手を伸ばせば⋯⋯ The Final 9.
「牧野、一人で悩まないで? それに司が原因ってこともあるしね」
類が差し向けた笑顔にやられ頬をほんのりと染める牧野と、それを見て爆発寸前、牧野とは別の意味で顔を真っ赤にする猛獣。
それを知ってか知らずか、
「牧野が一人で抱え込まなくて良いんだよ」
更に優しい笑みの追加で、茹でダコ牧野の一丁上がり。
「てめぇ、つくしに笑いかけんじゃねぇーっ!」
遂に発狂した司を横目に、溜め息を吐き出し心で嘆く。
――――何で俺、まだ帰れねぇんだよ。
手を伸ばせば⋯⋯ The Final 9.
やっと収まるとこに収まったっていうのに、不用意な発言ならぬ不用意な笑みで場を混乱させる悪魔。
帰りたくないがために、わざと揉めさせてんじゃないだろうな、と疑惑を持つ俺の前では、悪魔に乗せられた猛獣が、まだ一人で喚いている。
「類、微笑みかけるなっつってんだろうがっ! そもそもな、俺もつくしも問題ねぇんだよ! つくし、おまえもおまえだ! なに真っ赤になってんだよ、さっさと元に戻せっ!」
類、頼む。頼むからもう何も言うな――――もとい、もう笑いかけるな。
必死な形相で心で叫ぶ俺の異変に気づいたのか、牧野から俺に視線を移した類は、クスっと笑った。
――――今のそれ、完全に俺をバカにした笑いだろ。
文句の一つも言ってやろうかと口を開けるが、それよりも先、顔の赤みが引いた牧野が、小さな声で何やらブツブツと言い始めた。
「問題がない?⋯⋯何を根拠に⋯⋯あ⋯⋯もしかして何処かに――――いるとか」
何だか雲行きが怪しくなってきたぞ。
俺たちの存在も忘れたのか、牧野は首を捻って思考の波に攫われた模様。
だが、俺の聴覚は拾ってしまった。「もしかして何処かに」の後に、「子供が」と呟いたのを。
敏い俺には分かってしまう。牧野がどんな想像をしているのか⋯⋯。
問題ないと言った司だが、どうしてそう豪語できるのかと考えた牧野は、究極の結論を導き出したに違いない。
――それは、余所に子供がいるからじゃないかと。
「あ? 何処かにって何だよ、つくし」
どうやら肝心なキーワードを訊き逃したのは司だけで、類も総二郎も耳にしっかりキャッチ、俺同様に敏かったらしい。突飛な牧野の発想を楽しむように、口元を綻ばせている。
類はともかくとして、総二郎、おまえもか⋯⋯。
帰りたかったんじゃないのかよ、楽しそうにすんな! と呆れつつ俺は酒をチビチビと飲む。
けれど、目だけはしっかり司と牧野の様子を追って。
暫く思案していた牧野は、何かを納得したように一つ頷くと、顔を上げ真顔で司を見た。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯パパ」
ブハーーーーッ!
盛大に酒を吹く。
「あきら汚い」
「⋯⋯すまん」
類に素気なく言われるが、でも、でもな!
確かに粗相はしたが、司に向かって何を言い出すかと思えば、前置きなしに「パパ」だぞ、パパ!
そんな説明あるかっ! 酒だって吹き出すわっ!
「牧野! おまえは言葉を端折るな! アホ面してる司にも分かるように正しく話せ!」
濡れたテーブルを布巾でフキフキしながら、強めの口調で注意する。
司を見てみろ。
俺が牧野にきつく言おうが、アホ面と謗ろうが、怒るのも忘れてポカンと放心状態じゃねぇかよ。
「⋯⋯俺はつくしの父親じゃねぇ」
挙げ句、喋ったと思ったら、これだ。
⋯⋯もうヤダ。本当にヤダ、脱力だ。
だが、牧野はそんなバカ丸出しの司を無視。おまけに俺からの忠告も訊き流したと思われ、またもブツブツが再発した。
「手元にあるファイルは記憶が戻るまでのものだし、もしその時に気付いてなかったとしたら⋯⋯そっか。うん⋯⋯そうだよね」
完全にひとり、妄想の海に浸かっている。
何やら司のお袋さんから引き継いだ、司の過去女の資料を思い出してるみたいなんだが⋯⋯。
どうすんだよ、これ。
妄想爆走中の牧野を、一体誰が止めるんだ。
ついでに、バカにも誰か説明してやれよ。
残念ながら俺にはそんな気力、微塵も残っちゃねぇんだから。
げんなりと隣を見れば、余程、俺の顔には疲労の色が濃く滲んでいたのか、苦笑した総二郎が、その役を引き受けた。
「あのな、司。類が司に原因があるかもって言ったのに対して、おまえは問題ねぇって豪語したろ。で、つくしちゃんは思ったわけよ。なんでそんな自信満々に言えんのかって。そこまで言うからには、それなりの根拠があんだろって考えた結果、疑ったわけだ。ま、おまえの過去を知ってりゃ、そりゃ疑いたくもなるわな」
「⋯⋯⋯俺の、過去?」
「つまり、隠し子だよ、隠し子! 他所に子供がいるから自信有りげな発言したんじゃねーかってよ。おまえに隠し子の一人や二人、いやいやいや、牧野のことだ。頭ン中じゃ膨大な数になってるかもなー」
「隠、し子」とカタコトで呟き、数秒ポカンとしたままだった司は、
「んなのいるかぁーっ!」
やっと理解が追いついたのか、我に返り叫んだ。
「つくし! 濡れ衣だ! バカなこと考えんなよ? そんなもんいねぇからな!」
しかし、牧野の思考を打ち消そうとする必死の叫びは、果たして訊こえているのかいないのか。
牧野は視線を宙に這わせ、まだ考えを巡らせているようで、一向に妄想の泥沼に嵌ったまま浮上してこない。
「お、おい、つくし?」
焦る司の声に漸く焦点を合わせた牧野は、やがて遠くを見つめると言った。
「⋯⋯2歳か、それとも3歳か⋯⋯」
空を見つめながら瞼の裏側に映すのは、きっと幼き子の姿だと思われ、既に牧野の中で隠し子は確定となったようだ。
「待ってくれ、つくし! ホントにおまえが考えるようなガキはいねぇから、心配すんな!」
「なんで言い切れるの? 私が持ってるファイルは、司が記憶が戻るまでのものだから、その時点で妊娠に気づかなかった女性もいるかもしれないでしょ?⋯⋯もう一回、洗いざらい調べた方が良いよね。ね、美作さん?」
何でこっち見ながら名指しで訊くんだよ!
『だな』って言ってやりたいところだが、同意した瞬間、俺がぶん殴られるだろうが。
俺を窮地に陥れようとすんな!
牧野の罠に嵌ってなるものかと、口を頑なに引き結んでいると、小さな声で司が言う。
「⋯⋯その必要はねぇ。⋯⋯もう⋯⋯前に調べてある」
ははーん、どうりで声が小さいわけだ。
司の奴、心配で自ら調べてたんだな。
あれだけ遊んでたんだ。後々、牧野を不安にさせないためにも、色々と探ったんだろ。
で、結果、隠し子は見つからなかった、と。
「調べたんだ」
牧野が司をジッと見る。
「え、あ、いや、まぁ、一応な」
「ふーん、自信なかったんだ」
「そ、そそ、そんなんじゃねぇよ。だから⋯⋯念の為っつーかだな⋯⋯」
しどろもどろだな、司。
まぁ、気持ちは分かる。
当時は、下手打たないよう抜かりなくやっていただろうが、何事にも絶対はないわけで。
だからこそ司も調べたんだろうが、昔の女に関する話題だ。妻と平然と話せるわけがない。
けど、妻の方は違った。
根本的な考え方からして常人とは違っている。
「それで、ファイルNo.9番とかは大丈夫だった?」
牧野がオリジナルに付けたファイルナンバーを、どうして司が理解している前提で話すのか。全く以て理解に苦しむ。
摩訶不思議な思考回路を引っさげ問われても、司だって答えられないだろうに。
「い、いや、そのナンバーってのが分かんねぇし。そもそも、名前も顔も覚えてねぇのが殆どだし」
牧野は直ぐに補足する。
「一番、胸が大きかった人だけど」
「っ!」
硬直する司。
「ホテルの滞在時間が一番長かった人だけど」
「うっ!!」
引き攣る司。
――――同じ男として思う。可愛そうに、と。
しかし、同情はしても誰も仲裁には入らない。
何故なら、もっと見たくなってきたからだ。疲れているはずの俺でさえも、この不毛なやり取りを。
「名前はね、えーっと⋯⋯」
「い、いいから待てって。⋯⋯名前訊いても思い出せねぇし」
「だったらスリーサイズ言おうか?」
「た、た、頼むからやめてくれ。も、もっと分かんねぇから。つーか⋯⋯。まだ、んな情報頭に入ってんのかよ」
「うん、勿論!」
元気溌剌、めっちゃ得意気だ。
褒めてと言わんばかりに牧野は笑顔。対して司は、項垂れている。
恐ろしい。
頭が良すぎるのも考えもんだ。
「それで、司はパパなの?」
「まだ言うのかよ。俺は誰の父親でもねぇって」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
笑顔の途切れた牧野が、ぐいっと身を乗り出し、司の目を探るように見る。
狼狽えるなよ、司。ここは我慢の時だ。
疚しいことがないんなら、牧野の圧に怯まず堪えるんだ!
思わず男の立場で、ひっそり心で応援する。
長い長ーい沈黙のあと、
「本当に?」
司が身を仰け反りそうになったところで、いよいよ最終確認に入ったようだ。
「ほ、ほん本当だ! 心配すんな」
噛み噛みなのは、ご愛嬌ってことで見逃してやってくれ!
「じゃあ、どうして問題ないって?」
「⋯⋯条件反射で何となく」
なるほど。ライバル視している類に言われたもんだから、反発して口走っただけか。
⋯⋯さぁーて、牧野が下す判定や如何に!?
「はぁー、良かった! 司がパパだったらどうしようって、先の先まで考えちゃった」
ニッコリ笑ってるってことは、これで司は無罪放免か?
「つくし、もう余計なことは考えんな。何があってもおまえを手放さねぇし、泣かすような真似もしねぇ。いい加減分かってくれよ」
縋りつく眼差しで司が言えば、
「うん、ごめんね」
素直に謝った牧野の表情に憂いはなさそうだ。
今度こそ本当に一件落着だな。と、巻き込まれた自分たちを慰め合いたくて隣の総二郎を見れば⋯⋯、何故だ。
口の片端を吊り上げた総二郎は、まさに『ニヤリ』という表現がぴったりの顔をしている。
まるで、悪戯っ子が面白いもんを見つけた時の顔!
類だけでも面倒なのに、冗談じゃねえぞ!
総二郎の袖をひっぱり食い止めるが、それで止まるようなら俺は、きっと苦労性になどなっていなかっただろう。
俺には目もくれず、愉悦を声音に乗っけた総二郎は、弾むように訊いた。
「つくしちゃーん! ファイルナンバー5のスリーサイズ教えてー!」
やめろ。面白がって牧野の記憶力を試すな!
「えーっと、上から90、58,88。ちなみに金髪女性よ」
牧野もサラサラ答えんなっ!
「マジか! すげぇ、ボッキュンボ――――――ぐわっ!」
ボーンと共に、総二郎が吹っ飛んだ。
予想できただろう、この展開。
言わずもがな、総二郎は猛獣にぶん殴られた。
考えりゃ分かるのに、殴られるリスクを冒してまで遊びを取るなんて、イカれてる。
一方、答えた牧野はお咎めなしで、仁王立ちの司の怒りはひたすら総二郎に向かう。
「総二郎! てめぇ、ふざけんじゃねぇぞっ! つくしで遊ぶなっ! 俺はつくし以外興味ねぇんだよ! 余計な話引っ張り出すんじゃねぇ!」
「痛ってぇなぁ⋯⋯冗談だろうがよ、冗談」
落ち落ち酒も飲んでらんねぇ騒がしさだ。
それだけじゃない。
司が爆音を響かせているのを良いことに、類が指でちょいちょいと呼んで牧野を前のめりにさせると、ビー玉の瞳で覗く。
「ねぇ、牧野。司に隠し子がいたらどうしてたの?」
「うん、その時は⋯⋯司には良いパパになって欲しいから、別々の道を歩むしかないかなって」
牧野は、伏せた目元にそっと指を這わせた。
怒り狂っていた筈の司は、その様子に気づいた途端にギョッとして慌てだす。
「お、おい、つくし? んな心配は要らねぇからな? 頼む、泣くな!」
デカい図体でオロオロするが、取り敢えず落ち着け。
そして、おまえの妻の顔をよーく見てみろ。
笑いたくて口元がひくひくしてんだろうが!
こらっ、牧野!
下手な小芝居なんかすんな!
おまえの旦那は、おまえのことになると冷静さを欠くんだよ。
すっかり信じ込んでるじゃねぇか。
嘘泣きは今すぐ止めろ!
「美作さん?」
「っ!」
胸の裏側で毒づいていただけに、突然呼ばれてビクンと肩が跳ねる。
何を言われるのかと緊張が否応なしに高まったが、心配は杞憂に終わった。
「もし何かあって、司と別の道を生きることになったら、また美作商事に戻っても良い?」
なんだよ、そういうことかよ。
俺は安堵の息を一つ吐き出した。
てっきり心が読まれたのかと焦ったが、そんなことならお安い御用。
何だかんだで牧野との時間は飽きなかったし、うちは実家みたいなもんだ。
寧ろ、出戻り大歓迎だ!
「当たり前だろ。いつでも安心して帰ってきていいぞ! 両手広げて歓迎する!」
「良かったぁ! その時はよろしくね。まぁ、そんなことはないと思うけど、そう言ってもらえると安心する」
しかし、しまった。
猛獣がいるのも忘れて本音を語ったら、猛獣からの視線が痛い。
牧野の傍らに立つ司が、余計なこと言うんじゃねぇって、剣呑な目が語ってる。
怒りの波動を出せる技でも持ってんのか、突き刺された肌まで痛い。
「牧野、大事なことを忘れてた。うちに来るのは大いに結構なんだがな、ただ一つ。来る前に、おまえの横で無駄に圧をかけてくる厄介な男を押さえつけてから来いよ? じゃなきゃ、様々な嫌がらせを受けて、美作が追い込まれる」
「勿論よ。その辺は抜かりなくやるから任せといて」
「ふざけんなーっ! 黙って訊いてりゃ勝手なこと言いやがって!」
あ、やっぱり暴れるか。と思ったとき、どういうわけか脇から文句が入った。
「ずるい」
類だ。
司が怒鳴ろうがお構いなしに、何故か牧野に向かって口を尖らせ類が拗ねだす。
そんな仕草が似合う30代の男を、俺は他に知らない。
「牧野、あきらのとこばっかりずるい。今度はうちにおいでよ」
何を言うかと思えば、おまえはまた⋯⋯。
「⋯⋯ふざけんなよ、類。てめぇ、なに訳わかんねぇことほざいてんだ」
俺に対してのものより、数段低い声が類を威嚇する。
司は青筋を確実に増やしながら、ターゲットを俺から類へと変えたようだ。
「なにって、ヘッドハンティングだけど?」
「ヘッドハンティングだと? んなの必要ねぇんだよっ!」
「司に話してるわけじゃないよ。ね、牧野」
「てめぇーっ――――」
「本当? 花沢物産でも引き取ってくれるの?」
旦那がどれだけ怒ろうが我関せず。怒鳴り声に被せて話す牧野の目は、嬉しそうにキラキラしている。
「勿論。牧野なら即採用だよ。但し、条件がある」
「美作さんが心配してるのと同じだよね。司を押さえれば良いってことでしょ?」
「まさか。そんな小さいこと俺は言わないよ」
ジロリと悪魔を睨む。
⋯⋯おい、類さんよ。おまえは俺も敵に回す気か?
「じゃあ、なに?」
「重要なポストを用意する代わりに、牧野には『花沢つくし』になってもらうから」
うわ、この悪魔。どこまで怖いもの知らずなんだ。
ニコッと笑ってサラッと言ってんじゃねぇよ。
ここを戦場にするつもりか!
「は、はな、はな花⋯⋯てめぇーーっ!」
やべっ。
言葉にならない猛獣が叫び、今にも飛びかからんばかりの勢いだ。
これは本気でマズいと、俺と総二郎は慌てて立ち上がり、両サイドから司を押さえ込んだ。
「類っ、てめぇは俺に喧嘩売ってんのかーっ!」
「そんなことしてないよ。牧野にプロポーズしただけ」
プロポーズって⋯⋯。
類、頼むからもう止めてくれ!
「人の女房にプ、プ、プロ⋯⋯てめぇっ、おまえだけは赦さねぇー!」
総二郎と二人で司を羽交い締めにしているが、今にもふっ飛ばされそうで、腕がプルプルと痙攣する。
「類! いい加減にしとけよ! 俺たちの身にも少しはなれって!」
司に負けじと声を張ったのに一切見向きもしない類は、ニコニコ顔で牧野ばかりを見ている。
「牧野可愛い。顔、真っ赤だよ」
類が言うとおり、牧野の顔は超真っ赤。
それを認めた司の怒りのオーラは最高潮で、ついに俺たちは仲良く二人揃って振り飛ばされた。
「つくし! んな顔、他のヤツに見せんなっ!」
「そんなこと言われても、プロポーズなんてされたら⋯⋯ねぇ?」
牧野、上半身をやっと起こしたばっかの俺を見て訊いてくんな。
ヘロヘロなんだよ、俺は。
「司、悔しいんだ。俺の言葉に牧野が可愛く反応するもんだから」
どこまでも煽り続ける類は、何が何でも二人を揉ませて、本気でここに泊まる気なのかもしれない。
「うるせぇーっ! 俺にはもっと可愛く反応すんだよっ!」
言うなり突進した司。
今度こそ、手加減なしで類が殴られる、と急いで追いかけ、しかし直ぐに足に急ブレーキをかけた。
「きゃっ」
小さく上がる牧野の悲鳴。
どいういう訳か、司は類ではなく牧野に直行。
襲いかかるように抱きしめると、悲鳴を上げる牧野に構わずソファーに押し倒した。

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