Lover vol.6
Lover vol.6
「おばあちゃん」
お祖母ちゃんの部屋である和室の襖を開けて、ニコッと笑う。
「おや、つくしちゃんかい」
部屋の真ん中に置かれてある電動式ベッド。それを起き上がらせた状態で身を預けている祖母は、いつだって目を細めて嬉しそうに私を出迎えてくれる。
「起きてたんだ」
「あぁ。ニュースを観てたんだよ」
リビングで流れていた番組とは違うことにホッとし、耳が遠いせいで大音量となっているテレビに負けじと声を張る。
「身体の調子はどう?」
「相変わらずだよ。みんなに世話にならないといけない不自由な身体なら、長生きなんてするもんじゃないねぇ」
「またそんなこと言って。私はおばあちゃんにいてもらわないと困るわよ? おばあちゃんと一緒にいるときだけが、ホッとできる一時なんだから」
88歳になる祖母は、数年前に脳梗塞を患った。
幸い大事には至らなかったものの、後遺症で右腕と右足に痺れがある。
杖をついて隣で支えれば、ゆっくり歩くことはできるけれど、日常的な動きに介助なしというわけにはいかない。
顔を出すたびに、不自由となってしまった身体を摩るのが、私の習慣となっている。
「おばあちゃん、マッサージしようね」
お布団を捲り、ゴツゴツとした右手をそっと握る。
「いつも悪いねぇ」
「私がこうしていたいだけなんだから、おばあちゃんは気にしないで」
「ありがとうね、つくしちゃん」
幼い頃、田舎に住むおばあちゃんとは、年に一度会えれば良い方だった。
会えばいつだって優しい笑顔で迎えて可愛がってくれるおばあちゃんが大好きで。
だけど、小さかった私の手を、ぎゅうぎゅうと握ってくるおばあちゃんの手だけは、ごつごつしていて男の人みたいで、本当は少しだけ苦手だった。
指の皮が厚くて固くて、掌にあるのは、いくつも肉刺。
それは、祖父に先立たれても元気に畑仕事をしている証だったのに、そんなこともわからず苦手に思ったあの手が、今は堪らなく恋しい。
今も、ごつごつとした感じはあるけれど、それは昔とはまるで違う。
薄くなってしまった皮膚越しに骨が触れるごつごつ感は、表現は同じでも、あの頃とは全く別の感触。
二度と触れることが叶わないあの手を思い出しながら、労るよう力を加減し、指先からゆっくりと擦りあげていった。
マッサージをしながら、他愛のない会話をすること十数分。
私の声を遙かに上回る大音量のテレビが、またもや例の名を告げたのに反応し、手の動きが止まってしまう。
⋯⋯どれだけ世間を騒がせてんのよ。
「おばあちゃん、怖いから見ない方が良いよ」
「何が怖いんだい?」
「目つきが、ちょっとね。夢に出てこられたら大変よ?」
チャンネルを変えようとリモコンに手を伸ばし、けれど、おばあちゃんの一言で、私の手は宙に浮かんだまま止まる。
「可哀想に⋯⋯」
画面を見つめたまま呟くおばあちゃんに、思わず聞き返してしまう。
「可哀想?」
「ああ。こんなに沢山の人に追いかけられて、訊かれたくないことまで訊かれて。言いたいことも言えないだろうにねぇ」
「いや多分、こんなのには慣れっこなんじゃないかなぁ」
「そうかねぇ。どっかの政治家先生なんて、悪いことしたって平然としていたりするのにねぇ。でもこの子は慣れないから、こんな悲しい目をするしかないんじゃないのかねぇ」
今日ばかりは、この話題から避けられそうにないらしい。
おばあちゃんの視線を追いかけ画面を見れば、昼間に目にしたのと同じ、カメラを鋭く睨みつける道明寺が映し出されている。
『どうして、今まで離婚の事実を伏せていたんですか?』
『夫婦関係が破綻したのは、実は政略結婚だったからですか?』
『仕事のために結婚を利用しただけでは?』
どこまでも追い縋るマスコミが、次から次へと道明寺に質問を投げかけている。
勝手なものだ。
結婚当初は、お似合いのカップルだと、どこもかしこも騒ぎ立てていたのに、離婚が公になった途端にこれだ。
これでは道明寺が面白くないのも頷ける。
取材陣の攻撃から守るように、SPらしき人たちに囲まれている道明寺は、そこから頭一つ飛び出し、ひたすら尖った視線を向けている。
でもこれを、怒りではなく、悲しい目だと表現するだなんて⋯⋯。
「もしかして、おばあちゃん。ママから何か訊いてる?」
おばあちゃんがこんなこと言い出したことに、なんとなく違和感を覚えて訊ねてみれば、
「高校のお友達だったんだってねぇ」
意外な答えが返ってきた。
ママが何か言ったとすれば、真実に尾びれ背びれ胸びれまでくっ付けて、脚色し捲りの恋愛ストーリーを語ったかと思いきや、どうやらそうじゃなかったらしい。
「友達っていうか⋯⋯先輩? かな」
「そう。つくしちゃんの先輩だったのかい。可哀想にねぇ。色んなものを背負わされたのかねぇ」
何度も可哀想だと言うおばあちゃんは、心底不憫に思っているようで、眉尻を下げ、もの哀しげな顔をしている。
対照的に私は、冷めた目で画面の中の元恋人を見ていた。
こうして道明寺の顔を見ても、『そんな目つきしてたら、評判ガタ落ちよ?』と客観的な意見は抱いても、可哀想だなんて全く思えない。
これが、あんたが選んだ道なんだもんね。
そう心で呟く私は、過去にあった気持ちが、完全に風化したのだと改めて感じた。
窮屈な環境に生まれ育ったことは、変えられない運命だったとしても、その道で生きていくと決心したのは、道明寺自身だ。
その道がどんなに辛く、藻掻き苦しむものであっても、結局私は、道明寺の逃げ道にすらならなかった、それだけの存在。
『おまえが好きになってくれた俺は、もういねぇ。おまえだけに惚れていた俺は⋯⋯もう死んだと思ってくれ』
8年前に告げられた言葉の意味を何も知らないままだったなら、おばあちゃんのように同情し、嘆き、今も私は、道明寺を思って泣いていたのだろうか――――。
「パパが帰ってきたから、ご飯にしましょー!」
テレビの大音量を軽く突破したママの大きな声がリビングから届き、無価値な思考は遮られた。
⋯⋯くだらない。こんなこと考えるなんて。
「おばあちゃん、ご飯にしよう!」
降りやすいようにベッドの背もたれを更に起こし、ゆっくりと体勢を変えたあばあちゃんの足に手を添えて床に下ろす。
次いでテレビのリモコンを掴み、政略結婚を批難しつつ、道明寺や元奥さんを哀れむ知ったかぶりのコメンテーターの忌々しい顔を、さっさと消した。
✦❃✦
「じゃあ、またね」
窮屈なブーツを履き終え、玄関先で並び立つ両親に声をかけるが、その顔は揃って不服そうだ。
頻繁に会っているとはいえ、娘が帰るのは寂しいもんなんだろうか。
「そんな顔しないでよ。また直ぐに来るからさ」
親孝行娘の気遣いに対して両親は、
「あんたが帰るのは良いけど、類さんが来てくれなかったのが、がっかりでね」
「ママ、類くんには、ちゃんとメールしてくれたんだよね?」
娘のことなど欠片も考えてなかった、薄情な返しのみ。
この親っ!
⋯⋯いや、私が甘かった。うちの親はこういう親だった。
「ちょっと、また類にメールしたの? あのね、類だって暇じゃないのよ? 凄く忙しい立場にある人なの! 少しは類の迷惑も考えなさいよね!」
「だって類くん、いつでも誘ってね、って言ってくれてるし⋯⋯ねぇ、ママ?」
パパ、あんたは子供か!
「類の言葉に甘えるんじゃないの! 類は優しいからそう言ってくれてるだけなんだからね! じゃあ、私は帰るけど、くれぐれも類に電話なんかしないように。いいわね?」
しょんぼりとわかりやすく落ち込むパパと、「おー、怖っ!」と茶化すママに別れを告げ実家を後にした私は、クタクタな身体を引きずり、心では愚痴を呟きながら夜道を歩く。
まったく、類が甘やかすから、どんどんママたちがつけあがるのよ。
あの二人の我が儘になんて、付き合わなくていいのに。
私がいようがいまいが、類は週に1、2度は実家に顔を出し、パパの相手をしてご飯を食べて帰って行く。
絶対、無理してるに決まってる!
今度、類に会ったら、ちゃんと言っとかなきゃ。
無理なら無理って、はっきり断って良いんだからね、って。
「そこの彼女、俺の車に乗ってかない?」
子供より手のかかる両親にげんなりしながら、あれこれと考えていたところに、突然、割って入ってきた不審な声。
念のために、さあっと周囲を軽く見渡してみたけれど、歩道を歩く私の周りには、『彼女』らしき人物は見当たらない。
どうやら、私に声をかけているとみて間違いなさそうだ。
疲れているうえにイライラしている私に声をかけるなんて、良い度胸じゃないのよ。何の真似よ。
「おい、無視すんなって。夜道は危ないから送ってく」
「ナンパならお断りします。好みのタイプでもないんで」
「⋯⋯おいおい、いくら何でもそれはないんじゃないか?」
「私、急いでるんで。ごめんなさーい」
脇目も振らずに歩いていると、幅寄せをした車のドアの開閉音が聞こえ、続けて、早足に歩く私を追うように、背後から足音が近づいてきた。

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