Lover vol.7
Lover vol.7
メープルの地下駐車場。
類を見送り、滋が車に乗り込んだのも見届けてから、隣に佇む桜子に問い掛ける。
「桜子、おまえ何か知ってるのか?」
「知ってるというよりは、気づいたって感じでしょうか」
類に対して、さっき桜子が漏らした一言。
――敵に回したくない相手ですよねぇ、花沢さんって。
それがどうにも引っかかる。
『お疲れさま』を言うためにだけ引き返してきた、別れ際の類の不可解な言動に頭を捻る俺とは違って、桜子が漏らした意味深な言葉は、類の真意を知ってるからこそ出たもんじゃないのか。
そう思い訊ねてみれば、やはり聡い桜子は、何かに勘付いているようだ。
「桜子、詳しく教えてくれ」
「美作さん、おかしいと思いません?」
俺と向き合う形をとった桜子は、首を傾げ顎に人差し指を突き立てて、くっきり二重の大きな瞳で俺を見上げてくる。
大抵の男なら、こんな仕草一つでイチコロだろうが、生憎とダチ付き合いが長すぎる俺からすれば、今更、特別な感情は湧いてはこない。
尤もそう思うのは、この小悪魔な笑みと態度に騙され、不覚にも総二郎と兄弟仲になってしまった過去があるせいかもしれないが⋯⋯。
「勿体付けないで、教えろって」
催促すれば、「はぁ」とこれ見よがし息を吐き出した桜子は、本当にわからないのか? と言いたげに呆れた表情に変わった。
「ここまでの流れをよく思い出してみてください。私が道明寺さんの離婚を知ったのは、マスコミに情報が流れる少し前で、西門さんからの電話で初めて知ったんです。美作さんもそうじゃありません?」
「ああ、俺はメールだったけどな」
俺も桜子と同じ。
報道より先、知らせてきたのは総二郎だ。
そのメールで、司の離婚と、それによってマスコミに追われる司が、メープルに避難するらしいことを知った。
「その西門さんの掴んでいた情報が、全て花沢さんから齎されたものだとしたら?」
「類から教えられたとしても、別におかしなお話しでもないだろ」
全く先が読めずにいる俺に、「いいですか?」と、桜子が声に張りを持たせる。
「マスコミにバレる前だったんですよ? 私たちが知ったのは。なのに道明寺さんが、ここ、メープルに来る予定であることまで知らされませんでした?」
「まぁ、そうだけど⋯⋯。桜子が言うように、類が俺たちの中の誰よりも先に情報を掴んでいたとしてもだ。司がマスコミに騒がれるなら、一時的にメープルに逃げ込むことくらい、類の予想範囲内ではあるだろうな⋯⋯でも、」
俺たちが知ったのは報道の前なわけで⋯⋯。
「となると⋯⋯その前に類は⋯⋯」
「そういうことです。マスコミにこれから情報が漏れ騒がれると事前にわかっていれば、簡単に予想もできますよね。道明寺さんがここに来るだろうって。
世田谷の道明寺邸よりメープルの方が便利ですもの。何かあったときには、マスコミにも知られていない裏ルートの出入り口もあるんですから」
含みを持たせた笑みを浮かべ、桜子が続ける。
「では何故、花沢さんはマスコミに情報が流れると予測できたんでしょうね。様子を見た限り、道明寺さん本人でさえ、事前情報を掴んでなさそうだったのに」
⋯⋯⋯⋯え。
もしかして、それって!
「まさかとは思うが、類がマスコミにリークしたとか言うか?」
「それなら全部辻褄が合うんですよ。そして花沢さんは、敢えて美作さんではなく、西門さんに情報を流した」
「俺ではなく、総二郎に⋯⋯」
「えぇ。だって、仮に真っ先に美作さんに教えたとしても、美作さんなら、私たちに直ぐ知らせるような真似はしなかったんじゃありません?」
俺だったら――――。
確かに、騒がしい女連中に直ぐに知らせることはなかったと思う。
デリケートな問題だ。
司の気持ちや諸事情を鑑みる必要があると考え、慎重になったはずだ。
だからこそ、仕事を片付けたら今夜、司に直接連絡をするつもりでいたんだ。まずは、司本人から話を訊き、状況を把握しようと。
「だから花沢さんは、慎重な美作さんにではなく、情報共有を選択するだろう西門さんに連絡を入れたんです。私たちを⋯⋯、正確には、滋さんがメープルに来るよう仕向けるために」
「滋? どうしてだ?」
「道明寺さんと先輩を会わせるセッティングをさせるためです。滋さんなら、頼まなくても自ら買って出るくらい、行動力のある人ですからね」
「はぁ?」
「道明寺さんがシャワーを浴びている間に、花沢さんが滋さんに言ったんです。『司と会っても牧野は動じないだろうけど、わざわざ会ったりはしないよ、絶対に。理由があれば別だけどね』って。
そう言われれば、あの滋さんですよ? 自分が何とかしなきゃって、妙な正義感働かせるに決まってるじゃないですか。
そうして花沢さんに唆された滋さんは、見事パーティーを思いついた。
きっと滋さんは、大河原の役員として、牧野つくし個人宛ではなく、進くんの会社経由で招待状を送るはずです。個人なら断ることもできますけど、会社経由ならそうはいきません。会社同士の繋がりを鑑みれば、安易に先輩が断れるはずないですもの。出席せざるを得ない『理由』が、ちゃんとあるというわけです」
俺や類、そして滋は、それぞれ進の会社と取引がある。
だからこそ、仕事の付き合いっていう大義名分を掲げれば、牧野は参加しないわけにはいかなくなる、そういうわけか。
「なら、回りくどいことしないで、初めから滋に頼めば良かったんじゃないのか?」
「それだと今日、この場所に美作さんを呼びだす理由がなくなるじゃないですか」
「は? 今度は俺かよ」
「はい。煩い私たちがいたからこそ、道明寺さんは救いを求めて美作さんに連絡を入れたでしょう?」
いやー、だから何で俺が必要だったんだか、さっぱりなんだが。
滋ひとりの正義感で、事はスムーズに運べたはずだろ。
だが、桜子の口振りだと、まだ何か別の意味が潜んでいそうで、訊きたいような訊きたくないような⋯⋯、つまり嫌な予感しかしない。
だけど、人の心理とは複雑だ。
嫌な予感しかしないのに、一度立ち入ってしまった物事の真意は、知りたいって気持ちを掻き立て、どうしたって引き剥がせない。
ましてや、自分が巻き込まれているなら尚更だ。知らないことへのモヤモヤだって募る。
たとえ驚愕の何かが待ち受けていようとも、結局は知りたい欲求の方が上回って、桜子に教えを乞う。
「すまん。さっぱりわからん。何で俺なんだ?」
「決まってるじゃないですか。美作さんに、道明寺さんを煽ってもらうためです」
「――――っ!」
――煽る。
この単語を耳にした瞬間、俺は項垂れた。
煽った。煽ってしまった。間違いなく、この俺が⋯⋯。
グラスを投げつけられるほどまでに。
この俺の行動が全部、類が画策した狙い通りってことなのか?
安易に猛獣に火をつけてしまった後悔。けれど、類の思惑を知れば、後悔も一周回って恨み節に変わる。
「類のヤツ! なんで俺に危険な役回りをさせるんだ! 自分でやればいいだろうがっ!」
「だから花沢さんも頑張ったじゃないですか」
「どこがだよ⋯⋯って確かに、類にしては珍しく、司に散々言ってたけど」
「えぇ。道明寺さんを通して、一生懸命、美作さんを怒らせようと煽っていましたものね」
「なっ⋯⋯!」
「そんなに驚くところです?」
驚くわっ!
類が向けた司への数々の攻撃的な言葉は、俺を怒らせるための策略だったのかよ!
初めからターゲットは俺だったなんて⋯⋯。
で、まんまと策に嵌まり、見事熱くなってしまったのか、俺は。
これって、相当恥ずいだろうが。
何も知らずに、良いように類に転がされていたんだから。
言葉を失う俺に、桜子が涼しげに言う。
「4年も離婚を隠していて、自分の気持ちに蓋をしてきた道明寺さんですよ? そんな道明寺さんが、簡単に人の話に耳を傾けると思います? だから煽るしかなかったんです。
でも、その役目は花沢さんでは無理だった。だって、花沢さん相手では、余計に頑なになってしまいますもの。道明寺さんにとっての花沢さんは、永遠に恋敵でしょうからね」
「だからって俺じゃなくても」
「それを自ら証明したのに?」
俺が何を証明したって言うんだ。
迂遠な言い回しは止めてくれ。もう頭が回らねぇんだよ。
「桜子。頼むから、わかりやすく説明してくれ」
「瀧本祐二のことですよ。美作さん、瀧本の件、進くんにも話したんじゃありません?」
「そりゃあ、一応心配だったからな。瀧本が、牧野を手に入れるって周囲に言ってるらしい噂を耳にして直ぐ、変な動きがないか注意するよう、進には忠告してある」
「やっぱりそうでしたか。きっと花沢さんは、進くんから瀧本祐二のことを訊いて知ったんだと思います。何しろ花沢さんは、先輩のパパさんと遊び友達ですから、ちょくちょく先輩の実家に行ってますしね」
類がそこで進から瀧本の話を訊いたとしても、何ら不思議はない。
寧ろ、姉を心配した進が、類に相談する方が自然だと言える。
「もしも先輩に本気で好きな人がいたなら、今の道明寺さんは邪魔はしないでしょうね。だけど、先輩が辛い思いをするようなら、道明寺さんが黙っているはずがありません。だから、瀧本祐二の件を持ち出す必要があったんです。
美作さんだって、瀧本祐二のことを言えば、道明寺さんが動くと思ったから伝えたんですよね? 実際、読み通りになったんですから、情報を掴んでいる美作さんに直接言わせた方が効果的だと考えた花沢さんの思惑は、正しかったと言わざるを得ませんよ」
「全ては類が描いたシナリオ通りってわけか」
「えぇ、そうです。道明寺さんを殻から引きずり出すため、そして道明寺さんに、瀧本から先輩を守ってもらうため。それからもう一つ、道明寺さんと先輩を、もう一度向かい合わせるために」
何だろうな、この言いようのない敗北感は。
幼なじみに見透かされ、良いように操られて⋯⋯。
何も知らずに熱くなった俺は、結構不憫なヤツだと思う。
そんな俺を不憫だとは思わない連中に囲まれている俺は、哀れだとも思う。
そして、こんな風に思ってしまう自分は、かなり虚しいヤツだと思われる。
「なぁ、桜子? でもこれって、あくまでおまえの憶測でしかないよな?」
「まぁ、そうですね。花沢さんに確かめたわけではありませし」
「だったら考えすぎだ。是非とも、そういうことにしておいてくれ」
「あの花沢さんが、私たちと変わらない早さでホテルに顔を出したのに?
いつもなら、寝ているのが当たり前の花沢さんが、懇切丁寧に滋さんに話まで振っておいて?
最後は悪いと思ったのか、わざわざ美作さんに労いの言葉までかけた花沢さんを見てしまった私に、全て憶測で済ませと?」
⋯⋯追い込むな、止めてくれ。
もし本当に、桜子の憶測が真意を見抜いているとするならば、あの『お疲れさま』は、類なりの謝罪も含めた労いということになるのか⋯⋯。
――――って、本当かよ!
労うどころか今ごろ類は、俺が思い通りに動いたのが可笑しくて、腹抱えて笑ってんじゃねぇのか?
「もう、美作さんったら、そんなに落ち込まないでくださいよ」
そう思うなら、憐憫の情をありありと浮かべた目で見てくれるな。
あまりにも情けなくて、俺が可哀想じゃねぇかよ。
「元気出してください。花沢さんのシナリオでは、間違いなく美作さんが主役だったんですから」
何だ、そのフォローは!
ますます、落ち込むわっ!
「全く嬉しくねぇよ。それとも何か? 桜子は、俺が単純な男だって馬鹿にしてんのか?」
「まさか! 心の底から称えてますって」
「素直に喜べないのは何故だ」
「あまり花沢さんのことは気にしないことです。花沢さんのシナリオのことは、滋さんだって全く気づいていませんし、美作さんだけじゃないんですから、そんなに気を落とさずに」
大口を開けて『ワハハハハ』と豪快に笑う滋の顔が浮かんだ。
――あれと一緒にされたのか。繊細な俺が、あのがさつな女と⋯⋯。
慰めてんだが、へこましたいんだか、今一わからない桜子を隣に置きながら、ふと、涼しい顔をしてシナリオを作り上げただろう幼なじみに、素朴な疑問を抱く。
桜子の憶測を前提とするならば、類は一体、いつから司の離婚を知っていたのだろうか、と。

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