その先へ 23
大人しく眠る牧野を見ながらぼんやり考えてると、力の抜けている牧野が俺の方へと傾き、やがて、もたれ掛かかって来た。
触れる右腕から伝わってくるのは、心地好い重みと柔らかな温もりで…………俺は瞬時に固まった。
固まると同時に、忙しなく動く箇所があることに気付き、余計に体が強張る。
何が起こってるんだと考えれば考えるほど、忙しなく動くのは、心臓だ。
なんでこんなにも落ち着きをなくす?
初めての経験に、何度も何度も息を吐き出し戸惑いを逃がすも、鼓動が煩せぇ。
寝てるこいつに気付かれんじゃねぇかって焦っても、更に心拍数をあげるだけだった。
……有り得ねぇ。この俺が女にドキドキしてんのか? しかも、触れただけで?
これは何かの間違いだ! 早く牧野の家に着いてくれ! 心臓が持たねぇ!とひたすら願い、漸く車が止まったのは、それから10分ほど後だ。
緊張がやっと解ける、と安心したのも束の間。
「……おい、着いたぞ?」
恐る恐る手を伸ばし、肩を何度か軽く揺すりながら声を掛けるも…………起きねぇ。起きる気配が全くねぇ!
どうすんだよ、運ぶのか? この俺が? こんな動揺しながらか?
考えあぐねる俺の気など知らず、運転手によって開けられたドア。
「201号室だそうです」
西田から部屋番号も知らされていたのか、運ぶのが当たり前だと言ってるようにも聞こえた運転手の言葉に、仕方ねぇ、と覚悟を決め、横向きに抱きかかえ外に出ると、今度は別の意味で驚いた。
何だよ、この軽さは。
あんなにバクバク食うヤツなのに、何でこんなにも軽いんだ?
華奢だ華奢だと思ってはいたが、まさかここまでとは。
腕の中にいる女を見下ろせば、極め細やかな肌をした安心しきった色白の顔に、トレンチコートの袖からは細い手首と、裾からはスラリと伸びた足。
改めて知る華奢な体をしっかりと包んでやりたくなり、運転手に俺の薄手のコートを車内から取らせて牧野に掛けた。
力を入れたら簡単に折れちまいそうで、落とさないようにと、大事に大事にそっと運ぶ自分に、呆れた笑みが漏れそうになる。
こんなに気を遣ったなんて嘗てあったか? と自問しながら入って行った先は、オートロック仕様のマンションだ。
弟と住んでると聞いたばかりの俺は、先ずはインターホンを鳴らしてみるかと、ゆっくり手を伸ばしかけた時。閉ざされた自動ドアの向こうから走ってくる男の姿に目が留まった。
自動ドアが開くと、
「道明寺さん!」
声をかけられ、思わず腕の中を見る。
起きねぇか?
そんな心配要らねぇほど、ピクリともしやしない。
「道明寺さん、すみません。秘書の方から連絡を頂いて……」
目の前まで来た、穏やかそうな男が頭を下げた。
なるほど。
抜かりない西田が、予め連絡しといてくれたのか。
ってことは……。
「牧野の弟か?」
「あ、はい。弟の牧野進です。いつも姉がお世話になってます。しかも、今夜はこんなご迷惑まで……」
「いや、無理に付き合わせたのは俺だ。却って悪かったな。取り敢えず、部屋まで運ぶか?」
体格的に見ても、俺が運んだ方が早いだろ。
「そんな悪いです。すぐ起こしますから!」
「気持ち良さそうに寝てんのに可哀想だろ。運ぶから気にすんな」
「ホント、すみません」
閉まった自動ドアを鍵でもう一度開けた弟に続き、中に入ってく。
一階に止まってるエレベーターに乗っても、二階だから直ぐだ。
そこから右に降りて、一番手前が201号室だった。
「邪魔するぞ」
声をかけて上がり、弟が案内する部屋へと足を踏み込めば、ふんわりと柔らかい香りに包まれる。
キョロキョロ見渡すわけにも行かず、弟が掛け布団を捲ったベッドに、牧野を静かに下ろした。
布団を掛け、顔にかかった髪をそっと払いのけると、自分のコートを手に部屋を出た。
「道明寺さん、ありがとうございました。今、お茶でも淹れますので」
「いや、大丈夫だ。車も待たせてあるしな」
「なんか、すみません。姉がこんな風になるなんて、普段なら絶対にないはずなんですが……。道明寺さんだから安心したのかもしれません」
柔らかな笑みを携え、俺だからと言う弟とは、まるで前から知ってる風な言い方だ。
「もしかして、以前にも俺と会ったことあるか?」
「はい。何度か」
「すまない。俺は──」
「事情は知ってますから、気になさらないで下さい」
「そうか、悪いな。後で牧野のコート脱がせてやって。じゃあな」
「はい! 本当にありがとうございました。おやすみなさい」
「あぁ」
マンションから出ると肩の力がやっと抜け、待たせてあった車に足早に乗り込むと、グッタリした体をシートに沈めた。
……一体、俺はどうしたんだ?
あまりにらしくなかった今日一日。
俺でさえ知らない自分が顔を出し、今日ほど自分が分かんねぇと思ったことはない。
今夜は眠れねぇかも。
気持ちのバランスが乱れ、アドレナリンまで出てんじゃねぇか、多分。
今夜は帰ってからも酒を飲んで気を鎮めるか。そう考える傍から浮かぶ顔。
牧野の怒った顔が浮かび、また鼓動がトクンと跳ねた。

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