Lover vol.25
人を威圧するのに慣れた声。
振り返ってその人を見れば、邪悪なオーラを醸し出し、鋭く冷酷な眼差しは、凶器にも見えた。
二人で話していたときのように物憂げな雰囲気は跡形もなく、昔ながらの姿がそこにある。
いや、たった一言発しただけで見るものを怯ませ、場を制圧してしまう姿は、昔以上の迫力だった。
Lover vol.25
「っ、道明寺⋯⋯司」
道明寺がいることに驚いたのか、それとも、凄まじい威圧感に呑み込まれたのか。
恐らく後者だと思われる瀧本さんは、唖然とした様子で道明寺の名を口にしたきり、完全に勢いを失くして立ち尽くしている。
対照的に、途端に人懐っこい笑顔を取り戻して弾んだ声を出す、我が弟。
「道明寺さん! ご無沙汰しています! お元気そうでなによりです!」
こんな状態の道明寺に、私だって話しかけるのは気後れするのに、進は心臓に毛でも生えているのだろうか。
さっきまでの態度とは、あまりにも違う進の変わり身の早さに驚きつつも、こんな愛嬌の固まりみたいな弟を、もし道明寺が威嚇するなら、私だって黙っちゃいない。
この男が、どうしてこんなに機嫌が悪いのかは知らないけど、腹立ちまぎれに進に何かしようもんなら、絶対に許さない!
いつでも食ってかかれるよう気持ちを構え、眦を吊り上げて道明寺を見ようとすれば、
「おぅ、弟。久しぶりだな。元気にしてたか?」
⋯⋯⋯⋯え。
⋯⋯⋯⋯何よ、それ。
想像とは違った意外な対応に、闘争心は、しゅるしゅると萎んで消えた。
「はい! 牧野家の人間は元気だけが取り柄ですから!」
「そうか。良かった」
穏やかに会話をする道明寺と進。
どうやら私の心配は杞憂だったらしく、先走った思い込みが、ちょっとだけ恥ずかしくて俯く。
けれど、それも束の間のことだった。
「道明寺さん。今日は姉ちゃんのこと、よろしくお願いします」
礼儀正しく45度姿勢で頭を下げる進にターゲットを変えた私は、またも目尻を吊り上げ、今度こそ狙いどおり突き刺した。
「あんたね、こんなときに何言ってんのよ!」
「え、だって、道明寺さんも一緒に行くんでしょ? だったら弟としては、きちんと挨拶をしておかないと」
何を素っ惚けたことを言ってるんだろうか、この子は。
私は行かないって言ってるのに、話の前提からしておかしいでしょうが!
第一、会社が大変なときに遊んでる場合じゃないじゃない!
そう叱り飛ばそうとした矢先。
「つくしさん、これからどちらかにお出かけに?」
割り込んできたのは、動揺が落ち着いたらしい瀧本さんで。
あれだけ道明寺の脅威を目の当たりにしたのに、ついでに言えば、脅威にはならずとも、驚異ではあっただろう進の強い視線まで受けたのに、ものの数分で自分を立て直した強かさに驚く。
けれど、私を驚かすのは、何も瀧本さんに限ったことじゃない。
「宝物探しに行くんだよ〜ん!」
私を差し置いて答えた脳天気な声に、膝が崩折れそうになる。
この抜群に空気を読まない感、相手の心持ちを挫きかねない軽い口調。
背後から答えたその人が誰かなんて、確認するまでもない。滋さんしかいない。
私の隣に並んだ滋さんは、瀧本さんに向かって、満面の笑みで自慢げにピースサインを向けている。
あれだけ拒絶したにも拘わらず、まだ『宝物探し』とやらを諦めていないのかと、もはや、呆れて閉口するしかない。
「まさか大河原さんにまでお会いできるとは、これは光栄ですね。それに、豪華なメンバーで宝探しとは、随分と面白そうな催し物だ。是非、私も参加させてほしいものですね」
図々しくも笑顔で話す瀧本さんは、きっと神経がおかしい。
いや、瀧本さんだけじゃない。あっちを見ても、こっちを見ても、一癖も二癖もある人たちばかり。
――――私の周りは、おかしな人で溢れている。
「進、何だか私、すごく疲れた。取り敢えず帰ろっか」
「うん。俺は帰るから、姉ちゃん気をつけて行ってきてね」
「⋯⋯⋯⋯」
⋯⋯弟までおかしい。
道明寺でもないのに、会話が成り立たない弟に反論する気も失せて、進の腕を引っ張って連れ帰ろうとしたけれど。
疲れもいよいよピークに達して力が入らなかったせいか。私の手からするりと逃げ出した進は、背後に回って私の両肩に手を乗せると、力任せに道明寺の方へと押し出した。
「ぎゃっ!」
つんのめるようにして、道明寺の胸に受け止められる。
「道明寺さん、姉のこと、よろしくお願いします」
「あぁ。今度、ゆっくり酒でも飲もうぜ」
「はい、是非! 何なら銭湯にもまた一緒に行きましょう! 背中の流しっこしましょうね!」
進のお願いを受け入れたばかりか、まさかの誘いまでかけた道明寺。
その道明寺が、ふざけた進の発言により、わなわなと怒りで震える私の肩に腕を回し、強引に引き寄せた。
突然のことに驚き「離して」と冷たい声で抗議したけれど、訊いちゃいないのか、人の肩をがっちり掴んで離さない。
銭湯行きの了承代わりか、道明寺は進に「フッ」と笑みを見せてから、
「行くぞ」
私の意思を無視して、ずんずんと歩き出す。
何とか振りほどこうと藻掻いてみても、馬鹿力の道明寺には叶わなくて⋯⋯。
「司~っ! 向かいのヘリポートに向かって〜! 私たちも後のヘリで追いかけるからさ、先に出発しちゃってね~!」
背中越しに訊くのは、道明寺を援護する、またもや呑気な声。
「私、着替えも持ってないんだってばっ!」
首だけ振り返り、ダメ元で滋さんに言ってみるけれど、
「大丈夫、大丈夫! 下着から服から何から何まで腐るほどあるからー!」
やっぱり相手にはしてもらえない。
ひとしきり私に向かって手を振った滋さんは、それにも飽きたのか、今度はご丁寧にも瀧本さんに説明まで始めている。
「瀧本さんが行っても、残念ながら宝物はないんだよねぇ。つくしと司にしか、お宝は用意してないからさ」
滋さんの声が段々と小さくなるほど、道明寺は強引に歩みを進める。
こんな非常識な行動に従えるはずもなくて何度も肩を揺らすけど、道明寺はピクリともしない。
「ほんとに離して。私、こんなことしてる場合じゃないの」
苛立ちを声に乗せれば、道明寺は前を向いたまま口を開いた。
「今は弟に任せとけ」
「何も知らないくせに、余計な口出ししないで」
「事情なら把握してる」
「え⋯⋯、知ってるの? だったら――」
「今、おまえにできることは何もねぇ。おまえが下手に動けば、余計に話がややこしくなるだけだ。今は大人しくしとけ」
「なっ⋯⋯!」
引きずられるように歩かされていた足に渾身の力を込め、何とか踏ん張って立ち止まる。
そんな私を無表情に見る道明寺に睨みの一つでも入れたいところだけど、爆ぜそうな感情は寸でで呑み込んだ。
道明寺を前に、これ以上、感情を露わにしたくはない。
くだらないプライドかもしれないけど、自分を曝け出すのは、絶対に嫌。
そもそも、大人しくしとけと言われて素直に従えるほど、今の私たちの間に信頼関係はない。
道明寺の言葉を簡単に信じたお人好しの自分は、とっくの昔に消え失せたのだから。
「道明寺に指図される覚えはないわ。何をどこまで知ってるのかはわからないけど、部外者である道明寺の言葉を無条件に信じられるほど、楽観視できる状況じゃないの。こんなときに宝探しだなんて馬鹿げてる。悪いけど帰らせてもらうから」
肩に乗った手を振り払い、平たい声で言うだけ言って方向転換すれば、即座に掴まれた手首。
ここまで言っても解放してくれる気はないのかと、抑え込んだ感情が今にも爆発しそうだ。
「俺の言うことなんて信じらんねぇか?」
「⋯⋯⋯⋯」
何も返さないことで肯定する。
「俺を信じろとまでは言わねぇから、弟くらいは信じてやれ」
「そんなこと言われなくても――」
「だったら、」
言葉を区切った道明寺は、私との距離を一歩詰めた。
「黙って弟の言うこと訊いてやれ。弟も今じゃ、立派に企業のトップに立つ人間だ。先を読む力くらい身につけてる。その弟が、この大事な場面でおまえを俺たちに預けたってことは、そうすることが一番の選択肢だと判断したからだ」
「⋯⋯」
「俺の目から見ても、その判断は正しい。これでも、何年も社会の動きに目を光らせ生きてきた。少なくとも、今のおまえよりも、俺には実績も経験もある。見る目は確かだ。
だからおまえも、昔の男の意見として訊くな。大企業を担ってる男の見解と思って訊け。
おまえがさっきみたく動揺して、あの男に付け入る隙を与えりゃ、それが足を掬われることにもなりかねねぇ。
大丈夫だ。直ぐにどうこうなる話でもねぇ。心配しねぇで、今は大人しく滋の企みに乗っかってりゃいい」
何を偉そうに!
黙ってろですって? で、宝物探しに行けと?
バッカじゃないの!
宝物探しとやらの企みだって面倒なのに、そんなもの行けるかっ!
内心では、感情が嵐のような激しさで荒れ狂うのに、それでも言い返さなかったのは、僅かな理性が押し止めたからだ。
悔しいことに、道明寺の言うことが正論すぎたせいで。
ここで騒げば、駄々をこねる子供と一緒だ。
本人の言うとおり、同年代の誰よりも早く厳しい社会に揉まれて生きてきた道明寺は、確かな目を持っていると思う。培った知識も私とは比べものにならないだろう。
世界を動かすポジションにいる男として捉えれば、到底、足元にも及ばない私は、道明寺の言うことも尤もだと譲るしかなかった。
昔の男云々を抜きにする前提ならば、実力の備わった男の意見を訊くくらいの器は、私にだってある。
それに⋯⋯。
道明寺が指摘したように、私は確かに動揺した。
瀧本さんの言わんとすることに慄いて、もしもあのとき道明寺が現れなかったら、きっと私は、相手に余計な言質をくれてやっていたかもしれない。
「わかった、行くわよ。これでも決断したら切り替えは早い方なの。だから、この手は離してくれる?」
空いてる手で、道明寺のものをやんわりと払う。
もう何も言わない道明寺に背中を向け、誰に指図されずとも、軽快な足取りでヘリポートを目指した。
数分で辿り着いたビルの屋上。
待機していたヘリに、二人して無言で乗り込む。
離陸してからも、一切の会話を持たない私たちをヘリが運んだ場所は、かつて二人で訪れた、
――――水上コテージだった。

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