Lover vol.13
Lover vol.13
「どう? 気に入ってくれたかな?」
テーブルの上で輝くダイヤ。
唖然とする私に、瀧本さんは笑みを湛えて訊いてくる。
普通の女性なら、甘い艶を含んだ笑みに顔を染めるかもしれないけれど、生憎とイケメン抗体のある私には通じない。
何より、この奇っ怪な言動は人を不愉快にさせる。
詰めていた息を逃し、目に強い意思を乗っけて、真っすぐに瀧本さんを見据えた。
「瀧本さん、お気持ちはお伝えしたとおりです。指輪はもらえません。このような物を出されても迷惑です」
「だから先に謝ったじゃない」
駄目だ。通じない。
私の気持ちなんて、まるっきり無視だ。余裕の笑みが癇に障る。
食事中のときは会話もそこそこ弾み、別段、嫌な思いをすることもなかったのに。
一歩踏み込んだ話になると、途端に理解力が低下するという、特異な思考能力をお持ちらしい。
イライラが燻り、こっそりスカートの上で拳を固めた。
「俺に兄がいるのは知っているよね」
突如、話の方向性が変わる。
話だけじゃない。瀧本さんの顔からも笑みが消えて、無の表情に切り替わる。
一体、何を語りたいのか。
頷いて答え、警戒と怒りを維持しながら続きを待つ。
「うちの兄はね、跡継ぎってだけで、いつだって両親に大事にされてきんだ。次男である俺のことは後回しで、中心にいるのは常に兄だった。
長男ってだけで周囲にチヤホヤされ、俺が我慢を強いられているのも気づきもせず、当たり前のように社長の座に就いた兄が⋯⋯、俺は、心底嫌いだ。
だが、兄をサポートするのが役目だと幼少の頃より叩き込まれてきた俺は、望まれるまま期待に応えてきたし、そのために諦めたものだってある。
今じゃ、そうすることに俺自身が慣れてしまったけれど、でも、」
言葉を止め、溜めを作った瀧本さんは、口元に薄い笑みを刷いた。
「君のことだけは、諦めるつもりはない」
⋯⋯勘弁してよ、何の宣言よ。冗談じゃないっつーの!
諦めるつもりはないなんて言い渡されても、そんなもの、今すぐ生ゴミと一緒に捨てたいくらい迷惑な話だ。
今までどれだけ我慢をしてきたかは知らないけど、諦めなきゃならないことなんて、生きていれば山ほどある。
恋愛だって同じ。片方の想いだけで成り立つもんじゃない。
一方通行の想いで失恋する場合もあれば、止むに止まれず諦めるしかなく実らない恋愛だってある。
辛かろうが哀しかろうが、現実を受け入れて乗り越えるのが普通でしょうよ。
それができないなら、端から恋愛なんてするんじゃないわよっ!
相手の気持ちを一切汲もうとはしない瀧本さんに、苛つきも倍増だ。
けれど、それを気取られないよう隠し、凛とした態度で応じる。
「瀧本さんの考えは、私には全く理解できません」
「好きになった人を諦めたくない気持ち、理解できない? 俺は少しでも君にわかってもらいたんだけどな」
「いいえ。あなたの言動全てが理解できません。知り合って間もない告白も、不躾なプロポーズも、指輪を押しつけようとするのも、全部含めてです。
そもそも私は、男女間において相手を理解しようなどと端から思ってません。どんなに信頼しようとも、それは知っているつもりになっているだけで、結局は、相手の奥深くに潜む思いなんてわかるはずないんです、所詮他人なんですから。考えるだけ無駄です。
そう冷めた考えを持つ私に、瀧本さんを理解する日は来ないでしょうし、自分は結婚には向かない人間だって、自覚もしています」
話を引き延ばしたくなくて、愛想笑いも浮かべず淡々と話せば、流石に相手も少しは驚いたようだ。
「確かに⋯⋯。そこまで冷めた思考の持ち主だとは思わなかったかな。過去によっぽど辛い恋愛でもしたとか?」
けれど、驚きはそう長く続かず、意地が悪く見える笑みに取って代わる。
それが益々腹立たしくて、素直に答えてやる義理はないと、質問には敢えて触れない。
「とにかく、そういう人間なので諦めてください。ただ⋯⋯」
「ただ?」
「違うかもしれませんよ、お兄様の気持ちは。どんなにチヤホヤされようが、本人は喜んでいるとは限りませんし、苦痛なだけかもしれません。視点が変われば、思いだって違うでしょうから。
もしかしたら、立場が邪魔して自由だってないかもしれないお兄様の方が、諦めなくてはならないことが多くあったとも考えられます。他人の私に言う前に、お兄様と腹を割って話してみたらいかがですか?」
「へぇ。跡継ぎである兄の気持ちの方が、つくしさんには理解できるようだ」
まぁ、そう言われてしまえば、確かにそうか⋯⋯。
瀧本兄を擁護する気は更々ないのに、話を訊いていたら何だかモヤモヤして、すっきりしなくって。
理由は本人の私にすらわからないけれど、自分にも弟がいるから、こんな兄弟関係は寂しいと感じてしまったのだろうか。
ともあれ、無神経にも感情のままに生意気な口を利いたのは、出しゃばりが過ぎるというものだ。
「余計な口出しでした。他人事ながら、兄弟の不仲を寂しく感じてしまったものですから。でも出過ぎた真似でした。すみません」
「謝らなくていいよ。きっとつくしさんは、牧野社長と仲の良い姉弟なんだろうね。ただ、それこそ俺には、理解できるものではないかな」
「考えは人それぞれですから、仕方ありません。瀧本さんと私では、考え方にかなりの隔たりがあるのだと思います。――――ですから、これは受け取れません」
瀧本さんとは相容れることはない、と匂わせて、テーブルに置かれたビロードの箱を、少しでも私から遠ざけるように押し返した。
ここまで言えば、もう充分よね。
私が男なら、こんな可愛げのない生意気な女なんてごめんだ。
これ以上、ここにいる必要はない。
「瀧本社長。今日は、お誘いいただきありがとうございました。そろそろ私、失礼させてもらいますね」
「この近くにお洒落なバーがあるんだ。良かったら飲み直さない?」
⋯⋯⋯⋯え。
何この人⋯⋯怖い。
ここまで言っても誘ってくるって、どういう神経よ。
それとも私の態度にムカついて、これは一種の嫌がらせとか?
「そんな驚いた顔しないでよ」
いや、普通に驚くでしょうよ。
メンタル最強過ぎて、ドン引きですから。
「俺、言ったよね。諦めないって。君に出逢って、俺は初めて人を好きになったんだ」
⋯⋯有り得ない。
想いを止める権利は私にだってないかもしれないけど、何を言われても端から諦める意志がまるでなく、押し付けてくるだけの想いなんて恐怖でしかない。
「すみません。もう時間なので失礼します。弟が煩くて、10時までには帰るよう、きつく言われてきましたので」
もう何を話しても多分無駄だ。
進の言葉を借りて逃げるしかない。
「ふーん、牧野社長がね。俺、牽制されてるのかな?」
「牽制?」
「何でもないよ。ただの独り言。でも⋯⋯面白い」
何故か不敵に笑う瀧本さんは、ビロードケースから指輪を取り出すと、シャンパンが残るグラスに沈めた。
シュワッ、と弾ける音と共に、細かい気泡に包まれた指輪。
「どうやらこの指輪は気に入ってもらえなかったようだね。今度は、つくしさんに気に入ってもらえる指輪を用意しとくよ」
沈んだ指輪を眺める瀧本さんの顔には微笑が浮かんでいて、でも目の奥は笑ってなくて。
歪な表情に寒気を覚えた私は、バッグを掴んで立ち上がる。
「どんな指輪も受け取りません。失礼します」
踵を返した私の背中に、意味深な言葉が追いかけてくる。
「さて、いつまで仲の良い姉弟でいられるかな」
思わず反応して振り返るけど、言葉の意味を問うような真似はしなかった。
一刻も早く立ち去った方がいいと、私の中の警鐘が鳴る。
口角を引き上げる瀧本さんに、キッと睨みを入れてから、急いで個室を出た。
今日はよく走り、よく階段を駆け下りる日だ。
追いかけて来られたりでもしたら大変だと、部屋を出た瞬間からトップスピートで店内を駆けている。
この場所が大人の空間だろうが知ったこっちゃない。
ひたすら1階の会計を目指すのみ。
なのに1階に着き、預けていたコートを受け取りながら会計場所を訊ねれば、テーブルチェックだと教えられ動揺してしまう。
見渡してもキャッシャーらしきものは見当たらないない。
だからって、瀧本さんに奢ってもらうのだけは嫌だ。
あの不敵な笑みを思い出すと、意地でもお金を出したくなる。
とはいえ、また部屋に戻ってお金を叩き付けるのは、流石の私も怖い。
「お客様、どうかなされましたか?」
店内ダッシュしただけでも充分不審な客なのに、更に突っ立ったまま黒目を上に向け、どうしたもんかと考えていたのだから、更に輪をかけて怪しいヤツだと思われているかもしれない。
それをおくびにも出さない店員の前で財布を取り出した私は、シャンパン代にはならなくとも、食事代に色を足す程度にはなるだろうお金を抜き取り、有無も言わさず店員さんの手に握らせた。
「瀧本さんの予約で2階の個室にいた者です。これをお会計に充ててください」
「あの、お客様困ります」
「いえ、私も困りますから」
慌てる店員と慌てる私。
5人の諭吉に別れを告げた私は、今度は店員さんから逃げるために店を飛び出し、また走った。
「はぁ、はぁ、はぁ」
い、息が苦しい。
駅方向に向かって走り、店からは大分離れた。
ここまで来れば大丈夫だろう。
念のために背後を確認してみても、誰かが追ってくる気配はない。
暫く立ち止まって呼吸を整えてから、今度はゆっくり歩き出した。
それにしても気分が悪い。
私と進の仲を疑うような、あの言い方が面白くない。
そりゃあ、姉弟だから喧嘩はする。でも、お互い引きずらないし、寧ろ姉弟仲は良い方だ。
それは、これから先も変わらないはず。
なのに、何であんなこと言われなきゃならないんだか。
牽制とか、意味のわからないことを言うし、諦めない宣言までしてくるし⋯⋯。
未だ怒りは鎮められないものの、呼吸が整ったから酸素が回り出したのか。
段々と冴えだした頭が突として思考を一つに結び、会社で耳にした、途切れ途切れに拾った会話に行き当たる。
『目立った株』
『会社名義の土地』
――――そして、そこに出された自分の名。
一つの疑念が脳裏に閃き、ゆっくりと歩いていた足が止まる。
さっきまで頭に昇っていたはずの血が、今度は嘘のように、サーッと引いていく。
⋯⋯だから、進は様子がおかしかったの?
居ても立ってもいられずバッグからスマホを取り出すと、直ぐに進の名をタップした。
『姉ちゃん、どうした? 何かあった?』
ワンコールで出た進の心配そうな声が、ますます私の緊張を高めていく。
「進、あんた、あたしに何か隠してる? 瀧本さんのこと、何か知ってるんでしょ?」
『姉ちゃん落ち着いて。そこに瀧本さんはいるの?』
「いない。もう別れてきた。それよりどうなのよ! あたしの質問に答えて!」
『姉ちゃん、今どこ?』
「もうすぐ駅よ! そんなことより――」
『だったら、直ぐにタクシーに乗って帰っておいで。街中で話す内容じゃないからさ。何も心配いらないから、落ち着いて帰ってきなよ? じゃあね』
訊きたいことを何一つ訊けないまま、切られてしまった電話。
違う。そんな馬鹿な話あるはずない。願望も込めてそう思うものの、どうしても払拭できない。
――――早く帰って真相を確かめなければ。
疑念による緊張が全身を包む。
油断すれば縺れそうになる足を必死に動かしながら、タクシー乗り場へと急いだ。

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