Lover vol.9
幻覚でも見間違いでもなく、今まさに考えていた人物――牧野が、路肩に寄せた俺の車の脇を通り過ぎていく。
まさか偶然にも牧野に遭遇するとは⋯⋯。
しかし、今しがたの出来事を思えば、安易に牧野に声をかけるのは躊躇われた。
したくてそうしたわけではないにせよ、結果として司を煽ってしまったのは、他ならぬ俺。
牧野の知らぬところで、話を急展開させてしまった張本人としては、どうしたって負い目を感じてしまう。
だけど、今は夜だ。
暗い夜道を歩くダチを見つけたとなれば、紳士である俺としては放っておくことはできない。
たとえ、競歩でもしてんのか? と疑いたくなるほど、軽快なリズムでアスファルトをカツカツと刻み全く隙がないとしても、牧野だって一応は、女。
見つけた以上、一人で帰らすわけにはいかない。
足早に通り過ぎて行った牧野に合わせ、ゆっくり車を走らせるよう指示を出すと、深呼吸をしてからパワーウィンドウのスイッチに手をかけた。
Lover vol.9
「そこの彼女、俺の車に乗ってかない?」
「⋯⋯⋯⋯」
あれ? 反応なしかよ。
疲れた精神の底上げを図って、敢えてハイテンションで声をかけてみたが、そのせいで俺だとは気づかなかったのか?
いやいやいや。いくら何でもこれだけの長い付き合いだ。俺の声くらいわかるだろ。
「おい、無視すんなって。夜道は危ないから送ってく」
気を取り直して普通に話しかけてみるが、やはり牧野は、律動的な足取りを崩しやしない。
どころか、振り返りもせず前を向いたまま、無情にも言い放った。
「ナンパならお断りします。好みのタイプでもないんで」
うっ、こ、こいつ!
俺の顔を見ずにタイプじゃないと言い切ったところが、俺だと気づいている証拠だろ。
タイプだと言われても困るし猛獣にも殺されたくはないが、言われ慣れていない科白の直撃を受ければ、繊細な俺のハートはズキズキと痛むんだよ!
⋯⋯今日はとことん突き落とされる日だ。
「⋯⋯おいおい、いくら何でもそれはないんじゃないか?」
「私、急いでるんで。ごめんなさーい」
待てぇーい!
いつまでナンパごっこする気だ!
「車を停めてくれ」
俺の存在を無視した牧野は、本当に足を止める気がないのか、こうしている間にもスタスタと歩いて行ってしまう。
車が停車するなり飛び出した俺は、道を曲がったところで漸く牧野に追いつき、その肩を掴んだ。
「おまえ、まさか俺の声を忘れたわけじゃないだろうな」
肩を掴まれ強制的に足止めさせられた牧野が、やっと俺を見た。
「なーんだ、美作さんかぁー。質の悪いナンパかと思った」
「わざとらしいぞ、牧野」
「あはは、バレた? 美作さんがふざけてきたから、疲れてるのに調子合わせてノってあげたんだけどね」
言われてみれば、自己申告通り、牧野の顔は幾分疲れているように見える。
「牧野、疲れてんなら乗ってけよ。送ってくから」
「いいのいいの、大丈夫。歩きたい気分だし」
「じゃあ、俺も歩くとするか。ほら行くぞ」
「え? いいよ。私なら一人で大丈夫だから。今まで仕事だったんでしょ? 何だか美作さんも疲れた顔してるよ? あまり無理しないで?」
わかってくれるのか、俺の疲労度を。
しかも、おまえにまで傷つけられたから、精神的疲労具合は、また一段上がったところだ。
「俺は仕事っていうか⋯⋯ボランティア?⋯⋯みたいなもんだな」
へぇ、凄いね! と感心する牧野には言えない。
司が再び恋路に踏み出せるよう、刺激を与えてしまったなどと、言えるわけがない。
「歩いて帰るくらいの体力は余ってるから、心配すんな。遅くなるから行くぞ」
ごめんね、と謝る牧野にこそ謝りたい俺は、牧野の隣に並び一緒に歩き出した。
「で? 牧野が冴えない顔してるのは、何か仕事でトラブルとかか?」
「仕事は問題ないけど、まぁ、今日は色々と、ね。特に実家でちょっと⋯⋯あ、そうだ」
曖昧に答えたかと思えば、急に何かを思い出したように、牧野が俺の目を見てくる。
「何だ、どうした?」
「あのさ、先に言っておいていい? って言うか、言っとく」
「何だよ」
「道明寺の話なら遠慮しときますんで」
「っ⋯⋯え⋯⋯」
「何で動揺するの? まさか美作さんまで、道明寺の話をするつもりでいたとか? だから送ってくって言ったわけ?」
「え、や、そうじゃない。送ってくのは俺の優しさだ」
牧野の方から司の名前が出るとは思わず焦ったが、別に何か言うつもりなんてなかった。
寧ろ、言えない話満載だ。
いっそ、何もかもをぶちまけて、「ごめん」って謝れたら、どれだけ気が楽になれることか⋯⋯。
「そっか。違うなら良いんだけどさ」
司の話なら、おまえがいないところで勝手に話は付けてきた、とは言えるはずもないから、別の言葉で濁す。
「実家で何か言われたのか?」
答える代わりに牧野は、肩を落として深い溜息を落とした。
なるほど。話は見えたぞ。
牧野が疲れているのは、恐らく牧野の親が原因だろう。何となく想像はつく。
「今更、昔話を蒸し返されてもねぇ」
「⋯⋯ま、まぁ、そうだよな」
影でしっかり蒸し返してきてしまった俺は、冷や汗をかきかき話を合わせる。
「あいつに睨まれてから散々よ」
「睨む?」
「相変わらず目つき悪いよね。私、街中のビジョンで見かけて、思わず仰け反っちゃったわよ。お陰で近くにいた人からは変な目で見られるし」
そういうことか。
テレビを付ければ、どこもかしこも司の顔、顔、顔だしな。
もれなく全部が、司がカメラを睨みつけている映像だ。
「それを言うなら、牧野だけじゃないぞ。司は全国民を睨みつけたも同然だからな」
なんなら俺は、生で睨みの洗礼を受けてきたばかりだ。
近距離での洗礼は、テレビ越しとじゃ比べものにならないくらいの迫力だぞ?
それに牧野にとっては残念なお知らせだが、近いうちにおまえはまた、別の形で仰け反ることになると思う⋯⋯⋯⋯本当にすまん。
「馬鹿だよねぇ。上手く振る舞うなんて得意でしょうに、睨みなんて入れちゃってさ」
「いや、司も仕事となれば自分を押し殺して振る舞ってるだろうけど、基本、あいつは思ったままが顔や態度に出る正直なタイプだろ。得意ってわけじゃねぇよ」
「そうでもないよ」
「ん?⋯⋯牧野?」
「あ、ごめん。なんでもない。さーて、もう道明寺の話はおしまい! それよりさ――――⋯⋯」
司と付き合いのある者ならば、司は、もろに感情が表に出るタイプの直情型だと知っている。
恋人であった牧野なら、それこそ誰よりも知っているだろうに、どうしてだ?
一瞬だけ表情を消し、俺の言葉を「そうでもない」と即否定した牧野は、何か思うところでもあるのだろうか。
そう勘ぐりたくなるような、うっかり漏れ出たと感じる牧野の一言だった。
そして、それ以降。司の話題には一切触れず、マンションに辿り着くそのときまで、どうでも良い話を一方的に展開した牧野。
疲れていると言った同じ口で、こっちが引くくらいべらべらと良く喋り、俺は精々相槌を打たせてもらえる程度。口を挟む隙すら与えてもらえなかった。

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