Lover vol.4
Lover vol.4
黙り込む司を俺がじっと見ている中、挑発するように口を開いたのは桜子だった。
「滋さん? しょうがないですよ。あれから何年経ってると思います? かつてあれだけ愛した人でも、所詮、心は移ろうもの。人の気持ちは変わるんです。先輩だってそうじゃないですか」
司ではなく、滋を相手に話し始めた桜子が、人の気持ちは変わる、牧野もそうだ、と皮肉るなり、司の眉がピクピクと動いたのを俺は見逃さなかった。
それを見て、俺はホッとする。
やっぱ、まだ忘れてないんだな、牧野のこと。
牧野を忘れていないからには、桜子の言葉は、司の胸を深く抉ったはずだ。
だが、その程度では物足りないのか、滋を巻き込みながら話す桜子の口は、そう簡単には止まらない。
「滋さん、考えてもみてくださいよ。先輩だってこの8年、男の一人や二人いたじゃないですか」
そりゃ、牧野だってずっと一人だったわけじゃないし、付き合ってた男がいたのは事実だが⋯⋯。
「いやいや、桜子3、4人はいたでしょ」
それくらいは、いたか!?
「そうですねぇ⋯⋯あ、思い出しました。5、6人はいましたね」
や、いないだろ、そんなには。
「ちっょと待って! 一日で別れた人もいるから、7、8人はいたんじゃない?」
待て待て待てぇーっ!
どこまで男の数を吊り上げる気だ、おまえたちは!
嘘のようだが、一日で別れた男がいたって話は本当だ。だが、それを上乗せしたって、そんなに多くの男とは付き合ってなかっただろうが。
おまえらが男の数を増やす度に、司の米神の青筋も比例して増えてってるんだぞ。
今度こそ司だって暴れ出すだすに決まってる!
ここは、テーブルに並ぶ食器を司から遠ざけるべきか。
いっそ俺がもっと司から離れて、自分だけでも被害が及ばないように逃げるべきか。
そう真剣に焦ってはみたが⋯⋯やはり気味が悪いくらいにおかしい。
青筋は浮かんでいるのに、それでも司は何も言わない。
苦しそうな表情で、必死に堪えているように見える。
挑発に乗らず、どうしてここまで黙るのか。
⋯⋯変だよな?
同意を求めるように類を見れば、フッと俺に笑みを見せた類は、次いで司に視線を移した。
「司の傷も相当深いみたいだね」
話しかけた類に、司は目だけで威嚇する。
「そんな目で見られたって、ちっとも怖くないんだけど。自信を失くして何も喋れずにいる司に睨まれたって、迫力すら感じない」
「⋯⋯てめぇに何がわかる」
やっと口を開いた司だったが、しかしその声は、必死になって感情を抑制しているようで、低く苦しげだ。
「これでもわかってるつもりだけど? 今まで俺たちを避けていたのも、離婚を隠していたのも、こうやって俺たちから牧野の話を訊くのが嫌だったからでしょ?
結婚してると思わせておけば相手がいることだし、俺たちも身勝手な行動には出れない。無神経に牧野の話題だって出せやしない。そう思ったんじゃない?
その読みは正しかったよ。実際、結婚っていう防御壁がなくなった途端に、こうして俺たちに突撃されちゃったんだからさ」
「⋯⋯黙れ」
離婚を隠していたのは、てっきり仕事関係の公的な意味合いがあったからだと思っていたが、司の反応を見る限り、類の指摘は図星か。
「仕方ないよ、司。だって、あの頃の司は、初めての挫折を味わったんだからさ。
だけど、いくら別れるしか道はなかったとはいえ、あれだけ牧野は俺のもんだって豪語して執着してたのに、結局は自分から手を離すしかなかったなんて、ちょっとカッコつかないよね。あんな情けない結末じゃ、今更恥ずかしくて顔向けできない司の気持ちもわかるよ。牧野だって、今の情けない司に振り向きはしないでしょ」
「類、何もそこまで言わなくても⋯⋯」
司だって苦悩の末に別れるしかなかったんだ。どれだけ悩み、藻掻き、苦しんだことか⋯⋯。
司の気持ちを思うと、黙ってはいられず口を挟めば、類は不思議そうに首を傾げた。
「俺、何もおかしなことは言ってないけど? たとえ司に未練があったとしても、今の司に牧野が目を向けるわけないじゃない。ここは綺麗さっぱり忘れた方が、司のためにも良いと思わない?」
「類!」
「三条がさっき言ったとおり、時間が経って司が変わったように、牧野だって変わった。あきらだって知ってるでしょ? 男に何の期待もしない今の牧野に、司と寄りを戻させる方が難しいよ」
確かに司と別れてからの牧野は変わった。
どこか冷めているというか⋯⋯。
本人は口にこそ出さないが、男に期待もしなければ、希望も抱かず、こんなもんだろうと諦めている節がある。
そうなったのは、女好きな俺や総二郎を、間近で見てきたからってだけが原因じゃないはずだ。
「司? 本当はね、つくしと別れたとき、司のこと凄く恨んだんだ。ボロボロになったつくしの姿を見てね、司を絶対に許さないって」
話し始めたのは滋だ。
茶化すことなく滋が静かに語れば、司は一段と苦しそうに、ぐっと眉を寄せた。
「類くんの言うように、今のつくしを振り向かせるのは簡単じゃないかもしれない。でもさ、つくしも大好きだけど、司も大切な仲間だから。だからね、一度だけチャンスをあげる。つくしと話せる時間、作ってあげるよ⋯⋯司、どうする?」
「⋯⋯」
葛藤しているのか、何も答えようとはしない司に桜子も促す。
「道明寺さん、あまり考えている暇はありませんよ? 先輩、あんなんですけど結構モテるんですから。最近もプロポーズ受けたばかりですし、もたもたしていたら、くだらない男に攫われちゃいますよ?」
同調した滋が「そうそう」と頷いた。
「今回のプロポーズは断ったみたいだけどね。でも、いつまたそんな話が出てくるかわかんないよ。つくしだって、もう29なんだし」
「⋯⋯⋯⋯」
ここまで言われても、だんまりか。
――――イラつく。
肝心なことは何一つ言おうとしない司に、苛々が募る。
いつまでそうやっている気だ。
いい加減、何とか言えよ!
何だこのザマは。
それでもF4のリーダーか? 世界の道明寺司か?
俺の知っている司は、そんな小っせぇ男じゃねぇだろうがっ!
「あーっ、もう! よく訊け、司!」
とうとう我慢がならず、立ち上がって声を張る。
類と桜子は平然としているが、突然、大きな声を出した俺に、司と滋は目を瞠って見ている。
「いつまでそうして黙ってるつもりだ! そんなんで良いのか? 牧野のプロポーズの話、牧野は断ったみたいだが、そう簡単に終わりってわけにはいかねぇかもしんねぇぞ?」
「ちょっと、あきらくん。それどういうこと?」
滋を見ずに、司に目を向けたまま答える。
「人伝に訊いた。相手は本気だ。手段を選ばず牧野を手に入れるって、親しい人間に言ってるらしい。昔の司みたいに押せ押せで迫られたら、牧野だってどう転ぶかわかんねぇぞ?」
司の眼光が鋭くなる。
「それだけじゃない。仕事に絡めて強引な手段に出てくる可能性だってある。司、牧野が進の会社にいることは、当然、おまえだって知ってるよな?」
「⋯⋯⋯⋯」
「司が味わった政略結婚を、今度は牧野がするかもしれ――――っ!」
――ガシャン!
言い終わるより先、ガラスが砕ける音が響き渡った。
い、今、俺の脇を掠めていったのは、グラス⋯⋯だよな?
俺の耳元で『ビューン』って⋯⋯、『ビューン』って風を切る音がしたんだが。
ま、ま、まさか。狙われたのか、俺。
背中にひやりと冷たい汗が伝う。
背後を見れば、壁にぶつかり木っ端微塵となったグラスの破片が、無残にも床に散らばっていた。
「あきら。ど⋯⋯の⋯⋯つだ」
「へ? なんて?」
らしくもない司の小さな声に聞き返せば、今度は最も司らしい怒声で突き返された。
「その男、どこのどいつだって訊いてんだよ! 早く教えろっ!」
「あ、あぁ。瀧本グループの次男坊、瀧本祐二⋯⋯」
復活した威勢に恐れをなして答えたが、その前に、グラスが俺に当たってたらどうするつもりだったんだ。シャレになんねぇだろうが、なんて反論は、危険に晒されたばかりの俺には言えない。
何より司は、もう俺のことなど眼中になく、スマホを耳に当てている。
「俺だ。瀧本祐二の動きを大至急調べろ」
もしかしてこれって、俺が司に火をつけたことになるのか!?
奇声を上げ喜ぶ滋を視界の端に置きながら、自分の顔から血の気が引いていくのがわかる。
「あきら、やっちゃったね。振り回されるのを心配していたのに、結局、一番司を煽っちゃってるし」
ぷっくくく、と類に笑われても反論の余地なしで、代わりに出るのは嘆息だけ。
なに熱くなって司を煽ってんだよ、俺は。
いつまでも収まらない類の楽しそうな笑い声が、俺の溜息をより一層深いものにした。
それから話は早かった。
司に火がついたのを良いことに、近々、滋主催でパーティーを開き、そこで司と牧野を会わせるという。
内々だけじゃなく、他の知人や会社関係者も呼ぶつもりらしいパーティーは、司と牧野を再会させるためだけに開くというのだから、滋の力の入れようがわかるというものだ。
ハイテンションで説明する滋の傍らでは、まだどこか戸惑いがあるのか「あぁ」と言葉少なげに司が相槌を打っている。
それを見ていた類が、「まだ本調子じゃなさそうだけど」とポツリ呟く。続けて、
「フルーツグラタンがないから帰る」
帰る理由が月並みじゃない科白を吐いて立ったのを合図に、俺たちも帰ろうと腰を上げた。
司に纏わり付いていた滋を引き剥がし、揃ってドアへと向かって数歩。急に桜子が足を止め、振り返った。
「道明寺さん。一度リセットされた恋を取り戻すのは難しいですよ。出会ったばかりの相手なら、もっと互いを知ろうと距離を縮める努力をするでしょうけど、知りすぎる相手には予測が立ってしまうだけに、そうはいきません。諦めが先行してしまう場合もある。なんでも頭で考えるタイプの先輩なら尚更、二人の間にあった過去が邪魔をするかもしれませんね」
「⋯⋯⋯⋯無理って言いてぇのか」
「全ては、道明寺さん次第ってことです。本気でぶつからないと、先輩逃げちゃいますよ?」
最後に桜子が、クスっと笑みを残して、ホテルの部屋を後にした俺たち。
それぞれの車が待つ地下駐車場へと着けば、誰よりも早く車に乗り込もうとした類が、何を思い立ったのか、くるりと方向転換して俺の方へと引き返してくる。
「あきら、お疲れさま」
「⋯⋯は?」
いきなりどうした。
しかも、キラキラ輝くような満面の笑みを、惜しげもなく俺に注いでくるのは、何故なんだ。
「じゃあ」
じゃあ、っておまえ⋯⋯。
本当に「お疲れさま」を言うためだけに戻ってきたのかよ。
⋯⋯意味不明だ。
女なら間違いなく惚れてしまうだろう犯罪的な笑みを向けられた俺は、類の思考回路が掴めないまま、遠ざかっていく後ろ姿を見送った。
「敵に回したくない相手ですよねぇ、花沢さんって」
まだいたのか。
類の車が走り出すなり隣に並び、しみじみと言ってきたのは⋯⋯、思考回路が掴めない人物、その二。桜子だ。
『俺はおまえも敵に回したくないんだが⋯⋯』
小さくなっていく類の車を見つめながら、口の端を引き上げ意味深に微笑する桜子を見て、俺はこっそり胸の中で呟いた。

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