手を伸ばせば⋯⋯ The Final 6.
※こちらの回と次話には、不妊に関しての記述がございます。
とてもデリケートな問題です。読まれるのがお辛い方もいらっしゃるかもしれません。
私自身、過去に悩み通院した経験がある身ですから、ご自身のお心を守るのが第一優先だと考えております。
こちらの6話と次話の7話は読み飛ばし、8話から読まれても何となく話は分かるかと思いますので、どうぞご無理をなさりませんよう、ご注意くださいませ。
以上をご理解の上で、この先にお進みになられますよう、よろしくお願いいたします。
あのバカ女!
また一人でぐるぐる考えやがって。
俺たちは夫婦だろうが。こういう時こそ、共にあるべきじゃねぇのかよ。
もう繋いだ手は離さない、そう約束したじゃねぇか。
手を伸ばせば⋯⋯ The Final 6.
つくしに付いているだろうSPに連絡を取り、居場所を聞き出した俺は、つくしの元へと車を急がせた。
勝手に答えを出しやがって!
車に揺られながら心で詰り、知らずに固めていた拳のせいで爪が皮膚に食い込んでいるのに気づく。が、こんなもん痛みの内にも入らねぇ。あいつの心の痛みに比べたら⋯⋯。
だが、あいつの痛みを知った上でも思わずにはいられねぇ。どうして何も明かしてはくれないのかと。
それが俺を想うが故だと分かってはいても、情けなさと悔しさが濁流のように押し寄せ、自分の不甲斐なさだけを思い知らされるだけだった。
さほど距離を走らず、車は静かに停まった。
つくしがいる場所からかなりの手前。停車した車から降り、逸る気持ちを抑えて、ゆっくりとした足取りでつくしに近づいていく。
まだ俺に気づいていないつくしは、歩いては止まり、止まっては車道をぼんやり眺めてまた歩く、を繰り返している。
目的を持たねぇ無意味な行動を繰り返し、そろそろ俺の気配に気づいても良さそうな圏内に踏み入って直ぐ、漸く声をかけた。
「買い物に行くって出たくせに、何も持ってねぇんだな」
振り返ったつくしは驚きこそしなかったが、視線は僅かに俺から逸れた。
「⋯⋯散歩がてら、少し酔いを醒ましてたの」
「ふーん。で? 醒ましたその頭は、少しはまともになったかよ」
「頭は元々まともよ」
「どうだかな。こんな時間に女一人、出歩くくれぇだからな」
「どうせSPの方たちが、どっかで見守ってくれてるんでしょ」
「当たりめぇだろうが。大事な女、危険な目に遇わせられっかよ。⋯⋯それより、つくし」
距離を一気に詰め、頭一つ分低いつくしを見下ろした。
「そろそろ本当のこと言え。おまえが秘書を外れたい、偽りのねぇ本当の理由を」
「何度も言わせないで。今までの努力を無駄にしたくないだけ。私の能力を生かしたい、それだけよ」
「相変わらずだな」
呆れた態を演出するように、わざと溜息交じりに言えば、やっとつくしは俺をまともに見た。
「何が言いたいの?」
「類が言った通りだ。虚勢張ってバリア作って、また同じこと繰り返す気かって言ってんだよ」
「⋯⋯言ってる意味が分からないんだけど」
「俺から逃げる気か」
「⋯⋯⋯⋯」
目は口ほどに物を言うとはよく言ったもんだ。
唇を引き結んだつくしは、直ぐにまた俺から視線を外す。これじゃ俺の指摘を認めたも同じ。
だが、そこを追い込む。見逃してはやらねぇ。
「俺からだけじゃねぇな。つくしは自分からも逃げてんだよ。全く、逃げ癖も大概にしろよ」
挑発的に言えば、逸らされていた目に険しさが滲み、俺へと舞い戻ってくる。
「本当のこと言われて怒ったか? 完璧なおまえも、本当のこと言われれば冷静さを欠くんだな」
「分かったようなこと言わないで」
「分かるはずねぇだろうが。二人で考えるべき問題じゃねぇのか? 一人で悩んで勝手に結論出して。俺が大人しく納得すると思ったら大間違いだ」
俺はポケットに忍ばせていたものを取り出し、つくしに突き出した。
観念したのか、つくしは諦めに似た短い溜息を落とす。
俺の手にあるのは、つくしが内密に通っていた婦人科の診察券。どういう理由で通っているのかは、既に把握済み。
全て俺が知っていると分かり、張り詰めていたものが途切れたのか、「調べたんだ」と、つくしは微弱な声音で呟くように言った。
「二人で悩んだところで正しい答えなんて出ない。感情に押し流されて将来を見誤るのが目に見えてるもの。これでも冷静に考えられるだけの頭は持っているつもりよ。私は正しい判断をしてると思ってる」
「仕事以外じゃ、おまえの頭は無駄が多いんだよ。勝手にそうやって一人で決めて、おまえはそれでどうなる? 救われんのか? 諦めんのかよ」
「司を支える方法は、何も傍で寄り添うだけが全てじゃない。司のためにも、男女の枠を超えて仕事で司の力になりたい。その方がよっぽど司の役に立てると思う」
「ふざけんなっ!」
全身の血が沸き立つようだった。
「俺のためだと? おまえの言う俺のためって、一体なんだよ」
「あなたは道明寺司なのよ。司には、財閥を守る義務がある。付き合う前にも同じこと言ったことがあったけど、その気持ちは今も変わらない」
俺から離れるのが大前提の主張は、俺のためを語りながら本質からして間違ってる。
つくしの前では、ただの男でありてぇ俺の思いを置き去りに、あくまでもつくしが守ろうとしているのは、道明寺財閥の御曹司である俺の立場。
そんなもん、たったの一度も望んじゃいねぇのに。
守りてぇのは、そんなくだらねぇもんじゃねぇのに。
好きでこんな家に生まれた訳じゃねぇ面倒な境遇は、普通の夫婦の関係すら赦さず、脆くも崩そうと立ちはだかるのか。
呪いのように纏わり付く境遇を恨めしく思いながら、同時に、切っても切り離せねぇ俺の立場が、つくしを追い込んでいるのも理解してる。
それだけ、厄介で巨大で化けもんじみた身の上だ。
だが、そんなもんは承知の上で結婚したはずだ。
全部分かった上で、どんな苦難があろうとも同じ景色を見たい。そう結婚会見で言ってくれたそのつくしが、こうもあっさり俺から離れる決断をしたのは何故か。
その理由を、ここに来るまでの間に俺は見つけていた。
――――答えは、全て過去にある、と。
つくしだけを忘れ、決して赦されねぇ過ちを犯した過去。
それによって捻れた運命は、奇跡とでも言うべき幸福により一つに結ばれはしたが、悔いるべき過去が与えた影響が、何もなかったわけじゃねぇ。
その一つが、つくしのPTSDだ。
幸いにもPTSDは克服したが、だが今に至っても拭いきれず、許せねぇものがつくしの中には存在する。
それは、つくし自身。
憎むしかなかった自分を許せず、そんな過ちを犯した自分を何よりもつくしは畏れている。自分自身に慄いている。
その証拠に、少し前の過去でつくしは俺に告げていた。
あれは結婚前。最悪なことに、パーティーで過去の女がつくしに絡んだ日のことだ。
ダチたちが帰り、二人きりになった部屋で、つくしは俺に言った。
『一つのものに囚われて、周りが見えなくなった前科が私にはある。だからもし、また私が間違った生き方をした時は、傍にいる司が思いっきり殴って、私の目を覚まさせて?────』
自分がまた過ちを犯すのでは、と根底に恐れがあるからこその発言だ。
それ故に、自分を傷付けてでも、過った道を断とうとする。
今のつくしの判断こそが間違いであるとも気づきもせずに。
この期に及んでも考えを改めようとしねぇつくしに、だから俺は言う。
「俺は知ってる。おまえは、いい加減な気持ちを語ったりはしねぇ。いつだって本気だって。⋯⋯そうだろ?」
「そうね」
「なら俺は、おまえを尊重する。つくしの言う通りにしてやるよ」
「⋯⋯ありがとう」
つくしは、秘書を辞める件について承諾したと思っているだろうが、冗談じゃねえ。ふざけるな。
どうしてもつくしが引かねぇんなら、パーティーの夜に言った言葉をなかったことにはさせねぇ。
つくし本人が口にした望み通り、目を覚まさせるだけだ。
思い出させるよう、あの日、あの時、つくしが言った最後の台詞をなぞるように口にする。
「過ちを犯した者同士、完璧じゃない俺たちは、二人で一人前なのかもしれねぇもんな。つくし⋯⋯歯、食いしばれ」
尊重するものが、どの会話を指しているのか、話のすり替えに気づいたらしいつくしが、ハッと目を瞠る。
けど、それも一瞬のこと。直ぐに表情を消した。
「殴りたきゃ殴れば良いわ」
「殴りたくなんかねぇよ。こんな役、やらせんなよ。でもな、俺は約束した。もしつくしが道を過ったら、殴ってでも目を覚まさせるって。今がその時だ。だから⋯⋯口、閉じてろ」
胸を貫く痛みに逆らって、言い終えると同時に手を振り下ろした。
パン!と頬を打つ乾いた音が辺りに響く。
距離を保ち周囲を固めていたSPたちが音に反応し、戸惑いながらも動き出した気配を感じ取る。
奴らが近寄ってくる前、力任せにつくしを引き寄せ、腕の中に閉じ込めた。
「⋯⋯⋯⋯痛ぇよな」
「痛くなんかない」
強がる女の頭を何度も撫で続けても、張り裂けそうな己の胸の痛みは消えやしない。
殴るしかなかった己の無力を思い知り、ともすれば無闇矢鱈に咆哮しそうで、ぐっと束の間、歯を食いしばった。
「⋯⋯⋯⋯俺は痛ぇよ。おまえを殴ったこの痛み、俺は絶てぇに忘れねぇ。おまえの痛みは俺の痛みだ。これからだって、おまえの辛さや苦しさ、全部一緒に俺が引き受ける。おまえ一人だけに辛い思いなんてさせねぇ。させて堪るかよ」
「⋯⋯司」
「ごめんな。俺の言葉でも傷ついたんだよな。
言い訳に訊こえるかもしんねぇけど、家に入れって言ったのは、子供が欲しいからじゃねぇ。他の男の目から引き離したかっただけだ。嫉妬に駆られて傷つけた俺が悪い。ごめんな、つくし。
でもな、今もこれからも俺が欲しいのは、つくしだけだ。そこんとこだけは、疑うんじゃねぇ」
つくしが婦人科に通っていたのは、不妊を心配してだ。
不安を抱えているとも知らず、浅はかにも口にしてしまった心ない俺の言葉は、つくしを傷つけるには充分だったはずだ。
思いに至らなかった俺が、全面的に悪い。
けど、だからって結論を出すには、まだ早い。
「追い詰めて悪かったと思ってる。でもな、つくし。諦めるには、いくら何でも早すぎねぇか? おまえの診断結果は訊いた。それだって、検査によって問題ねぇって話だろ? なのに、何でそんなに焦る必要がある?」
腕の中に閉じ込められたままのつくしは、俺のジャケットをギュッと掴むと、ぽつりぽつりと
胸の内を明かしていった。
「⋯⋯詰まっていた卵管は、検査をしたことによってスムーズになって、問題はなくなったって言われた。
でも、原因が見つからなくても、妊娠し難いこともあるって話を耳にして⋯⋯。
原因があるなら私も治療したい。だけど、何も分からなかったら、どうしたら良いのか⋯⋯怖くて怖くて仕方なかった」
消え入りそうに言う小さな体を、より一層強く抱きしめる。
「そういう時こそ、頼れよ。支え合うのが夫婦、そうじゃねぇのか?」
「言えるわけない。無茶をしてきた過去の私は、自分を大事にしてこなかったんだから」
自嘲めいて話す様は、痛々しかった。
「だから、理由が見つからなくても、何らかの影響はあるんじゃないかって。そう思ったら、このままじゃいけないって。身を引くことも含めて、先を見越して動かなきゃって。私のせいで司の人生を狂わすわけにはいかない」
「俺がおまえを手放すって、本気で思ってんのかよ」
「司なら守ろうとしてくれるだろうって思う。だからこそ、私が一人で決めるしかなかった。道明寺家を考えれば、跡取りは絶対に必要よ。それを私が邪魔するわけにはいかない」
やっぱりこいつは、何も分かっちゃいねぇ。
先を見越すのは、ビジネスだけにしてくれ。
「ほぉー、うちを守るためか。だとしたら、全くの的外れだな」
何を言い出すのかと警戒するように、腕の中にいるつくしの体が強張る。
「おまえは馬鹿で直ぐに忘れるから教えてやる。よく訊いとけよ。
いいか。おまえが結婚したのは、ただの男だ。つくしに心底惚れてる、ただの男でしかねぇ。
道明寺家? 会社? 知らねぇよ、そんなもん。つくしが跡取り考えて気に病むくれぇなら、そんなもん全部こっちから捨ててやる」
「なに馬鹿なこと言ってんのよ」
俺の体を押し退け、目を丸くしながらつくしは言うが、馬鹿なことでもなんでもねぇ。
俺にとってつくしは、核だ。俺が生きる意味、そのものだ。
「俺は本気だ。だいたいな、跡取りだ、日本支社長だっつったって、俺が居なくなりゃなるで、どうにかなるもんなんだよ。代わりの駒が動いて、なるようになる。
仮に、もし俺一人居なくなったくれぇで潰れる程度なら、所詮、道明寺もそこまでだってことだ。逆にそんな脆弱なもん、さっさと壊れちまった方がいい」
「そんな⋯⋯っ」
「それでもつくしが俺のためを語って身を引くっていうんなら、いっそ俺は己の手で道明寺を壊してやる。
そんなことになってみろ。おまえ、相当な奴等に恨まれそうだよな」
クッとわざと嗤って言ってやれば、刺すような視線が返ってきた。
「こんな時になに脅してんのよ」
「バーカ、脅しじゃねぇよ。事実を言ってるまでだ。知ってんだろ? 俺もつくしと同じ、いい加減な気持ちを語ったりはしねぇ。いつだって本気だ」
やると言ったら絶対やる。それはつくしも良く分かってんだろう。
目を伏せたつくしは、何も言えずに唇を噛んだ。
「責任重大だな、つくし」
「⋯⋯馬鹿じゃないの」
小さな呟きと共に、つくしの瞳から涙が零れ落ちる。
「ああ、馬鹿なのかもな。つくし馬鹿だ、俺は。でもそれが幸せなんだから仕方ねぇ。だから俺の幸せ、勝手に潰そうとすんじゃねぇぞ。おまえだけは絶対に離さねぇって、よく覚えとけ。分かったか」
俯き加減のつくしの額を指でコツンと突けば、雫がふたつ、みっつと続けて頬を濡らしていく。
「⋯⋯いいの? 司の傍に居ても」
小さな声が堪らなくて、また華奢な体を掻き抱いた 。
「居てもらわねぇと俺が困るって、いい加減分かれよ。おまえが居なくなったら、うっかり道明寺を壊しちまうかもしんねぇぞ? 大暴走だ」
静かに泣き続けるつくしに、「でもまずは、」と続け、力強く宣言する。
「道明寺をどうこうする以前の問題で、先につくしだ」
「え⋯⋯?」
「その後ろ向きな思考を、ぶっ壊す!」
「そんな、どっかの政党みたいなフレーズ⋯⋯」
人をどこぞの党首扱いする泣き腫らした顔のつくしは、呆気にとられた面構えで見上げてくる。
マイナス思考がさらなるマイナスを呼び寄せ、自分では気持ちの軌道修正が図れないのなら、俺が正すまで。
「泣くのはまだ早ぇってこと。行くぞ」
「え⋯⋯行く? 行くってどこに?」
それには答えず、抱きしめていた腕をほどき手を伸ばす。
手を取り合った日の再現の如く差し出した俺の手を、つくしがじっと見つめる。
「俺が手を伸ばせば、どうすりゃ良いか、つくしは分かってんだろ?」
まだ自分の中で葛藤があるのか、暫くしてからやっと、小さな手が躊躇いがちに俺へと伸びてくる。
ほっそりとした指先が俺に触れるなり、しっかりとその手を捕まえた。
「医者を待たせてある。つくしが一年近く通っていた病院のカルテも送ってある。別の医者の意見も訊くぞ」
「え、こんな夜にそんな無茶な!」
「おまえな、こっちはおまえを失うかもしれない危機に晒されたんだ。無茶だろうが何だってするに決まってんだろうが! つべこべ言わずに付いてこい!」
足を踏ん張るつくしを引き摺るように、俺はまた車へと急いだ。

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