Lover vol.24
「そういえば、昨夜は姉がお世話になったようですね。ところで、今日は姉に何か? それとも私に用があって、こんな所までいらしたのですか?」
普段は物腰の柔らかい進が、相手を牽制するように低い声を崩さない。
「そんな怖い顔しないでくださいよ、牧野社長」
進の背中に隠れている私には見えないけれど、どうやら進は、表情にも険しさを滲ませているようだった。
Lover vol.24
「まさか、牧野社長までこちらにいるとは思ってもみませんでしたよ。つくしさんからは、友人たちと船にいると訊いていたのでね。今日は、つくしさんにお返ししたいものがあって伺ったまでです。先ほどつくしさんには、電話でお伝えしておいたはずなんですが」
ん?⋯⋯電話⋯⋯あっ!
どういうこと? と確かめるように振り向いた進の顔は、確かに険しく、目には怒りの色が浮かんでいるように見える。
「ご、ごめん。確かに電話で話はしたんだけど、あの⋯⋯、その⋯⋯、話を全く訊いてなくて⋯⋯別のこと考えてたから、この場所も無意識に教えてたのかも」
瀧本さんに聞こえないよう、情けない声で進に説明する。
道明寺のピアノに聴き入っていたせいで、瀧本さんの会話をすっかり蔑ろにしていた私は、本気で会話の内容を覚えていない。
瀧本さんに不信の念を抱いていたとしても、失礼な態度であったのは確かだ。
呆れたように息を短く吐いた進は、直ぐさま瀧本さんへと向き直り、向こうの目的を直裁に訊いた。
「で、姉に返したいものとは?」
「昨日、つくしさんが店に預けたものですよ」
瀧本さんは、胸ポケットから白い封筒を取り出し、ひらひらと揺らしてこちらに見せる。
きっとあれは、私が店員に押し付けた、複数の諭吉様だ。
「多分、昨日の食事代。奢ってもらうのも腹立しいから、店員さんに預けて逃走したの」
小声、且つ、早口で進に説明する。
「私も困ってしまいましてね」
瀧本さんが大袈裟に肩を竦めてみせた。
「昨日は私から誘ったものです。私にも男のプライドがあるんでね。好きな女性に逃げられた上に、食事代まで払われたら立場がないでしょう。同じ男として、牧野社長なら私の気持ちもわかっていただけるのでは?」
「⋯⋯そうでしたか。それは姉が大変失礼をしたようで。折角のご厚意ですから、今回は甘えさせていただきます。ね? 姉さん」
姉さん、なんて畏まって呼ぶ進に促され、おずおずと前に出て封筒を受け取る。
「⋯⋯ご馳走さまでした」
不本意ながらお礼を伝え、直ぐにまた進の背中にそっと隠れれば、瀧本さんは笑みを深くした。
「すっかりつくしさんには嫌われてしまったかな? それはもっと困ってしまうな」
言葉とは裏腹に、困った様子を探しだす方が難しい安定の笑みだ。
不気味だとしか思えず怯える私とは違い、毅然とした態度で進が切り返す。
「そう思うのであれば、姉の気持ちを汲んでもらえませんか? 今回は、瀧本さんのご厚意に甘えましたが、今後は一切、姉に近づかないでいただきたい」
「ほう。随分とつくしさんを大事にしているらしい。姉弟仲が良いのは美しいが、しかし、いつまでその仲が続くのか、大変、興味があるところだ」
「ご心配なく。変わりませんよ、姉との関係はこれからもずっと」
「私がどんな手を使っても?」
「ええ。今の私があるのは、姉のお陰ですから。あなたの興味が姉にあろうと別にあろうと、大切な姉をあなたに渡す気はありません」
頼りなかった昔の姿は見る影もなく、進の言葉に胸が熱くなる。
と同時に、昨日から募らせた疑念は深まり、掌に冷たい湿り気を感じた。
進が言った『別』が差すもの――それは、うちの会社だ。
きっと瀧本さんは、うちの会社に手を出そうとしている。
その情報を掴んでいた進は、対応すべく動いていたに違いない。
私に悟られないよう、木村さんと秘密裏に。
昨日、断片的に訊こえてきた、進と木村さんの会話こそが、それを証明している。
『――目立った株⋯⋯』
『――会社名義の土地⋯⋯』
今ならはっきりわかる。
何を仕掛けられるかわからない中、進たちは最悪の状況を見据えていたのだと。
懸念の一つが買収で、だから応戦できるか否かを見極め、買収防衛策を練っていたのだと確信を持つ。
「つくしさんにも私の考えに気づかれてしまったかな。でも、つくしさん。私は昨日、話したはずだよ。俺は、欲しいものは諦めない、とね。
さて、つくしさん、君はどうするかな? 自分を守るか、それとも可愛い弟のために――」
「黙れっ! 姉ちゃん、こんな話まともに訊くな! 何があっても姉ちゃんは渡さないから、余計なことは考えなくていい!」
折角、大人の男性らしく『姉さん』だなんて畏まっていたのに、毅然とした態度も台なしで、進が感情を剥き出しにする。
でもそれは、私を思ってくれているからこそ。
毅然とした態度も、感情を露わにするのも、全部は私の身を案じるがため。
弟の深い愛情に触れ、自然と目に薄い膜が張る。
姉思いの愛すべき弟に、私はどんな決断をすれば良いのだろうか。
かなりの努力を積み重ねて今の地位を築き上げ、家族を助け守り続けてくれた弟。
大切な弟に、私がしてあげられることは――――。
「つくしさん。その時が来たら、賢明な判断を期待してますよ」
「煩いっ、黙れっ!」
忍び寄る影に心は冷え、考えるほどに力が抜けていく。
普段から滅多に怒らない進がここまで声を荒らげる事態に、進の腕を掴んでいた手にも力が入らなくなる。
けれど、耳の感覚だけは研ぎ澄まされていて――――
「つくしさんは、賢い女性だ。きっと私が望む答えを――っ!」
だらん、と腕を下ろし、アスファルトを見つめる私の耳が次に拾ったのは、瀧本さんが小さく息を呑む音と、背後から近づく足音。
そして⋯⋯。
「何してる」
たった一言なのに、進とは比べものにならないくらい威圧感漂う、道明寺の声だった。

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