Lover vol.10
えーっ、ちょっと何よ、これ!
明日って、いくら何でも急すぎるでしょうがっ!
押し捲ったミーティングが終わって席に戻ってみれば、進からの伝言と共に白い封筒が置いてあって、中身を確認した私は目を丸くした。
時計に目を遣ると、時刻はもうすぐ18時になろうしている。
18時半の約束を思えば、直ぐにでも会社を出るべきだろうけど、どうしても一言文句だけは言っておきたくて、鞄とコートをひったくるなり社長である進の元へと急いだ。
Lover vol,10
『⋯⋯目立った株⋯⋯まだない』
『はい⋯⋯でも一応⋯⋯いいように⋯⋯会社名義の土地を⋯⋯』
『あぁ、直ぐに調べ⋯⋯⋯⋯つくしちゃん⋯⋯』
『いえ、まだ⋯⋯』
社長室のドアの前。
ノックしようと手を上げたとき、それは聞こえてきた。
ドア一枚に隔たれた会話は、断片的にしか聞き取れなかったけど、自分の名前が出たことだけは、はっきりと耳が拾った。
私がいないのを良いことに、話のついでに人をネタにでもしているのだろうか。
会話が途切れたらしいところで、ドアを3回ノックする。
「はい」
「つくしだけど良い?」
「どうぞ」
中に入れば、デスクの前に立つ男が二人。
机上に散らばっていた書類を纏めた進は、デスクを回って引き出しにしまい、呆れた眼差しを私に向けてきた。
「姉ちゃん、社内走ってきたの?」
平然を装っているつもりでも、全速力で走ってきた結果、僅かに息が上がっていたらしい。
「し、仕方ないでしょ。時間がないんだから。そもそも、あんたのせいよ、あんたの!」
「だからって走るなよな。子供じゃないんだから」
進に窘められた私の傍では、もう一人の人物が、ぼそっと呟く。
「息が乱れてんのは、進のせいってより、つくし姉ちゃんの歳のせいだよなぁ」
「悪かったわね!」
失礼な科白をしれっと吐くのは、うちの社の専務で、名を木村三郎と言う。
女性受けの良さそうな柔らかな容貌の持ち主で、実際、訊くたびに彼女の名前が変わるモテっぷりだ。
残念なのは、顔にも時代にもそぐわない、父親が三番目の息子だからという安易な理由で付けた、漢数字の名前くらいだろうか。
本人は常々、同じ芸能人の名前なら『拓哉』が良かったと嘆いている。
そんな彼を私は、木村さんと呼んだり、専務と呼んだり。
でもこんなときには、彼が一番嫌がる呼び名で反撃する。
「私を歳っていいますけどね、私の方がサブちゃんより年下ですから!」
「サブちゃん言うなっ! 俺に似合わない演歌の香りがプンプンする」
よっぽどそう呼ばれるのが嫌だったのか、木村さんはがっくりと肩を落とした。
私を、つくし姉ちゃん、と呼ぶ木村さんは、歳は私より一つ上で、進の大学時代の先輩にあたる。
歳の順から考えれば木村さんが社長になるのが妥当だけれど、木村さんは、二番手の方が自分の力を発揮できると意見を譲らず、会社設立時、ナンバー2である専務の立場を選んだ。
後輩である進は、先輩を差し置いての社長職というものにかなりの抵抗を示したものの、
『年齢なんて関係ない。人にはそれぞれ向き不向きがあるんだから』
と主張する木村さんに折れる形で、現在の立ち位置に落ち着いた二人。
周りの目がないところでは、未だ先輩後輩の関係のままだけれど、社交的で行動力のある木村さんと、真面目で冷静な判断ができる進が、若い身ながらも社員をリードし、うまく纏ていると思う。
大きなバックアップがあったとはいえ、会社を軌道に乗せてここまで大きくしたのだから、なかなか二人は良いコンビだ。
「あの、落ち込んでいるとこ申し訳ないんだけど、タクシーを呼んでもらえると助かるかなぁって。お願いします、専務!」
手を合わせてお願いすれば、「頼むときだけ専務かよ」と、ぼやきながらも、木村さんは受話器に手をかけた。
「で、姉ちゃんが俺に文句があるのは、それでしょ?」
私の文句を早くも察したらしい進は、私が手にしている白い封筒に目を向けた。
「そうよ! いくら何でも急すぎない? こういうのは、もっと早めに言ってもらわないと!」
「そうしたいのは山々なんだけどさ、それが社に届いたのが昨日なんだよね」
「ええっ!?」
「俺も木村先輩も仕事があるから、姉ちゃんに行ってもらうしかないでしょ。それ見れば、行かないとまずいって言うのはわかるよね?」
そりゃわかる。わかるけど⋯⋯、それにしたって随分と常識外れなお誘いだ。
「この前会ったときは、何も言ってなかったのになぁ⋯⋯」
「仕方ないよ。そういう人でしょ?」
にっこり笑って言う進に「確かに」と納得してしまう。
常識に囚われない人だってことは、長い付き合いで十分承知はしている。けれども⋯⋯。
にしたって、急でしょ!
明日だなんて!
『俺の代わりに出席して』という、進からの伝言の紙とともに置かれていた白い封筒の中身は、クルージングパーティーの招待状。
送り主は、10日前に会ったときには、この件には何も触れず嵐のように立ち去って行ったあの人、滋さんだ。
しかも、個人的なものではなく、大河原の役員として滋さんの名が刻まれているために、取引のあるうちとしては、急だろうが何だろうが出席しないわけにはいかない。
たとえ、滋さんが騒ぎたいだけで企画したんじゃないの? と勘ぐっても。
その裏には、何か企みがあるんでしょ? と疑惑しか湧かなくも。
進たちが行けないのなら、振り回されるのを覚悟で私が行くしかない。
「わかったわよ、行ってくる」
「うん、頼むね。急な開催らしいから、仕事繋がりって言っても、滋さんとの交流が深い気兼ねのいらない人たちだけを集めたらしいんだ。100名ほどの、滋さんにしちゃ規模が小さいパーティーみたいだよ」
急なパーティーに拘わらず100人も集められるとは、流石は大河原家のご令嬢。
進曰く、滋さんの手がけたプロジェクトが成功したことから、日頃、お世話になっている人たちへの感謝を伝え、より一層の親睦を深めためたいという名目の元、このパーティーは開催されるらしい。
いかにも取って付けたような名目だ。
感謝と言いながら呼ばれる側のことは鑑みない、矛盾したこのパーティー。
突発的な催しは、普通に考えれば誰にとっても迷惑な話なのに、そこへの考慮は一切ないらしい。
「まぁ、堅苦しいものじゃないみたいだし、純粋に楽しんできなよ」
そう言って、進が私の肩をポンと叩く。
そのまま私の横を通り過ぎ、コーヒーメーカーの前に立った進は、カップを手にしたところで、「あ、そうだった」と話を付け加えた。
「類さんから連絡あってね、明日のパーティーには類さんも出席するから、姉ちゃんも一緒に車に乗せていってくれるって。明日16時にマンションに迎えに来てくれるそうだから、くれぐれも待たせないようにね」
進も意外と強引だ。
私からの出席の確認も待たずに、類と勝手に決めちゃってるんだから。
明日は土曜日で、久々に仕事もないから、一日中ぐーたらするつもりだったのに、計画は台無し。
今夜といい、明日といい、精神的に疲れそうな一日となりそうだ。
唯一、休息日となる日曜日こそは、絶対にダラダラ過ごしてやるんだから!
内心息巻きながら、ソファーに腰を下ろす。
「つくし姉ちゃん、タクシーあと5分くらいで来るってよ」
「ありがとう、木村さん」
ソファーの肘掛けに腰掛ける木村さんにお礼を言うと、バッグからポーチを出して中からファンデーションを取る。
コンパクトのミラーで確認しながら、少しだけ落ちている口紅を素早く塗り直した。
「なになに、つくし姉ちゃん。これからデート?」
化粧品をポーチにしまいつつ、ニヤつく木村さんの視線に合わせる。
「だったらマシなんだけどね。残念ながら、そんな気楽なものじゃないのよ」
思わず眉を寄せ、溜息を漏らした。
言葉どおり、この後の約束は、私を憂鬱にさせるものでしかない。
浮かない顔をした私の前に、進がコーヒーを差し出してきた。
「ありがとう」
受け取ったコーヒーからは白い湯気が立ち上り、5分でこれは飲めないでしょ、と思うものの、せっかく弟が入れてくれたコーヒーだ。
ここは有り難く素直に受け取り、早速一口いただく。
「眉間に皺作るくらい嫌なら、断ればいいのに」
いつの間にか並びに座っていた木村さんが、簡単に言ってくれる。
私だって、断れるものなら断りたかった。
実際、何度も何度も断ったのに、けど相手が悪すぎた。
「私だってそうしたかったんだけどね。残念ながらその人、強引だし話通じないし、何度電話で断っても諦めてくれなくて」
私が嘆いた途端、どういうわけか、進の表情が強張った。

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