Lover vol.27
Lover vol.27
「つべこべ言っててもしょうがないでしょ。何か私たちのことを勘違いしてるみたいだけど、こんなことしても意味ないってわかってもらうには、丁度良いかもしれないし?」
あっさりと牧野言われ言葉に詰まる。
俺への気持ちが微塵も残っちゃいねぇってわかってはいても、いざ言葉にされりゃ気持ちが怯んで。
そうして声を失っていた一瞬の隙。牧野は止める間もなくドレスを着たままプールに飛び込んだ。
「牧野っ!」
名前を呼んでももう手遅れで、水しぶきを上げ牧野の身体が水中に消えた。
「あのバカ!」
服を着たままじゃ下手すりゃ溺れる。正気の沙汰じゃねぇ。
慌ててプールサイドに駆け寄り飛び込んで牧野を引き上げよう、そう思った矢先。牧野が水面に顔を出し、ひとまず胸を撫で下ろす。
とはいえ、夏でもねぇ季節。だらだら水に浸かってたら風邪を引く。
「牧野っ、大丈夫か?」
「意外と気持ちよくてびっくりした」
「いいから早く上がれ!」
人の気も知らずにマイペースな牧野に、すかさず手を伸ばす。
「掴まれ! いつまでも浸かってたら風邪引くだろうがっ!」
濡れた身体に夜風が当たれば、マジで熱だって出るかもしんねぇ。
頼むから早く上がってくれ! と、心配で堪らず差し出した手に、意外にもすんなりと牧野は応えた。
水を含んで重くなったドレスを掴んで俺の方へと歩いてきた牧野は、白くほっそりした腕を伸ばしてくる。
手が触れ、互いにギュッと掴んだ瞬間。引き上げようとした俺を牧野の言葉が止めた。
「道明寺って、滋さんのことわかってないよね。滋さんのことだから、」
話の途中で区切った牧野は、見てみろとばかりに、滋たちがいるだろうコテージに向かって顎をしゃくる。
掴んだ手を離さぬまま、素直に背後のコテージを振り返ってた――その刹那。
「あそこから絶対見てるはずだから諦めて」
急に早口になったかと思えば、
「うおっ!」
「なんで私一人が、ずぶ濡れになんなきゃなんないのよ」
華奢な身体のどこにそんなパワーを隠し持ってんのか。凄まじい力で引っ張られ、俺は見事水ん中。
覚悟もないまま水の中に落とされた身体は、水中でバランスを崩す。
服が邪魔して動きにくい身体をどうにか立て直し、水中から顔を出せば、
「あ、ごめんごめん」
全く重みがない軽い謝罪を寄越してきた。
「だってしょうがないじゃない。あのときの再現を滋さんは望んでるみたいなんだから。だったら道明寺にだってプールに入ってもらわないと」
「⋯⋯⋯⋯」
「それに、みんなに無駄に期待されるのは、道明寺だって迷惑でしょう? 私だってそう。こんなことしたって何の意味もないじゃない。風景の変わらないこの場所にあるのは、宝物のような思い出じゃない。単なる記憶。プールに飛び込んだくらいで、それは何も変わらないってことを、滋さんにはしっかりわかってもらわなきゃ」
何も言えなかった。
何気なく言う牧野の言葉一つ一つが、俺の胸を抉ってく。
――思い出ではなく、単なる記憶。
あの頃の俺たちには、もう何の価値もねぇって切り捨てられたも同じで、
『夢なら叶った』
かつて、この場所で言った自分の言葉も何もかもが、俺に都合の良い幻だったんじゃねぇかと錯覚するほど、幸せに彩られた思い出が悲しみに塗り替えられていく。
「上がろっか」
二人で水に落ちる、その状況さえクリアしたら後は用はねぇとばかりに、牧野は沈みかけた制服を求めて動き出す。
両腕で水を掻いて歩く牧野は、ドレスが纏わり付いて歩きにくそうで危なっかしい。
案の定、制服を掴んだ途端に体勢が崩れ、咄嗟に腕を掴みそのまま抱き上げた。
どんなに傷を受けようが、どんなに大切な思い出が悲しみに染まろうが、牧野を想う俺の気持ちだけは、あの頃と何も変わらず不変で、愛する女を放っておけやしない。
「大丈夫だから下ろして」
「いいから黙って掴まってろ」
裾が長いドレスを纏って水中で歩くのは、容易じゃねぇ。
何と言われようと下ろす気のなかった俺は、もう二度と触れることはねぇと諦めていた身体を大事に包み込み、落とさぬよう慎重に水の中を歩いた。
「ありがとう」
プールの縁に辿り着き、牧野をそこに座らせる。
続けて自分も這い上がり、プールサイドから立ち上がった牧野に不意に目を向ければ、途端に心臓が騒ぎ出す。
水を含んだせいで、身体にぺったりと貼りついたドレス。くっきりと身体のラインが見て取れ、一気に身体が熱くなる。
けど、そんな俺を気にもしねぇ牧野は、あろうことか裾を捲り上げて素肌を露わにした。
たとえそれが、吸い込んだ水を絞るためとはいえ、闇夜に青白く映える牧野の肌は太股まで晒され、直視するには刺激が強すぎる。
俺の心臓は異常な速さで鼓動し、急いで背を向けた。
牧野の素肌を見るのは初めてじゃねぇ。
片手で足りる程度だったが、牧野の全てをもらい、何にも遮られずにありのままの姿を目にしたことだってある。
なのに当時も今も、牧野を前にすりゃ、いつだって俺の鼓動はこんなんだ。慣れることはない。
他の女に裸で迫られてもなんも感じねぇし、寧ろ、気色悪くて仕方ねぇのに、相手が牧野となると別人のように意識が変わる。
それに比べ牧野に動じた様子はなく、これが俺たちの今の関係なのかと思い知らされる。
俺を全く意識してねぇからこその恥じらいのなさ。⋯⋯多分、そういうことなんだろう。
衣擦れの音を拾う耳は熱いのに心は凍てつきそうで、背を向けた身体は棒のように動けなかった。
「どうかした?」
「⋯⋯⋯⋯いや」
暫くして背中越しに聞く牧野の声に遠慮がちに振り返れば、太股は皺ができたドレスに覆い隠されていて、人知れず安堵の息を吐いた。
「なら、コテージに入らない? 流石に寒くなってきたし、シャワーでも浴びにないと流石に風邪引くかも」
「ああ」
「じゃ、私行くから。おやすみ」
「待て。おまえ、行くってどこにだ?」
「決まってるじゃない。滋さんたちのところよ。道明寺は一人でゆっくり休むといいわ」
「滋のヤツ、すんなり部屋に入れてくれんのか?」
「だったら道明寺と一緒にコテージに泊まれとでも? あのときのように、裸で抱き合いながらキスまでして? 冗談でしょ」
羞恥の欠片もなければ、過去の思い出を端で笑うような言い様に、
「そうじゃねぇ」
己の声も自ずと低くなる。
「あいつがすんなり部屋に入れてくれるか心配なだけだ。身体が冷えんだろうが」
「意地でも入れてもらうわよ。結局、何も変わらないじゃない。プールに飛び込んだくらいで何も変わらない。そんなわかりきったことを敢えて妥協してやったの。当然、滋さんにだって妥協してもらうわよ」
じゃあね、と濡れた制服を抱え、牧野はあっさりと俺を置き去りにした。
「確かに変わんねぇな」
風に攫われるような小さな呟きは、未練なく背を向けた牧野には訊こえやしなかっただろう。
もし、訊こえていたとしたら、牧野は何を思うのか。
牧野が言い捨てた『変わらない』とは意味の異なるそれが、俺自身の気持ちだと知ったら⋯⋯。
どんなに鋭利な言葉で胸を切り刻まれようとも、変わらない、変えられない、18歳で知った揺るぎない想い。
あの頃から抱いているこの気持ちを――――俺はどうやったって捨てられやしない。
その晩、俺は一睡もできなかった。
ベッドルームから覗く滋たちのコテージもまた、朝まで煌々と明かりがついていた。
✦❃✦
「道明寺さん、おはようございます」
脳が休むことなく迎えた朝。
テラスに出れば、向かいのコテージの窓から顔を出した、牧野のダチであり総二郎の恋人。
確か⋯⋯、松岡と言ったか。
「朝食を用意してあるんです。こちらで召し上がりませんか?」
シャワーを浴びてから、誘われるままに向かいのコテージに来てみたものの、不思議なほど静かで波の音以外訊こえてこない。
朝食が用意されたテラスに出てみても、騒がしいはずの滋たちの姿は見当たらなかった。
「今、みんな散歩に出かけてるんです」
俺の様子を見て察したのか、コーヒーをカップに注ぎながら、静かな理由を教えてくれた。
「随分、元気だな。昨夜だってろくに寝てねぇだろ」
差し出されたコーヒーに口をつけてから何とはなしに言えば、松岡は不思議そうに首を傾げた。
「いえ、結構みんな疲れてたみたいで、早めに寝ましたよ? 初めこそ、つくしと滋さんが何だかんだと騒いでいましたけど、その後は直ぐにぐっすりで」
「明かりが見えたから、朝まで騒いでたのかと思った」
「あ、それはつくしが⋯⋯。あの、道明寺さん?」
突然、松岡の顔が強ばったかと思えば、いきなり頭を下げた。
「ごめんなさい。勝手に道明寺さんとつくしの思い出を話してしまって」
思い出か⋯⋯。
あいつにとっちゃ『記憶』らしいけど。
思わず自虐的な笑みが漏れる。
「気にするな。牧野もたいしたことじゃねぇって思ってんだろうし」
「でもまさか、こんなことになるとは思ってもなくて」
「どうせ、滋に強引に吐かされたんだろ」
図星か。下がり眉に困惑が滲み出ている。
だが、その困惑顔に変化が生まれた。
下がった眉はそのままなのに、口元を僅かに緩め、遠くを見つめる眼差しは、何かを懐かしんでいるようにも見え⋯⋯。
「あの当時のつくしは、本当に幸せそうでした。道明寺さんをとても大切に想ってたし、そんなつくしは、とても輝いていました。私は、あの頃のつくしに、もう一度会ってみたいんです」
切実に訴えてきた松岡は、「道明寺さんもそうですよね?」と付け加えると、俺の相槌を待って、穏やかに、且つ、芯の強さが窺える口調で全てを詳らかにした。
俺が知ることのなかった、空白の時間を⋯⋯。
知りようのなかった、牧野の隠れた一面を⋯⋯。
滋たちが戻ってくるそのときまで、詰まる想いを飲み下しながら、俺は松岡が語る話に黙って耳を傾けた。

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