Overturn 【後編】
こちらは、Overturnの後編となります。前編をお読みになられましてからお進み下さいませ。
メープルの車寄せに、リムジンが静かに止まる。気の重いまま踏み込むこのメープルこそが、全ての悲しみを生んだ場所だ。
今夜開かれるパーティー会場は、つくしと披露宴を挙げるはずだった。別れ話をしたのも、ここのスイートだ。その部屋に、あれ以来、初めて足を踏み入れた。
中に入ると、着替えを終えていた雅(みやび)が居た。
「着替えるから待ってろ」
それだけ伝えて背を向ける俺に、雅が引き止める。
「ねぇ、何も言うことはないの?」
見返ると、薄いピンクのドレス地を掴み、どうだ? と言わんばかりにアピールしてくる。「似合ってる」と、感情が伴わずに告げると、今度こそ背を向け別室に入った。
支度を終え、エレベーターへと乗り込む。
「いくらこの場所が嫌だからって、私がいるってことをお忘れにならないでね!」
俺の素っ気ない態度が気に入らないらしい雅は、その不機嫌さを隠そうともしない。
それを分かっていながらも、気遣うなんて気持ちは持ち合わせちゃいなかった。この場所にいる限り、自分の吐き出しようのない思いに向き合うだけで精一杯だった。
雅を引き連れ歩くパーティー中も、必要最低限の挨拶だけを交わし、早く此処から立ち去ることばかりを考え、心に余裕など生まれない。
周りの奴等からは、そんな奥に秘めた思いなど読み取られてはいないだろう。その程度には自分の立場というものを弁え振る舞ってはいる。しかし、それはあくまでも公的な相手の場合のみで、隣で何かと騒ぐ雅には気を遣うのも億劫でしかなく、適当に相槌を打ち聞き流していた。
相手にされていないと充分分かっている雅は、腹立たし気な眼差しを遠慮なしに向けてくる。
「向こうで休んでろ。西田がいる」
ある程度の挨拶も済んだ。これ以上、俺と居たところで雅も面白くもなければ、腹が立つだけだろう。何より西田に押し付け俺が一人になりたかった。そんな本音を透かさず汲み取ったのか、
「不愉快だわ!」
雅は苛立ちを声に乗せると、ドレスを翻し俺の傍から離れて行った。
一人になって人気の少ないテラスへと向かう。流石にこの真冬に外に出る気にはならず窓から外を窺えば、舞っていたはずの小雪が粒の大きさを増していた。
つくしは、暖かくしてるだろうか。ちゃんと飯は食ってるだろうか。つくしのことだ。無理をしてるんじゃないだろうか。他の誰に対しても湧かない、心配と不安が心に住み着く。
俺に一人の時間を与えてしまえば、今でも意識はつくしへと向かってしまうのは、どう頑張っても止められそうになかった。ともすれば、全てを擲(なげう)って衝撃的につくしの元へと駆け出してしまいそうになる。それでもこうしてこの場に踏みとどまり、道明寺という運命(さだめ)の中を生きるのは、あの日の別れがあったからだ。
一生愛し続けると言った、つくしの想いを貰った。俺が誇りだとも言ってくれた。アイツの想いを踏みにじるわけにはいかない。この世界に飛び込んだのは、俺自身が決めたことだ。つくしを理由に逃げるなんて赦されない。決めた覚悟をつくしに擦り付ける卑怯な真似などしちゃならない。今、この瞬間にもつくしの想いは寄り添い傍にあるのだからと。
それでも、と思ってしまう俺は、どれだけ女々しく弱いのか。こんな日は、こんな心が寒い日は、温もりを求めたくなる。今直ぐにでも、つくしを抱き締めたくなる。つくしに会いたい、会いたい────。
「帰る」
失礼に当たらないだろうと思われる時間までまで何とか耐えた俺は、もう義理は果たしたとばかりに、雅と西田に告げる。
これ以上居ては、精神異常を来(きた)す。
料理を口にしていたらしい雅は、突然の俺の言い出しに慌ててるが、それを気にも留めず、一人背を向け待たせてあるリムジンへと向かった。
暫くして、雅と西田も乗り込んで来る。やっと邸に向けて走り出し、メープルとの距離が出来るほどに、俺も少しずつ落ち着きを取り戻した。
邸まではあと数分。ずっと無音のままだった車内で、やっと雅に声を掛ける。
「雅」
「気分が悪いの。話しかけないで下さる?」
再び沈黙が広がり、邸に着くその時まで、誰一人として口を開こうとはしなかった。
邸に着き、運転手がドアを開けるのも待たずに雅が車を降りる。その後ろ姿を見送り、西田と明日の簡単な打合せを済ませ、
「雅の面倒みさせて悪かったな」
自覚があるだけに素直に西田に礼を告げた。
「雅様、大丈夫でしょうか」
「さぁな」
溜息を落とし俺も漸く車から降りた。
使用人達に出迎えられ、長い廊下の先へと急ぐ。雅の姿は、もうどこにもない。きっと扱いの酷さに怒り、ふて寝でもしてるかもしれない。
自室の前に辿り着き、静かにドアノブを回す。中に入り見渡してもリビングに姿はなく、その先にある寝室へと足を向ける。ベッドに見つけたこんもりと膨らむ山。足音を忍ばせ近付くと、ベッドの縁にそっと腰を下ろした。背を向け横たわる姿を目に映し、その髪に手を伸ばして優しく撫でる。もぞもぞと動いて、俺へと向きを変え見つめてくれば、額に掛かる髪を掻き上げ、そこにキスを落とした。
「気分はどうだ? まだ悪いか?」
小さく首を振り否定し、起き上がり笑顔を見せる姿に堪らなくなる。
「キスしてもいいか?」
聞いておきながら、人肌が恋しく心が寒かった俺は、返事も待たずに早急に唇を重ね合わせた。
貪るように求めれば、男の性で溺れそうなる。何よりも大切なのはつくしなのに、反して体が反応してしまう。片隅に残る理性が、このままでは不味い、抱くわけにはいかない、と警鐘を鳴らすと同時に、バタバタと騒がしい音が、俺を強制的に阻止へと追い込んだ。
騒がしい相手は、遠慮もなく寝室に飛び込んで来ると、
「ホント信じられないわ!」
甲高い声で喚く。
そんな雅に、愛する妻──つくしは、「ごめんね、今夜は迷惑かけて」と柔らかく笑った。
あの悲しい別れの翌日。
俺は、忌まわしい条件を突き付けて来た企業に赴き、社長と、その娘と対峙していた。確認を取るために……。
『私には愛してる女性がいます。この先も彼女だけです。それでも宜しいのですか?』
思った通りだった。女は忌々しげに顔を歪ませたが、父親は違った。
『まぁ、人の気持ちは変わるものだ。そんな事ぐらいで騒ぎ立てるつもりはないから安心なさい』
何を戯言を抜かしてるんだとばかりに、鼻で笑っていた。想像通りの反応だ。この言質こそが欲しかった。俺の心が何処にあるかなんて、どうでも良いんだろう。娘しかいないこの父親は、後継者が欲しいばかりに俺に白羽の矢を立てただけだ。我が儘な娘が、俺を気に入っていることに便乗して。
『それと、婚姻を結ぶのは、もう少し先にしては頂けませんか? 今はまだ尚早です。立て直しが優先すべき時期に、私の結婚などと浮かれるべきではない。世間の目もありますから』
素早く頭で計算したのだろう。納得のいかない娘を、提携発表でおまえも同席すれば良いと、宥めすかした。そうすれば、黙ってても世間はおまえが婚約者だと理解するはずだから、少しは余裕を持てと。あと半年位は我慢するようにと。
融資を受け入れ、先ずは全て俺の思い通りとなった。
それから3ヶ月後。
マスコミを大袈裟に呼びつけた記者会見が開かれる。
会見直前、
『司くん、少しはにこやかに出来ないのかね?』
表情を一ミリも崩さずの無表情の俺に、父親が苦笑する。
『これでもマシになったんですがね。昔なら暴れてるとこです。何しろ私は、人の血を見るのを好みましたから』
抑揚なく答える俺に、顔を引き攣らせる親子。その親子と共に会見の席に臨んだ。披露宴を行うはずだった日に、あの場所で……。
提携への質問が矢継ぎ早にされ、父親が愛想良く答えてく。俺は、ただ静かに前だけを見て、時が来るのを待った。会見前から変わらない、無の表情のままに。
ビジネスの在り来たりな質問が終わり、代わりに俺と女との関係に及ぶ。
付き合いはしてるのか、結婚の予定はあるのかと繰り返される質問に、父親は『いずれお話出来る時が来れば』と、曖昧に答え、親子揃って笑みを見せている。
その隣で表情を動かさぬ俺にも、質問が投げつけられた。
18歳の時に開いた会見で言った、迎えに行きますと宣言した彼女とは別れたのか、と。
来た! 必ずこの手の質問が来るはずだ、と待ち詫びていたものに口を開く。
『今でも愛してます。これから先も愛し続けます。私が愛せるのは、彼女だけですから』
瞬く間にフラッシュが激しくなり、怒りのオーラーを放ってるだろう親子は、会見を強引に打ち切った。
『君は何を言い出すんだ! 私達に恥をかかせる気か!』
怒鳴り散らす父親と、歪んだ醜い顔の女に言い捨てる。
『愛する女性がいても、騒ぎ立てるつもりはないと仰いませんでしたか? 私は、何も嘘は申し上げてない。お二人にもお伝えしたはずです。記者にも聞かれたから本当のことを話した。ただ、それだけのことです』
最初に確認したはずだ。他に愛する者がいる、それでも良いのかと。その時に返した言葉を忘れたとは言わせない。
今は昔とは違う。そこに俺は賭けた。
俺はまだ何もやっちゃいない。諦めるにはまだ早い。時間の猶予さえ確保出来れば……。
あの別れの日。つくしの覚悟を聞かされ、道明寺司なんだと諭された俺は、メープルのスイートを出る時、新たな決意をしていた。俺はこの窮地から逃げるもんかと。ボロボロになるまでとことん挑んでやると。
楽な方へと逃げ、身を差し出し安定を図るお飾りのトップに、誰が本気で付いてくるものか。そんなんじゃ、俺はつくしの誇りでなんかいられない。だからこそ、直ぐに動いた。俺の発言できっと動く。そう信じて。
その会見の夜。何も出来ずに苦しんでくれていた親友達から電話が入った。
きっと、会見を見て、俺が諦めるつもりはないと直ぐに読み取ったんだろう。
類にあきらにと連絡が続いた。
『司、今は耐えて。必ず助けに行く。必ず』
『絶対にヤケになるなよ。いいな、司。少し時間はかかるが、何とか引き延ばせ。俺達が付いてるってことを忘れるな』
まだ社会に出て数年。親友達だって力が備わっていない。それでも、俺を心配し、支えるために、奮起しようとしてくれてるのだろう。
翌日、もう一人の親友が更に援護を仕掛けた。親友にまで押し掛けた取材人に、ここぞとばかりに総二郎は饒舌に語った。
『え? 司とご令嬢との結婚? いやぁ、私は何も聞いてませんが、それはないでしょう。私が知っているのは、本来なら昨日あの場所で、司が長年付き合って来た女性と披露宴を挙げる予定だったって事だけです。でも今は、道明寺が大変な時期だ。何を第一にすべきか司も彼女も理解しています。自分達を犠牲にしてもね。ご令嬢もご存知なんじゃありませんか? まさか、知ってて交際だ結婚だってこともないでしょう。そんな恐ろしいことを考える女性には、とても見えませんでしたよ。あんなに美しい人なんですから』
穏やかながら総二郎がペラペラと話した内容は、捉え方によっては、皮肉であり牽制でもあった。
俺の予想通り世論は反応した。
相手側は、道明寺ホールディングスの弱味に漬け込んだんじゃないかと。無理矢理、政略結婚へ運ぼうとしてるんじゃないか、更には、最初から計画的に狙われていたんじゃないかと、噂が噂を呼ぶ。総二郎のコメントで拍車がかかり、相手企業には負のイメージばかりが膨らんで行く。反対に、俺達の一途な想いは世間には好意的に捉えられた。
世間を味方につけ、相手の動きを封鎖する。これこそが、俺の狙いだった。今の時代、世の中の声を無視は出来ない。その声は束となり瞬く間に拡散される。だからこそやり返した。先に偽りの情報操作を仕掛けたのは向こうだ。俺は偽りのない本心を情報に乗せたに過ぎない。
こうなった状況下では、向こうは身動きを制限される。婚姻を急かすなど、世間の目を気にすればこそ、暫くは行動に移せないだろう。
この時間の猶予にやれるだけのことをやる。
更に後押ししたのは母親だ。
『私の方で、つくしさんをマスコミからも他からも守ります。あなたは存分に動きなさい』と。
俺が会見で口にした以上、つくしもターゲットにされ兼ねない状況で、母親の言葉は有り難かった。
世論の状況を確認した俺は、直ぐ様、NYへと飛び立った。力を注いでいた開発を、ある企業と共同のものとするために。
道明寺単独では時間がかかる。例え共同にして独占出来なくとも、先行きを考えればここと強固な結びをつけておいた方が得策だとも思えた。何度も足を運ぶ。これを決めるまでは、決して帰るつもりはないと意思表示まで見せて。
『君の本気の覚悟を受け取ったよ。開発には私達も携わらせてもらおう。私に魔法の言葉を教えてくれた彼女の為にも』
話を纏め直ぐに日本戻れば、休む間もなく様々なところへ足を運んだ。それは、日本支社内だけではなく、末端の会社にまで顔を出し、社員の士気を高めるために時間を割いた。その一方で、新たなプロジェクトを始動させ、社内の不穏な動きにも目を光らせるのも忘れなかった。
まだまだ先の見えないゴールに向かい、ただひたすら走り続ける。
体力は限界、精神を保つのもギリギリで、長い夜に取り残されそうだと思ったこともある。孤独な海に溺れそうだと感じたことも一度や二度じゃない。その度に、つくしの言葉を思い出し、自分は一人じゃない、つくしがいる、俺は道明寺司なんだ、と自分自身を鼓舞した。
一年が過ぎ二年が経ち、花沢物産や美作商事とも手を組みながら、小さなものから、徐々に大きな仕事も成功させられるようになっていった。三年目には、道明寺、花沢、美作、大河原と四社で立ち上げたプロジェクトが世間の注目を集め、俺達の存在を大々的にアピールもした。俺の躍進に脅威を感じてるだろう、提携相手の社長親子。その他の企業にも、俺と親友達との絆をも見せつけ、侮れないと警戒させながら、道明寺は経営再建を果たした。
そして、一年前。
融資返済額に大幅に色を乗せ、うちの社員と手を組んで貶めようと画策していた証拠をも叩き付け、提携を解消した俺は、米企業と共に、新たなポリマー材料の開発に成功したと世間を賑わす。これで太陽電池等の簡易化も見込まれ、先行きは明るい。発表を終え、俺はその足でつくしを迎えに行き、そのまま入籍を果たした。入籍して直ぐ、俺は業績を役員達にも認められ、副社長へと昇進した。
あの別れから、五年の月日が流れてのことだった。
「ねぇ、つくしお姉さま酷いでしょ? エスコートも適当だし、私を西田さんに押し付けるのよ? 仕方なくデザートを食べてたら今度は帰るっていきなり言い出すの。周りに人が居るのに怖い顔して。帰って来てからも私の様子も見には来てはくれないし、あんまりだわ」
「雅ちゃん、ごめんね。嫌な思いさせてしまって」
寝室では、まだ雅の愚痴が続いてる。
「司お兄様? レディに対して非常識な振る舞いだとは思わない?」
「悪かったって。でもな、夫婦の寝室にノックもなしに入ってくる、おまえの方が非常識だっ!」
「司お兄様だけには言われたくないわ。つくしお姉様、また二人きりの時にでも、ゆっくりお話を聞いて下さる?」
「えぇ、勿論よ」
「では、もう部屋に戻るわ。つくしお姉様、お休みなさい」
「雅ちゃん、暖かくして寝るのよ。お休みなさい」
俺には目もくれず雅は部屋を出て行った。
「反抗期か?」
「いやいや、今夜は司が怒らせただけだから」
つくしがクスクスと笑う。
短期留学で日本に滞在している雅は、俺達と共にこの邸に住んでいる。昔から可愛い子だったが、12歳になった最近じゃ、生意気街道まっしぐらだ。流石は姉貴の子。だが、部屋に乱入してくるところまでそっくりなのは勘弁して欲しい。
「つくし、夕飯ちゃんと食ったか?」
「うん、何とか少しだけね」
今、つくしのお腹には俺達の子供が宿っている。悪阻が酷く、家族で招待された今夜のパーティーも出席出来なかった。なかなか食事も摂れぬ中、使用人にも気遣い、なんでも自分でやろうと無理するから、俺としては心配で仕方がない。そう思う俺ですら、つくしに甘えてしまうのだから始末に負えない。
今も目の前に両手を広げられれば、何も言わずに飛び込んでしまう。包みこまれ、この温もりを求めてしまう。今日居た場所が、俺に精神的ダメージを与えると誰よりも知っているつくしは、こうして俺を甘やかし癒してくれる。唯一、心の安らぐ時。触れていれば、それ以上の行為を望んでしまいたくなるが、安定期にも入っていない身重の体だ。愛する女を大切にするだけの理性は持ち合わせている。この温もりだけで充分だ。
俺はこの先もきっと、メープルに足を運ばずとも、あの日の悪夢を地獄の日々を忘れないだろう。
あれは過去の出来事だと流し忘れるわけにはいかない。いつまた、足を掬おうとする奴等が出るとも限らない。不安定な社会情勢に翻弄されることもあるだろう。その度に、立ち向かう勇気や強さを維持しなくてはならない。それを支えてくれるのがつくしだ。俺が一番欲してた愛情を惜しみ無く注いでくれる。その愛を受け、弱さを強さに変換してみせる。暗闇の人生に見つけた希望の光が消えてしまわぬように、誇りだと言ってくれた想いに全力で応えられるように。
だから俺は、立ち止まることは赦されない、自分の決められた運命(さだめ)の上を生き続ける。
自らの意思で受け入れたこの人生を、愛すべき者達と社員を守るために、信念と強さを従えながら戦い走り続ける。
これからも、道明寺司として───。
fin.

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