愛のカタチ 6.
男だけになったところで、あきらが俺を呼ぶ。
「司、いつまでそこに座ってんだよ。こっち来いって」
ベッドで上半身を起こした格好の身体は鉛のように重く、身動き一つ取れずにいた。
記憶さえ戻れば、不安も焦りも何もかもが消え失せ晴れ晴れすると思ってたのに。晴れるどころか苦しくて、以前より酷く胸が締め付けられている。
俺を苦しめるのは失くした記憶だけ。そう思ってきた独りよがりだった自分は、一体どれだけの奴らを巻き込み、辛い思いをさせてきたのか。
そして、きっとこれから語られるのは、更に俺の胸を痛くさせるに違いなかった。
それでも、耳を塞ぐわけにはいかねぇ。
俺が止めてしまった時間に、あいつは何を思い、この十年を過ごしてきたのか⋯⋯。
喩え、胸が押し潰されようとも、あいつの心に傷を負わせてしまった俺は、全部を受け止め知らなければならねぇ。
「おい、司」
再び、あきらから声がかかり立ち上がると、重い身体を引き摺り三人の前へと進み、ソファーに頽れた。
「本当に全部思い出したんだな?」
あきらの問いかけに、三人の顔を順に見て頷く。
「なら、俺達がどうしてここにいんのかも分かってるよな? 俺たちが心配する意味が分かんだな?」
身体を前のめりにして訊く総二郎に、「あぁ」と顎を引いた。
その様子から、こいつらが何を心配しているのか、手に取るように分かる。
こうして四人顔を揃えるのは久しぶりだ。
きっと、あきらがオフィスで倒れた俺をここまで運び、他の二人にも連絡を入れたんだろう。
だからと言って、今じゃそれぞれが忙しい身だ。なのに、揃いも揃ってこの場にいる意味。
それは、十年前と同じように倒れた俺が、また記憶を乱すんじゃねぇかと気に掛けたからに違いなかった。
俺は十年前。記憶を失い、酷い言葉で罵って、あいつを傷付けた。
次々に流れ落ちる涙を拭いもせず、
────もういい。あんたはもう、あたしの好きだった道明寺じゃない。
そう言わせちまうほどに。
俺は最後に見たあいつの涙が気になって、気になって⋯⋯。
涙の意味を考えている内に、今日のように目の奥がチカチカと光り、そのまま意識を失くし倒れた。
そして、目が覚めた時。
俺は、俺の世界から、完全にあいつを消していた。
「牧野、初めに忘れられた時より、二度目に忘れられた時の方が傷ついてたよ」
記憶を失くした経緯を辿っていた俺を見ながら話し始めた類は、
「そりゃそうだよね。だって司は、牧野の存在そのものを消したんだから」
容赦なく責めた。
類を窘めるような目で見たあきらは、小さく溜息を零すと、「確かに、松崎は⋯⋯」と言い止して「いや、牧野はな、」と改めた。
「あの頃、憔悴しきってた。こっちが見てらんないほどにな。
牧野だけを忘れて、倒れてからは、桜子や滋のように、牧野がいなきゃ繋がらない奴らまで全部忘れて。それを俺たちから聞かされた牧野は、完全に自分を無かったことにされて、更に傷を深くした⋯⋯、俺もずっとそう思ってた」
「⋯⋯思ってた?」
含みのある物言いに訊き返せば、答えたのは類だった。
「牧野が辛い思いをしてたのは、司が記憶を失くしただけが理由じゃないってこと」
「他にも何かあるって言うのか?」
「司が拉致られるようにNYに行って、一年ほど経った頃だったか。酒に酔った牧野がな、ポロッと零したんだよ。司に酷いことしたって」
そんな覚えはねぇ。
取り返したばかりの記憶のどこを探ってみても、思い当たる節はなかった。
「酷いことしたのは俺だ。あいつは何にも───」
「俺もそう思うよ。今思い出しても許せないくらい、酷いことしたのは司だよ。でも、牧野が自分を責めていたのも事実だ」
目の奥が笑ってない類に批難されても、反論する気もなければ資格もねぇ。
ただ、あいつが何を思い、どうして自分を責めたのか。理由は分からずとも、一人で心を痛めていたのかと思うと遣る瀬なく、唇を噛み締めるしか出来ねぇ己の不甲斐なさを思い知らされるだけだった。
「未だに分からないよ。あの時、牧野は何でそう思ったのか。教えてはくれなかったからね」
それを寂しいと感じているのか、類の瞳に憂いが漂い、総二郎が後を引き取る。
「つーか、それ以来、牧野が司の話題を避けてたしよ。司と連絡も取れねぇ中で、必要以上に問い詰めて牧野の傷を抉るわけにもいかねえーだろ?
でもそのうち牧野は、年月を追うごとに自分らしさを取り戻していったんだよ。必死でバイトして奨学金で英徳大に上がって。笑顔も増えて就職を見据える頃には、その先に希望を持ち始めるようにもなった」
ババァに拉致られNYで過ごした俺に、自由な時間なんてなかった。
こいつらと連絡を取るのもままならず、喩え連絡を取り合えたとしても、記憶のなかった当時の俺は、あいつの話を耳にしたところで煩わしく感じただけだっただろう。
けど今は、全てを知りたいと思う。反面、途轍もなく怖い。
唇を噛む力が自然と強くなり、鉄の味が口内に流れ込んでくる。
「でもやっぱりな、知らないとこで働かせるのは心配で、うちの会社に入れって、半ば強引に俺が誘ったんだ。当然、牧野はコネ入社なんてイヤだって騒ぐから、結局は自力でうちに入社したんだけどな。
入社したらしたで今度は、必要以上に話しかけるな、贔屓目で見るな、って煩いのなんのって。
だったら、おまえがどこまでやれんのか見届けてやるから、思い切りやれ、って言った俺の期待以上に、あいつは良くやったよ。俺の力も借りずに、今じゃ関西支社秘書課の主任だ」
コネ入社が特に多い秘書課では異例の出世だよ、全く。そう言って、その時々を思い出すように苦笑するあきらは、情深く見守ってくれていたのだと分かる。
ダチとして上司として、石よりも固い頑固なあいつに、時折頭を悩ませながら、それでもあいつの主張を尊重しながら。
俺は心の中であきらに感謝した。
そのあきらが、
「だから、大丈夫だと思ったんだ」
いきなり表情を曇らせた。
「正直、牧野は司のことを吹っ切ったんだと思ってた」
ドクン、と脈打ち胸の締め付けが強くなる。
吹っ切れたと言われれば、身勝手にもこの胸は軋むだろう。
でも、それ以上に今感じるのは、前言を取り消しそうな言い回しに、さらなる痛みを感じずにはいられなかった。
吹っ切れてくれてるならいい。それなら痛みを感じるのは、この俺だけで済む。
でも、もしそうじゃなければ⋯⋯。
痛みに加えて心臓はざわめき、あきらが次に何を言うのか、内心の怯えを隠すのがやっとだ。
「牧野は、プライベートでも昔と変わらず明るくなったし、だから安心もしてた。でもそれが表面上だったってことに俺が気付いたのは、今から二年前だ」
「⋯⋯二年前?」
「あぁ。滋も言ってたろ。椿姉ちゃんからおまえの様子を訊いたって」
「⋯⋯あぁ」
「その日は、関西支社に転勤が決まった牧野を囲って、久々に皆で飲んでたんだ。
丁度その時、偶然帰国してた椿姉ちゃんから連絡が入って、一緒に飲もうって誘ったんだよ。
姉ちゃんも喜んで来てくれた。でもな、その姉ちゃんの顔を見るなり牧野は、挨拶もすっ飛ばして訊いたんだ」
間が空くごとに緊張が走り、和らげるために唾を呑もうとした。
だが、からっからに乾ききってては上手くいかず、閉塞を感じる気道は、あきらの言葉で呼吸の仕方さえも忘れる。
「道明寺はどうしてますか? 道明寺は寂しい思いしていませんか? ってな」
「っ⋯⋯!」
「今まで俺たちの前では、司の名前も口にしなかったのに、その日は何の迷いもなく、牧野はそう訊いたんだ。姉ちゃんも困惑してたけど、牧野の必死な形相を見て折れたんだろうな。話してくれたよ。さっき滋が語った話を。
その時に思った。あぁ、こいつは、司を忘れたことなんてなかったんだって」
キーン。
あきらが言い終えると同時に、デュポンライター独特の高音が部屋に反響する。
口に咥えた煙草をそれに近づけ火を点けた総二郎は、カーンと、キャップを閉じもう一度音を響かせると、吐き出した白煙の向こうに目を細め、控えめに言った。
「対照的だったな⋯⋯、あいつら」
意味を問う俺の視線に気づいたのか、
「姉ちゃんの話を訊いてよ、滋は声上げてワンワン泣くんだよ。
で、牧野はっつーと、お前に思いを馳せてたんだろうな。ずっと黙って宙を見てた。泣きもしねーで」
話を続けた総二郎は、その時を思い出しているのか、ゆらゆらと立ち上る煙を追うように天井を見上げた。
「牧野もあん時、滋と同じように覚悟を決めたんだと思う。いや、覚悟を重ねた、って方が正しいか」
あきらの付け足しに、「重ねた?」と意味を探るように反芻する。
「あぁ。多分牧野は、司が記憶を失くしてから、色んな角度からの覚悟をしていたはずだ。姉ちゃんの話を訊いて決めた覚悟も、その一つ。おまえの中の自分自身を消そうってな。牧野の残像で苦しみながら生きる司を、少しでも救いたかったからこその覚悟だ」
「⋯⋯⋯⋯」
「美作の社員で、しかも重役秘書ってポジションにいれば、司が日本に戻って来た時、仕事絡みで会わないとも限らねぇだろ? もしそうなった時、夢に出て来るそっくりな女に会ったら、司を混乱させるんじゃないかって⋯⋯。
それから直ぐだったよ。昔の面影を消すように、髪型と髪の色とメイクで見た目を変えて、関西支社へと行ったのは。
まぁ、帰国した司が、昔の牧野に似せた滋を傍に置いたってのは、皮肉だけどな」
そう言って苦笑したあきらは、それからも『重ねた』と表現したあいつの覚悟を俺に明かしていった。
あいつは、俺の記憶が一生戻らない最悪のシナリオを頭に描き、その覚悟もしていたばすだと。
それも仕方がない、とも付け加えた。
何故なら、記憶喪失だと医者から最初に告げられた場には、姉ちゃんやこいつらと共にあいつも同席し、記憶は戻るのかと医者に問い詰めたのは、他ならぬあいつ自身だったのだから、と。
「医者ってのも辛い立場だよな。震えた声で訊く牧野にハッキリ言ったよ。一生戻らない例も報告されてるって」
それがどれだけ残酷な宣告だったのか、容易く想像がつく。
滋のとこの島で互いの気持ちを確かめ合い、華奢な身体を抱きしめながら二度と離しはしねぇと誓ったのに。
そんな何よりも大切な女に、さして時間も経たずに俺が与えものは────絶望。
声を発するのも苦痛な俺を含め、一時、誰もが口を閉ざし、沈黙が支配する。
暫しのあと、静寂を破ったのは類だった。
「俺、牧野に言ったよ?」
「⋯⋯」
「俺がおまえを支えるって」
胸が嫌な軋み方をする。
その一方で、俺とは違って類なら泣かせやしないだろうと思えた。
悔しさより勝って納得すれば、類がくすりと笑う。
「今、司より俺の方が牧野を幸せに出来るって思ったでしょ」
見透かされた決まりの悪さに眉が寄る。
「自分を責めてるからこそ生まれる考えじゃない? それって」
「⋯⋯⋯⋯」
「だからだよ」
類から一切の笑みが消えた。
「だから牧野は、しっかりと自分の足で立ち、前を向いて歩いてる」
昔からそうだ。
類の短い言葉には、大抵大きな意味が隠されてる。
それを分かっていながら意味を探るのは、俺にとっては難しい。
試されてるようにも感じて、昔なら声を荒らげて威嚇もしただろうが、今の俺には類に対して苛つき一つ湧いちゃこなかった。
俺ん中にある怒りは唯一つ。己にのみ向けられるものだけで、俺はただ静かに話の続きを待つ。
「支えるつもりだった。支えてやれるとも思ってた。NYまで司を追った牧野を迎えに行った時のようにね。
でも、時が経つにつれて、感情よりも現実をしっかりと受け止めた牧野は、俺に弱い姿を見せなくなったよ。
プライベートでも仕事でも、泣き顔も見せずに何事にも必死。今でもね」
「⋯⋯」
「何故だか分かる?」
問い掛けておきながら、俺の返事なんて端から期待してなかったのか、類は間を空けずして答えを明かした。
「司の記憶が戻る可能性も考えてたからだよ。でもそこには、司と恋人関係に戻りたいって願望は含まれていない。あまりにも時間が経ち過ぎてるからね。昔のようにはいかないって、牧野自身が思ってる。
ただ牧野は、司が記憶を取り戻した時、自分は大丈夫、って真っ先に言えるように、恥じぬ生き方をしたいって言ってたよ。
司が牧野を忘れていた時間を、それまで生きてきた日々を、決して悔やまないように。そして、それからの人生も苦しまないようにってね。
自分を責め過ぎて、牧野と過ごした時間まで後悔して欲しくないって。自分にとって司と過ごした時間は、かけがえのないものだったから、ってさ」
滑らかに話してるようでも、俺には分かる。
僅かに硬い声音は、類の怒りが潜んでいると。
「そんなこと言ってたのか⋯⋯」
あきらの呟きを聞き流し、冷やかな目を俺に向ける類は、もう一度口を開く。
「これも牧野が重ねた覚悟の一つ。全ては司のため。常に司のことを頭に置きながら、あいつはこの十年生きてきた」
「⋯⋯⋯⋯」
「自分が忘れられたことより、司が苦しみながら生きる方が、牧野にとっては、よっぽど辛かったってことだよ」
「⋯⋯馬鹿⋯⋯じゃ、ねぇの」
声が震えて上手く出ねぇ。
どこまであいつはお人好しなんだ。
人の心配ばっかしてんじゃねぇよ。
目の奥が熱くなって、右手で顔を覆った。
「そう言う奴でしょ、牧野は。だから俺は、司が記憶を取り戻す日を待ち侘びてた。その時が来たら、牧野に代わって全部ぶちまけてやろうと思ってさ。
だって、許せないじゃない。あれだけ傷つけておいて、本人は何にも知らないなんて。
喩え、話を聞いた司が苦しもうが知ったことじゃない。寧ろ苦しめばいいって、ずっと思ってたよ」
「⋯⋯⋯⋯」
「司? 今の気分はどう?」
瞼の裏にあいつを思い浮かべながら聞いていた俺に、仇討ちさながら冷淡漂う類の声が突き刺さる。
それも仕方のねぇことだ。
あいつを思えばこそ、類は俺に憎しみさえ覚えるだろう。
それを受けるべく、覆っていた手を退け類を見ようと瞼を開ければ⋯⋯⋯⋯、なんでだ?
目に映るのは、何故か微笑んでいる類だった。
「司、その顔笑える。目、見開き過ぎ」
「あ⋯⋯?」
「もういいんじゃない?」
「は?⋯⋯いいって、何が」
「気分は最悪、今はどん底って感じでしょ? だったら、あとは這い上がるしかないってこと」
もしかして類は、わざと俺を突き落とす真似を?
滋にも責められず、あいつからは、責めるどころか俺の心配ばかりされて。だからこそ遣りきれなくて、胸を掻き毟りてぇほど苦しくて。
それを分かってて、わざと?
遂には声を立てて笑い出した類にチラリと呆れた目を送ったあきらは、けど直ぐに頬を緩めた。
「俺たちにとっては、牧野も滋も大事なダチだ。でもな、司。おまえだって大切な親友なんだよ。ガキん時から、ずっと一緒だっただろうが、俺たちは」
「⋯⋯⋯⋯」
「だから正直言えば、滋と一緒に住みだしてからおまえが荒れなくなったと知って、これで良かったのかもしれないって思ったこともある。おまえらが付き合ってるって疑ってもみなかったしな。
けど、牧野を思えば、記憶のことは忘れろとは、俺には言えなかった。それをあっさり牧野は言ってのけるんだもんな。記憶はいつ戻るのかって、おまえに牧野が訊いた時、本気ですげぇ女だって思ったよ。
挙句、記憶を失くしたことさえ忘れろなんて事も無げに言うんだから、恐れ入るよ」
総二郎も加わる。
「でもそれもよ、司と滋が付き合ってるって思ってるから、牧野は言ったんじゃねーの? 司と滋が一緒に住んでんのは、あきらを通して牧野に伝えてあったし、俺たちと同じで勘違いしてるはずだぜ?
まぁ、勘違いしても仕方ねぇっつーか、話もしてないからな、あいつら。滋は牧野に負い目を感じて避けてたし、牧野は牧野でおまえらを思うからこそ距離を取っちまうしで、あいつらこの一年、会いもしなきゃ連絡も取っちゃいねぇんだよ。
桜子だって同じだ。二人を心配しながらも遠くから見守るしか出来ねぇでよ。ま、今頃、滋から全部聞かされてんだろうけど、牧野はまだ何も知らねぇままだぜ?
どうすんだよ、司。女たちの友情復活もかかってんのに、ここで落ちてる場合じゃねぇんじゃね? それとも何か? 司が見た牧野の様子にヒビっちまったか? でもあいつ、基本何も変わってねーよ。なぁ、あきら」
「あぁ。司の前だからあんな風に演じてただけだ。あの後、桜子をイメージして振る舞ってみたってぬかすから、だったら色気が足らねぇぞってポロッと漏らしたら、道端で迷わず俺の脇腹にパンチだぞ?
仮にも俺はあいつの上司なのに手加減なしだ。そんな暴力的なところも昔のまんまだから、安心しろ」
未だクスクス笑う類と、陽気に語った総二郎とあきら。
さっきまで張り詰めていた空気を一変させたこいつらは、まるであいつのとこに行けとでも嗾けてるようだ。
だとして、行けるかよ。今更、どの面下げて⋯⋯。
それに、会っちまえば自分の思いを制御出来んのか自信なんてねぇ。
そんな資格なんてもうねぇのに、あいつをまた悩ませちまうだけだ。
それにあいつは────⋯⋯
「いくら記憶を取り戻したからって、滋まで傷付けておいて、直ぐにあいつのとこに行けるかよ」
揺さぶられる気持ちを遮断したくて吐き捨てる。
「それが滋の望みであったとしてもか?」
あきらの声に、類の笑いがピタリと止まる。
「俺たちが、司も牧野も滋も同じく大切なように、滋にとっても、司や牧野は大事な存在なんじゃないのか?
だからこそ、滋だって苦しんだんだ。滋が身を引いた思いを汲んでやれよ。自分のせいだって、滋に思わすようなことすんなって。おまえが滋に遠慮すれば、あいつの精一杯の思いを否定してんのと同じだと思わないか?」
「⋯⋯⋯⋯」
「滋が、司の傍にいることで苦しみから救おうとしたのも愛の形。
牧野が自分の寂しさを犠牲にして、離れながらも司の幸せだけを願ったのも愛の形だ。
まぁ、思いが強すぎて大切な女の記憶を失くしたっていう、司の究極の愛のカタチには、流石の俺たちも参ったけどな」
笑みを浮かべるあきらが、同意を求めるように総二郎と類に目を向ける。
「全くだぜ。やることが普通の人間とは掛け離れ過ぎだっつーの! まぁ、記憶云々抜きにしてもよ、誰も傷つかねぇ恋愛なんてねぇんだし、思うままにしろって」
「司が考えると、話が余計ややこしくなるだけだしね」
「要は、おまえがおまえらしく幸せを掴めば、俺たちはそれでいいってことだ」
総二郎も類も好き勝手に言い、最後に締めくくったあきらに、けどな、と反論しかけたが「あ」と気の抜けた類の声が、それを阻む。
気にかけた総二郎が類を見た。
「類、どうしたよ」
「肝心なこと、言い忘れてない?」
「肝心なこと?」
「うん。だから司は躊躇してるんじゃない?」
「ん?⋯⋯あっ、そうかそうか、そうだよな! 牧野が松崎になっちまったんだもんな!」
指をパチンと鳴らし、一番俺が気にしていたことに漸く気がついた総二郎は、気持ち悪りぃくらいに表情筋を緩ませる。
「あのな、いくら司のことを考えてたっつったってよ、十年だぜ? 十年! そりゃあ、つくしちゃんだって色々あったわけよ。でも、また状況が変わったみてーよ? あきら、そうだろ?」
「あぁ。あいつは牧野に戻ろうか悩んでる。それで昨日から俺に相談しにこっち来────」
「あ? あいつ男に大事にされてねぇのかよっ! おい、どうなんだ! あきら、ハッキリ言えっ!」
怒りのままにテーブルに拳を叩き込んだ俺は、再発した類の笑い声も、総二郎の「もう凶暴猛獣復活かよ」と嘆く声も、構ってらんなかった。
あいつ⋯⋯、離婚すんのかよ。
「ちょ、ちょっと待て落ち着けって! 牧野はな、確かに色々あったが大事にされてなかったわけじゃないからな。けどな、今悩んでるのは間違いない。家も出て引っ越すみたいだし」
あきらが言えば、さらに総二郎が乗っかり煽ってくる。
「でも分かんないぜ? 所詮、男と女だかんな。やっぱこのままでいいかって流されちまうこともあんじゃね? 司がグズグズしてると⋯⋯って、うぉっ! なに急に立ち上がってんだよ! ビビらすんじゃねぇよっ!」
殴りかかるとでも思ったのか、総二郎とあきらが同時に腰を引き、笑いが収まらない類共々見下ろす。
立ち上がった俺の顔を、あきらたちが揃って仰ぎ、三人分の視線を受け止めた俺は、ともすれば弱気になりそうな声に、過剰に力を込めた。
「おまえら、俺に教える気あんのかよ!」
まるで意味分からないとでも言いた気に、三人が三人とも首を傾げる。
俺だけでも十分辛い思いをさせたのに、あいつが今のこの時も不幸な目に合ってんだとしたら、黙って見過ごすわけにはいかねぇ。
その前に、こいつらに確認しときたかった。
「教える気あんのかって聞いてんだろうがっ!」
「な、何をだよ?」
恐る恐る確かめる、あきら。
「俺があいつの居場所教えろっつったら、素直に教えんのかって聞いてんだよ!」
この十年。こいつらに何を訊いても教えてはくれねぇと諦めてきた。
今なら教えたくても沈黙するしかなかったこいつらの苦悩も理解するが、それでも訊かずにはいられなかった。
今の俺になら、疑問に答えてくれるのか否かを確かめたくて。
昔のような関係にこれで戻れるのかと安心を得たいがために、照れ隠しでわざと乱暴に訊く。
「あ、そういうことか」
やっと俺が何を言いたいのか察したらしい三人は、互いの顔を見合いながらニヤニヤ笑う。
「記憶が戻った司に、俺たちが隠しごとなんてするかよ」
やれやれ、とでも言いた気にあきらは溜息を吐くが、笑ってる顔は誤魔化しきれてねぇ。
「だったらさっさと教えろ!」
偉そうに指図する俺もまた、嬉しさが駄々漏れの顔でもしてんだろ。
類だけじゃなく、俺の顔を見た総二郎まで吹き出してんだから。
「ほら、牧野の住所だ。記憶喪失以外の方法で、おまえの愛情の形を伝えて来いよ!」
手帳を取り出し、そこにペンを走らせたあきらは、紙をビリっと破り俺に差し出す。
紙切れを手にした俺は、乱暴にコートを掴むと、
「サンキュ」
小さく礼を残して、猛ダッシュで部屋を飛び出した。
✶
「さてと、俺達もそろそろ行くか」
「今日は久々にオールになんじゃね?」
「それもたまにはいいだろ」
「だな。てか、類! 寝んじゃねーって! 今日の分の力、使い果たしちまったかよ。頑張ってよく喋ったもんな。類にしちゃあ、上出来だ」
「類、フルーツグラタン頼んでやるから、もう少し頑張れよ。 食べるだろ? フルーツグラタン」
覗きこむ二人を片目だけ開けて見た類の、「⋯⋯食べる」の一言を合図に間もなくして部屋を出ると、クリスマス仕様に彩られた道明寺邸のエントランスを揃って潜り抜けた。
親友を運ぶヘリの音を頭上に聞きながら、三人は滋たちの待つクリスマスパーティーへと急ぐ。
集まれば馬鹿みたいに騒げたあの頃ように、誰一人欠けることなく集まれる日も、そう遠くはない。
そんな確率の高い予感を懐きながら。

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