fc2ブログ

Please take a look at this

冬に舞い散る花びら《前編》


「うっ、寒い」

駅を出るなり冷たい風が頬を切り、反射で肩を窄める。

「天気予報当たるかも⋯⋯」

一人呟いて見上げた空は、見渡す限りの雪模様だった。







高層ビルが屹立した街の中を歩く。
普段は、駅から吐き出された人たちでごった返すビジネス街も、土曜日である今日は、いつもの雰囲気と少し違っていた。
スーツを脱ぎ捨てた人たちの方が多く、家族連れもチラホラ見える。

世間では束の間の休息日。
だけどそんなもの、私には必要ない。 
家で休むくらいなら、戦闘服に身を包んで仕事に勤しんでいた方が、よっぽど気も紛れる。

かつて、まだ少女だった頃。
身に纏っていた制服戦闘服は、鎧のように重かった。

今は重みなんて感じない。
程よい緊張感で気を引き締め、私の全てを包み隠すのに丁度良い優れたスーツが、今の私の戦闘服。
今日は黒のパンツスーツに身を包み、戦場であるこの巨大ビルへと足を踏み入れた。

「おはようございます。牧野主任、コーヒー淹れましょうか?」

「おはよう。大丈夫よ、自分のことは自分でやるから。それより早いとこ片付けないと帰りが厄介よ」

「そうですね。夕方から雪になるって予報出てますものね」

第四新規事業開発部が立ち上がったのは、一週間前。
この部署の主任と言うポストを与えられ、まだ円滑に進められない仕事を軌道に乗せるべく、休み返上で働いている。
私だけじゃない。土曜日だというのに、部長以外は全員休むことなく出勤していた。

まだ纏まりのないこの部署で、自分よりも年上の部下を持ち、肩書きと言う名で以て重く伸し掛かる責任。
挙げ句、結果を残しつつ理不尽な上司からの小言だって引き受けなければならないのだから、何とも厄介な立場だ。

今までいた営業部の成績で任されることになったこのポスト。けれど、時代の流れとともに年功序列ではなく実績優先に傾いたとはいえど、未だ女だ、年下だ、と言うだけで妬みの対象にはなる。

それだけが原因とは言い切れないのが苦しいところだけど⋯⋯。

営業部にいる頃は良かった。常にノルマだけを意識してれば良いのだから。
自分を追い込んでのノルマ漬けは苦痛じゃない。寧ろ、有難かった。
忙しさに塗れていた方が救われる。
感情を切り捨て、虚勢を張って生きる方が、仕事をする上でも私生活でも丁度良い。

いつしか虚勢は虚勢でなくなり、それが私の真の姿だと誰もが認識している。────私も含めて。

『冷静な女』
『可愛げがない』 
『生意気』
『仕事に生きる笑いもしない女』

これが他人から見た今の私だ。
実際、幾度となく耳にもしてきた。
口にこそしなくても、そういう目で見てくる人だって多い。

今だって、指示を出せば返事はするものの、あからさまに不満顔の年上の男性部下。
言われたくなければ結果を出せばいい。少なくとも私はそうしてきた。

感情に振り回され自分を見失うのは愚かなことだ。
自分をコントロール出来るのが、大人になるということ。
その方がよっぽど楽に生きられるし、私はその術を身に付けただけ。




「お疲れさま。これ出張先のお土産」

黙々と仕事を片付ける中、出張帰りの専務が顔を出した。

前触れもなく登場した専務に、「お疲れさまです」と、皆が一斉に立ち上がり頭を下げる。

「牧野主任、昼休みになったら部屋に来て」
「畏まりました」

恐らく手土産はついでだ。
この人は、私を呼び出すのを目的として、この部屋にやって来た。
私が妬みを持たれる理由の一つが、この人との関係にある。

今度は一体何の用だろうか。

専務に振り回されるのは慣れているとはいえ、何が待ち受けていか分からない以上、昼までに少しでも仕事を片付けた方が無難だと、手の動きを早めた。







専務室の前に立ち、息を一つ吐き出してから重厚なドアをノックする。

「牧野です」
「どうぞ」
「失礼します」

部屋の中へと入りドアを閉めるや否や、飛び掛ってくる我が社の専務。

「つくし~!」

「ちょ、ちょっと待って⋯⋯っ。⋯⋯く、苦しいんですけど⋯⋯」

「だって、一週間ぶりなんだも~ん」

何とか抱きついてくる手を振り解き、ぜえぜえと呼吸を整える。
十年経っても変わらない、この挨拶代わりの儀式だけは未だ慣れない。
か細い身体に、どれだけのパワーが潜んでいるんだか。抱擁を受け止める側は命懸けだ。
よくも今まで自分が無傷で生き延びてこれたもんだと、感心すら覚える。

「滋さん、たった一週間じゃないですか。それより、一体今日はどうしたんですか?」

「決まってるじゃん! つくしとお喋りしたいから、一緒にお昼を食べようと思ってね!」

ほら見て、と指を指す方を見れば、テーブル一面、所狭しと料理が並べられていた。

「滋さん⋯⋯、他に誰が来るとか?」

「誰も来ないけど? 滋ちゃんとつくしの二人きりだよ!」

相変わらず『程々』という言葉を知らないらしい。
とてもじゃないが、二人の胃袋じゃ収まりきらない量の料理を見て、早くも胸焼けを起こしそうだった。







「でねでね、向こうも久々に休日が取れたから、一緒に過ごすことが出来たんだ!」

食べても食べても減らない料理を口に運びながら、NY出張の出来事を、目を輝かせながら滋さんは話す。
それもそのはずで、NYには滋さんの恋人がいる。

「良かったですね。タイミング良く彼もお休みが取れて」

「うん。それでね⋯⋯⋯⋯これ」

ほんのりと頬を染めた滋さんは、もじもじしながらバッグから何かを取り出した。

「滋さん、もしかしてこれって!」

取り出した物は、左右に開くことができる濃紺色の小さな箱。
見なくても分かる。開けば何があるのかは。

「うん、プロポーズされたの」

「うわ、おめでとう! 良かったね、滋さん!」

自分のことのように嬉しくて、こんなに心が弾むのは久しぶりだった。

「えへへ。ありがとう。でもね、本当は一年前にプロポーズされてたんだ。だけど決心がつかなくてね⋯⋯⋯⋯ねぇ、つくし? 私、幸せになっても良いかな?」

何を言ってるのだろう、この人は。
真剣な面持ちで、何でそんなことを訊いてくるのか、まるで意味が分からない。

「なに言ってるんですか、当たり前じゃないですか。幸せになってほしいに決まってます」

「ありがとう、つくし。私、本当はね、自分がつくしにしたことが正しかったのか、自信がなかったんだよね。
無理やりうちに就職させて、敢えて厳しい部署に放り込んで。
でも、そんなやり方じゃなくて、もっと時間をかけて傷を癒やさせるべきだったんじゃないかなって」

突然、自分の結婚話から私の就職したての頃に話が変わる。 

何を今更言い出すのだろうか。

「止めてよ、滋さん。感謝こそすれ、後悔なんて何一つないんですから」

確かに強引に就職先は決まったけれど、それが滋さんの優しさだってことは、他の誰でもない私が一番よく知っている。
強引にでも手を差し出さなければ危うい。そう思われても仕方ないほど、私は気力を失くしていたのだから。

「でも、つくし。あまり笑わなくなったでしょ? 仕事を通してどんどん厳しい表情になっていくつくしを見ていたら、無理に私が会社に引きずり込んだからじゃないかって⋯⋯」

何も手につかず、就職先も決められずにいた私に手を差し伸べてくれたのは、滋さんだ。
そこには感謝しかない。

実際、仕事を始めてみれば余計なことを考える暇はなかったし、それが有り難くもあった。
だから、ひたすら仕事にのめり込み、脇目も振らずに突っ走ってきた。
それが延いては滋さんへの恩返しにもなる。決して顔に泥を塗る真似だけはしてはならない。そう心に刻みながら。

滋さんはこんな性格だから、私と友人であることを隠さないために、未だ私をコネ入社だと見下す人もいる。
本当なだけに反論はできないけれど、周囲を黙らせるには実績が必要だった。
けれど本当に私が必要としていたのは、実績を手にするまでの過程である忙しい日々。その時間こそが何も考えずに済む、唯一の自己保身だったのだから⋯⋯。

「やだ、滋さん。滋さんが気にすることなんて本当に何もないですよ? 私は、自分がそうしたくて突き進んできただけ。昔のように戻りたいだなんて思わないし、私は今の自分に満足ですから」

「つくし⋯⋯、あたしはつくしにも幸せになってほしいんだよ」

「⋯⋯充分幸せよ、私は」

何か言いたそうに、けれど結局は何も言わずに寂しげに微笑んだ滋さんは、唐突に立ち上がり窓際に行く。

「⋯⋯雪、降ってきたね」

滋さんの声に引き寄せられ、私の視線も窓を向く。
ガラスの向こうでは、大粒の雪がひらひらと踊っていた。

「そういえば、つくしって遭難しかけたことがあるんだって? 危ないとこだったって訊いたよ」

────遠い過去の思い出。

初めての海外での出来事は、淡い恋の始まりだったかもしれない。

「⋯⋯そんなこともありましたね」

もう思い出すこともなくなったというのに、途端に真っ白な世界にいたあの頃の二人が、脳裡に鮮明に蘇る。

「ねぇ、つくし」

窓の外をじっと見つめていた滋さんは、ゆっくりと私の方へと振り返ると、静かにそれを口にした。




「司、帰って来たよ」











「あの、本当にいいんですか?」

「大丈夫よ。ここまで終わったなら、後は来週に回せば良いから」

「牧野主任は、まだ帰らないんですか?」

「私も、もう少ししたら上がるから心配しないで。気をつけて帰ってね」

「はい。じゃあ、すみません。お先に失礼します」

予定より早く降り出した雪は、思いのほか凄い勢いで景色を変えていく。
都心の交通事情は雪に弱い。
他の社員が早々に帰る中、唯一、私を慕い最後まで残ってくれていた女子社員をも帰すと、一人居残り仕事に集中する。が、それも一時間ほど。
いよいよ本格的に降り出した雪を見て、流石にこれ以上残るのは厳しいと判断し、書類を閉じPCの電源も落とした。


会社のエントランスを出ると、細かく吹き荒れた雪は、目に入るもののほとんどを白く染め上げていた。

鞄から取り出した折りたたみ傘を広げ、時折、足元を滑らせている人たちを眺めながら、駅とは別方向に足を進める。
混んでいるだろう駅へ向かうより、歩いて帰りたかった。
歩いたところで、一時間とかからない。どうせ急ぐ用事もないのだから。

転ばぬよう足元にだけ意識を集中させ、ゆっくりとした調子で足を進める。
そうすることで、気を逸らしていたかった。
何かを意識せずにはいられない。じゃなければ、昼に滋さんから訊いた言葉に囚われてしまいそうになる。
過去を思い出したところで顔色一つ変わらなくなったはずが、どうしてだか今日は、胸がざわついてしまう。それが堪らなく怖い。

まだ戦闘服は着ている。全てを隠し、気を張らせてくれる戦闘服を。
なのに今日ばかりは役に立ちそうになかった。

決して私の前で口にすることのなかった滋さんは、どうしてこんな日に限って、あの人の名を口にしたのだろうか。

私は、恨めしげに雪雲を睨んだ。

たった一人の名を訊いただけでこんなにも心を掻き乱されるのは、同じ雪を遠い過去に重ねてしまったせいか。

もう終わったことなのに⋯⋯。
六年前に儚く散った恋なのに⋯⋯。

情けないことに何年経ってもまだ、過去が私に纏わり付く。
こんな自分を葬りたくて、現実を思い知らせるに相応しい場所へと、六年ぶりに行ってみようと思った。






『別れよう⋯⋯。約束を守れず、悪かった。おまえは、もう自由だ』

四年後の約束はただの口約束で、形のないものはこの場所で無効となった。

あの日、久しぶりに見た道明寺は精悍な顔つきで、知らない人のように見えた。
単調な声音で告げられ、表情からは何の感情も読み取らせないまま私に背を向けた後ろ姿は、桜の花びらが舞う中、やがて小さくなり────そして消えた。
一度たりとも振り返りもせずに。

取り残されたのは、儚く散った花びらと、抜け殻のように立ち尽くす、21歳の私が流した涙だけ。
失ったのは、綺麗なものを綺麗と素直に喜べた感情と、この世で一番大切な人からの愛だった。

別れを告げられた場所であり私の中から色が消え失せたのが、今、目の前にあるこの公園だ。

六年ぶりに来てはみたものの、過去の幻影が私を臆病にさせ、入り口から一歩も踏み込めずにいる。
まるで、夜中の墓地にでも迷い込んだように怖くて足を動かせない。

そこへ、突然はしゃぐ子供たちの声が割って入り、私の目が自然と声のする方へと向く。
雪の白さに照らされた子供たちの笑顔は眩しいくらいに輝いて見えて、それに励まされるように、思いきって足を踏み出した。

一歩ずつ近づき辿り着いた、大きな桜の木。
いつしか止んでいた雪に気づき傘をたたむと、あの時とは違う色を着飾った木を見上げた。
この木の向こうに、あの人は疾うに消えていったのだと、わざと自分に知らしめるために⋯⋯。




「おねえちゃん、なにしてるの? なにかいるの?」

不意打ちに齎された声に振り向けば、自分の視線よりかなり下にその子はいた。
小学一年生くらいだろうか。少し離れたところには、こちらを気にした様子の女の子もいる。
綺麗な瞳を持った男の子は、不思議そうに首を傾げている。


「お、お姉ちゃんって⋯⋯、私?」

「うん。なにみてたの? なにがいるの?」

『お姉ちゃん』と呼ばれて戸惑いを覚える年頃だ。
そう呼ばれても抵抗がないのは、弟である進ぐらいのもので、こうも堂々と言われると、こそばゆくて仕方がない。
そんな悩ましい年齢であるいい大人が、ずっと同じ木を見上げていたのだから、よっぽど面白いものがあると思われても不思議でななかった。

「何もないよ。何もないんだ」

「なにもないのにみてたの? へんなのー!」

「そうだよね。本当に変だよね」

「ねぇ、おねえちゃんゆきだるまつくれる? おっきーいやつ!」

私の変な話はあっさりと消し去り、男の子の関心事は既に別のものに変わったようだ。
両手をいっぱいに広げて話す無邪気な姿は、塞ぐ心に清新な空気を吹き込むようで、少しだけ呼吸も気持ちも軽くなった私は、男の子と視線を合わせるように身を屈めた。



「作れるよ。お姉ちゃんと一緒に作ろっか、大きな雪だるま」






《後編に続く》
にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト



  • Posted by 葉月
  •  0

Comment 0

Post a comment