず美作さんは、しょうし⋯⋯⋯⋯心配性ですね」
「今、小心者って言おうとしなかったか?」
「そんな失礼なこと、私が美作さんに言うわけないじゃないですか」
その歪な笑顔が胡散臭い。
「それより、先輩と道明寺さんは、喧嘩なんてしませんよ」
「何でわかんだよ」
「だって、喧嘩になんてなりませんもの。先輩が能面の如く表情も感情も隠して澄ましてるんですから」
「そうそう、さっきも極端に表情消してたもんね~」
滋まで便乗してくる。
まぁ、確かに、昨日も牧野はそんな感じだったもんなぁ、と思い返していると、訊こえてきた笑い声。
「ぷっ、牧野面白い」
笑いの発生元、類の視線を追って窓の外を見る。
二つの道が、この建物に向かって一つに繋がる合流地点の少し手前。
立ち止まっている牧野は、だらしないほど両足を押っ広げ、膝に両手をついた前屈姿勢で、大きく肩を揺らしていた。
――オッサンか? いや、オッサン化!?
いくら息を整えているとはいえ、その格好は女としてどうなんだよ。
何とか呼吸が落ち着いたらしい牧野は、今度はスッと姿勢を正し、再び建物へと向かって歩き出した。
さっきまでの姿が嘘のように、気取った足取りだ。
司と同時に入った一本道では、少しだけスピードを上げ司を追い抜くも、悠然とした歩調は崩さない。
どうやら、桜子たちの言うことに間違いはないらしい。
司の気配を意識するや否や、オッサン化現象は忽然と消えた。
「お帰り、牧野」
「えーっ、類たちも来てたのー?」
2階から急いで降りて二人を出迎える。
真っ先に牧野に声をかけた類は、吹き出していたときとは打って変わって甘い笑みだ。
「てっきり3人は仕事で来れないのかと思ってたから、びっくり!」
そう言って俺たち3人を順に見る牧野。
「朝一で乗り込んで、おまえたちを待ってたわけよ」
総二郎が答えれば、「そうだったんだ。待たせちゃってごめんね」と両手を合わせる牧野に、俺は首を振って対応する。
「いや、気にすんな。外の景色見ながら、それなりに楽しんでたしな」
おまえの色気の欠片もない姿も拝ませてもらったし、とは我が身可愛さで言わないでおく。
でもそれは、牧野に殴られるのを危惧したからだけじゃない。牧野の背後に突っ立っているヤツの目を見れば、余計な発言は控えるべきだと、俺の中の警鐘が鳴る。
怒りの炎が揺れている司の目から逃げるように、そっと距離を取るまともな俺に反して、無謀な男が一人。
「よっ、司! ここは一発男として決めたか?」
総二郎、おまえは司のこの顔を見て、何でそんなこと訊けんだよ。
しかも今、もう一人の目もキラリと凶悪に光って見えたぞ!
凶暴な目の仲間入りを果たしそうな牧野に気づかない脳天気な総二郎は、止めときゃいいのに口を閉じようとしない。
「勿論、俺が言う一発ってのはベッドの上での――――ぐぇっ!」
ほらみろ、命知らずなヤツめ。
無言で右手を伸ばした司は、躊躇いもせずに総二郎の首を絞めた。
加減なしのそれ。ここまでされなきゃ危機感を抱かない総二郎は、黙って両手を挙げ降参アピール。
声を出したくても出せないようだ。
「ゲホッ⋯⋯ったく、冗談だろうがよ、冗談。ゲホッ」
解放された首を擦りながら咳き込む総二郎の冗談に、笑うヤツもいなければ同情するヤツもおらず、代わりにいるのは、
「司、私に怒ってるの?」
嬉しそうに訊ねる、滋という愚か者。
「怒ってねぇよ」
科白と表情が伴わない司に、
「ダメっ、あのときと違う! ここは私に怒るとこっ!」
と拗ねる滋が本気で理解できん。
それだけじゃなく、
「つくし~、潮風に当たったからベトつくんじゃない? お風呂入ろう!」
「まさか、滋さんも一緒に入るとか言う?」
「もっちろーん! だって、あのときも一緒に入ったじゃん! ほら行くよ~!」
滋は、どこまでも昔をなぞる気でいるようだ。
そんな女どもの様子を無言で見ている司に、喉の痛みが治まったらしい総二郎が促した。
「司、おまえも風呂入ってこいよ」
そして総二郎は、俺にもこっそりと言う。
「なぁ、昔はよ、あきらが何か言って司に首絞められたんだったよな? アレ、何って言ったんだっけか?」
素直な俺は、昔の記憶を掘り起こし「確か⋯⋯」と暫し考え答えた。
「どうせなら一緒に入ってきたらどう――ぐえっ!」
完全に自分を解き放ったらしい司は、野性的聴力を遺憾なく発揮し、声を潜めて言ったはずの言葉を簡単に拾って、迷わず俺の首をも絞めた。
「あきら、悪りぃな。首絞められるのは、あきらの役だったのに、さっきは大事なポジション奪っちまってよ」
酸素が上手く取り込めずチカチカする目で捉えたのは、ニヤリと笑う総二郎の顔。
もう少しでお花畑でも見えそうだ、と混乱する意識の片隅で俺は思った。
司だけじゃない。俺の周りにいる奴らは、揃いも揃って頭のネジが外れている。
そのせいで猛獣が暴れ出し、どんだけ俺が被害を被ったことか。
俺の役目はそんなんじゃねぇぞ!
そう叫ぶ代わりに喉元から溢れるのは、首絞めの刑から解放され、ゴホゴホと止まらぬ咳だけだった。
✦❃✦
「ったくよー、いつまでそうしてんだよ」
牧野と司、ついでに滋の入浴が終わって暫く団欒した後、食事が用意された船に全員で乗り込み、今は帰路の途中。
そんな中、一人違う雰囲気を纏っているのは、言うまでもなく司だ。
黒いオーラを背負いながらずっと口を噤んだままで、食事にも一切手をつけていない。
凶暴な目をどこまでもキープする司には感心するが、司に次いで、気の短い総二郎が詰め寄るのも無理はない思えるほど、司の態度は最悪といえた。
「だからっ! 何をずっと怒ってんだって!」
総二郎が話しかけても、目を合わせようとはしない司。
その視線がただ一筋に向かうのは、目の前に並ぶ料理を、片っ端らから平らげていく牧野のみ。
しかし、遂に司の重い口が動く。
「ムカつくんだよ」
地獄の使者を思わせる恐ろしいまでの低い声。
瞬時にして緊張が孕み、皆の視線を集める。
但し、黙々と料理を食べている牧野を除いては⋯⋯。
「何がムカつくって?」
総二郎が問えば、一人掛けの椅子に座っていた司が、組んでいた長い足を解き、立ち上がった。
「決まってんだろ。そこにいるバカ女の態度にだ」

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