手を伸ばせば⋯⋯ The Final 10.
⋯⋯俺たちがいるってこと、忘れてないよな?
⋯⋯つーか、苦しそうだぞ?
⋯⋯おいっ、流石にヤバいだろ、死ぬぞ!!
「司、いい加減止めろ! 離してやれっ!」
牧野に飛びかかり押し倒した司は、俺たちがいるのにも関わらず牧野の唇を強引に奪った。
見せられているこっちが胸焼けするほど、ねっとりと、しつこく、濃厚に⋯⋯。
息継ぎが追いつかずの牧野は、酸素不足に陥って血が昇り、顔は勿論、耳も首までも赤い。
類によって牧野が顔を赤らめたからって、こんな形で対抗するとは⋯⋯。
一歩間違えれば公開殺人、窒息死するっつーの!
手を伸ばせば⋯⋯ The Final 10.
司から解放された牧野は、何とか自力で起き上がったものの、何も言わずに、というよりは話す余力もなかったらしく、フラフラと覚束ない足取りでリビングから出て行ってしまった。
かける言葉もなく牧野の背中を見送ってから、呆れを存分に乗せた目で司を見遣る。
「司、ありゃ反則じゃないのか? 誰だって顔が赤くなんだろうが」
「そんなの関係ねぇ!」
「おっぱっぴーか、おまえは」
ボソッと呟けば、「ぷっ」と吹き出す流石はテレビっ子。すかさずダメ出しが入った。
「あきら、突っ込みが古い」
「うるせぇよ、俺だって言いたかなかったわ! 文句なら言わせたヤツに言ってくれ。
他は手直ししてるくせにここだけ手抜き、10年以上も前の科白をまんま言わせやがって」
溜まっていた鬱憤を一気にぶちまければ、類がコテっと首を傾げる。
「あきら、一体何の話?」
「⋯⋯いや、今のは忘れてくれ。ちょっとした裏事情だ」
うっかり裏の背景を口走ってしまった俺は、咳払いを一つして、「とにかくだ!」と全力で話題を元に戻す。
「類は無駄に司を煽るな! 司もムキになって牧野に無茶させんじゃない!」
尤もな指摘をしてやれば、「ふん」と、どこまでも尊大な態度の司は、顎を上げて類を見下ろす。
「類、分かったか! あいつは俺のもんで、いつも俺の前でも顔を赤くしてんだよ!」
全く以て反省の色なし、どころか得意気ですらある。
類は類で、『おっぱっぴー司』とか何とかヒソヒソ呟いては、何を想像しているのやらクスクス笑っていて、こちらも反省なしだ。
それより⋯⋯。
「司、あんなことして、牧野怒ってんじゃないのか?」
出て行ったきり、まだ牧野は戻ってこない。
「心配ねぇ。いつものことだ。寝室にいる。つーか、おまえらいつまで居座ってんだよ! さっさと帰れ! 帰らねぇんならSPに摘まみ出させんぞ!」
勝手な奴だ。
しかし帰るなら、騒ぎがひと山超えた今がチャンス。
ここでグダグタしていれば、いつどこでこいつらからまた失言が飛び出し、騒動に勃発するか分かりゃしない。
戻って来ない牧野のことは気がかりだが、司が落ち着いているのを見る限り、心配は要らないんだろう。
いつまでも立ち上がろうとせず笑い続ける類の腕を引っ張り上げ、俺たちは玄関へと向かった。
「じゃあな、司」
「おう」
「あんましつこくして、つくしちゃんに嫌われんじゃねーぞー」
「つくしちゃん言うな。心配も要らねぇ」
「ぷっ」
「てめ、いつまで笑っていやがる」
それぞれが司とのやり取りを終えたタイミングで、
「あれ、みんな帰っちゃうの?」
声を出せるようになったらしい牧野が玄関にやってきた。
何やら右手に缶を握りしめて。
――――プシュー、シュー。
牧野の右手から音を立てているそれは、携帯酸素。
なるほど。司が寝室にいると言ったのは、これが寝室に置いてあるからだったのか。
しかも、司は言っていた。いつものことだ、と。
日常的に追い込まれ、常備してあると思われる携帯酸素で、常に命の補給をしているのか、牧野は。
猛獣の闇深い愛を受け入れるには、相当身体を張らなきゃならないらしい。
――牧野、おまえも大変だな。お気の毒に。
憐れみの眼差しを向けた俺に、牧野から間抜けな質問が飛んできた。
「美作さん、ところで何しに来たの?」
「⋯⋯⋯⋯」
真顔で問われ言葉を失くす。
この女、プレゼンの時は隙なく完璧なのに、どうしてプライベートとなると、こうも突っ込みどころ満載で抜けているのか。
それともアレか?
酸素不足で頭が回っていないのか?
ともかく、これ以上、俺を脱力させないでくれ!
「あのなぁ、好きで来たんじゃないのは、おまえだって知ってんだろうが。誰かさんたちのせいで、俺は無理やり拉致られたんだ!」
――――プシュー⋯⋯シュ⋯⋯ッ⋯⋯。
あ、酸素切れたみたいだな。
俺の反論を訊きながら酸素を吸入していた牧野。
それだけ吸いながら、まだ頭に酸素が回っていないらしく、
「うん、それは知ってる」
何ともおかしなことを言う。
知ってるなら、何故そんなことを訊く? と訝しげな視線を向けた先では、牧野が缶を振っている。
上下に振ったところで、気体の量を計れるはずもないだろうに。
おまえは、頭が良いのか悪いのか⋯⋯。
「だから、何で来たの? 会社に」
尚も缶を振りながら訊く牧野に、
「さっきも言ったろうが。俺はおまえらに――っ」
そこまで言ったところで突として思い出し、そして叫んだ!
「あーーーーっ!」
そうだった!
こいつらのあれやこれやで忘れていたが、俺は用があったから、二人に会いに会社まで赴いたんだった。
今更思い出した、本来の正しき要件。
大事なそれを胸ポケから取り出し、司と牧野に差し出す。
「なにそれ」
差し出した一枚の白い封筒を覗き込んだ牧野は、
「嘘ーっ!」
それでなくても大きい瞳を最大限にまで見開き、声まで大きくした。
中身を開けずとも分かる白い封筒は、俺の結婚式の招待状。
「美作さん、結婚するの? ところで⋯⋯⋯⋯誰と?」
何でいきなり目を据わらせてんだよ。
誰とだなんて訊くまでもないだろうが。そこんとこ疑うんじゃねぇよ!
つーか、一瞬で可愛いキャラを消して、絶対零度の目を向けてくんな、怖いから!
「桜子に決まってんだろ」
「マジか!?」
牧野と同様に驚く司。
「何だよ、あきら。司にも牧野にも、まだ知らせてなかったんかよ」
割って入ってきたのは総二郎で、その総二郎と類には、司と牧野が留守にしていた間に、結婚する旨を伝えてある。
「ほぅ。俺たちへの報告が一番最後とはな。誰が二人の仲を取り持ってやったか忘れたみてぇだな」
「だから昼間っ――――」
「ふーん。美作さんのこと兄だと思ってたのに⋯⋯。ううん、でも良いの。気にしないで。勝手に私がそう思ってただけなんだから。でもまさか、大事な報告を後回しにされるとまでは、思いもしなかったけど」
言い訳を挟む暇も与えてもらえず嫌味を振り撒かれ、迷惑バカ夫婦に追い込まれる、俺。
「ちょ、待てって。本当にいの一番に二人に伝えるつもりだったんだぞ? 桜子も同じように思ってたし、何より急だったんだよ。半年先を予定してたのが、急遽仕事の都合で一ヶ月後になっちまったから⋯⋯」
「いいの。分かってるから、気にしないで」
⋯⋯おい、牧野止めろ。
またその手を使うな。バカが反応するだろうが。
「てめぇ、何つくしを泣かしてんだよ!」
ほら見ろ。言わんこっちゃない。
まんまとバカが騙されてんじゃねぇかよ。
司も司だ。何度も同じ手に引っかかるな!⋯⋯と、思っても言えない俺は、
「ま、牧野、悪かったって。機嫌直して、式には出席してくれよ、な?」
結局、こうして謝る羽目になるんだ。
「まあまあ、許してやれって。あきらも謝ったことだしよ、そろそろ解散としようぜ」
総二郎の執り成しで、漸く玄関ドアを開け司たちに背を向ける。
――これでやっと俺の長い一日も終わる。
「美作さん!」
だが、まだ文句言い足りなかったのか、ドアを潜ったところで牧野に呼ばれ、恐る恐る振り返った。
「美作さん幸せ? 今、ちゃんと幸せ?」
嘘泣きは何処へやら。穏やかな笑みを湛えた牧野が、俺の目を見ながら訊いてくる。
真っ直ぐな瞳を前にしたら、答えないわけにはいかないだろ。
たとえ羞恥に染まろうとも、それを承知で力強く言う。
「あぁ、凄く幸せだ」
「良かったぁ! 美作さんが幸せなら、桜子もきっと幸せだね。
桜子は甘えるのが苦手な子だけど、美作さんに癒やされて、きっと何もかも上手くいくって思ってたんだ。だって美作さんは、昔から変わることのない『月』だもんね」
そう言って、牧野は綺麗に笑った。
――まさか、そんな昔の話、まだ覚えていたとは。
俺は月のような癒やしだと言われた、あの日。
月夜に輝く笑顔を見せた制服姿の牧野と、公園のブランコに二人並んで話をした、遠い昔のふたりだけの思い出。
俺を満月にさせるのは、こういう女かもしれない。そう思わせたこともある牧野は、あどけなかった少女から美しい大人へと変貌を遂げ、その笑顔は愛する男の元で更に輝きを増している。
背後から司に抱きしめられ、深すぎる愛情に包まれながら⋯⋯。
そんな幸せそうな二人を見て思う。
これでも俺は、二人に感謝してるんだぞ、と。
三日月の俺に寄り添い、時として満月にも変えてくれる女は、極々近くに居た、牧野とは違う別の女。それに気づかせてくれたのは、他ならぬこの二人だ。
「あきら、良かったな」
牧野の肩に顔を乗せて親指を立て笑顔を見せるのは、何だかんだ言っても大切なダチ――親友だ。
そして、「うんうん」と頷き、我が事のように喜ぶのは、俺のダチであり、親友の妻であり――俺にとっては可愛い妹。
日頃からこいつらには、散々振り回されている俺だけど、こうして仲間の幸せを心から喜んでくれる奴らだから、俺はダチをやめられないんだ。
「ありがとな、司、牧野。じゃ、本当に帰るわ。あ、それから牧野。明日、兄から妹へプレゼントを贈ってやるから、それまで何とか堪えろよ?」
「え、なになに!?」
「おまえにとっての必需品」
「じゃあ、俺は司にプレザントしてあげる」
脇で訊いてた類が便乗してくる。
「おまえが俺に? なに送りつけるつもりだよ」
「もちろん、海パン!」
「海パン!?⋯⋯何でだ?」
「ぷっ、くくくく」
類の頭にはまだ、あるお笑い芸人が居座っているらしい。
古いとこき下ろしたが、ここまで引っ張れば、きっとお笑い芸人も笑って許してくれるだろう。
「ほら、行くぞ。じゃあな」
笑い続ける類を引っ張り、何がそんな可笑しいのか、さっぱり分からず不思議そうな顔をしている二人に別れを告げた。
「じゃあな」と言って車に乗った二人とも別れた俺は、ゆっくりと歩き出す。
どうせ長かった一日だ。急いだところで今更だろう。
こうして一人、夜道を歩いて帰るのも悪くない。
何だか感傷的になってしまうのは、牧野との昔話に触れたせいだろうか。
それとも、この月夜のせいか⋯⋯。
司と牧野。
この二人がいなかったら俺は、きっと胸を張って幸せだと言える人生を送れてはいなかったと思う。
生まれながらに決められていた人生のレールには、少なくとも好きな女と生きる道など、プログラミングされていなかった。
俺たちの世界では、自分の幸せなんぞ二の次、三の次。全ては家のためが何より優先。俺もそう思って生きてきた。⋯⋯あの二人を知るまでは。
そんな俺たちの常識を打ち破ったのが司と牧野だ。
たった一人の女のために、全力でぶつかっていった司に、いつしか惹かれていった牧野。
どんな困難にも屈しない二人の真っ直ぐな想いは、俺たちの心をも打った。
最大の苦難が二人を襲ってから空白の十数年。それでも二人は、様々な葛藤を打ち払い、想いを結び幸せを掴んで⋯⋯。
あの二人は俺たちにとって、希望の象徴だ。
無様でも良い。自分の人生くらい自分で切り拓け、そうすれば幸せを掴むことができる。と、信じたくなるくらいに。
立ち止まり、夜空の淡い光を仰ぎ見る。
見上げる空に思うのは、最愛の女の顔。
この幸せを教えてくれたあいつらに負けないように、今宵の月にでも誓っとくか。
――たとえ何が起ころうとも命がけで守り、たった一人の女に生涯の愛を捧ぐ、と。
いつまでも見上げる闇夜に浮かぶのは、遠い昔のあの日と同じ――――三日月だった。

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⚠最終辺りで出てくる『遠い昔の思い出』のあきらの一人語りは、原作の番外編『三日月の夜〜クレセントムーン〜』のシーンを振り返っています。
原作をお読みになっていない方には、ちんぷんかんぷんだったかもしれません。
すみません(_ _;)
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